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昭和天皇の戦争責任について
 ヰキぺの記事の中で 次の一点について問います。真偽を含めてになるでしょうが どう捉えられているのか 知りたいです。
 
 ▲ (ヰキぺ:昭和天皇の戦争責任) ~~~~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C% …
 昭和45年2月14日に近衛文麿は敗戦を確信して天皇に上奏文を出し、敗北による早期終結を決断するように求めたが、
 天皇は「もう一度敵をたたき、日本に有利な条件を作ってから」の方がよいと判断、これを拒否したという。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ このことについて知りませんでしたので 詳しい情報を得たいと言うのもさることながら どう位置づけられているのかのようなことについておしえてください。

A 回答 (25件中1~10件)

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。

Hidocchiです。

 以下に愚見を述べさせてもらっております。

(1)日本は――と取りあえず限るかたちとして―― 国内における対策のみによって経済不況と資源の問題とそして欧米帝国主義からの独立を勝ち取ることが出来たか?

 米国は、日露戦争以降、何かと日本にちょっかいを出してきます。例えば、“排日移民法”もその一つかと思われます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%92%E6%97%A5% … からでございます)
 そして、満州事変(これは、英米諸国に強い反日意識をもたらせてしまいました)が勃発し、さらに仲は険悪となっていきます。

 そこで、松岡洋右は、次の行動に出ます。「松岡の外交構想は、大東亜共栄圏(この語句自体、松岡がラジオ談話で使ったのが公人の言としては初出)の完成を目指し、それを北方から脅かすソ連との間に何らかの了解に達することでソ連を中立化、それはソ連と不可侵条約を結んでいるドイツの仲介によって行い、日本―ソ連―独・伊とユーラシア大陸を横断する枢軸国の勢力集団(ユーラシア枢軸構想・四国連合構想)を完成させれば、それは米英を中心とした「持てる国」との勢力均衡を通じて日本の安全保障ひいては世界平和・安定に寄与する、というものではなかったかと考えられている。こうして松岡は日独伊三国軍事同盟および日ソ中立条約の成立に邁進する。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B2%A1% … からでございます)
 ですが、ドイツのソ連への侵攻(1941年6月22日)により、上記策は頓挫してしまいます。もしここで、ドイツとともに、日本もソ連に侵攻し、ドイツと日本とで、ソ連を侵略できていたならば、その後の情勢は変わったと思われます(ソ連は、資源が豊富ですから)。なおその際のアメリカの動向ですが、真珠湾攻撃前のアメリカの世論調査では、70%以上もの戦争反対者がいましたので(第一次対戦では、ほとんどアメリカは利益を享受しなかったためです)、介入はおそらくしてこなかったと考えております。

 ですが、最終的には、日本軍が、昭和16年、7月28日に南部仏印へも進駐した結果、7月25日には在米日本資産を凍結、8月1日には「全ての侵略国」への石油輸出禁止の方針が決定され、日本に対しても石油輸出の全面禁止という厳しい経済制裁の発令を受け、イギリスとオランダもただちに同調されてしまいました(ABCD包囲陣)。この制裁は石油や鉄類、工作機械などの70%以上をアメリカから輸入していた日本にとって致命的なものであったかと思われます(この時期以降での、戦争回避は、非常に困難であったかと推察されます)。ですが、一方、アメリカは、8月25日にイギリスやソビエトと共同してイラン進駐を行っていますが、これに対しては欧米列強の非難はなかった 言われています。

 以上から、経済不況と資源の問題につきましては、前者の場合は、既に昭和12年に(自国で)経済回復させていました。一方後者でございますが、資源輸入国であったアメリカに譲歩をしながら、資源を手にするか、それとも非常に大胆な案ですが、ドイツとともに、ソ連を攻撃するかの2つの案しか愚生には浮かびません。
 一方、米国の日本への進駐は、残念ながら分かりません。ただ、アメリカからの執拗な干渉はあったかと考えております。
 ですが、以下のサイトにもございますが、いまだに、アメリカの支配からは逃れていないかと愚生は思っています。
 これらの“東京地検”の摘発動向は偶然としては、出来過ぎているからでございます。

植草氏のサイトです。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/ci …
「経世会(旧田中派)」VS「清和会」をご参照くださいませ。

(2)外に出たとしても――つまりは 帝国主義としての侵略にほかならないと言わねばならないでしょうが―― それは あくまで(主観としてでも あくまで)自己防衛のためであったか?

 朝鮮に対しましては、ほとんど“自己防衛”だったかと考えています(ソ連の脅威がございましたので)。
 ですが、中国への進出、東南アジアへの南下作戦は、侵略的要素はあろうかと考えております。確かに、大東亜戦争は、アジア諸国の独立を目指したとは言え、やはり、アジア諸国、特にベトナムとインドネシアの油も狙いであったからです。

 以下続きます。
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この回答へのお礼

 今晩は。ありがとうございます。そして ひどっちさん独自のまとめではなくて わたしの疑問に答えてくださって澄みませんでした。ありがとうございます。

 ★ 虎の門事件
 ▲ (ヰキぺ:難波大助) ~~~~~~~~~
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A3%E6%B3%A2% …
 虎ノ門事件で当時の摂政である皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇)に対する銃撃を行い、大逆罪で死刑に処された。

 「私の行為はあくまで正しいもので、私は社会主義の先駆者として誇るべき権利を持つ。しかし社会が家族や友人に加える迫害を予知できたのならば、行為は決行しなかったであろう。
 皇太子には気の毒の意を表する。
 ≫ 私の行為で、他の共産主義者が暴力主義を採用すると誤解しない事を希望する。≪
 皇室は共産主義者の真正面の敵ではない。皇室を敵とするのは、支配階級が無産者を圧迫する道具に皇室を使った場合に限る。皇室の安泰は支配階級の共産主義者に対する態度にかかっている。」
 ? 最終陳述(抜粋), 今井清一『日本の歴史〈23〉大正デモクラシー』p416より引用
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 共産主義なる思想は その実現の方策としては 戦いであり 《ゆづる》のではないでしょうね。社会契約説の系譜にあると言うべきでしょうか。人は人に対して狼であり 万人の万人に対する闘いという命題を頭の片隅には置いているのでしょうね。朝には釣りをし夕べには批判をするといった未来の牧歌的な世界では 戦いがなくなると見ていたのでしょうが。
 このように述べられた内容から見て ゆづる精神ともののあはれなる心が どこまで生きていて どこから踏みにじられたか?

