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とある仏教の本を読んだときに、(本については詳しく話せません)
二乗とか、菩薩界、仏界についてかいてありました。
自分は下の項目は達成しました。たぶん。。。。。。
それで質問です。
この二乗とは、自分の解釈では、自分のエゴの為に、自分のことばかり欲求を発散させてはいけない。という意味だと解釈しました。
というのは、菩薩界の説明が、ひとの為に尽くすことが、結局自分の為になる。。。。。。
みたいに書いてあったから、それに対比して考えると、極端な話、自分の人生を充実させることを考えるな!というかんじかな〜みたいな感じです。

そう考えると、
みなさんはドラゴンボールをご存知でしょうか?
ドラゴンボールの主人公孫悟空は、自分の強さだけを追い求めているから二乗でしょうか?

A 回答 (1件)

調べてみますと、乗とは立場やその立場にいる集団を指すようです。



つまり主義ですね。

二乗の二は、声聞と縁覚という二つのステージを指すそうです。


幾つかの説明記事を読むと、

仏教も幾つかの主義主張に別れていたようですね。

大乗仏教(世の中を救おうとして教えを広めようと目指した人々)を目指す人には、

禅のような修行により自己研鑽にだけ邁進する集団は快く思われなかった。

布教活動をサボる姿勢を批判したと言う経緯があったようです。

二乗は聖者の格にあるらしく、人をやや超えて超常の力もあったとされているようです。

この力の研究に没頭して世の中に悪い影響を与える集団もいたようで、

菩薩行(人を救おうとする慈善活動)に邁進する人々には特に疎まれたとか。


聖者の格と言うのは、この世のあらゆる学問を究めており、

これ以上学ぶことが無く、

更に世の中への執着をなくした尊敬されるべき人物だそうです。

前提として自分より多くの知識を持つ人が居たら、この格におりません。

また執着と言うのは、理由も無く素晴らしい物と思い込む心を言います。

執着を無くすと言うのは、誰かに認められたり、自分を褒めたりする気持ちを無くした

人の事を指します。



ですので、孫悟空はこの格(二乗)には遠く達していないと思いますよ。

そもそも強いと言うことを尊ぶのは、子供のときだけです。

子供が大人をアテにせず生きることが出来るようにと、

子供向けの教育をしていただけです。

もっと大切なことが沢山あり、それらを順に学んでいくのが正常です。

強いと言う事が良しとされるのは、思春期以前であり、

それ以降は強いことの役割は終わり、無価値になります。

ですが全ての子供が強さを手に入れているわけではありませんから、

親の愛情を求めるように、いつまでも強さに拘る人もいます。

つまり何らかのトラウマがあり、そこで成長を止めているというわけです。

こうしたものを執着と呼びます。

子供の頃に辛いことや怖いことから逃げてしまい、

そのせいで親が呆れて、相手にしなくなった。

そういう経験があり、一生後悔し続けている。

こういう執着に囚われるている人は男性に多いでしょうね。



二乗にあるひとは、こういった全ての執着から脱しておりますから、

己が劣っていようと優れていようと気にしません。

求められれば助けるでしょうし、自らに非合理的な罰も与えないでしょう。

明らかに、全ての知をものにしており、多くの人を導くだけの力がある。

それなのに、慈善の奉仕活動がさぼり気味になる。

そういう人を同僚が批判したということです。

世にある全てを手に入れ、何も欲しくなくなった。

その上で、慈善活動を続ける人を菩薩といったのでしょうね。

しない人を二乗としたのでしょう。


まあ、大学で言うところの研究者ですね。

起業したり、教育者になったり、政治家になる能力があるのに、研究を選ぶ。

こういう姿勢の人を指すのでしょう。


研究者でも学会活動ばかりに夢中になる人もいれば、

地域の市民大学で講演をして主婦と交流をするひともいます。



仏教が他の宗教と違って魅力的であった理由は二つあります。

一つは、

脳の活性化を導いて、知識を超えた本物の知能を開花させる方法論を教えていたこと。

もう一つは、カウンセリング活動をしていたことです。


ちなみに、

どんなに優れていようと、二乗に入ると成長が止まり、永遠に仏になれないそうです。

つまり、人の役に立とうとして人に触れることが大事であるとしています。



例え、自分の浅はかから精神が乱れてしまい、

成り行きから悪行をなすこともあります。

(苛められて復讐することもあるでしょう)

これによる地獄の様な人生を歩むことはあるでしょう。

しかし、この途中で後悔をし、成長していけるわけです。

引き篭もれば、このチャンスが奪われるため、

成長が止まるとされているようです。

辛くても逃げては永遠に成長を止めてしまいます。



引き篭もると言う事は、地獄に落ちるよりも罪であり、

例え聖者であっても、引き篭もりを実施してしまえば、

永遠に救われないと述べています。



聖者の格を相殺してしまえるほど、引き篭もると言うのは良くない事なんです。

孫悟空は二乗には到底達していないでしょうけど、

引き篭もっておりませんから、

二乗よりも好意をもてる相手であり、仏になる可能性もあるということです。

つまり大乗仏教では、

自分の執着を捨てて常人の域を脱することよりも、

欲にまみれて苦しんでも、人と接して人の役に立つことのほうが格が高いと

しているってことですね。


優れているものよりも働き者のほうが救われると言う話のようです。


自分が優れているかどうかを気にする暇があったら、

誰か困っている人を探し、

本当に行動して役に立て。

そちらのほうに自分の寿命を使え!

ってことでしょう。


以上、ご参考に成れば。
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