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某国立大に通っている大学生3年です。今日、今学期3回目の授業(英語コミュニケーション)がありました。 
まず、結論から言いますと、3回目の授業(履修登録期間は先週終了、現在は履修取り消しのみ可能)で突然私を含む数名が今学期はこの授業を履修できないと言われました。
定員20名の授業に25名ほど集まり、先週の時点(2回目)でくじ引き等して決めるべきところをなぜかその外国人教師はスルーして、そのまま続けて全員出席するようにさせました。先週の授業で今後のスケジュールと今週(本日、3回目の授業のことです)プレゼン予定者を決めて解散となり、人数超過してもこのまま続行するものだとばかり思っていました。
ところが、今日になって教室に入ってみると、教室のホワイトボードに全員の名前が書き出され、4年生と今日プレゼン予定の計18名の名前は履修可能の欄にあり、私を含む5名は前回までの授業で積極性が足りなかった、との理由で履修不可になっていました。その後の話し合いで、あと2名だけなら履修できることとなり、くじ引きをしましたが、わたしは落選してしまいました。
くじ引きで落選したのでそこに関しては文句はないのですが、どうせ履修できないのなら、先週の履修登録期間のときにその旨を通達していただければ、他の授業を取ることもできたはずなのに!と悔しい思いをしています。
この授業は卒業必須科目で、来年の就活と卒論とかぶってしまうと厄介なため、わざわざ3年次に計画していたのに・・・。
しかも私を含む5名の落選理由が「積極性がない」だけでは理不尽だと思います。クラス内で一回も発言していないのに、偶然今週にプレゼン予定者になった人は合格となっていました。
これは大学側に抗議してもおかしくない内容でしょうか。それとも私が怒りに任せて落ち着けていないだけでしょうか・・・。

A 回答 (4件)

ハラスメントではないと思うけど、、、


くじ引きは公平性に欠けると思う。 事前に定員オーバーになった際にどのような対応を取るのかの説明があったかどうかを含めて、大学側に報告しておくことは良いことだと思うよ。
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真意は分かりませんが、



「定員をオーバーしても教えよう!」と思ったら、

学校側からダメだと言われたのかもしれません。

また、くじで生徒を選ぶという発想に抵抗したかったのかもしれません。

どちらにしろ諦めるのが得策です。



勝率は、

「先生のやっていることはハラスメントだよ。

 気の毒だから、私が代わりになる。君は履修するといいよ。」

と名乗り出てくる生徒が存在する確率くらいです。

いまそういう生徒が数人いるとなったら、戦ってみるのもありです。

そうじゃないとすれば、辞めたほうがいい。


他の生徒は、

「良かった、やる気があると思われて。私は選ばれたんだ。」

と感じているでしょうから、

「そんなのずるい。卑怯だ。アカハラだよ!」

と言っている(落ちた)生徒がいた場合、同情することはないと思いますよ。

余計に幸福感を得るでしょう。



以前研修で習いましたが、

ハラスメントとは、当人が被害を受けていると感じたらハラスメントだそうです。

凄い話だな?

と思いました。が、聞いて納得。

「自らの損失を考えず、訴訟に出る人には、どちらが正しいかは意味が無い。」

つまり、訴える側が全く得をしていない。

そういう罰を受けているのだから、訴えるくらいは認められると言う事です。

もちろん、別観点で法に触れているならば、ハラスメントではなく、

そちらで賠償を求めればよいです。


ハラスメントかどうかは、

自分の将来に備える時間や余暇を楽しむ時間を犠牲にしても、

(つまり裁判に訴える)

