プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

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今日、バスに乗って、男子高校生2人組が後ろの席にいたのですが、途中のバス停で乗ってくる共学校の女性とについて粗野な話題で盛り上がっていました。実際乗り込んでくると、いろいろ品定めするような言動をしていました。
で、考えてみると、この18歳未満の学生は、合法的に性を開放するという機会を奪われていて、欲求不満を我慢しつつ勉強を強いられるという図式になっている。寝るのや、食べることは抑圧されないのにです。

これをもっと拡大解釈しますと、飲食店は合法的にすべての年齢に門戸を開いているのに、性関係はそうでない。

これはかいつまんでいうと、どういうことなのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

No.2です。



タイトルの<なぜ 性は抑圧されるのだろうか>ですが、、、

日本は夜這いとかあったわけで、もともと 性に対しておおらかな民族だった。

そんなおおらなか性文化を持っていた日本に影響を与えたひとつがキリスト教だと思います。


新訳聖書には、女性は数のうちに入れられていない。

「女性は悪魔である、人間であるアダムを堕落させたのが女だ」「女が出産で死んでも男は何も気にすることは無い」「女は糞尿のつまった容器だ」

これがキリスト教を確立した神学者が、信者に徹底して教えたことです。

マリアだけは、無原罪だとしている。
なぜならマリアは人間の女性だが、性交無しにイエスを生んだから 彼女だけは人間の女性の中で唯一罪を犯していない としているんですね。

というわけで、キリスト教では女は人間じゃあありません。
そういう文化で育った司祭で宣教師のフロイス(日本史を書いたことで有名)は、1563年に日本に来て、日本の風土を見て歩いたわけですが、びっくりしたことがある。

茶店の女性店員が暇になると読書をしていた!!!
動物が読書をするなんてキリスト教国ではありえない!

キリスト教では図書館を閉鎖し、信者を学問から遠ざけ、聖書だけを読むようにとコントロールしたことで、教会は信者を支配することに成功したため、男の識字率も低かったんですね。
まして女性は人間じゃないので、一部の女性以外学問に触れられなかった。


学校で哲学を習い討論しても誰のも負けたことがなかった宣教師は、日本に来て一般民と対話をして、負けまくった。
識字率の高い日本に来た宣教師は、苦戦したようです。
識字率の低い国のように簡単に言いくるめられなかった。



で、フロイスがもうひとつたまげたことに、独身女性が親に告げずに一人旅をしていたこと。


歴史かなにかで、とされた人たちが、差別されたと習ったと思います。
この、人ではないという意味ですが、とされる人たちの中には、帝すら物言いできない女性たちも含まれていたわけです。
神と人間の間に座するから とされた。


帝の住む敷地無いで暮らしていたわけですが、帝に断りもなしに、宮廷を出て各地を旅していた。
彼女たちの役割は、帝に神託を与えることと、帝に子供を与えること。
中には帝と結婚した人もいた。


帝の支配下にはなかったので、各地を旅できた。
特権階級なので関所もフリーパスなので、一般民はなかなか関所を越えて他の国に行けないご時世ですら、彼女らは旅ができ、各地の特産品を仕入れ、他で売ったりもしていた。


ところが、中国の律令制かなにかが日本に影響を与え、彼女らの地位が剥奪されちゃったんです。

それで宮廷に住むことはなくなり、巷で暮らすわけですが、宿屋を営みながら、特技の一つの性技を客に与えていたわけです。

あっちこっちでそうやって稼いでいたことに難色を示した誰かが、彼女らをある一角に集めて住まわせた。
それが吉原。

吉原といえば、貧困な農家の女の子が借金を背負って吉原に売られるという構図を連想しますが、それは後のことで、特権階級の人たちが性技を与えられるために吉原に通っていたようです。

で、そこを仕切っていたのが、、、えっと 同じく差別をされていた弾左衛門。
彼はなかなかのやり手で、支配者に民の活用をさせることで、差別されたものも生きれるようにした。

