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正義なんてないんだよと来ると 闇雲がのさばる。ブラック企業、ブラックバイトで

正義無用の人権無視がまかり通る。

アメリカの正義なんて正義じゃないと思うんです。だからと言って人間の正義を

無くしてしまってはいけないと思うんです。

全世界の人間をみんな感情に入れた本当のグローバル・スタンダード、世界の正義を

形成しなければなりません。

アメリカ軍が国境なき医師団を誤爆?ロシアは核兵器の攻撃準備は出来ていた?

中国に沖縄の米軍を突きつけて中国を非難するアメリカ。原爆も正義なのでしょうか?

今こそ世界に通用する正義を人間の手で作ろうではありませんか?

A 回答 (28件中1~10件)

私は清潔で透明な飲める水は当たり前で、餓えずに、ある程度経済的にも治安的にも安定した中で、医療も、社会保障もほどほど確保されていて、その中で。

それらはあるところでは(自由取引という名の)外国との対外的な搾取ともなっていて。それは限定した考え方でしかないのかもしれませんが、世界との関わりのある日本社会の中での、現実の私なのではないかと感じております。
 残念ながら、このご質問の文章だけでは、そういう都合の良い中にいる秩序、「正義」を感じてしまいました。貴方の本心が、そこに意識がないことは推測できるのですが。
 私には貧しい国々を旅した経験がございます。貧しい者同士の争いになっていたこともございました。そんな中で体験したことがございます。それは正義ではなく、ただ生き抜く動きでした。上手くその場の人間関係を流すために動き、お互いに目的のものを獲得するというようでもありました。その流れをモラルとか道徳と呼ぶのかはわかりません。その動きが「正義」であるのかもわかりません。
 旅をして民族も国も風土も考え方も価値基準もそれぞれ異なっていきます。そんなところで秩序も変わっていきました。それでもそんなところで「他」を批判し「正義」なる言葉は使われておりました。しかし「正義」とは、人を陽動するために使われ、使う人の都合によって使用され、都合よく支配するために使われる言葉のようでもありました。先進国(日本も含めた)にとっての都合の良い規律も見え隠れしておりました。民族とか、国とか、風土とか、そういう組織的な発想で「正義」なる言葉は統一のために作られているようでもあります。
 旅していまして、日本を振り返りますと日本にも、そういう枠の中だけの常識しか見えなくて、そんな中での当たり前が支配しているようにも思えました。私もそんな一人であるのかもしれません。
 貴方が「正義」を唱えるのであるならば、そんな一人である私(人間)の都合を考慮に入れた、「正義」なる言葉の世界共通性をも加味した指針を指し示しめす必要があるのではと考えてしまいました。それが人間の本性にも無理なく、たてまえの綺麗な定義ではなくて、民衆の求めに合致していなければ動かす力とはならないようにも考えます。
 どこまで教育されていたのかは不明ですが、日本で三歳児の子供がぶたれて、泣きながら報復行動をするのを見た経験がございます。これは悪く教育された結果なのでしょうか。それとも人間の本性なのでしょうか。いろいろなことが頭の中を駆け巡ってしまいます。
 私は残念ながら傲慢で、自分の都合の良い環境社会に生きている人間の一人でしかないようです。
「正義」とは人間以前の既なる存在ではなく、人間が思い描く都合の基準として成り立つものではないかとも考えております。
 人間の社会において、平和、平等、安全とか大切だと思いますが、人間はもっと別のところで動いているようでもあります。社会の所々の段階を取り扱った分析におきましても、また別の動きや思惑もありそうです。都合の良い社会構造と自分の支配誘導、そして所有。難しいですね。
 私はNo.6のtansou2さんのご回答がわかります。
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この回答へのお礼

助かりました

子供のうちは喧嘩はしないといけません。人間のDNAは完璧じゃないのですから

喧嘩をして、その喧嘩の原因を知って痛みも分かって そうやって

母体内で生物の進化を辿るように成長していく様に、子供の頃に戦いを経験して

その愚かさに気づかなければなりません。

勿論元々大人しい子もいるでしょう。社会ももうちょっと大人しければ良いのですが

世界には色んな国や社会があります。こちらが正義と思っても、あちらが侮辱と受け止めたら

争いになります。その時に争いの愚かさを自覚していなければ平和は訪れません

小さい頃から理想的な教育をするから何故争ってはいけないのか分からないのではないでしょうか?

