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人はつらい経験をしたぶんだけ人に優しくなれます。という言葉をよく目にしますが、私自身辛い経験を数多くしてきましたが、どうしても人に優しくなれるとは思えません。ひどい目にあったから、これからは気をつけなきゃとか、人を疑いこそはすれ、人に優しくなれるというのがぴんと来ないのです。
人に優しくなれた体験などあればお聞かせいただきたいと思います。
よろしくお願い致します。

A 回答 (10件)

人が辛いことや苦しいことがあれば人に優しく出来ます。


それは苦しい経験をした分人の痛みが分かるからです。
そのような意味で辛い経験をした分優しくなれるのです☆

優という漢字は 人偏+憂い
憂いは悲しいこと、苦しいこと。

人が苦しいことや悲しいこと、辛い経験をすれば優しくなれるということです☆

辛い経験を通して人の痛みが分かることが大切です。
あなたも辛い経験をしてきたなら人の痛みも分かるでしょう☆

私も病気になって同じように苦しんでいる人に助かって欲しいという心が生まれました。
また、さまざまな苦しみから同じ苦しみを人には味わってほしくないと思いました。
そのような思いやりの心が生まれました。
人にも優しいネって言われることが多くなりました。

それは辛い経験をしたらから人の苦しみは辛さが分かることが出来るので、
思いやりのある優しい言葉をかけてあげることが出来るのですョ☆

あなたも辛い経験をしてきたなら人の痛みが分かるでしょう。
それが優しさの始まりです。
優しくなれるということは、その辛い経験を通して、
相手の苦しみが分かり、思いやれるということです。
また、同じ苦しみを経験してほしくないという気持ちからです。

あなたもキット優しさを持てるはずです☆
その辛い経験は無駄ではなくて人のことを思いやるのに必要な経験なのですョ☆

この回答への補足

↓の文章の訂正です。
人生に意味はないって言う人がいますが、→人生に意味があるって言う人がいますが、 ・・の間違いです。

補足日時:2008/10/05 22:09
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この回答へのお礼

あなたの返事には気づきを見出すことが出来そうです。
よく人生に意味はないって言う人がいますが、私には理解できませんでした。失敗続きの人生に希望なんてあるの?っていうのが本音で、その考え方をしている限り、勝ち組しか生きる意味がないというような悲しい価値観しかでてきませんよね。

けど、あなたの説明はわかりやすい。失敗して、苦しんだということにも意味があるとあなたはおっしゃっているように感じました。
つまり人生に意味があるということですよね。
たしかに私のような辛い経験を他の人に味わってもらいたくないっておもいます。人間の感情は時代によって変わるわけでなくて同じ人間である限り人として生まれた限りは同じ心の痛みを感じるわけで、確かにおっしゃるとおりだなと思いました。

豊かな国にも心が飢えているのは不幸だとか文章を見ますが、なんか理解できそうな気がします。人の痛みが分らない人は軽蔑すべきなのかもしれませんね。最近の勝ち組負け組みの風潮に流されて自分の人生を全否定されそうで苦しかったのですが、人生に意味はあると思えるようになれそうで嬉しかったです。有難うございました。

お礼日時:2008/10/05 22:05

#6です。


お礼ありがとうございます。

>ただ、私は思いやりがあるかというと正直自信ないです。
>何度言っても遅刻が直らない人を相手にするときとかひどい人間だと思われるのを覚悟で注意します。

こう書かれているということはgotgot510さんは自分の悪いところ、治した方が良いところを指摘されるのが嫌だということですよね。

大変申し訳ないことを書きますが、こういうことが嫌だと思っている人は人間的に成長をしない人です。
経験則を積んで上手く立ち回ることはで来ても(人に騙されないように疑うなど)、人間的に一回り大きくなるような成長は(人にやさしくなれるなど)しないってことです。

自分が人間的に成長できるようになれば他人に注意することは何も怖いことでなくなります。
当然その人にはどのように言ったほうが内容が伝わり、その人の成長になるかを考えないといけませんが。

注意するって、その人をバカにするとか悪者にするとか、その人の悪いところを行って自分が満足したり自分が優越感に浸るんで無く、
その人が人間として成長してもらうために、その人がわかり易いようにヒントをあげることです。