怒りを訴えたいと覚悟を決めることで成立します。

どちらに賠償が求められるかは、別の観点で処理されるでしょう。


たとえば、

実際にセクハラを受けている人は、

「他の人にもすると思うと・・・」

など、色んな覚悟を示します。

「相手を道連れにしてでも、自分と一緒に社会から消す」

という覚悟が必要です。



当然、相手も全力で対抗してきます。

社会から消されるよりましだからです。なんだってしてきます。

また、一度敵だと思えば、こちらに止めを刺すまで戦うでしょう。

第三者としては、生き残った方を善とします。

争うもの同士の主張は常に正しいからです。

どちらを採用しても、他人には関係ないでしょう。


例えば、大企業は訴訟のために法務部門と言うのを抱えています。

この部隊が全力で知恵を絞り、

訴訟を長期化させて、相手を疲弊させ、継続する費用を立つ方法を取ります。

これが怖いので、

「小さい企業は大きい企業と直接取引が出来ない(躊躇する)」

ということになってしまいます。



管理者や体制側へのハラスメントの研修では、

「あちらは失うものが無い。そのため、心中しようとしてきます。

 あなたは既に失うものがある。

 そう思えば、自分が正しいなどと主張するより、

 かかわるほうが損ではないですか?」

と説得してきます。

だいたい、これで誰もがだまり、ハラスメントは良くないと言い出します。

簡単に言えば、関わりあいたくない。ということですね。



自分を正しいと主張する場合は、裁判を起こすことです。

私が社会に出て最初に驚いたのは、

「え、こんないい加減なの? なんか、パシッと正しいものがないの?」

ということでした。

例えば特許をとろうとしたとき。

「ええと、これで取れてしまうんですか? これでいいんですか?」

と弁理士に質問しました。

「はい。どうしても不満な人がいたら裁判になります。

 そこで決めるので、とりあえず、今はこれで権利獲得です。」

つまり特許権というのは、

「私が権利を獲得したことになっています。

 文句があったら、訴えてください。対応します。」

という宣誓でしかなく、権利があるので誰かが味方をしてくれるという

ことじゃないです。

裁判で負けると失効します。


ハラスメントと言うのも、

「これから、本気で戦います。」と言う覚悟に近い意味です。

実際にハラスメントと言うものは無く、

何らかの法を当てはめての訴訟になるでしょう。

訴訟で勝った人が、

「実際に訴訟を起こして勝てる理由があったのに、気がつかなかった。

 これでダメなら死のうか?くらいに思っていました。諦めないでよかったです。」

と言ったのを記事にして紹介したものです。

訴訟を起こせば勝てる内容も、泣き寝入りしていた人が多かっただけですね。

「職も財産も捨てて戦えば何とかなった。」

という話でしょう。

勝った人に対して「ハラスメント訴訟で勝利!」と、勝手に誰かがいっただけです。

結果論であり、何の効力もありません。


訴訟にならない争いなど、誰も履行しませんから・・・



また別の理由で不用意に口に出すのは危険です。

半端な覚悟で余計なことを言えば、逆に訴えられます。

相手の商売を邪魔した事になりますから。

思っている以上に相手が必死である場合が多いんです。

ビジネスをしている人は、変な噂がたてば、収入が減ります。

家族を養えなくなったり、それが理由で離婚に発展する場合があります。

この場合は、怒りと言うよりも、

第三者をたてて、

嘘や噂により被害を受けた人である、と判定してもらう必要が出てきます。


不名誉な噂に対しては、当事者を捕まえて、訴訟を起こす責務があるんです。

本人が面倒だと嫌がっても、

周囲の人(一緒に商売をしている仲間など)が説得して、

費用を分担して訴訟を起こします。

裁判を起こして勝つことに意味があり、

対象の人がどういう人かは問題じゃありません。

グレーゾーンを明らかにすることが目的です。



成人を過ぎると、個人の価値はグッと減ります。

一つでも若い人に席を譲るように求められるようになります。

若い人が素晴らしいのではなく、年を取る資格を求められるわけです。

「自分の代わりなど幾らでもいる。」

と言う考え方に慣れることで、

正しいジャッジ(世渡り)ができないといけません。

これが出来なければ、相対的に劣っているといわれ、弱いといわれます。


ヘマをした場合は、可哀想だと思われません。