もののけ姫に登場する柿色の装束みたいな人を想像していただければいいと思います。

でも彼が死んでから、吉原の体系が変わり、悲しい物語が誕生するんですね。


で、、、えっと。
ともかく 日本の性文化はおおらかだったわけですが、西洋の倫理やら中国の制度やらの影響を受けて、おおらかじゃなくなったわけです。

軍国主義になると 女にうつつを抜かす不埒なもの などの考え方のなり、女性の話題をすると軟弱みたいに思われたのではないか と。


というわけで、現代の日本の性倫理は、中世の頃とは違い、キリスト教と軍国主義の影響により、変化した考えられます。

要するに日本独自の価値観はすたれ、輸入物の価値観が日本の現代の倫理を形作っているってことですね。

日本の中世以前の倫理が良い・悪い は別として。


というわけで、抑圧されるようになったのは、中世以降。
海外の影響。

じゃないか と。


ちなみに物的証拠は得ていませんが、キリシタンの弾圧の理由のひとつが、日本人を海外に売っていたこと。
日本にいた宣教師が日本の少年たちをイエズス会のマカオ基地かどこかに連れていったことがあったんですが、マカオだかどこかで、日本女性が裸で鎖につながれて売られているのを目撃し、「進んだ西洋の文化を持つキリスト教がなんで日本女性をすっぱだかにして動物のように鎖でつないで、商品として売っているのだ」と怒った。
で、教皇に手紙を送って抗議した。


キリスト教が人身売買をやっていたことも、日本の武将がキリスト教を国外追放にした理由のひとつ。


で、価値観の違いで、人身売買は悪いことだと、つい最近までキリスト教は思っていなかった。
だから神父も奴隷を買っていた。

モラルは時代により変化していくんですね。
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この回答へのお礼

たいへんよくわかりました。
これは宗教的問題とかなりつながっていますね。
おっしゃるとおり、2段階の弾圧があったようです。一度目はキリスト教の流布。これは教育的には、鎖国を完成させるためという題目が着いていますが、本来こういうモラルの低下とか、あるいは弾圧による混乱、性の乱れ、こういう社会的変化を禁ずるためというのが本来ではないでしょうか。なにせ、白人というやつは、性欲の塊のようなところがありますからね。ポルトガルスペインの南米支配だって、著しい混血かですね。本当に宗教布教が目的なのかわからない。というか、そもそも体系的にそうなってしまうという矛盾を呈している。弾圧すればするほど、乱交も増える。

おおらかさが大事でした。おっしゃるとおり大和民族的には、おおらかな性の発露でした。それは仏教的戒律は一応ありましたがあれは潜在的な道徳観というくらいで、おおらかに石仏がたっています。とくに性器を模した物はおおらかというほかない。

2番目はその西洋かぶれと関係あるのかないのか、軍国主義的禁欲、あるいは武士道?
こういう本来的な民族的価値観を奪われわからなくなっているのが現代日本人といってもいいでしょう。

お礼日時:2008/10/28 18:39

庶民も財産を持ち、実子に平等に相続されるようになったからでしょう。

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この回答へのお礼

そういう法的な流れもあるのでしょうか。相続が多すぎると煩瑣になるとか?

お礼日時:2008/10/30 07:15

あんまり参考にならないかもしれませんが。



>なぜ、性は抑圧されるのだろうか
多分、権力者にとって無駄だったり怖いものになりえるものだからじゃないでしょうか。
性欲は本能的で非合理的な部分ですので、昔は管理しようとしても管理が効かないところだったんじゃないでしょうか。
宗教の力が昔は強かったんで、都合のいいように宗教の規律を使って支配していた人たちにはルールを破られたら都合が悪い事情があったのでしょう。
最近は科学でいろいろ解明されてきていますが。
多分18歳未満は非合法というのは昔の名残りなんではないかなと思います。
なんとなく食べる寝るは働くためとか生産面で割り切れますが、性欲はちょっと人を使う側の人間からしたらあんまりいらないかも?という考えで無駄と思われていたからかもしれません。
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この回答へのお礼

食べる寝るとは違って、管理しづらいということ、同感です。そういうことが古からの経験則で培われていたのかもしれないですね。実際キリスト教支配なんてどうしてもそうとしか思えない。参考になりました。

お礼日時:2008/10/30 07:14

セックスしたかったら若くとも女を引っ掛ければ言い訳で。


できないのであればそいつがヘタレなだけでしょう。
ソフトを購入したりサービスを受けられないから過度に抑圧されてるって
ことになるのでしょうか?