それを考えていれば、今回はこういう言い方ではその人に届かなかったら継ぎはどういうふうに言えば良いかなとまた考えれば良いだけだと思いますよ。

注意しないためにその人の成長の機会を与えない方が、遥かに思いやりの無い人だと思いますよ。
ちゃんと注意しておられると言うことなので、自分の行動にもっと自信を持ってください。


人を騙す人が可哀相と思うのは、人を騙す人は死ぬまで人を信用することが出来ず、人の愛に触れる事が無く(自分の愛を人に押し付けるだけになります)常に自分も誰かに騙されるかもしれない修羅の世界に住むことになります。
今は人を騙して成功していてもいつその成功から引き摺り下ろされるかわからない人生です。
とても可哀相だと思いませんか?

反対に人に思いやりを持って接し、優しい行動の取れる人は、
情けは人のためならずというようにいつかその優しさが自分にも帰ってきます。
周りはそういう優しさを理解できる人に囲まれ、自分が困ったときには何気ない手助けをしてくれます。
そういう人生の方がぱっと見大きな成功が無いように見えても人生は大成功で終えられると思いますよ。

逆に言うと人を騙すような人は可哀相と思うがそういう人とは近づかない方が良いと言うことです。
または騙されることを承知で付き合う。
(人を見る目が養われて、この人はこういうことでは信用できない、例えばこの人は異性がらみは信用できないとか、お金が絡むと信用できないなど信用できない範囲が絞れたらその範囲以外は信用するがそのことは一切信用しないと言うことが出来ると付き合える人の輪が広がります)

ある人が信用出来ないから、他人を一切信用しないとなっては、gotgot510さんもその騙した人に引きずられて修羅の世界に住むことになっちゃいますよ。
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この回答へのお礼

他人を一切信用しないとか、信用するとかについて最近考えています。

お金は紙切れですが価値がありますよね。
それはお金に信用があるからだと思います。
同時に今金融破たんが問題になっていますが、銀行も信用で成り立っていたからで、その信用が崩れたので破綻するんだと思います。

人間も信用でその人の価値とか尊敬の念とかが決まるような気がしてきました。
つまり、人によって信用できるできないがまちまちなので、
人によって対応を変えていかなきゃと思いました。

自分も信頼されるには努力の積み重ねですね。

お礼日時:2008/10/19 18:00

>人はつらい経験をしたぶんだけ人に優しくなれます


個人的には優しくなれるし、厳しくもなるように思います。
自分の状況を受け入れ頑張ってる人には優しくなりますが、周りに甘えて自ら動こうとしない人には厳しくなるように思います。
心の痛みが判るゆえ「そんなの痛くないじゃん」とも思える自分が居るのも事実かと思います
単なる打ち身程度で今にも死にそうな位泣き叫ばれると別の感情が浮いてきませんか?

(世の中には無理して経験しなくても良い事もありますので)良いのか悪いのかは別として経験を重ねる事で痛みの尺度が変わるのかもしれません

優しさと甘やかしを履き違えてる方が多い昨今のような気がします
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苦しさの中にいる人は他人に優しくする余裕などありません。



心の傷を癒して自分自身を取り戻した分だけ人に優しくできます。
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初めまして、お役に立てますとよろしいのですが。



>ひどい目にあったから、これからは気をつけなきゃとか、人を疑いこそはすれ、

おそらく、この部分を過ぎたら、優しくなれると思います。
何か「ひどい目」にあったとして、
その1秒後には、もう人にやさしくできるということは、ほとんどないでしょう。
でも、24時間後、48時間後には、少しずつ優しさを取り戻すかもしれません。
それが、2日や3日で優しくなれるのではなく、
たとえば3年後、5年後になる人もいるかもしれません。

私も、病気や怪我をした前後で、性格が変わったという経験はあります。
でも、まだまだ修行が足りないので、優しいとまでは、いえないかもしれません。
変わったとすれば、それは「自分がつらかったときに、他人にどうしてほしかったか」を考えて、
行動できるようになったからかもしれないな、と思います。
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>人はつらい経験をしたぶんだけ人に優しくなれます。


正確に言えばなれる人なれない人両方いますね。

よく先輩から理不尽な伝統的な嫌なことをされたときに、俺も先輩になったらやられたことを後輩にしてやるんだと考える人と、こんなことをされて嫌だったからこんなことは自分の代で終わりにさせるんだと思う人がいます。
前者は辛い経験をしても人にやさしくなれない人です。
後者は辛い経験をするとそれだけ人にやさしくなれる人です。

