プロが教えるわが家の防犯対策術!

車の運転をしていまして、気になったことがあります。
また、このアナロジーでもって、世の中に起こっている腑に落ちないことも当てはまるような気がします。
それは「故意」と「過失」を同等に扱っていないかあるいはその傾向にないかということです。

話を運転に戻しますと、たとえば今日私は「時間により右折禁止」のところで右折しようとして、途中で気づいてまた直進しようとしました。そのとき左から追い越そうとしていた車にクラクションを浴びせられました。相手にとってみればブレーキをかけてすり抜けようとした矢先にまた進路をさえぎられるわけで面白くないわけですが(これは私も逆の立場だったらかなりやる確率は高いと思います)、考えてみますと、危険防止の警告クラクションというよりも、実効性のない憂さ晴らしの行動のように思えます。これは、たとえば青信号に気づかずに後ろから鳴らされるのとはわけが違う。これは非難であると同時に勧告警告指導であるわけで、実効性があります。対して、警官でもないのに、一方通行を誤って入ってきた車に対して自分が左によらなくていけないから腹が立つとか、時間右折禁止に気づいてまた進路を戻しやがってこの馬鹿がという気持ちで鳴らすのとは一線を画するわけです。
無謀運転の車に無理やり追い越されて後ろから怒りのクラクションを鳴らすとかいうのならば合理性がありますが、過失で誤っているのを非難されるということはどういうことなのか?

これはもちろん日常生活のほかの面にも多々現れていると思われます。「故意」にやったことでないのをいたずらに非難される、あるいは憂さ晴らしの標的にされるようなことは倫理にもとるのではないだろうか?「いまのわざとなの?それとも気づかなかったの?」という配慮がなぜないのか?そこが疑問に思えます。

どう考えたらいいんでしょうか?

A 回答 (16件中1~10件)

いくつかツッコミどころがあるので、まずその指摘から。



>危険防止の警告クラクションというよりも、実効性のない憂さ晴らしの行動のように思えます
「俺が追い越し中なんだから、安全確認もせずに進路変更するな!」
という警告であり、危険回避の手段としては妥当と思われます。

>たとえば青信号に気づかずに後ろから鳴らされるのとはわけが違う。
>これは非難であると同時に勧告警告指導であるわけで
前者の方が、より直接的な「危険回避の為の警告」です。
接触事故の直接的な原因と間接的な原因、どちらがより危険かは
考えなくてもわかることです。

>一方通行を誤って入ってきた車に対して自分が左によらなくていけないから腹が立つ
すれ違いが出来ないケースではどうですか?
さらに、後続が来ている場合は?
いずれにせよ、交通規則に於いて「逆送」は想定外であり
故意でなくとも充分に危険行為なのです。

>時間右折禁止に気づいてまた進路を戻しやがってこの馬鹿が
きちんと安全確認をしないから鳴らされるんです。
安全確認をしない運転者は、不規則に動く路上の障害物のようなもので
極めて危険な存在であり、それを認識させると同時に
危険に対して警告を発する必要もあります。

>無謀運転の車に無理やり追い越されて
>後ろから怒りのクラクションを鳴らすとかいうのならば合理性があります
ありません。それは鳴らした方も明確に違反行為です。

>過失で誤っているのを非難されるということはどういうことなのか
その過失が、危険な事故原因に直結するからです。
運転免許という「資格」を持っている以上、
「間違った」「知らなかった」は通用しません。


で、私が貴方の質問内容を見る限りに於いて
貴方には「わざとじゃないから怒る方が悪い」という
悪質な開き直りの精神が宿っているように感じられてなりません。
わざとだろうが過失だろうが、そんなもの相手には関係ないんですよ。
関係があるのは、その行動に伴う結果だけです。
結果的に迷惑や損害を被らせたなら、責められるのは当然のこと。
世の中そんなに甘くありません。

あと、思いやりというのは「気遣う側が自主的に持つもの」であって
「気遣われる側が要求して良いもの」ではありません。
そこのところは誤解しない方がいいでしょう。

この回答への補足

いやいや、質問の趣旨は後半の「わざとか過失か」という振り分けの問題ですよ。車の例は適切でないが、それにいちいち突っ込まれては困るのです。

補足日時:2007/11/27 23:55
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この回答へのお礼