 社会契約説にもとづくならば 国家は巨獣レヰ゛アタンとして絶対権力を付与されたと見なされると思います。重商主義に対する批判は A.スミスらから出されていますが 帝国主義については 大航海時代を開いて 古代国家による帝国とは別にでしょうかあるいはやはり同じくでしょうか あらためて開始されたというべきでしょうか?
 英・仏・米・独・露ないしソ連・・・或る種の仕方で DNAだったのでしょうか 侵略と植民地化は? 秀吉さえ出ましたからねぇ。
 現代へ飛べば やはり資源あるいは穀物などが問題であるようですね。レアアースなどをめぐっては 昔さながらの奪い合いなのでしょうか?
 前後しますが 朝鮮半島は もう少し《近代化》を早くやっていて独立国家どうしとして協力する道が開けていればよかったように思います。(NHKで 朝鮮併合の過程を解説していました)。伊藤博文も その道を何とか早くするためにと努めたように思われます。

 ▲ (ヰキぺ:排日移民法) ~~~~~~~
 1924年7月1日に施行されたアメリカ合衆国の法律である。

 この背景としては、日露戦争に伴ってアメリカが外債の消化や平和交渉など日本を影から支援したにも関わらず、日本が門戸開放政策を行わなかったことへの不満もあげられる。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ たしかに早くからぎくしゃくしていたのですね。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
 ですが、以下のサイトにもございますが、いまだに、アメリカの支配からは逃れていないかと愚生は思っています。
 これらの“東京地検”の摘発動向は偶然としては、出来過ぎているからでございます。

 植草氏のサイトです。
  http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/ci …
 「経世会(旧田中派)」VS「清和会」をご参照くださいませ。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ アメリカ政府から《年次改革要望書》が渡されるということを知りました。
 ▲ (ヰキぺ:年次改革要望書)
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E6%AC%A1% …
  
 § アメリカ政府による日本改造
 関岡英之は年次改革要望書はアメリカ政府による日本改造という観点から注目し、アメリカによる日本への年次改革要望書の性格は、アメリカの国益の追求という点で一貫しており、その中には日本の国益に反するものも多く含まれているとしている。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 「経世会(旧田中派)」VS 「清和会」+検察+アメリカ という構図なのですね。

 いまのわたしには こんなところです。鳩山政権の動きについても ちょっとひらめいた程度なのでした。

お礼日時:2010/04/20 00:24

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございます。

Hidocchiです。

> どうでしょう でも 微妙に別の側面もありはしないですか? 全員参加の原則といった習慣です。しかもそのときにも 若い者が指揮を執っても 構わないとも やはり思います。

 そうですね。年齢が別段問題ではないように再認識いたしました。思い出してみますと、“終戦”をやってのけた鈴木貫太郎も、慶応生まれということを鑑みますと、仰るとおりかと存じます。

> でも全般に 或る程度は 世界の流れに対応していくのではないかとは思っているのですが どうでしょうか?

 「主要先進国でも日本ほど食事の変化した国はない」といわれているようでございます。おそらく、日本人は、元来環境対応能力に長けているのかもしれません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E6%96%99% … “日本の食料自給率”からでございます)

> 組織体質について大事なのは 風通しでしょうか。話ができる・人の話を聞く・批判することができる・体面の問題を克服するすべを知る・・・。

 仰いますとおり、言われてみれば、納得のいくものばかりなのですが、いろんな利害関係もあり……..

> 《失われた二十年》ののちには 何らかのあたらしい局面に出るのではないかと 思っております。

 そうでございますね。今回のご質問に対しまして、ほぼ愚生が、独占状態になっておりました。この場をお借りしまして、深くお詫び申し上げます。
勝手ながら、以降は、次のご質問“日米関係”につきまして、ご返答致したく思っております。
bragelonne様のお言葉「《失われた二十年》ののちには 何らかのあたらしい局面に出る」というお言葉を夢見ながら、ひとまずは筆を置きたく存じます。

 それではどうもありがとうございました。以降もよろしくお願い申し上げます。
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この回答へのお礼

 ひどっちさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 《独占状態》は わたしのほうですので どうかそこのところは ご宥恕いただければと切にお願いいたしたいと思います。ひどっちさんが おあやまりになることは微塵もありません。
 それよりも 最後のほうになって お応えするのに考えが定まらずすっとこどっこい振りを重ねているかと思い 悔やんでいます。いただいたイデアは 保留のようになったものだけではなくご返答ができましたぶんについても基本的には 寝かしておくかたちにもなりますので どうぞよろしくお願い致します。

 《女性が発言する》にかんしましては 一例としてこうです。キムジョンイルという人は 女性の意見であるならば聞き入れるのではないかと ふと思ったということがあります。引田天功さんが入るかどうかを別として 世界中の女性が 女性だけが 政府や企業やとはまったく別個に 声をとどける。こういうたくらみです。市民の生活を守れ。かどわかしは だめです。返しなさい。話し合いをしましょう。と。――男はいっさいかかわらないところが みそだと思います。


 ★ 「主要先進国でも日本ほど食事の変化した国はない」といわれているようでございます。おそらく、日本人は、元来環境対応能力に長けているのかもしれません。
 ☆ なるほどですね。食べるものについて変化に対応できるなら 全般的に見てもかなりの対応能力があるというのはそのようですね。