論語に「己の欲せざること人に施すことなかれ。」と言う言葉があります。
孔子は、自分のして欲しくないことを他人にしないということが思いやりの始まりだと考えていたそうです。
そういう思いやりを持てる人はどんどん優しさをもてます。
そしてお礼を読むとgotgot510さんはその考えをもたれています。
自分では気がつかなくてもやさしくなっていっているんだと思いますよ。

>ひどい目にあったから、これからは気をつけなきゃとか、人を疑いこそはすれ、
これもまた大事なことです。
人を信用するってのは無条件に信用するのでなく、疑って試して、この人はこのことに関しては大丈夫だと思って信用できるものです。
そして信用しながらもまだ本当に大丈夫かなと疑う心も時には必要です。

人にやさしくなれることと、疑い気をつけることは両立できるものです。

ついでにですが、
>最近の勝ち組負け組みの風潮に流されて自分の人生を全否定されそうで苦しかったのですが、
マスコミの言うことに踊らされちゃダメですよ。
マスコミは二者択一を迫ります。
そうしたほうが強調でき、また見る者を引き込むことが出来るからです。
でも実際はそんなことなく多様なパターンが存在します。
実際にマスコミが勝ち組といった人の今はどうでしょうか。
ホリエモンは会社を追われ裁判の被告になっています。
グッドウィルの折口雅博は会社を潰しました。
一時はめだって勝ち組かのようになっていてもすぐに転落してしまう人は大勢います。
逆に今は負け組みかのような人生でも今下積みして力を蓄えて一気に爆発する人も大勢います。
だいいち何を持って勝ち組負け組と判断するのかがわかりません。
お金が有っても人がついてこなくてホリエモンのように元部下にどんどん裏切られるのと、そんなに稼いでないが周りの人に恵まれて何か大変なことがあれば助けに飛んできてくれる人間は山のようにいる人生。
どちらが価値組み(勝ち組でなく)なのか。
勝ち負けでなく価値で判断した方が意味ある人生を過ごせますよ。
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この回答へのお礼

孔子の言葉は心に響きました。
有難うございます。
ただ、私は思いやりがあるかというと正直自信ないです。
何度言っても遅刻が直らない人を相手にするときとかひどい人間だと思われるのを覚悟で注意します。
本当はしたくないし、言い方も間違っているのではといつも感じています。

お礼日時:2008/10/12 00:06

30代♂です。



あなたには、まだ理解できない時期にいるだけかも
しれませんね。
それを知る為に、これからも数々の辛い出来事に直面して
いくのかもしれません。
ただ、辛い苦しいことだけが人に優しくなれるという事でも
ないように思えます。
嬉しいこと、感動すること、楽しいことも経験して初めて
人に優しくなれるのかもしれないです。
悲しみを知ると同時に喜びも知ることが大事です。
しかし、あなたの経験した辛いことが喜びを運んでくれる
のには、もう少し後になってからかもしれないですね(^.^)

この回答への補足

ありがとうございます。

補足日時:2008/10/11 23:56
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>ひどい目にあったから、これからは気をつけなきゃとか、人を疑いこそはすれ、人に優しくなれるというのがぴんと来ないのです。



これは私の考えですが、ひどい目に遭うのと辛い思いをするのって
微妙にニュアンスが違うのかな?と思うんですよね。

私事を挙げさせてもらいますと、例えば
私の親代わりである祖母が入院した時などは、精神的にも体力的にも
「辛かったなぁ」と思うんですが、その祖母が無事退院できた時は
「人って、健康だというだけの事がどれだけありがたいんだろう」と思いましたし
健康な自分は、せめて人の為に出来るだけの事をしようとつくづく思ったんです。

「ひどい目に遭う」っていうのは、人から傷つけられたり自分が嫌な思いをする事で
そんな中で沸いてくるプラスの感情は、せいぜい「次から同じ目に遭わないように」ということぐらいでしょうか。
私自身も、とてもじゃないですが「こんな嫌な思いを誰もしなくていいように、人に優しく」と思える程、人間ができていません(笑)

ひどい目にあった経験からは、せいぜい防御策しか学べない、と思うのは、私だけでしょうか。
「北風と太陽」の北風、みたいな感じで^^
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この回答へのお礼