間抜けであると大笑いされます。

その上で、退場を命じられます。

こんな条件ですから、

生きている(生き残っている)だけでも強いという証明になります。


不満があったとき、

誰かを攻撃しようとする姿勢は、けっして誰にも見せてはいけません。

我慢して隠す必要があります。



一回でも、人前で怒ってしまうと(正当な理由があると思っても)、

周囲の評価は最低になります。


不満がある事と、他者を攻撃することには繋がりが無いからです。

不満は問題を解決して解消するものであり、誰かを攻撃しても解消されません。

しかし、誰かが理解してくれると勘違いしてしまいますし、

そういう自分の性質は気付きづらく、治り辛いです。


周囲の人は、

その人が不満になれば、誰かが攻撃されると気付くでしょう。

皆が安全で幸福であっても、全体の調子が悪くなるときもいつかはきます。

このとき(皆が辛いなかで)

その人だけが「自分だけ被害にあった」と言い出し、身内を攻撃するわけです。

これを想像してしまうと、ゾッとします。

「彼が、何か言い出す前に、キュッとやってしまいたい。

 いやいや、皆が幸せな今、彼をキュッとやっておくべきか?」


こういう発想を周囲の人が一度はしていると思ったほうがいいですよ。

こう思われた後は、例え周囲の人が今までどおり接してくれていても、

今までどおりじゃないですよ。


けっして元の評価には戻りません。

けっしてやってはいけません。



逆に、

こういうときに、グッと堪えて頭を切り替えられたら、素晴らしいです。

なぜかと言うと、次に同じ目にあったときは、

もっと短い時間で頭を切り替えられるからです。

そしてその次にはもっと。

英語を習うより、そちらのほうが大きいと思いますよ。




「俺は間抜けであった。」

これで自分を笑うことです。(それしかないというか、そうしてきました)



例えば、アカハラだと、あなたが言えば、

「子供である」と、私は馬鹿にするでしょう。

しかし、

「自分は間抜けでした。」

と笑えば、

「そんなはずないじゃないか・・・」

と驚き、凄い立派な若者だと嫉妬するでしょう。

本当に、これくらい0、1です。

必ず後者でいてください。



自分が間抜けであったと笑い飛ばす人は本当に少ないです。

これを読んだ人が他にいて、

ここだけが勝負の分れ目だと信じて、実践してほしいと願います。


実際にやるときは、泣きそうなくらい辛いです。

しかしやりきった(笑い飛ばした)瞬間に、

本当に晴れやかな気持ちになります。

そして周囲の人間が息を呑むのが分かりますよ。

怒ってしかるべきタイミング。

このタイミングこそがチャンスなんです。

ビシッと運命に亀裂が入り、別のルートに流れ込む瞬間がわかりますよ。

成り行きを強引に捻じ曲げたというのが分かります。


次回は必ずやってみてください。


以上、ご参考に成れば。
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とりあえず、教務課に相談してみてはいかがですか?


履修登録方法に違反して、授業履修を講師が勝手に決める事は、普通はあり得ないですよ。
卒業必須と言うのが良くわかりませんが、普通は必修科目ならば、履修出来ないと言う事は無いと思います。(選択必修の場合は、定員に制限があるのはしかたありません)
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私も教務課に相談だと思います。

くじ引きの期限は、もう過ぎていたのですから。
教務課がその講師の暴挙を認めるのであれば、残り3人に、別の講師の授業を設ける必要があります。
別にその教室のその講師の授業で無ければダメだ、ということでは無いのでしょ?
そんな相手の身になって考えることができない、規則破りの「阿呆」に教わることなどあるわけが無いのだし。
教務課が認めないのであれば、その講師が非を認め、どうにかする以外にありません。
その講師を雇っているのは大学ですから、やはり教務課が対処することになるかもしれません。

その講師は、指導に対する積極性が見られないため、明日からクビになっても構わないんでしょうね。是非路頭に迷って欲しいものです。

サッカーの試合が終わってからなら、たぶん私でもゴールを決められます。
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