 ○ 指導者であることの実際・リーダーシップ論
 ☆ これは 経営学の大きな主題のひとつなのですが わたしは遠ざかってしまいました。全員経営者という命題をかかげて その視点から考えようという方向にありましたし そこからさらに逸脱してしまいました。
 組織論にしても そうなのですが メアリP.フォレットというアメリカ人女性の経営学者がいまして その《情況の法則》を基本命題としたら あとは細かいことには関心が行きませんでした。《誰もが情況に耳をかたむけよ。情況把握から取り出されてくる主題や課題について考え合っていけ。それぞれの立ち場は 少なくとも そのあとで意識せよ》。
 ヱーバーだか誰だかが《官僚組織は絶対的に肥大する》なんて聞いても 満足するわけには行かなかったです。なんでそんなことの研究に没頭することができるのかと突っ張っていました。


 《失われた二十年》は たしかバブルとはこうだ地価の値下がりがどうだこうだと言い始めたときには 全治五年と言っていたように思いますから それから類推するに まだ混迷がつづくかも知れませんが 対応能力に期待したいと思います。単純に世界的な賃金の絶対的な差は けっこう大きくのしかかったのではないでしょうか? こころざしの有無では乗り越えられない壁があったかと思います。

 《日米関係》のほうも よろしくお願いいたします。すっとこどっこいが抜けきれないかも知れませんが 精進してまいります。 

お礼日時:2010/04/24 10:38

 お礼が遅れてしまい、申し訳ございませんでした。

Hidocchiでございます。

 確かに、女性というのは、妙案化と存じます。”和平”という感覚からも、ふさわしい部分もあろうかと存じます。

 一方、Ano.20からでございます。
「戦後の日本企業にとって、最大の革新は財閥解体とそれに伴う一部のトップ・マネジメントの追放であった。 <中略> その結果、官僚制の崩壊と組織内民主化が著しく進展し、日本軍の最もすぐれていた下士官や兵のバイタリティがわき上がるような組織が誕生したのである。」 (戸部良一ら著「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」“3章失敗の教訓” p.396) とございます。
 そして最終項に以下の文章がございます。
 「さらにいえば、戦後の企業経営で革新的であった人々も、ほぼ四十年を経た今日、年老いたのである。戦前の日本同様、長老体制が定着しつつあるのではないだろうか。米国のトップ・マネジメントに比較すれば、日本のトップ・マネジメントの年齢は以上に高い。日本軍同様、過去の成功体験が上部構造に固定化し、学習棄却ができにくい組織になりつつあるのではないだろうか。 同上 p.400からでございます」

 なお、この著作は、1991年発刊でございます。つまり、日本の不動産バブルが弾ける前の見解でございます。そしてさらに、不動産バブルが弾けた後の”失われた10年(20年という説も?)”へと続いていきます。

 一例と致しまして、政治家を例に挙げますと、小泉元首相:1942年1月8日生まれ、ブッシュ米国前大統領:1946年7月6日生まれ、ブレア英国前首相:1953年5月6日生まれと、やはり、日本のトップは高年齢のように見受けられます。

 実を申しますと、戦前から、その組織体質は余り変わっていないように思われるのですが、いかがでしょうか。

 愚生が質問する立場にないことは重々承知の上ではございますが、ご意見の程、頂戴できれば幸甚に存じます。
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この回答へのお礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ 実を申しますと、戦前から、その組織体質は余り変わっていないように思われるのですが、いかがでしょうか。
 ☆ 《長老体制とそこにおける革新の遅れや怠りが多いこと》を問題しておられるのでしょうか?
 基本的には 年齢とは別だと考えますが 一般にトップが高齢であると決断がにぶかったり指揮に遅れが出たり勤労意欲を湧かせ得なかったりするとは思います。
 どうでしょう でも 微妙に別の側面もありはしないですか? 全員参加の原則といった習慣です。しかもそのときにも 若い者が指揮を執っても 構わないとも やはり思います。
 あるいは戦後の事情としては バブルがはじけるまでの期間を取っても 創業家経営者が少なからずいたでしょうから その場合には まったく経営から離れるということも少なかったでしょうし。

 まだ何もお応えしていないように思うのですが これからは商品の飽和状態という一面もありつつ 新興国家やその市場では あたかも先進国の戦後の競争と成長の過程を歩んでいくかに見えるという一面もあるでしょうし。
 たとえば BRICsはあと数年は早い速度で成長していくと思いますが やがて為替の率が平準化してくるとすれば 生産工場のあり方もまた或るいは変わってくるかも知れません。ほぼ同じ条件で競い合うといった情況になるかも分かりません。そのときには日本は日本で 得意の分野でうまく伍してゆける・あるいは先頭に立ってすすむことが出来るかも知れません。

 たしかに商社に入った若い人びとが 外国勤務がいやだと言うことが多くなってきたと聞きます。ですからそのような傾向が極端にひどくなってしまったなら もう何をか言わんやでしょうね。でも全般に 或る程度は 世界の流れに対応していくのではないかとは思っているのですが どうでしょうか?

 組織体質について大事なのは 風通しでしょうか。話ができる・人の話を聞く・批判することができる・体面の問題を克服するすべを知る・・・。

 《失われた二十年》ののちには 何らかのあたらしい局面に出るのではないかと 思っております。


 とんちんかんな問答になってしまっているかも知れないとあやぶんでいますが 澄みません こんなところになりました。現行のこれまでの常識ということに頓着しなくなって長くなっているのです。別の視点・あたらしい視点ということにだけ注意を払って来ました。

お礼日時:2010/04/22 22:50

 昨日は、駄文ご一読いただきまして、どうもありがとうございました。

Hidocchiです。


> 現代へ飛べば やはり資源あるいは穀物などが問題であるようですね。レアアースなどをめぐっては 昔さながらの奪い合いなのでしょうか?