その子供の段階段階を追った気づきを大切にしていかなければならないのではないでしょうか

大人の社会にもいじめがあるからいじめが流行るではいけません。

いじめることいじめられる事を体験してその不信、不安を知って、そういう事はやめようと

子供が言い出さなければなりません。そういう教育が必要なのです。

貧しい者達の間のルール、動きも自然に生まれてきたものだと思います

その自然に生まれて来るという事が大切なのです。

存在性思想、存在主義を知れば自然に道徳もモラルも出来てきます。何故なら目的や価値が分かるからです。

長くなりました。病人なので長文が苦手なのです。存在こそが目的、存在こそが価値、存在こそが・・・

お礼日時:2016/07/14 22:49

SSTよ、一体何を言いに来たんだ?お前は名前を変えても中身は変わってない。

そうやって他者を下に見るのは何故なんだ?その悪い癖を直さないと、どうにもならんだろう。何か言いたいことがあるにせよ、
他者を見下してもお前が賢いということにはならんよ。
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NO.25にのおつむにはNO.26である。


NO.22にのおつむにはこういうのである。
覚者は自己が得たものは人には教えない。お前はでたらめを言ってはいけない。
覚者は披瀝するものではない。善導するものである。起きていても寝ていてもそのことばかり考えている。

大多数の人々は知恵の美しい自己が築いた城郭の中に住んでいると自覚している。
私が見ればごみで作られた掘っ立て小屋なのだ。
お前たちは何度言ってもわからない。
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自己よければよしの大人の中で何も知らない子供は、天子様から学ぶのか?


大人から、社会から学ぶのさ。
悪いはたやすい。しかも、得になる価値観がある。
自己よければよしのしっかりした大人に成長するだろう。
おつむ。
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この回答へのお礼

よくわからん。

お礼日時:2016/07/18 15:35

現代の若者について心配されているということですね。

その気持は好ましいものだと思います。
しかし同時に、現代の若者の力を過小評価している気もします。彼らも彼らなりに考え、行動していると私は思います。けして思想や哲学が無いわけでもなく、思想や哲学に代わる生きることについての指針を持っていないというわけでもないと思うのです。成長の段階は人それぞれで、二十歳を越えれば大人になる訳ではありませんが、今の若者たちもそれぞれの歩む道において、やがては皆、しっかりとした大人になっていくと私は思っています。根拠があるわけではないですが、きっとそう成れると思っています。

私も長い期間モラトリアムを過ごし、大人に成れたのは30歳くらいかもしれません。若者たちについても、長い目で見守って欲しいと思います。人には、いつ、どんな出会いがあるか分かりません。それぞれに起こった出会いによって、人生の節目を迎え、それぞれに大人になっていくのでしょう。それに対して私が力を貸せることは殆ど無いと思います。むしろ、力を貸さないことが、若者の成長のためになるような気さえしています。

>今は塾も多いし大学も奨学金で行く人も多く勉強が厳しいのに就職も厳しく少子高齢化で負担も大きい。そんな彼らがなんの目標も持たなかったら 何のために生きているのかも分からなくなるかもしれません。僕も教えてもらえなかったので随分悩みました。そんな彼らに何が本当に目的に対して正しいのか、という正義を示してあげないと彼らはどうなってしまうんだろうと思います。<

それこそを自分で考え、人としての在り方を確立して行って欲しいと、私などは思います。自分で見つけたものはモノになりますが、他者から示されたことはやはり借り物という感じは否めません。ハルさんが怖じけること無く胸を張って生きているのなら、ハルさんと出会った縁のある若者がその振る舞いを見て、自身で立派な大人とはなにかという事を知り、自身の生を培っていくことが出来るのではないでしょうか。私は、子供達や若者には、自分で自身を成長させる事を学んで欲しいと思うのです。
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この回答へのお礼

冗談はよして下さい、私は一病人です。人が見てわかるような人間じゃないです。

分からないから自分で模索し自分のものにする事が良い事だ、と言うのは大人の言い訳です

これと言う倫理も思想もないものだから結局は選挙の投票率も落ち世界情勢もおかしくなり

少子高齢化に成る程バランスが悪くなる。

私は高校時代大人に教えてもらかったですよ 世の中がどうなってるのか

ところが教師はそれを避けて通るんですよね。数学や英語は熱心に教えて人生観や世界感は教えない

太平洋戦争は教えない、差し障りのあることは避けて通る。

そんな事で大人になって理想的な国が出来ると思いますか。それは大人の逃げです。

あほなさんは分かりましたか?この世の人生観・世界観が?