たしかに防御策は考えますよね。
理解できないものは理解できないですし。

お礼日時:2008/10/11 23:34

人生半ばを迎え、それなりに辛酸も舐め、幸福も経験しておる者です。


<人はつらい経験をしたぶんだけ人に優しくなれます。
そうですね。その通りだと思いますが、人によりけり、とも思います。
つらい経験をたくさんしたはずの人が独りよがりで自分の事しか考えられないケースも見かけます。
人は生きていれば誰しもつらい経験をします。
人生が長いぶん経験値も高いものです。ですから年輩者ほど優しいという事になるはずが、そうではない人もいますね。
そこには経験の捉え方の違いがあるのではないでしょうか。

あえて悪い事をしたがったり人を騙したがったりする人間は基本的にはいないはずです。
そこには生まれ育った境遇や、世の中への不満や、背に腹は変えられない事情があることでしょう。
自分をひどい目に遭わせた人間は、なぜそのような事をするに至ったかを考える。
するとその人は実はもっとひどい目にあってきたかも知れない。
ああ、可哀相だな、と思う。
ひどい目に遭ったから私をひどい目に遭わせたのか?それでその人は幸せになれるだろうか?
また、私はその人を恨んだり報復することで幸せになれるのか?
否。不幸なのは騙された私よりも騙した相手のほうだと気づく。
負の連鎖を断ち切れた者こそが幸せになれるのです。
一番つらく不幸なのは人を信じられないこと。世を疎ましく思うこと。
自分の身の置き所がわからなくなること。

まあ、私は大して優しい人じゃありません。けれど人の痛みは経験値で学習しています。
だから許容ができます。多面的な見方ができます。
苦しんでいる人がいれば自分の経験値を総動員して助ける道を模索します。
自分の経験値が誰かの役に立つことは嬉しいものです。
その時こそが「つらい体験が活きた」という事になり、無意味ではなかった事の証明になるからです。
これを実感できることは幸せなことです。
つまり自分が幸せになりたいから、誰かに優しくするのが人間です。
人はいつでも誰かのために生きているからで、一人で完結する人間はいないからですね。
人の優しさは生きて行く上での本能だと思います。
つらい体験を価値ある体験に昇華できない人はいつまで経っても不幸です。
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この回答へのお礼

「一人で完結する人間はいない」
「人の優しさは生きていく上での本能」
心に響きます。

「一番つらく不幸なのは人を信じられないこと。世を疎ましく思うこと。」
これはその通りだと思います。
何も信じられなくなるほど怖いことはないですよね。
でも何も信じられなくなってしまうほどひどい目にあったら
世を疎ましく思ったり、逃げ出したり・・当然の行為だと思います。

私はもう一度人を信じてみようともう一回人を信頼してみようと
心に言い聞かせるようにしています。

それが自分のためだと思いますし。

それに本当に心から親切にしてくれる人もいるので(そのように見える)、彼らを裏切れないですしね。

たまに驚くほど信用できない人間もいるので、気をつけないととは思いますが。その人をかわいそうとは経験不足なのかなかなか思うことが出来ないでいますね。

お礼日時:2008/10/08 22:50

もちろんつらい経験が即、優しい気持ちには繋がりませんよ。


ただつらい経験もどの様な形であれ、自分なりに受け止めて整理して乗り越えていくんですよね、みんな。
優しくなれるというという文字通りの意味と言うよりは、
辛い経験はそれを実際に経験した人じゃないとわからない部分があるんですよね。同じような辛さを抱えていたり、悩んでいたりする人たちに対して上辺だけでなく、共有できる部分として触れてあげる事が出来るんですよ。それは同時にその相手のしんどさや気持ちを受け止めてあげる事に繋がっていきますからね。理解ある態度を自然にとれるというか。そういう人間の幅のようなものは、やはりしんどい体験や思いを潜り抜けてきた人こそが持てるものですからね☆

この回答への補足

最近、人生って面白いなぁって思うようになりました。
物質だけで生きていけないのが人間だっていうのが実感できるようになって来ました。

「人間の幅」・・いい言葉ですね。

みなさんからのお返事はみな人間ならではの温かみを感じます。
有難うございました。

補足日時:2008/10/08 22:24
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