 エコ対策(アメリカでは“グリーン政策”というようでございます)を進めていきますと、現時点でもっとも開発経験のある“原発”に注目が集まるものかと考えております。そう致しますと、ウラン(レアメタルではございませんが)等のエネルギー原料の奪い合いも起こってくるものと考えております(因みに、北朝鮮はウラン産出国だそうです)。
ソース:http://npn.co.jp/article/detail/43869127/ 

> 前後しますが 朝鮮半島は もう少し《近代化》を早くやっていて独立国家どうしとして協力する道が開けていればよかったように思います。

 確かに、仰るとおりかと存じます。周りは列強国に囲まれていたという地政学的なデメリットはあったかも知れませんが、もう少し早く、状況分析を為政者がしていれば、独立国としての仲間入りをしていたかと思われます。

(5)現代・現在つまりこれからは どうするか? どういう考え方で世界の中で生きていくか?

 かような話をしてしまいますと、bragelonne様にご叱責を賜ることになろうかと存じますが、各国政府におきましては、政府系ファンド(中国、シンガポールそして中東が有名です)が自国利益追求のために、“金ころがし”をしている状況でございます。従いまして、各国の利益の追求はさらに進み、エゴイズムが露呈してくるものと推察しております。逆に申しますと、国-国間の相互関係は民間人(NPOを含みます)が主役になろうかと考えております。

(6)思想において 世界をみちびくつとめをになうか?

 残念ながら、思想におきまして、日本が導き役にはなれないものと考えております。ただ、世界的に見ますと、各国のエゴのぶつかり合いが露呈されるにつれ、新たな“ルール作り”等の議論が沸き起こってくるものと予想しております。そして、新たな、思想が生まれてくるものかと期待している次第でございます。

(7)安全保障あるいは経済的な安全保障の問題が 前に立ちはだかっているでしょうか? 
 
 (5)のところで言及させていただきましたように、いずれかは、経済的問題が出てくるものかと考えております。現在でも、アメリカ発の不動産バブルの崩壊における金融機関の取り締まり、ルール作成もなされているものと思われます。
ソース:http://news.finance.yahoo.co.jp/detail/20100420- … 

 一方、安全保障問題につきましては、これは非常に難しい問題があろうかと思われます。
 例えば、ご質問に挙げておられました アメリカ政府高官の発言「“ますますいかれた”日本の首相」と、もございます。ただ、この会談は、“核”に対する安全保障会議かと記憶しております。当然、対象となるのは、イランかと考えられます。 
 ですが、イランは親日国でもあり、長年うまくやってきました。ですが、そのイランに対して、“制裁”を加えることに対して、日本国家がどう対応していくか等は、日米同盟の点からも、慎重にならざるを得ない問題かと思われます(日米同盟の基、今まで築き上げてきた“日本-イラン関係”を犠牲にしてもいいのかということでございます)。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4113011.html  からでございます)

(8)経済領域での進展にともなって 思潮も変わってくるかも知れません。変わりつつあるのかも知れません。もしこの変化を先取りさえするほどに動きを始めてもよいとするなら どうか?

 先取りする案を申し上げたいのは、やまやまなのですが、残念ながら、愚生には浮かばないという状況にございます。

 駄文、ご一読いただきまして、どうもありがとうございました。
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この回答へのお礼

 何度も何度も注文にこたえていただき大変ありがとうございます。

 ★ 各国政府におきましては、政府系ファンド(中国、シンガポールそして中東が有名です)が自国利益追求のために、“金ころがし”をしている状況でございます。
 ☆ そうですか。現実の事業と対応して経済成長に応じた投資であればよいと思いますが。土地ころがしのごとくには バブルにはならないのではないですか? 経済成長が伴なわなければ もはやパイの奪い合いになるのでしょうね。

 ★ 従いまして、各国の利益の追求はさらに進み、エゴイズムが露呈してくるものと推察しております。逆に申しますと、国-国間の相互関係は民間人(NPOを含みます)が主役になろうかと考えております。
 ☆ ソブリンリスクという言葉を聞きますが そうお聞きすると 裏返せば そのときには互いにリスクを共有するようにはならないですか? 民間人が主役になるというのは 政府系ファンドとは別にということですよね? 国家が主役でありつづけるよりは かえってよいかも知れないと思ったりしますが いづれにしても エゴイズム丸出しの相互関係ということでしょうか。
 ただし そうは言っても
 ★ ただ、世界的に見ますと、各国のエゴのぶつかり合いが露呈されるにつれ、新たな“ルール作り”等の議論が沸き起こってくるものと予想しております。そして、新たな、思想が生まれてくるものかと期待している次第でございます。
 ☆ ですね。
 安全保障についても 考え方が変わるかも知れないと今回やっと感じました。

 ひとつ思い浮かんでいることは 女性の発言ということが重要になるのではないかです。初めは 女性であることを強調して 女性だけの集まりとして 世界に向けて・あるいは世界とのそれとしての連帯として 一つづつ課題について発言をまとめ発信する。単純に そういったことを思いました。

 まことにありがとうございました。
 さらにあとは ご自由に発言をたまわりますればさいわいです。

お礼日時:2010/04/20 23:19

 続きからでございます。



(3)《くにゆづり》あるいは《もののあはれ》などの思想(生活態度)は どれだけ・どこまで生きていたか? どこで限界に突き当たったか?

 大正初期頃までだったかと思われます。昭和天皇が皇太子のときに、暗殺されかけた経緯がございます。虎ノ門事件(1923年12月27日)がそうでございます。《くにゆづり》の観点から申しますと、やはり次期国家元首の“暗殺未遂”は、国家の形成という点からは、問題があるかと考えております。

(4) 日本人は 軍人が似合うか? 軍国主義が似合いか? やむを得ない道だったか?