結局ですね、
>貴方には「わざとじゃないから怒る方が悪い」という
悪質な開き直りの精神が宿っているように感じられてなりません。
わざとだろうが過失だろうが、そんなもの相手には関係ないんですよ。

本気でこう思われているんでしたら、法体系にある「過失」と「故意」はナンセンスだという理論になりませんかね。

>「気遣う側が自主的に持つもの」であって
「気遣われる側が要求して良いもの」

つまり、思いやりなんて持ちたいやつがもちゃいいんだという、一種の開き直りか新思想のような気がしますね。なにか、あまりに常識はずれなドライ感覚が正常だと思っていませんかね。私は怖いですねそういう人は。

まぁあと、一通の問題は、文章から左によればすれ違い可能ということはわかるでしょ。

お礼日時:2007/11/28 00:15

よくわかりませんが


運転に対して不注意過ぎるので警笛を鳴らされたので
屁理屈じゃなくて反省すべきじゃないかと思うんですが・・・
右折しかけてやめて直進で後ろの車の進路をさえぎるということは周りを見てないってことになりますよね


「故意」でも「過失」でも危険さは変わらないと思うんですが。
むしろ過失のほうが怖いかも・・・



クラクションの使い方としては
青なのに発進しないから鳴らすほうが間違っているといえば間違っているのですけど・・・・
必要以上に長く鳴らすとか威嚇に使うのも違うといえば違いますが

この回答への補足

よくわからないくらいなら回答しなくてよろしい。
車のたとえの方を取って回答すること自体、質問の趣旨が読めていない。

補足日時:2007/11/27 23:58
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この回答へのお礼

どうも、失礼しました。
質問文からわかりにくかったかもしれませんが、右折禁止のところで鳴らした相手は「こいつ右折を途中でやめてまた本線に戻ろうという、交通放棄にもとることをやろうとしている、おまけに俺の前にまた出ようとした、危ないかつマナー違反名やつめ」という気分だったように思いました。ところが実際は「交通放棄遵守」のための右折断念行動だったし、進路を急に変えるということはドライバーの本能(これくらいは備わっていると自覚しています)にもとることなので、左に並びかけている車に接触するような動きはしていなかった。もちろん相手はそこが「時間により」という意識は多分なかったと思うし、私が信用できないドライバーで急に接触する動きをとるかもしれないという「性悪説」に基づき、警告した。その流れですおそらく。

つまり、必要以上に「性悪説」を掲げていないか毒されていないかという疑問だったわけです。

お礼日時:2007/11/28 19:57

過失である危険行為(安全を確認せず前進する)であるのか、故意に危険行為(先に同じ)であるのかは他人には分からんでしょう。


ならば、辱めに甘んじなければしょうがないんじゃないの?
他人にはどっちにしろ危険行為にさらされたんだから。

一線引こうというのは自分への甘えでしょ。
失敗しちゃった。これぐらいは良いよね。
他人には関係ありません。
前だけ見て運転していたらいいと言うものではないですよ。
事故は双方に配慮がないから起こるんですから。
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この回答へのお礼

>他人には関係ありません。
そう回答者さんが思っているだけでしょう。
悪意のあるものとないものとなぜ同じ次元で捕らえて平気なのか、その感覚が理解できませんね。

それに、車の例で突っ込むのは読みが足りません。質問の真意は、タイトルや後段にある。

お礼日時:2007/11/28 00:02

#1です。


車の例が適切でない、というのは認識されているようで何よりです。
ただ、私は#1の後半部分で
「故意か過失かは、少なくとも他人には関係のないこと」と
明記しているはずです。
もっとわかりやすく言うならば、
「故意でも過失でも、行動によってもたらされる結果は同じ」であり
「他人が持てる判断基準は、結果のみである」という事です。
許すか許さないかは、貴方が決められることではないのですよ。
「故意じゃない」と主張すれば許される、なんて事はありませんし
「被害者」には「加害者」に配慮する義務も、
そのような倫理的概念も存在しません。
「配慮しろ」と主張するなど愚の骨頂。
過失であれ何であれ、原因を作った者に反論の余地など無いのです。
そうでなければ「過失責任」などという言葉は存在しません。
「世の中そんなに甘くない」というのは、そういう事ですよ。
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この回答へのお礼