公共の場で女の品定めをする行為をとがめられるほうがよっぽど
「抑圧」という言葉に当てはまるとおもいますが。

まあ、もうちょっと真面目に答えたら性にたいして幻想を持たせてあげる
大人の心憎い親切心じゃないですかね。
若いうちから変態的なセックスライフを経験してたら大人になって
性に幻滅しちゃって子孫繁栄に支障きたしちゃうかも。
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この回答へのお礼

端から真面目にお答えになることを期待しております。
法的に抑圧するということが、実質的意味は薄いとしても、その背後にある権力的な意味合いは強いということです。権力すなわち強制。それを持って、本来あるものを抑えろという意味合いをもうちょっと真面目に考える時期じゃないかと。

お礼日時:2008/10/29 07:47

責任能力や判断能力が無いうちから子供を持つような行為を


行うことは本人だけでなく周りの社会に大きな負担を与えます。

また、商業としての風俗に通うことは社会的だけではなく
身体的にも著しいリスクがあります。大人ならば、その行為に対する
リスクを負うこともできますが、判断能力が無い子供では
リスクがあること自体を認識していない可能性があります。
こういった子供を保護するために、法により規定されているのです。




人間である以上、これらの衝動とは付き合っていかねばならないと思います。
ただし、この欲求は抑圧されるだけではありません。
むしろ解消することが食欲以上に容易な衝動だと言えます。
実際の文部科学省の教育においては、「性衝動はスポーツにより昇華できる」
としていますが、ギリシャの哲学者ディオゲネスはもっと明快な回答を
2400年も前に導き出しています。



「擦るだけで満足できて、しかも金もかからない。こんなに良いことは他にない。
食欲もこんなふうに簡単に満たされたらよいのに」




というわけで、とにかく擦ってみたらどうでしょうか。
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この回答へのお礼

おっしゃるとおり、いくら社会的に容認するといっても、秩序を保ってやるは至難の業でしょうからね。それだったら、全面禁止にして、表向きは未成年の性はけしからんのだ、はしたないのだ、半人前は性欲を持って廃刊のだという乱暴な認識を流布し慣習化するということになったのかも知れません。

しかし、たしかに食欲よりも解消は容易である!
もっと摺ることを極める教育を一般的にしたらどうでしょうかね。せめてね。

お礼日時:2008/10/28 18:48

いわゆる意志の問題ではなくて、人間を、その属性として、性に対する抑圧の必要性を全く感じない生き物だと仮定した場合、超自我性の欠如無しに、こういった状態は考えにくいように思われます。



超自我性は人間と動物の違いの大きな要素のひとつなので、性の抑圧の必要性を完全に感じなくなったとすると、もはや人間ではないことになってしまいます。

いずれにせよ、花の種を蒔けば芽が出て天を目指すよう宿命づけられているように、人間は好むと好まざるとに拘わらず、超自我の目的である善なり理想なりを希求するべくプログラムされているのでしょう。
超自我の本質は本能の抑圧ですから、性欲を完全に野放しにはできないようにもプログラムされている、ということだろうと思います。

食欲と睡眠欲も本能と言えば本能ですが、これは生体維持の必須条件ですからね。
これが無いと生命維持ができなくなりますから、抑圧しようが無いということでしょう。
 
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この回答へのお礼

人間を人間足らしめる、超自我的圧力と言うのもありますね。それが、生態維持の食欲と睡眠に、多少は入っている(食いすぎははしたない、食い意地は基本的には粋人ではない、寝すぎるのは怠惰なこと)が、性欲に比してはるかに弱い力ですね。

しかし、考えてみれば、性欲も「生体維持」の必須条件と言えなくもないですね。自分らより若い固体の消滅は、自分らの生存を危うくすることに他ならないわけです。

超自我発動の割合と強度が、他の欲望とは桁外れという現象らしいです。

お礼日時:2008/10/28 18:45

だれかがするなといってるからだろう。


まあ抑圧されてるとだれが決めたのか逆にききたいけど。
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この回答へのお礼

誰もが抑圧されています。そして誰もが抑圧しています。決して、食べることと寝ることと同列にはしません。誰もが。

お礼日時:2008/10/28 18:42

合法的に性を開放するという意味が分かりませんが仮に相手かまわずセックスをするという意味なら極めて大きな人権問題が絡んできます。


望まない妊娠、その結果生まれた不遇な子供、こんな事を認めるならこの社会は禽獣の棲家になってしまいまさに文明の崩壊。

近代社会において人間の命よりも大切なものそれは秩序。
その秩序を根底から崩すものの一つが“合法的に性を開放する”事。
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この回答へのお礼

