アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

よろしくお願いします。
20代後半男性です。
今までの人生を振り返ってみて、驚くほど自分に自信がなく、そのくせ、周りに対する憤りがたまっています。
私の周りの人間を見ると、
”何でそんなに自信満々なのか、プライドをみせるのか”
”どうしてたいしたことではないことをおおげさにいうのか”
”どうして自分のことを棚にあげて人を批判できるのか”

と思ってしまいます。自分に厳しい人間ほど損をしている気がします。

また、自分に”自身”がない、というのは、周りの人の期待にこたえるために行動する習性がついているため、自分は本当はこうしたいのに、これを言うと関係が悪くなるかな、などと変に気を使ってしまい、自分が損をするということが多いということです。また、自分が相手に気を使っているということすら気づいてもらえず、軽んじられることさえあります。かといって、明確な上下関係を築いて人間関係を演じるのも苦手なのです。まさしく、太宰治の『人間失格』ではないですが、ピエロのような自分を演じてきたな、もっと自分を主張すればいいのに、とも思うのですが、周りの関係などに気を使ってしまい、それができませんでした。
さすがに、これを続けていくのか、今からでももっとうまくできるのか、などと思います。人に話がつまらないとか、色々いわれることも心のしこりになっています。また、現在失業中ですが、退職勧奨中に、業績が悪いのは、ノルマを達成していない上司なのに、ノルマを達成している自分が首を切られるのは到底納得できなかったのですが、退職金をちらつかせたり、その他会社への影響を考えると、変に気を使ってしまい、いいたいことも言えず議論すらする意気がもてませんでした。
また、周りの人間に”おいていかれている””差をつけられている”
という気持ちがあるのも影響していると思います。
本当に自分に腹が立ちます。
そのときは賢明だと思った行動がいつも裏目に出ている気がするのです。

上記のような私を皆さんはどのように思いますか?
経験談、アドバイスをください。

よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

 こんにちは。

僕も失業を経験しています。人から必要とされませんでした。私は『自分の人生には意味なんて無くていい』と腹をくくりました。
 文面からは“劣等感”で苦しんでいるように見える貴方ですが、実は「自分は偉い」と思っているからこそ、そうでない自分に悲観するのではないでしょうか。「自分はこれくらいのレベルだからこれくらいの扱いを受けて当然だ」と思っているのなら、これほどは悩まないと思います。私たちはアルボムッレ スマナサーラの言うところの“あべこべ感覚”の世界に生きているのです。「(誰かに)裏切られた」と思うのは、実は「期待しすぎたから」かも知れません。「こうでなくちゃ」という想いが強いからこそ、そうではない現実に苛立つのです。
 責任の裏には自由があります。失業して落ちぶれたのなら(失礼!)、貴方は立派に責任を(自分の人生に責任を)とっていることになると思います。もともと貴方の人生なのですから、他人である私がごちゃごちゃ言うべき筋合いもありません。
 >そのときは賢明だと思った行動がいつも裏目に出ている気がするのです…当然です。上手く事が運んだ時は気にも留めないので印象が薄いのです。うまく行かなかった時のことは、人はよく覚えているものです。人間がいっときに注意しておける事には限度があります。多くて7,8個、ふつうは1個か2個です。
 「他人は自分より上手に生きている」のではないか?なんとなくそのように疑って、「ではその人たちと自分では何が違うのか?」と考えたりもしました。今でも「どうするのが正しいのか」と考えない日はありません。でも、その過程そのものがきっと人生なのでしょう。こういう考え方(何か或る答えがあるのではなく、答えを見つける過程そのものが答であるというような発想)が、いわゆる構造主義的発想であり、現代の新常識になっているのではないかと思います。
 心理的に健康な人は、1)過去を思い煩わず、遠い未来を悲観しない 2)自分の責任でないことには気を取られず、「人は人、自分は自分」と割り切っている。3)都合の悪い状況に陥った時に、「この危機はいつかは終わる」と思っている。4)都合の悪い結果になった時に、自分の弱点と結びつけて考えない。
   http://www.katotaizo.com/lecture/index.html 加藤諦三 「心の健康」
 4)は、例えば、自分が会社を辞める事態になったのは、「自分は人から軽んじられるタイプだ」とか「そう言えば自分は自己主張が苦手だ」とは考えずに、「たまたま○○」と捉えることもできるでしょう、ということです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私も加藤諦三氏の本は何冊も読みました。
しかし自分は変われてないんですよね。。。

