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僕のお父さん世代、つまり50~60歳くらいの人って言うのはお金に余裕のある家庭しか大学に行かなかったのでしょうか?その辺のところがどうなっているのか教えていただけないでしょうか。

友人で親が大学に行った、と言う人が多いので気になりました。

A 回答 (15件中1~10件)

その世代の人は、兄弟姉妹が多かった家が多いのでは?


自分の親兄弟は戦中~ベビーブーム時代後半まで
6人も兄弟がいたので、みな大学は行ってません。

いまの時代でも6人も兄弟姉妹がいたら、全員大学へ
親掛かりでやるのは、厳しいのでは。

奨学金という手もありますが、身近にそれを使った人が
いなければ、どう手続きしていいかもわからなかった
可能性も大きいと思います。
実際、自分の高校の友人は、親に余裕が無い場合は
みなサクサク奨学金の手続きをし、大学へも自力で
いった人間は多かったのですが、
成人して、高卒で就職した友人グループと知り合いに
なったとき、手続きがわからなくて進学をあきらめた
という人がゴロゴロいてびっくりしました。

本人の、周囲や親が、進学に対してそういった経験が
ないと、情報がわからず、親がお金が無いといった
ひとことで、途方にくれてあきらめたケースも多い
と思います。

また、余談ですが、
旧制中学・旧制高校は現在の高校・大学レベルの
学問をしていて、旧制大学は大学院レベル相当の勉強を
されていたようです。

そこに、通っていたおじいさんたちの同窓会の手伝い
をしていたのですが、高校のクラスわけが
フランス語やドイツ語といった選択があり、
そのほとんどが、旧制大学へ進学していました。
当時、旧制高校の定員と旧制大学の定員がほぼいっしょだったそうで、
高校に入る段階で優秀な生徒以外は、ふりおとされていたようです。勉強も、いまの高校生など太刀打ち
もできないほどの、レベルと質と量を要求されていた
にもかかわらず、豪快に遊びながら、猛勉強していた
そうです。

そういう人が、社会に出てからエリートとして日本を
引っ張っていたそうなんです。

ですから、戦前の教育では、大学はエリートの行くところ
だったので、一般的には中学卒業してから、みんな
社会に出ていたそうです。

それが、おそらく祖父母の世代の話なので、
戦後、高校までは、子供をがんばって進学させても
大学まではという意識も多かったので、
それに影響されて大学進学が少なかったという背景
もあると思いますよ。
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学生時代の教授などもその世代でした。

その教授は中学生で両親を亡くし、お兄さんと二人だったそうです。それでも大学を出て、さらに大学院にも進学し、理学博士の学位も取得しています。以前聞いた話では、当時奨学金をもらって大学に通っていたが、その後の経済成長で金銭価値が大きく変わり、借りたお金の返済もすごく楽になって、あっという間に返せたそうです。その点では、今の時代の方が大学に行きづらい気がします。

ちなみに、私の両親は裕福な家庭ではありませんでしたが、父は大学(中退しましたが)、母は短大出身です。
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戦後の教育の流れをみて下さい。


今の60歳くらいの人達が中学生だった昭和30年代は
中学生は金の卵とよばれました。

実際に中学を卒業すると同時に工場などで働く人は大勢いました。
九州や四国、東北などの中学生は集団就職といって団体で上京しました。
(長渕つよしもその一人)

友人で親が大学に行ったというのは地域性や友人の同一性が大きいでしょう。
高校進学さえままならないときに、大学進学は少ないです。

昭和40年代に入ると中流を自認する世帯が増えてきます。
すると高校への進学が高まります。

昭和50年代、つまり今30代後半~40代の方の高校時代は
高校への進学率が90%を越えるようになります。

こうして初めて大学への需要が高まるのですが、
こうなったのがバブル絶頂期です。

各地の自治体はこぞって大学を建設し、あるいは誘致しました。
それが10年~15年後の現在に至っています。

結局はバブルのときに後先を考えないで過剰に大学ができてしまった。
その矛盾が今出てきてしまっています。
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貧しくて大学に行けなかったというのは、60代以上でしょう。

ただ、今、50代の方の親は、当時、大学進学にまでまだまだ関心の薄い方が多かったと思われます。親は今、70代~80代でしょうからね。大学どころか、新制の高校もできてなかった方がおいでますしね。
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私はニックネームでお判りの年齢です。


私と私の周辺の人の事情を話します。
昔は私の家を含めて貧乏な家が多かったので、私の家のように、中学(今の公立高校)までやるのが精一杯でした。
私は就職後、夜間の専門学校(今の国立大学)と当時の新制市立大学の夜学に通いました。
私の勤めていた工場にも多くの同じような人がいました。
中にはそのまま学校に残って、国立の大学の教授になったり、その経歴を活かして、転職する人も可なりいました。
私は家計を助けるため会社にとどまっていましたが、会社としては進学を止める訳には行かず、対策に頭を痛めていたようです。
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オジサンです。


「お金に余裕のある家庭しか大学に行かなかったのでしょうか」とありますが、それは昭和戦前および昭和30年代までの話です。60歳の人が大学へはいったのは1965年(昭和40年)ですが、そのころすでに大学の大衆化がいわれていました。1968~69年ごろの大学紛争の激化も大衆化の産物です。
 ただあの時代は高卒でも就職はいくらでもあり、しかも正社員採用です。大企業の工場部門では盛んに高卒を募集していました。公務員も高卒で行く人が多く、市役所、区役所など誰でもはいれるとすら言われていました。ですから、勉強の嫌いな人が無理して大学へいく必要なんかありませんでした。 
 今は、高卒で正社員としての就職は少ないようで、勉強が嫌いなのに仕方なく大学や専門学校へ行く人が多いようで、これもまた問題ですね。なんのために存在するかわからなツマらない大学が多すぎますね。 
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昔は今と違って大学の数が少なかったため大学生も少なかった。

よって大学へいけるのはお金の余裕のある家庭しか行けなかったと思います。しかし今では大学の数も増えました。しかし大学も少子高齢化の影響で高齢者も大学入学できます。大学も学生確保で必死です。特に弱小大学は・・・そういう時代の流れ・・・
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 昔は、本当に勉学を目指していた人は、目的を持って、目標の大学に行ってましたよ。


 ただ、高卒でも就職が容易に出来ましたので、家庭に余裕の無い人は、一旦就職し、夜間の大学に行ってました。
 その後、転部試験を受けて、昼間の大学に通っている人もいました。
 今の大学生を見ていると、かなり子供っぽく見えるし、何の目標を持って、通学してるのかなって、首を傾げたくなる場合もあります。
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私の父は70過ぎていますが大学に行きましたよ。


兄弟が多かったので苦しかったみたいですが兄弟が協力してくれたみたいです。
そういう苦労をしたせいか、やる気がない者に大学なんかいかせられないと・・・・私は大学に行っていません。
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昔は人海戦術の時代でした。


どうしても家に戦闘員が居る必要があったのです。

一度、電化製品(電灯は良しとして)を全く使わずに生活してみましょう。
主婦1人では無理です。

それとまだまだ機械化されて無い時代なので、人間の神業である匠になるには大学に行く余裕は無い。
15,6歳から始めないといけない職業がありましたから。

お金の余裕というよりも、生活の余裕の問題じゃないんでしょうか?
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