 軍国主義は似合わなかったと考えております。第一次世界大戦勝戦国のルール(かれらの価値観、都合によるグローバル化。特にアメリカからの干渉)に対しましては、ある意味“止む無し”だったかと思われます。
 ただ、もし当時の日本国民にメディア・リテラシーがあったならば、幾分自態はかわっていたかもしれません。
「昭和初期の大陸での陸軍の暴走(満州事変など一連の大陸での事件)がメディアによって支持され、世論により政府の不拡大政策は崩れた。さらに、第二次世界大戦勃発後、ドイツの快進撃が報道されるに及び、ドイツとの同盟論が復活(ドイツがソ連と独ソ不可侵条約を結んだことにより、同盟論は沈静化していた)し、その上英米に歩み寄る政府の姿勢をメディアが批判的に報道し、世論は対英米協調に反対を示し、それに乗じた陸軍の工作により、協調路線をとる米内光政内閣は崩壊した。一つの見方では、メディア・リテラシーの欠如が日中戦争の拡大を促し、太平洋戦争を勃発させたとも言える。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87% … の「日本史上におけるメディア・リテラシーの必要性を示す事例」からでございます)


 以下のご質問につきましては、また明日にでもご返答いたしたく存じます。

(5) 現代・現在つまりこれからは どうするか? どういう考え方で世界の中で生きていくか?
(6) 思想において 世界をみちびくつとめをになうか?
(7)安全保障あるいは経済的な安全保障の問題が 前に立ちはだかっているでしょうか? 
(8)経済領域での進展にともなって 思潮も変わってくるかも知れません。変わりつつあるのかも知れません。もしこの変化を先取りさえするほどに動きを始めてもよいとするなら どうか?

 駄文、ご一読いただきまして、どうもありがとうございました。
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 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございます。

Hidocchiです。

> ☆ この説明がもし妥当性を持つのでしたら 全体観として分かりやすいように思ったのですが どうでしょう?
 仰いますように、その傾向はあったかと推察しております。

> ☆ という対外的な側面のことではないかと思うのです。開国と維新のあと 征韓論はおさえたものの 朝鮮半島ともそして清国とも矛を構える傾きはあったのでしょうか?

 当時の日本がもっとも恐れていたことは、列強国による植民地化されることでした。
そこで、隣国の朝鮮半島なのですが、もともと韓国(朝鮮)とは、豊臣秀吉の韓国遠征以来、反日感情が存在したようでございます。そこで、朝鮮は、自国の維持のため、同盟国と手を結びたかったようでございます。そして、”親清国派”と”親ロシア派”に2分していたようでございます。一方、日本側からしますと、それら大国(特にロシア)に、朝鮮と組まれ、朝鮮半島に軍港等を置かれますと、軍事上極めて不利なこととなります。そこで、日清戦争の勝利により、”清国との間に下関条約を締結、李氏朝鮮が自主独立国であることを認めさせ、朝鮮半島における清国の影響力を排除することに成功しました。また、日露戦争の勝利により、朝鮮半島における影響力をさらに増大させ、”日韓併合しますが、これも、列強国による攻撃を回避したかったものと推察しております。
 因みに、ロシアのウラジオストク港ですが、「東方の支配地」がロシア語の意味だそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A9% … からでございます)

> ☆ 世界が交通しあうことになったなら 当時としては 何らかの決着をつけるような戦争は 避けられなかったでしょうか? どういう立ち場でそこに《参加》し どういうかたちの決着を望んだにしても。

 避けることはある可能だったかと思います。例えば、ドイツがポーランドに侵攻した際、英仏はドイツに宣戦布告いたしました。ですが、その時、欧州では、”平和運動”が余りにも盛んであったため(第一次世界大戦の犠牲が余りにもお大きかったからでございます)、英仏はドイツへの攻撃には消極的だったそうです。また一方では、共産主義国ソ連も懸念材料だったようです。つまり、ポーランドの進行を食い止めようとしただけでした。もし、積極的にそのとき、英仏が戦争に踏み切っていたならば、世界大戦にまでは至らなかったかと考えております(だれもが、このとき、世界大戦に発展しようとは考えていなかったと思われます)。
(一部は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C% … の「宥和政策とポーランド問題」からでございます。)

 また、ドイツの快進撃がなければ、日本におきましても、「バスに乗り遅れるな」という流行語は生まれず、もちろん、三国同盟も、また南下もしなかったと考えられるからでございます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%BD%93% … からでございます)

> そうしますと アメリカは まだ遅れてるうーっ! ということになるでしょうか? それとも 社会主義の運動があったのですし 世界にとっての警察任務があるのだから 責めることはできない。となるでしょうか?

 ”警察任務”は世界各国からも望まれているものかと考えております(軍事費等も問題もあるからでございます)。

 例えば、ソマリア沖の第151合同任務部隊の編成も、その一例かと考えております。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC151%E5%90% … からでございます)

 (ヰキぺ:大正天皇)のご説明どうもありがとうございました。

> あぁ 尽きませんね。

 明日にでも、愚生の方で、今までの対話内容をまとめさせていただきまして、また新たな論点等見出していければと思っております。

 駄文、ご一読いただきまして、どうもありがとうございました。
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この回答へのお礼

 ひどっちさん お世話になります。まことにありがとうございます。

 少しでも全体を見渡そうという位置に来ると 案外だまってしまいます。分からないのです。
 (1) 日本は――と取りあえず限るかたちとして―― 国内における対策のみによって経済不況と資源の問題とそして欧米帝国主義からの独立を勝ち取ることが出来たか?
 (2) 外に出たとしても――つまりは 帝国主義としての侵略にほかならないと言わねばならないでしょうが―― それは あくまで(主観としてでも あくまで)自己防衛のためであったか?
 (3) 《くにゆづり》あるいは《もののあはれ》などの思想(生活態度)は どれだけ・どこまで生きていたか? どこで限界に突き当たったか?
 (4) 日本人は 軍人が似合うか? 軍国主義が似合いか? やむを得ない道だったか?