お礼日時:2009/07/20 10:38

#3です。

意味が分からないとまで書かれたらシカトするわけにもいきませんやね。

(1)と(2)では、どっちもどっちです。しかし(2)のノルマ未達成でも、達成率96%と達成率60%では話は違いますね。ですから、(1)のノルマ達成率103%とノルマ達成率96%ではほとんど同じ評価です。ただ、数字ってのはこれをご覧になってわかるように103%になるか96%になるか、違いはわずかでも感じる印象は全く違うのでそうはいっても「達成を目指さなければならない」というのはあります。
肝心なことは、ノルマ達成は評価の一部であって全てではないということです。
先の私の回答でも書いたように、ノルマが比較的達成しやすい環境で103%の成績を収めてもたいした評価にはなりません。しかし、ノルマ達成が困難な環境で96%を確保したならば、それはそれで一定の評価をしてやらねばなりません。
だから、数字だけ見て「僕は成績を達成しました」といっても、評価されないケースはあるのです。質問者さんは「僕はノルマを達成していた」というのを心のよりどころにしていますし、それはそれで構わないのですが、しかしながらノルマ達成だけが全てではないのです。

売り上げの数字のことについていえば、私はこんな経験があります。かつて一緒に仕事をしていたあるセールスマン、確かに数字上の成績は優秀ともいうべき数字でした。しかし、売り上げの上げ方がかなり強引で顧客からしばしばクレームがきたり(無理やり押し付けられた、とか)、あるいは他の人が頑張って途中までやった仕事を横から奪って自分の成績にしたりしていました。確かに数字はいいのですが、これには同僚も上司も困って扱いかねていました。結局この人は絶対にノルマが達成できないようなところに配置転換になり本人が「辞めます」と言い出す方向に持って行きました。

プラスアルファの評価というのは、業務の達成だけではありません。例えば社内の同僚などと円滑な人間関係を作っておくというのも重要なことです。変なことをいえば、多少成績が悪くても社内の人間関係が良好ならリストラの対象にはならないくらいです。
これはいいとか悪いとかではなく、現実です。優秀だが嫌いな奴と、デキは悪いが好きな奴、人間どっちかを辞めさせなければならないとなると嫌いなほうを切ってしまうのです。これはいつの時代のどこの国でも同じことなのです。能力主義といわれるアメリカ人だって、気に入らない奴はすぐクビになるのです。

私自身も、何度か切られた経験があります。やむを得ない会社の事情もあれば、全く納得できない不可解な理由、つまり直属の上司に気に入られなかったというそれだけで失業した経験もあります。
結局のところ、起きたことは事実ですからそれは受け入れなければなりませんしそのことをうじうじしても仕方がありません。大事なことは、次に同じような立場になったときに同じ過ちをくり返さないということだと思います。同じ過ちをしないためには、どこが悪かったかを分析し、それを糧として役立てるということだと思います。
私もそうやって失敗しながら色んなことを学びました。あまりに失敗が多いから、「失敗学」という学問の本を何冊も読んだくらいです。質問者さんはまだ若く、まだまだ再起のチャンスはあります。
またそうやって積み重ねたものが、自分の自信につながっていきます。最後に私の好きな言葉を贈ります。あるメジャーリーガーの言葉です。
「私が誇りとすることは、打ったホームランやヒットの数ではなく、数限りない挫折と敗北から、その度に立ち直ったことだ」
    • good
    • 0

他人と比べたり、会社の中での評価を気にしたり、会社で差別されていることに憤りを感じたり・・・



そんなの、人間社会では、日常のこと。

人間は、だれしも、自分が一番だ。
ほら、顔、だれのを一番、よく見ますか?あかちゃんのときは、おかぁさんですが、ある一定の年齢になると自分の顔でしょ!?あんがい、他人の顔、見ているようで見ていない。自分のは、っていうと、洗顔とか手洗いとかにいくたびに、見ますでしょ!?