再度投稿ありがとう。
能書きになりますが、インターネットのこのようなコミュニティで、どれほどの真意が伝わるか。非常に疑問なところです。顔も身なりもわからず、ただこの無機的な活字の羅列だけで人間性を判断しつつ(あるいは無視して)やり取りしようというわけですから、おまけに失じっくりお互いプロの文筆家でもなく、名文家でもなく、しかもなるべく速読で即効返事でやろうとしているわけで。

それでも妥協点とか一致点は到達できると思いますね。そういう気があれば。

今回のご回答非常に明快です。しかし、明晰というだけで、そんなにドライになる必要性や正当性があるのかという印象を持ちまして、どうも腑に落ちないですね。

しかし、矛盾の感じられない論理ということで納得できました。

お礼日時:2007/11/28 19:51

「いまのわざとなの?それとも気づかなかったの?」という配慮というテーマであるなら、クラクションの例えはまるで例えになっていないでしょう。

クラクションはとっさに危ないと思って鳴らすものですので、はてこれは故意とろうか、それとも過失なのだろうかとじっくり考えた上で、ふむこれはどうやら故意だなという結論をつけてクラクションを鳴らすというようなことを普段からやられているのでしょうか?
満員電車の中で足を踏まれたとか、レストランで従業員に水をこぼされたとかで、その瞬間に思わず体よけたりとかの対応を非難しているようなもんです。質問者さんが問題にしているのは、その後のすいません、いやいやわざとじゃないんだから、そんなに謝らなくてもというようなやり取りでの話しでしょ。
そこでわざとだろうがそうじゃなかろうが、喧嘩になったり、店員にどなり散らしたりする短気な人を責めているだけのことかと思いますが、しかしながらそういう傾向の人は最初から故意だの過失だのという次元を超越したところの人ですからその次元で問題を提起するってのもまるでナンセンスなことかと思います。
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この回答へのお礼

クラクションの例は接点がなさ過ぎましたか?そんな気も今はしています。冗談なんですが、クラクションに種類がないのが問題かもしれない。つまり、「無礼なやつに怒る」音と「注意勧告アドバイス」の音と「ありがとう」の音を変える(笑)そういう配慮があればよく分かり合えるかもしれません。

この例で言えば、「こいつ右折を断念しやがった無礼者」という判断を(時間外右折を交通法規に基づき断念した)私にした運転手は、一分くらい立って「注意」の音を鳴らすことになるかもしれない。

それはともかく、論旨を是正していただきありがとうございます。

そういう傾向の人がかなりの確立で存在しているという事実論に落ち着くということでいいのかもしれませんね。

お礼日時:2007/11/28 20:03

過失を為すにもそれなりの原因があり、マナー違反や故意を為すにもそれなりの原因がある、ということになるのでしょう。


マナー違反や故意という言葉は個人の意志で制御できるものという前提で使ったのでしょうが(また一般的にはそう捉えられていますが)、制御できる意志を持っていないということに何らかの原因があるというのが本質だと思います。
敷衍して論ずることには無理があると思われますが、ご質問の例の場合は、どちらも集団内で定められた何らかの規則から逸脱するという点では非難されても仕方ないことでしょう。
配慮がなぜなされないのか、という疑問に関しては、そういう配慮がなされる(肉体反応的にせよ精神的余裕にせよ)ゆとりのない状況に置かれているから。
ゆとりのない状況がもたらされるような社会環境自体が倫理にもとると言うこともできるでしょうし、
人間が倫理だけで生きているわけではないのでなかなか難しいということでもあるのでしょう。
 
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この回答へのお礼

いつも、本質的なご回答、ありがとうございます。
制御できる意思、あるいは、能力を超えた判断力と表現力ということかもしれません。ゆとり(時間的であり能力的であれ)人間の気持ちを最大限に尊重していては、社会のほうが回らないという状況に生きるのが人間の宿命なのかもしれません。

お礼日時:2007/11/28 20:05

再度#1ですが。



はっきり申し上げます。
「わざとじゃないんだから配慮しろ」などと悪びれず言えるような輩に
何かしら気を遣おうなどと思うお人好しがいるわけがありません。
真摯な謝罪があってはじめて「まあわざとじゃないんだし・・・」
となるのが自然です。
わざとじゃないにしろ、例えば人の足踏んで知らんぷりな奴に
一体どんな配慮をすればいいのか見当も付きませんね。
反省あってこその配慮であり、反省無き者に配慮など不要。