 (5) 現代・現在つまりこれからは どうするか? どういう考え方で世界の中で生きていくか?
 (6) 思想において 世界をみちびくつとめをになうか?

 澄みません。答えはまだ出て来ません。安全保障あるいは経済的な安全保障の問題が 前に立ちはだかっているでしょうか? でも 経済領域での進展にともなって 思潮も変わってくるかも知れません。変わりつつあるのかも知れません。もしこの変化を先取りさえするほどに動きを始めてもよいとするなら どうか?

 次のご回答をお待ちします。ありがとうございます。

お礼日時:2010/04/19 00:37

何度か回答させていただきましたので、今回がまた最後とさせて


いただきます。

では一つだけ、日米関係が悪くなったのはいつくらいか。
僕が個人的に考えるのは下記のときくらいだと思っています。

日本は日露戦争の勝利によって南満州鉄道の権益を得ました。
それにめをつけたアメリカは日本に、鉄道の経営を一緒にしないか
と持ちかけました。
アメリカには日露戦争の時に仲介に入ってもらった恩があります。
また、満州鉄道の経営の維持もお金がかかりますので、日本政府は
アメリカの申し出をどうするか悩みました。
しかし。小村寿太郎の反対により成立はしませんでした。
その後、日本はアメリカの仮想敵国となり、アメリカ本土の排日
運動もさかんに行われるようになりました。

戦争の要因はいくつかあります。
その中で、これがあればアメリカとは戦争にはならなかった。と
思われるものがあります。日英同盟です。
その日英同盟を破棄させたのは、アメリカです。

戦争がおこるのは何がしらかの温床があり、遠因もあり要因が
あります。
そして大東亜・太平洋戦争の決定的な要因は、アメリカが石油を
止めたことです。
日本はこれにより、戦争に突入していくのであります。
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この回答へのお礼

 今晩は。ご回答をありがとうございます。

 ★ 満州鉄道の経営の維持もお金がかかりますので、日本政府はアメリカの申し出をどうするか悩みました。 / しかし。小村寿太郎の反対により成立はしませんでした。
 ☆ ヰキぺ:小村寿太郎にも その理由が書いてないのですが 次にも欠けています。
 ▲ (ヰキぺ:ハリマン) ~~~~~~~
 ポーツマス条約締結直後に訪日して、1億円という破格の財政援助を持ちかけて、南満州鉄道の共同経営を申し込んだ。
 日本側も乗り気で1905年にポーツマス条約で獲得した奉天以南の東清鉄道の日米共同経営を規定した桂・ハリマン協定を結んだが小村寿太郎外相の反対により破棄された。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ それだけ発言権があったのかとも思いますが。
 ここからですか。《石油供給の停止》に到って 開戦へと。

 日英同盟では ヰキぺを見ると 第一次大戦で日本海軍は 地中海まで行っているのですね。このときは ドイツを敵にまわして。英国鑑を救助して 感謝されたのですね。

 現在では 植民地主義の思想は廃れ 人種差別による蔑視も消えつつありますし 核戦争を望む者はいないでしょうし 世界はなんとかやっていけるのではないかと思うんですけれどねぇ。

 ありがとうございました。二つの質問にわたってありがとうございます。でもまた 特にこの方面では ありましたらよろしくお願いいたしたいと思います。

お礼日時:2010/04/17 23:11

 ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。

Hidocchiです。

> そこへ わづかに対外強硬派と言いますか いわゆる帝国主義と言いますかの動きが 絡まるのでしょうか? 国内において対処するという考えにはおさまらなかった。

 すでに、満州事変におきまして、英米諸国との強い摩擦がございましたので、国内のみにおいて全て処理することは困難であったかと考えております。
金融大恐慌により、各国は”保護貿易主義”に走っていました。アメリカは自国でほぼすべてのものがまかなえ、他の英仏各国は自国の植民地に頼っていました。ですが、第一次大戦の敗戦国であるドイツは植民地はありませんでした。もちろん、日本もです。そんな中、満州事変に対する非難が英米によりもたらされました。日本人としましては、不平等に対する不満があったろうと考えております。

> どうなんでしょう? アメリカの金融大恐慌が起こらなければ そしてあるいは それでもその経済の立て直しはすべて国内で対処して行ったとすれば あとは どうなんでしょう 植民地の独立への道が どうなったか? これとの兼ね合いは 考えられましょうか?

 実際に、昭和11年頃には、ある程度の経済回復を見せたようでございます。ただ、政治不信は相変わらず残っていたようでござます。そして、植民地独立の件でございますが、もしあの戦争がなければ、植民地の独立は困難であったと考えております。東南アジア諸国が、アフリカ諸国に比べ、独立が早かったのは、偶然ではないと考えております。おそらく、あの戦争のほとんど唯一のメリットはアジア諸国の独立であったと考えております。実際、インドネシアの英雄墓地(独立戦争の戦没者の墓地です)には、多くの日本人も埋葬されているようでございます。

> 大正天皇は ふつうの人で むしろものを心得ていたのではないでしょうか?
 何かあまりにも正論を言うので 周りから警戒されついにはおかしいという目で見られるようになったのではないでしょうか?