わたしたちは、わたしたちの意志で、この世に生まれたのではなく、神様が、命を与えてくださったのですよ。

神様は、命を授けたわたしたちを見守っています。

わたくしは、神様が見てくださっているとおもって、日々、懸命にいきています。

失職は、していませんが、わたしも、3年前、わたしの前任者が撒いたタネで、トラブルが発生し、わたしのせいだ、ということで、連日、連夜、徹夜で、自宅に帰れない日々が続きました。夜中の1時とか3時とかに、携帯電話で客に呼びつけられて出動したこともしばしばです。
死にたいとおもったほどでした。

でも、ここで、死んだら、苦労しただけでおわる。このトラブルは、きちんと、精算しなければ、と思いまして、いまにいます。

いまだに、わたしは、社内では、干されている状態で、ろくすっぽ仕事も与えられず、一方で、だれが担当してもできないだろうというノルマの数字を押し付けられています。
この年度末も、最低の評価を受ける結果になると思います。当然、ボーナスは、ほとんどないくらいのマイナス査定でしょう。

でも、そんなこと、この会社での評価でしかないわけで、業界全体からみたら、とか、社会全体からみたら、という目線でみれば、たいした問題でない。
なるようにしかならないことにクヨクヨしてもしかたない。

わたしは、言いたいことがいえる人を、若いときは、うらやましい、とおもっていました。
最近は、どうでもよくなりました。わたしには、ムリなことだから。
わたしは、私らしく生きるしか、道はないわけで、神様は、きっと、私をそのように創造されたのだろうと、思うようにしています。

歴史小説を読むといいですよ。自分の悩みが、とっても、ちっぽけなものに見えてくるかもしれません。わたしは、司馬遼太郎の本や、三国志で元気をもらいました。
    • good
    • 0

傷つきやすい、感じやすい感受性を少年の時から持ち続けてきた方からのご質問のように思えました。



私も若い時には質問者さまがあげられた三つのタイプの人には憤りを感じたこともありましたが、年月を経るに従ってこういう方達は本当は気持の弱いところがあるのだがそれをカムフラージュする為に無理をしている姿なのだということが悟れてきたように思いました。言い換えれば駄目な自分を認める力が弱いので必死になってそういう行動をとるのだという人の心の裏側というか悲しみというかが理解できてきたように思ったのです。そしてそういう弱さが自分の中に皆無と言う訳でもないということが分かると人のことは責められないものだと思えるようになりました。

潔癖な心の質問者さまが彼らの行動を真に受けて腹が立つのもわかるのですが決して彼らは得をしているというのではないと思うのです。

それから、ご自分が感じやすいので人にも傷をつけたくなくて人に物凄く気を遣うたちの方だと思われます。しかし、人の中には神経が雑でデリケートな貴方の気持など、全く分からないという人も大勢いると思います。彼らには一切、期待しない、まず、自分を理解して欲しいという情熱を捨て去ることがラクになれる第一歩ではないでしょうか。

お仕事がうまくいかなかったことは残念でしたが、新しい職場に希望をつないでください。今の時点では裏目に出た行動だと思っても先になってみればこの体験が貴重だったと悟られる日が来ると思います。おいていかれたように思ってはいたけれどもそれは錯覚だったと何時の日が必ず気がつく日がくると信じてください。

落ち込んだ時には自分を責めずに(これでいい、これで良かった)と呪文のように自分の心に呼びかけてみてください。人の思惑を気にすることなく、自分の気持ちをじっと見て、感じて、慈しむような気持で大切になさってみてください。そうすると少しずつご自分の気持ちがほぐれて和らいで行くと思えますが、どうでしょうか。
    • good
    • 0

>どうしてたいしたことではないことをおおげさにいうのか



そりゃ、あなたから見たらたいしたことがなくても、本人からすればたいしたものかもしれません。例えばあなたが全く野球に興味がなければ「高校生のときに甲子園に出場した」なんてのは別にたいしたことではないのかもしれません。でも、高校球児だった人なら「それはすごい!」と思います。価値観とはそういうものです。

>どうして自分のことを棚にあげて人を批判できるのか

そうでも思わないと他人を批判なんざできません。その話はね、「それをいっちゃあオシマイよお」なんです。なぜなら、それを持ってこられると「そういう君だって自分のことを棚にあげて他人を批判している」「それをいう君はどうなんだ」と収集がつかなくなってしまうからです。