法的見地から言ってもそうです。
「情状酌量」「執行猶予」といったものが何故存在し、
どういう理由で判決に加えられるものなのか
よーく考えてみた方が良いでしょう。
貴方の主張は「逆ギレは正当である」という論調にしか思えません。

そもそも、他人に配慮を求めるのであれば
まず自らが他者への配慮をするのが筋というものです。
貴方の返答を見る限り、そういう態度は微塵も感じられませんね。
それで自分だけ配慮してもらおうなんて、
私に言わせれば「こいつ何調子こいてんだ、バカじゃねーの」ですよ。
迷惑掛けておいて「配慮しろ」なんて、達の悪いジョークとしか思えません。


つーか、もっとはっきり本音を言わせてもらうと

同調意見以外いらないんだったら、初めから
「異論・反論は一切受け付けません」とでも明記しとけよ。
「どう考えたらいいんでしょうか?」という質問に対して
「こう考えるべきでしょう」という回答をしているのに、
やれ「わからないなら回答しなくてよろしい」だの
「そう回答者さんが思っているだけでしょう」だの
「常識外れなドライ感覚が怖い」だのと・・・。
お前一体何様のつもりだ。
みんなお前のために回答してくれてるんだよ。
勘違いして寝惚けたこと言ってんじゃねえぞ。

だいたい、そんなん自分のブログにでも書いてりゃいいだろ。
何処が質問なんだ。最初から結論ありきじゃないか。
自己中心主義も甚だしい。
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この回答へのお礼

まず、人を必要以上に「性悪説」で判断しないことをお勧めします。物は言いようということもあります。今回のGAG666さんの回答姿勢には、どうしてもそういう忠告を与えたくなりますね。足を踏んで誤らないとかそういう拡大論法はよろしくないし、それこそ「性悪説」主義者だと間接的に表明しているようなもの。それはそれでいいですよ。ひとつの考えです。
ただ、いたずらに人を巻き込むのはよくない。質問者も、あるいは他の回答者もです。

最後のほうで
>みんな質問者のために
というのがありますが、私はこのフレーズを使う人を信用しないことにしてます。なぜなら、
他の回答者が、自分と同じように質問者のために回答しているという根拠がないし、そんなものを猛進することは、自他を区別できないことをあらわしている。実際いるんですよ。回答者のためだというせりふでただ自己満してあるいは質問者を追い詰めて楽しんでいるやからが。あまりお人よしにならないほうがよろしい。
あるいは、無意識的にも他の回答者を無理やり自分の陣営に引き入れて「回答者の群れ」⇔GARCON2000という構図を作り出したいと思っているひとりになれない幼稚性を表明しているかどちらかです。

そんなことで、かっと来る前に5分部屋を暗くして私の言ったことを吟味してみてください。

お礼日時:2007/11/28 20:14

処世術的ではありますが、好戦的な相手に対しては、一歩出るよりも一歩下がる配慮をするほうが良いです。

それができなければ口論になるだけでしょう。その一線を越えたら、質問者さんが自分自身で答えているように、法に従うしかないと思います。

ストーカー規制法を適用されたとしたらどうしますか?という問に、あるストーカーが、「それなら、6か月以下の懲役又は50万円以下の罰金を受け入れてでも、ストーカーする!」と言って、非難されていましたが、法がどんな制裁を施しても被害者(または加害者)が安堵できない場合は多々あります。

法ですら解決できない問題が多々ありますので、いざこざに巻き込まれないように配慮して生きていくしかありません。
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この回答へのお礼

処世術は実は一番大事なものかもしれませんね!
気持ちより方法論だというのは生きすぎですが、方法論を無視した気持ちの押し付けほど厄介なものはないかもしれない。

ご忠告ありがとうございます。

お礼日時:2007/11/28 20:17

こんにちは。

 女性 (わたし) の意見ですが。
要するに、 ↓↓ 昨今の 日本社会における、

>>「過失」と「マナー違反、故意」を同等に扱っていないか?
>>「故意」にやったことでないのをいたずらに非難される、あるいは憂>>さ晴らしの標的にされるようなことは倫理に反するのではないだろう>>か?
  ↑↑ このような傾向が多くないですか? と言う質問ですよね。