必ずしも、性交を進めるわけではなく、擬似的な満足(アダルトビデオであれなんであれ)や擬似性産業でしょうか。生殖とは結びつかないものを開放し、すでにある性欲を発散させ勉学にいそしませる。
たしかに、危険はありますがね。

お礼日時:2008/10/28 18:40

それは人間の命の重みを感じているからでしょうね。

寝ても食べても、自分の日常の生活に決定的な変化もないし、人間一人の命を産み出すわけではないですから。
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この回答へのお礼

潜在意識的にそう感じているのかもしれませんね。
しかし、一般的に「性欲」とは「繁殖欲」とはなっていませんよね。つまり、そこに生命の重みどうこうという認識はあまり大きな割合を占めていないように感じられます。

お礼日時:2008/10/28 18:31

哲学というより、心理学の方に質問した方がいいかもしれないですね。



仲間意識、連帯感の確認作業のひとつでもあるかも。
一種の虚勢を張る行為でもあると思います。
そして、自己確立の過程で起こった現象でもある と思えます。


人の根本欲求に、仲間を持ちたいというのがある。
で、集い群れを成すことで安心感を獲得するわけです。

仲間であることを確認する作業はいろいろあるが、集団でまわりに迷惑をかけることで、俺たちは同じ仲間だ と強く意識するケースもある。


良いとされることを集団でやるより、良くないとされることをあえてやることで、仲間だって意識しあうんだと思えるんですね。



で、仲間なので同じ価値観かというと、やはり個はある。
で、同じグループ内で自分の個性を主張するわけです。

「あの子はCだな」
「えーーそうか 俺はDだと思うぜ」
とか言って、なかなかAの評価をしないことで、自分の女性に対する評価がとても高いとして、自分の優秀性を主張する。


で、これはって思う女の子がバスに乗ってくると、「キターー A」と言う。
誰が見てもかわいいと判断したらAの評価をつけ、「キターー A」と仲間で価値観の一致を確認し、連帯意識を高める。
このとき「いや Bだよ」と絶対Aをつけない堅物だと、しらける。
みんなが キターAって騒いだら、かわいいと思ったら、同じように騒ぐお茶目さが無いと、グループ内で孤立するから、一緒に騒ぐ。



とまあ、、、、

女の子に値札をつける行動の理由は、仲間であることを確認するための手段の一つだと思えるんですね。

そして、同じ対象を評価しあうことで、自分と他人の価値観は同じではないと知るわけで、これが自己確立の行程のひとつ。
順調な成長の現われ。


逆にですね。
誰かがAと言ったら「自分もA」、誰かがBと言ったら「自分もBだと思う」と同調して、決して自分のモノサシで物事を図らない人。

協調性が高すぎたため個を確立できないのか、チェーホフの<かわいい女>のオーレンカのように、宿主の価値観を自分の価値観とすることで、自分を守ろうとするのか。


協調性はいいことだが、協調性にも限度があり、協調性が高すぎる=没個性。

で、今回のゲームは、人に値札を貼るような作業を一緒にする というのは、協調性が高くないとできないわけです。
「そんなモテない君がやるようなことやりたくない」と言ってしまうと場がしらける。

仲間でいたいから、参加する。
が、悪いことだとみんな知っているから コソコソしながらやる。

で、一応 ゲームに参加するが、自分の価値観は表明する。
「モテない君ゲームには参加したが、俺は本当は価値観は個性的で、めったなことでは妥協はしないのが本性なんだぞ」とやたらと評価を厳しくすることで、自分が本当はやりたくない行為をやることに正当性をつけ、自分と折り合いをつける。


まあ 普通の順調な成長だと思います。

だから、性の抑圧とは違う次元だと思います。
まあ 人と天気の話題をして気まずくなることな無いように、男同士なら女の話題をしたらハズレが無いってことじゃないかと。

身近な共通の調味対象である女の子をネタに評価しあうことで、仲間であることの確認と安心感の獲得と、共同で愉快さを楽しむ、とまあ 無料で楽しめる遊びですね。

この回答への補足

また、今回の男子高校生2人は、私の印象からしても、本心から女子高生に惹きつけられている、もし状況が極限まで許されるならば、本能のまま行動してやろう、という雰囲気が確実です。

補足日時:2008/10/28 18:28
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この回答へのお礼

こんかいは、おっしゃるような共通意識的な状況もあるのでしょうが、より、アンダー18の性が社会的に抑圧されているという普遍性に質問しました。

お礼日時:2008/10/28 18:28

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