>自分が相手に気を使っているということすら気づいてもらえず

太平洋戦争でね、インパール作戦つうのがあったんです。これがもうひどい作戦でね、なにもかもがムチャクチャなんです。それで、この作戦を企画して強引に実行に持っていった牟田口って将軍が、いざ実行してもかなり行き詰まったときに会議の席上で「もうダメかもしんないなあ」と思ったそうです。ところが、彼は作戦の中止を言い出せなかった。後に自伝で「私の顔色を見て察して欲しかった」と語っています。
どう思いますか?「そんなワガママな。他人には心中なんかわかるもんか」と思うでしょう。もちろん牟田口将軍とあなたの立場は違いますが、それと同じことなんです。

確かにノルマを達成したのにリストラの対象になるのは納得できるところではないというのはもっともだと思います。でも、あなたがノルマを達成できたのは100%自分の実力だったでしょうか(そうだと言い切れるならあなたは自分に自信を持っているということになりますが)?比較的ノルマを達成しやすい顧客を持っていたということはありませんか。もしあなたがノルマを果たすことも困難な環境でノルマを達成しているなら、あなたがかなり性格にクセのある人だったとしても上司はあなたを切れるものではありません。なぜなら、あなたの業務を引き継いだ人が売り上げを落とすのは明らかだからです。
「ノルマを達成したのに切られる」というのなら、ノルマは達成するだけでプラスアルファを頑張ろうという気概はなかったのではないですか。会社の業務はノルマ「だけ」ではありません。ノルマ以外のなかなか数値化したり目に見える形にならない貢献度も人事評価では大きいです。そういう部分も評価されているなら、ノルマをクリアしているなら年齢からしてもリストラの対象になるなんて絶対ありません。
「僕はノルマを達成しているからそれでいい」としか考えていないと「これから先の伸びしろが期待できない」と判断されてしまう可能性もあります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

すいません。意味がわかりません
下記の業績を達成している人のどちらが評価されるのでしょうか?

(1)ノルマ達成(最低限)

(2)ノルマ未達成(最低限さえできてない)

最低限さえできてない人が+アルファのことをできるとは思えないのですが。。。。

もちろんノルマ達成してればいいということはなく
もちろんプラスアルファ、を行わなければ、会社にとっては誰でもいいわけですからね

お礼日時:2009/07/19 12:54

はっきりと言いますと、日本の職業は「言葉」を見せるショービジネス的(外面的にもその傾向がありますが、対内輪となるとその傾向以外に見えるモノは少ないですね)要素がかなり強いと言えます。

(特にサラリーマンはこの傾向が強いと言えます。また、プロスポーツ以外の匠的な職業は傾向的に弱くなります)これはおそらく欧米などよりも要素的には強いかと思います。(但し、欧米の場合は肝心な時に自分を表現できないと相手にされませんが)

あなたが受けた「言葉」(>退職金をちらつかせたり、その他会社への影響を考えると を表現しうる言葉)を感じる事は必要ですが、それを態度としてどう受け流すのかは常に考えておくべきかとは思います。考える中でWHYとHOWは常に頭に入れるようにして下さい。(5W1Hの中で言挙げ要素が強いのがこのWHYとHOWです。よって日本人は一般的にこの事を表現するのを苦手とします)質問の中で>”おいていかれている””差をつけられている”の中にこの言葉が欠落しているように感じます。(「なぜ」おいていかれているのか、「どう」それをあなたなりに行動していくのか。まず「なぜ」から入るべきでしょうね)回答お礼に具体的に書く必要は全くありません(あなたの言挙げを強要する場ではありませんので)が、頭の中には常に入れておかないとショービジネスの中であなたが埋もれてしまう可能性は大と言えます。

そういった中であなたがどういった人なのかをしっかり把握するようにして下さい。小から大が苦手なら逆の手順でもかまいません。
    • good
    • 0

>自分が相手に気を使っているということすら気づいてもらえず、軽んじられることさえあります。


気を使っているのを気付いてもらいたいなんてチョー甘ちゃんですよ。
小中学生じゃないんだからね。

がんばってね。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!