 「皇太子時代から巡啓に同行するなど近しい立場にあった原敬は、のちに語られる「大正天皇像」とは大きく異なる「気さく」で「人間味あふれる」「時にしっかりとした」天皇像を『原敬日記』に記している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%AD%A3% … からでございます)

 また、以下のサイトでも、”障害者”否定説をとっています。神格化されつつあった中で、ごく気さくな天皇陛下像が、不思議に思われた可能性はあろうかと思われます。

http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup … からでございます。)


 ご参考になるところがございましたら、幸甚に存じます。
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この回答へのお礼

 ひどっちさん 今晩は。ご回答をありがとうございます。
 大正天皇の情報もありがとうございます。 allabout のほうも分かりやすかったです。
 
 そうして大正時代の護憲運動についておそわってこれを延長していきますと 次のヰキぺの記事に突き当たりました。
 ● (ヰキぺ:大正政変) ~~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%AD%A3% …
 第1次山本内閣の時代を含めることにより、この時期の民衆が
   一方では憲政擁護運動以来の反閥族感情を保ちながらも、
   他方では1913年7月の中国第二革命の混乱に際しては、革命派擁護を名目とする対中出兵論に容易に乗るような大正デモクラシーの一側面が視野にはいってくる。
 松尾尊兌はこれを

  「内には立憲主義、外には帝国主義」

 という二面性をもったものとして説明している。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この説明がもし妥当性を持つのでしたら 全体観として分かりやすいように思ったのですが どうでしょう? すなわち
 ★ すでに、満州事変におきまして、英米諸国との強い摩擦がございましたので、国内のみにおいて全て処理することは困難であったかと考えております。
 ☆ という対外的な側面のことではないかと思うのです。開国と維新のあと 征韓論はおさえたものの 朝鮮半島ともそして清国とも矛を構える傾きはあったのでしょうか?

 ということは ほかの国のこととは言え 植民地状態のことが気にかかっていたと言えるでしょうか?
 ★ ・・・ですが、第一次大戦の敗戦国であるドイツは植民地はありませんでした。もちろん、日本もです。そんな中、満州事変に対する非難が英米によりもたらされました。日本人としましては、不平等に対する不満があったろうと考えております。
 ☆ 世界が交通しあうことになったなら 当時としては 何らかの決着をつけるような戦争は 避けられなかったでしょうか? どういう立ち場でそこに《参加》し どういうかたちの決着を望んだにしても。

 そうしますと 大正天皇またの名をスサノヲイスト・ヨシヒトが その位から 薩長閥やら陸軍強硬派らの勢力から自由な立憲政を・もしくは共和政さえをも望みその問題提起をしても 世の流れはその望みを すでに潜在的には難なく凌駕していたのかも知れない。米英仏の傲慢!! これが直らないかぎり 世界大戦への歩みは着々とすすんでいた。・・・


 そうしますと アメリカは まだ遅れてるうーっ! ということになるでしょうか? それとも 社会主義の運動があったのですし 世界にとっての警察任務があるのだから 責めることはできない。となるでしょうか?

 でも こう見て来ますと 天皇制は それを担ぐ勢力のための統治制度であるように思えて来ました。

 あぁ 尽きませんね。ひどっちさんが指揮を執ってくださってもいいと思います。この質疑応答の です。


 データです。
 ◆ ( allabout :大正天皇は「例外」だったのか)~~~~~
 大正天皇には明治天皇とは違い、生まれたときから「雲の上のような絶対的権威」を備えることが求められた。それが大正天皇の生涯にどのような影響を与えたのだろうか。

 大正天皇は今では当たり前の「開かれた皇室」を目指したのか、それとも性格的にオープンな天皇だったのだろうか

 ▲ (ヰキぺ:大正天皇)~~~~~~~~~~~~
 皇太子時代に全国を巡啓し、京都帝国大学(後の京都大学)付属病院を訪れた時には、患者に声をかけ、患者が涙にむせんだという逸話も残っており、福岡県知事との会話の間に持っていたタバコを気軽に差し出したという記録も残っている。
 このような思ったことをすぐに言動に出す性格は、幼少期からのものであるが、嘉仁親王の性格を好ましく思わなかった明治天皇や元老山縣有朋らに幾度となくたしなめられていたようである。

 巡啓中には、有栖川宮の黙認もあって、非常に気さくに、身分に構わず気軽に声をかけた。移動も特別編成のお召し列車ではなく、一般乗客と同じ普通列車に乗り込み、兵庫県の陸軍大演習ではいきなり旧友宅を訪問、新潟県では早朝に宿舎を抜け出して散策をし、ある時は蕎麦屋に入るなど自由奔放にふるまった。
 これは当時、明治天皇が一般人の目の見えないところに「神」として君臨していたのとは好対照である。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~

お礼日時:2010/04/17 21:47

>日本については 連合国のほうもマッカーサーの言うように 


止むにやまれず自衛のためにも戦争を起こしたという見方を 
どこかには持っているのではないですか?

はい。持っているかもしれませんね。
それに、どの国も自分の国の戦争は自衛戦争だと思っている
でしょうね。

>☆ どうでしょう アメリカは このときには世界の警察の
ような任務を暗黙のうちにでも帯びていたかも分かりません。
ソ連の崩壊までは 社会主義社会ということも あるいは現実で
あるかなと思われていたところがあったと思いますが それ以後は
 その警察の役目を引き受けているのではないでしょうか。

はい。戦前からアメリカはイギリスになりかわって覇権の国です。
かなり前から世界の警察と自他共に認めていたでしょう。
しかしながら、警察として治安をまもるのでなく、多くは利権に
からむ戦争をしていると思います。

>☆ についてもまなんでいます。近衛文麿が戦争遂行の任務を
拒んだことですとか。そのために 東条にお鉢がまわってきた。

東條さんは戦争回避のために努力をしましたが、事すでに遅し。
アメリカに妥協する意思はありません。
もともと、アメリカは中国の市場を日本に独占されるのを恐れて、
日本軍を中国から追い出そうとしていたのですね。

>○ 戦争の責任といえば 当事者のすべてにある。

はい。僕はそうだと思います。
しかし言い方をかえれば、国際的にはどの国も戦争は責任はない。
とも言えるかもしれません。
とにかく、一国だけが悪いというのは不公平な見方だと思います。