>>右折時に~・・ の例えが返って分かりにくくて。 ( 左から追い
越しのドライバーさんは、 クラクション<<♪鳴らして当然だもん。
ご質問者さま的には、「故意」じゃなかったのかも知れないけど )

日本国民全体イライラしてますから、 そう言う傾向は沢山有ります。
★自分の溜まっているストレスを → 何かの形で誰かに ぶつける★
                 ( ↑憂さ晴らしの標的? )

あなたも、凄くイライラしてる。 せっかく書いて下さっている、
回答者さま達へのご自分の文章を 読んで見てください。  

それだと、ご質問者さまは、 故意に書いていないかも知れないですけれど、 せっかくの回答者の皆さまが、 ご質問者さまの、憂さ晴らしの標的になっちゃってます。 
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この回答へのお礼

ご指摘ありがとうございます。
国民いらいらしているというのが結論なのかもしれませんね。なぜかはいろいろと取りざたされているとおりです。

わからせる努力をしないで別れというほど傲慢なことはないのかもしれない。しかし、必要以上に人を「性悪説」で捕らえようという風潮がますますその苛立ちに拍車をかけているのかもしれない、そんな気がします。

お礼日時:2007/11/28 20:19

2通りの答え方をしてみます。


(A)
なぜ配慮なく非難がなされるのか。
故意なのか過失なのかしっかり見極めることなく早合点して断定してしまうからではないでしょうか。
つまり、その非難というものが軽卒・うっかりな代物であり、まさしく「過失」そのものに他ならないのです。
さて、もしも、過失には寛容であるべきだとするならば、性急な非難も過失ですから、それに対しても寛容であるべきだということになります。

(B)
わざとなのかうっかりなのか、そのようなことを判断する必要なく、非難は一様に事実に対して向けられるものだから、という仮説が考えられます。
つまり、非難や憂さ晴らしとはもともとそういう(「過失」と「故意」を区別しない)ものだからだということです。
「自分、故意で人を殺めました」と自白しようが「わったしぃ、うっかり人殺しちゃったぁ、てへっ」と自白しようが人殺しは人殺し。もちろんその時の態度がまたいろいろな判断材料として関わってくると思いますが、人を殺したという事実は同じです。
それをもしいちいち配慮していたら、憂さ晴らしどころか余計憂さが増えてしまう。だから一面的に憂さを晴らしたい人は配慮などせず非難するのではないでしょうかね。
「そういうものだから」では納得いかないとすれば、「配慮などしない方が楽だから」という答になると思います。


(その他)
運転の話は、随分と人の心理・感情を中心に据えて考えてますね。
そもそもそれを「非難」だとか「憂さ晴らし」だと断定してしまうのにも感情的なものが関わってしまっているような気もします。
まあ倫理というものも人の感情をもとに構築されたものではありますが、論理的にものごとを考えるためには、そういう感情は脇におかないと解決しないのですよ。
そして感情を脇におくと、大抵、「そういうものだから」以上にましな答は返ってこないんですよね。「なぜ~なの?」という疑問は、それに対する不満とかいった感情要素が根を下ろしているケースが多いのです。
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この回答へのお礼

明快で適切なご回答、ありがとうございます。
質問文の悪例や悪文も漉して読んでいただき、恐縮です。
要は、「こいつは法規を破ってまで(道を間違えたからといって)直進に戻ろうとするふてぇやつだ」という判断をおそらくされたのだと思う。ところが実際は「間違えた、法規に基づくべく直進に戻ろう、その際ウインカーを引っ込め、左を通り抜けようとする車に接触しないようよく確認して始動しよう」という運転手の判断など採用されなかったということなのではないかと想像するわけです。つまり、「性悪説」を適用された!それとAの「過失」を資格で着なかった非難も「過失」であるという因果応報的説明、まったく救われる思いですね!
ここまで書いてきて、結局は世の中がなぜひとを「性悪説」に傾けて判断するのかという問題と、ほとんど同じなのではないかと感じました。

結局そのほうが確実で、楽で、しかも安全性が保たれる(保険的)その結果、人の心は顧慮しないマイナスがあるが、トータルとして世に認められる姿勢である。という不文律ではないだろうか?

その他の「感情に偏って物事を判断している」という私の欠陥も指摘していただき納得いたしました。

お礼日時:2007/11/28 20:28

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