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「絵を描きたい」「粘土で何かを作りたい」「炭の汁で字を書きたい」など、人間にはどうしてそういった欲求が起こるのでしょうか?

私は美術や芸術には全く興味のない人間ですので、どうしてなのか特に理解のだと思います。

A 回答 (5件)

ひとつには表現したい欲求があると言うことですね。


ずーっと1人で黙っていると誰かとしゃべりたくなります。もし自由にものが言えないという感じを持っていたりすれば、それを絵の世界で出してみたくなったり、あるいは音楽で表現したくなったりします。
それもできない場合、頭の中で、音楽を鳴らしたり絵を描いたりしてませんか?

また制作している間はそれに没頭したりしますから孤独であるということは気にならなかったりむしろ利点に出来ます。

美術などは他人に見せて評価を得たりお金を儲けるもの、と考えがちですけれども、作品をいちばん長い時間観賞しているのは実は自分なのです。
自分の中にも人間がいてそれがおもしろいと喜ぶものをたいてい作っているのだと思います。

自分が良いと思って作ったものが時として他の人にも良いと思われて「共感」を得る場合もあります。これもおもしろい現象だと思います。
全く自分のために作ったものがそういう評価を受ける場合もありえますし、逆の場合もありえます。自分しか価値を認めないものに価値が無いかというとそういうことでも無いわけです。

人のために何かを作る場合は自分もおもしろいと思えるように工夫しないと逆につまらないものになってしまったりしやすいのです。

粘土で何かを作る場合、視覚もありますが普段ではなかなか得られないような触覚を得られるというのもあるんではないかと思います。

書については美術と同じ面もありますが、やはり言葉を発するというのを表現として捉えたい、実感したいという欲求が根本にはあるんではないでしょうか。
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>「絵を描きたい」「粘土で何かを作りたい」「炭の汁で字を書きたい」など、人間にはどうしてそういった欲求が起こるのでしょうか?



人間がいわゆる芸術制作に従事した根本的な動機、目的等を説明するとなると、まず、芸術制作という多面体的な行為のどういう側面に注目するかによって、その説明の仕方もずいぶんと違ってくると思われます。

で、私は思うのですが、人間は苛酷な自然界を生き抜くために、まずは人間を取り巻くこの環境世界について正確に知る(占る・領る)ことを求められたはずですし、その結果として後世の科学なり、芸術なりも生まれたのではないでしょうか。
そして、科学は自然界をより論理的、抽象的に知ることを、芸術は自然界をより直観的、具象的に知ることを、それぞれ目指しながら現代に至ったと考えられます。

ところで、初期段階の人類が自然界に対して行った最初の芸術とは何だったのだろうか?と考えてみますと、おそらく自然界を観察し、それを模倣することだったのではないでしょうか。
ただ、自然界の諸現象を模倣するにしても、そこには当然ながら人間なりの自然界への理解や解釈がなされたはずで、その結果として、芸術行為の原型としての遊戯、祭儀、演劇等の原型が生まれたのではないでしょうか。

また、自然界の諸現象を背後で操っている原理なり、法則なりに人間が興味・関心を注いだとき、いわゆるアニミズムや神という観念が生まれたのではないかという仮説も成り立ちそうな気がします。
その意味では、前者は人間を自然界の芸術的理解へと促し、後者は人間を自然界の科学的理解へと促したと言えるのかもしれません。

原始期に遊戯、呪術、祭儀という形を取っていた芸術行為から、時間が捨象されると、たとえば鳥獣等を模倣した彫刻の原型が生まれ、さらにこ立体(彫刻)を平面化したとき、それは絵画という形を取ったのではないでしょうか。
人間の自然界に対する理解、支配が進行する過程とは、同時に人間のよりいっそうの抽象化(=人間化)の過程でもありますから、、芸術作品も四次元(演劇等)⇒三次元(彫刻)⇒二次元(絵画)へと変化していったと考えられます。
ついでに申し上げますと、その後、人間のさらなる抽象力によって、はじめは具象的だった絵画が単純化、図式化、つまり抽象化が進んでいったとき、それは絵文字(=象形文字)が生み出されたのではないでしょうか。

以上のように考えますと、絵画の成立事情や変遷過程という側面に注目する限り、絵画とは、人間の自然界(=環境世界)に対する理解、支配の仕方、働き掛け方の多段階的な進化の過程の一階梯を示していると説明できるのではないでしょうか。
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イメージの実現欲求かな。



頭の中で出来たイメージや音楽、思考を
表現したいと思うのは割りと自然なことのように思います。
理由はいろいろ。
・自分自身の表現方法の一つ(一種の自己実現)
・内面の問題の整理・解決方法
・他者に対する表現、伝達方法

芸術の場合、表現するのに腕がいるので、
生みの苦しみはあると思いますが。
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No.1の回答者です。


「補足」の質問に回答させて戴きます。

>絵を描いたり見たりするとどういう気持ちになるのでしょうか?
>気持ち良いのですか?

「見る」分には、先ず「絵にも好み」が有ります。
「好きな絵」であれば、「感動」しながら見入ってしまいますね。
「気持ち良い」と言う表現が当て嵌まるかどうか微妙ですが、的外れな表現で無い事は確かです。

「絵を描く」分には複雑かも・・・。
思ったようにスイスイ描ければ「満足」なんでしょうが、そんな気分は、あまり無いですね・・・。
「もっと、こうしたい、こう描きたい」
と言う欲求の方が強いかも知れません。
だから、「描きたい」と思うのでしょうね。
描きたい絵が直ぐに描けて満足出来れば、それで絵を描くのやめちゃうと思います。
(笑)
「美術」や「芸術」に限らず、その方面に興味の無い人は、別にそれでも構わないと思いますよ。
興味の無いモノに、興味を持てと言っても無理な話しですから。
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>どうしてなのか特に理解のだと思います。



質問文の最後の意味が、よく判りませんが・・・?。
(・・ゞ???
自分は、ここ数年描いてませんけど「絵を描きたい」と言う欲求は、ありますねえ・・・。

「なぜ?」
と聞かれると、やっぱり、
「絵を見るのも、描くのも好きだから」
としか答えようが無いとおもいます。
まあ、当然ながら、
「絵を見るだけ。
描きたいとは思わない」
と言う様な人も、いらっしゃるでしょう。

全ては、「嗜好」、つまり「好み」からスタートすると思います。

この回答への補足

有難うございます。
最後の文章は「どうしてなのか特に理解できないのだと思います。」と書いたつもりでした。すみません。

絵を描いたり見たりするとどういう気持ちになるのでしょうか?
気持ち良いのですか?

補足日時:2010/03/03 06:39
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