>○ それぞれの国の中で 最高責任者は 責任にあたいする行動の
明確である無しにかかわらず 共同生活を新しく始めるにあたって
という理由で 責任をとってその地位をしりぞくのがよい

はい。僕はそう思います。
天皇は戦後、旧軍人が表舞台にでることを好みませんでした。
戦後政治家になった旧軍人、政商となり政治家と手を結んだ旧軍人。
モデルとして小説にもなり、先日ドラマでも放映していましたよね。
しかし、これはやはり責任というもののあり方を、まずトップが
しめす必要があったのでないかと思いますね。
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この回答へのお礼

 

 あらためて言ってくださいました。
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 天皇は戦後、旧軍人が表舞台にでることを好みませんでした。
 戦後政治家になった旧軍人、政商となり政治家と手を結んだ旧軍人。
 モデルとして小説にもなり、先日ドラマでも放映していましたよね。
 しかし、これはやはり責任というもののあり方を、まずトップが
 しめす必要があったのでないかと思いますね。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 何度でも掲げてよいと思います。

 りんさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 ほんとはもっとどこか肝腎なところで尋ねたほうがよいこととか ここは問い求めておくべきこととかがあるのかも知れません。額面どおりに わたしの知識は 点と点なのです。大きくは現代史をどことなく避けて来ましたし 戦争絡みは 活字を追うのが億劫でした。ですから いいスレッドにしたいと思いますが 限界があるかも分かりません。(つまり 回答を寄せていただくときの主題や課題の選び方で 変わってくるかも知れないと思ってです)。

 ひとつ突拍子もない問いを 次のように問うています。
 ☆☆ (No.20お礼欄) ~~~~~~~~~~
 飛躍です。

 大正天皇は ふつうの人で むしろものを心得ていたのではないでしょうか?
 何かあまりにも正論を言うので 周りから警戒されついにはおかしいという目で見られるようになったのではないでしょうか?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ もしよろしかったら りんさんもご見解をお寄せください。それと 全体の中からさらにこういう事柄は欠いてはならないといったことがありましたら これもお寄せください。

 ・戦争の開始について責任を問うのは よほど詳しくきちんと判断材料を出してでなければ むつかしい。

 ・ ★ アメリカに妥協する意思はありません。――☆ これは 日露戦争のときに ユダヤ・ロスチャイルド系のアメリカ人が 資金を出したのに その後このときの義理を日本政府は欠いた。そのことがあって アメリカは強硬に出たといったようなことをおそわった記憶がいまあるのですが・・・。

 ・ ★ ~~~~~~~~~~~~~~
 かなり前から世界の警察と自他共に認めていたでしょう。
 しかしながら、警察として治安をまもるのでなく、多くは利権にからむ戦争をしていると思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 確認のためにかかげます。このアメリカの政策ないしその考え方に 否を唱え始めたのではないか つまり鳩山政権は という問いをも いま出しております。素人の強みですね。質問の中身をまだ確かめないで すでに手を挙げている小学生みたいです。

 * 前回の質問が 復活してよかったです。ありがとう。

お礼日時:2010/04/17 12:40

> ☆ 《パリ不戦条約》の問題があるとも聞きました。

たぶん 
いままた新たに考えるのですが これを日本が破ったとしても 
けっきょくはそういう情況に どちらの勢力も進んで行ったので
しょうから そういう意味では すべての参戦国に責任はある。
たしかにこうも考えられるかも知れません。

はい。問題はここなのですが、日本はこの条約を破ったのか
どうかということも、定かではないと思います。
要するに条約では自衛戦争は認められているわけで、前にも
いったように、では何を持って自衛戦争というのか。
と、いう問題があるからです。

また、誰がどんな権限をもって、その戦争は自衛戦争だ。とか
侵略戦争だとか。決めるのか。
後にアメリカが戦争をした朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争
などは、何戦争と呼ぶのだろうか。

日本の場合は東京裁判で戦勝国が侵略戦争と位置づけましたね。
しかしこれは公正公平な裁判ではない事は、あきらかです。
後にマッカーサーは日本の戦争は安全保障上の必要に迫られて
したものだ。と日本の戦争を自存自衛のものだと認めています。

しかし僕は日本の戦争は国際的には問題はなくても、国内的には
いろいろ問題があったのではないかと考えています。
要するに天皇の戦争責任などもその一つであり、責任はあると
思います。
ちなみに僕は、後世にわたってあまりにも悪者にされている東條英機
さんには少し同情的です。
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この回答へのお礼

 りんさん 今晩は。ご回答をありがとうございます。

 いやぁ 四苦八苦しています。日頃の不勉強がたたっています。

  Hidocchi さんの見るところでは 1929年大恐慌からあとの経済不況が どうも日米戦争のいちばんの原因になったというそうです。
 日本については 連合国のほうもマッカーサーの言うように 止むにやまれず自衛のためにも戦争を起こしたという見方を どこかには持っているのではないですか?

 ★ 後にアメリカが戦争をした朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争 / などは、何戦争と呼ぶのだろうか。
 ☆ どうでしょう アメリカは このときには世界の警察のような任務を暗黙のうちにでも帯びていたかも分かりません。ソ連の崩壊までは 社会主義社会ということも あるいは現実であるかなと思われていたところがあったと思いますが それ以後は その警察の役目を引き受けているのではないでしょうか。

 ★ 東条英機
 ☆ についてもまなんでいます。近衛文麿が戦争遂行の任務を拒んだことですとか。そのために 東条にお鉢がまわってきた。


 いまの段階では こうでしょうか?
 ○ 戦争の責任といえば 当事者のすべてにある。
 ○ それぞれの国の中で 最高責任者は 責任にあたいする行動の明確である無しにかかわらず 共同生活を新しく始めるにあたってという理由で 責任をとってその地位をしりぞくのがよい。
 ☆ いまは自信がとぼしくなっていますが。

お礼日時:2010/04/16 22:59

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