お礼日時:2016/07/18 15:25

三十半ばが若いかどうかは接する人によります。

ハルさんから見れば若いし、私の二十代の友人から見れば若くないでしょう。職場には十代もいますが、その人から見れば一層年をとっているように見えるでしょう。

私が理屈をこねていると見られるのは構いません。説明しようとして多少理屈っぽくなるのは私の文才が至らない所為でしょう。

私は人についてある程度の理解はありますが、完全に理解しているわけでもありません。分からない事については分からないと言います。

それに、例えば軍事や国際政治については殆ど分かりません。故にそれらについて言及する事はほとんどありません。

子供達に何か良いものを渡したい、そう言う気持ちを持つ事は良いと思います。それが何であるのが良いのか、私も勉強が必要でしょう。
私ならば、当たり前のもの、人が生きていく事において、当然に身につけておくべきもの、やさしさ、勇気、そう言うものを子供達に伝えたいですね。此処についてはハルさんと対立することもないでしょう。しかし、アンパンマンでそれが身につくなら良いのですが、多くは子供たち同士の関わり合いの中で、自発的に身につけていくでしょう。その意味で、私のような者は子供達にとって、別に用はない存在かも知れません。
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この回答へのお礼

ありがとう

失礼があったらすみません。私達は大人達から色んな道徳を説教されたり、真っ赤な建前だけを教えられたり

しかしまだ良かったように思います。夢がありました。

今は塾も多いし大学も奨学金で行く人も多く勉強が厳しいのに就職も厳しく少子高齢化で負担も大きい

そんな彼らがなんの目標も持たなかったら 何のために生きているのかも分からなくなるかもしれません

僕も教えてもらえなかったので随分悩みました。

そんな彼らに何が本当に目的に対して正しいのか、という正義を示してあげないと

彼らはどうなってしまうんだろうと思います。

お礼日時:2016/07/15 22:00

わかりました。

もう何も言うまい。

しかし、対話は続けてゆきましょう。
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この回答へのお礼

Thank you

私もニャンポコリンさんと共闘したいと思っています。

いや共闘ではなく協力、教え合いでしょうけど

私は私なりに考えたことを言っています

如何に人と人が考えを一つに出来ないかお分かりになるかと思います

私も哲学の掲示板やこの様なコーナーで書いて来たので

如何に人が分かり合えないか身を以て体験しました

しかし私はニャンポコリンさんから「共闘する」事を学びました

民進党と共産党、他の野党が協力したように

我々も協力しましょう。しかし最低限の議論は必要です

貴方の信念を教えてください。僕の信念も必要なら教えます。

お礼日時:2016/07/15 18:52

釈尊は、四十数年という長い時間をかけて人々を教化し、最後の八年間で


自分の悟った教えを説いたといいます。
その間、命を狙われながら、弟子の裏切りにあいながら、自ら足を運び法
を説き、教団を発展させていったということです。

キリスト教の殉教者の話は、感動をもって聞いた記憶があります。

思想を広めるということは、大変なことであって、(ここでは宗教の思想面
だけを取り上げます)原理だけを伝えて良しなどということは、この世にな
いのです。

前も言いましたが、この点はどうお考えなのですか?また、おなかが痛いな
んて言ったら怒りますよ。
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この回答へのお礼

ありがとう

お釈迦様の様には行きませんよ。ただ釈迦の思想にしても聖書の言葉にしても原論ですよ。

具体的にどうしろこうしろとは書いてないでしょう。

ニャンポコリンさんが努力して僕のHPを読んでくれたのはわかります。

しかしこの宇宙に究極のものがある訳ではありません

特異点とかはあるでしょうけど 周りと次元が違うという訳ではないと思います。

ただ自然現象が織り成す秩序に花が咲き実がなり人が食べて考えた

どれも不思議なことではありあません。説明がつかなかっただけです

原論を知れば 存在が、どう存在しているかがわかります

存在の目的がわかります。それだけでも大きく自信がつくことです

南無妙法蓮華経で救われる人も居るくらいですから

原論を知れば喜び溢れて誰かに伝えたくなります

ニャンポコリンさんは、もうちょっと と言う所まで理解されてあるので

分からない所は聞いてもらえれば喜んで教えますよ。

お礼日時:2016/07/15 14:50

自分はあたたかいところにいて、前線に立つ世間の人々や国家、政治について言いたい放題に批判、非難する、ハルさんのそんな狡く卑怯な側面を私は嫌っていたが、それはそのように嫌った私の問題だろう。



そんな私が言えないような言い方で、19番さんは言ってくれたが、その19番さんの回答の意図を本当に理解したのだろうか、そのお礼を読んで疑問でもある。


ところで、子供の喧嘩は争いとは言わない。何クソと思い熱くなって子供は喧嘩するが、戦争などの争いには冷徹な側面がある。ハルさんの認識に触れては、子供の頃に見た正義のヒーローでも頭の中にいるのだろうか?と思っていたが、その通りだった様で、何というか、言葉が見当たらない。

ハルさんの良くない点を指摘するようなことは、ここではもうあまり言わないが、ハルさんはブーメランを投げるのが上手いので他者の言を待つまでもないだろうか。

正義も愛も存在しない訳ではない。それに気がつく人と、気がつかない人がいるだけである。気がつく人は愛を手にしてもそれに溺れず寄りかからず、正義を知ってもそれを振りかざさない。
言葉に溺れる者が愛だの正義だのを声高に叫んで、それとは全然違うものを想像しては、自身の抱く空虚な心から目をそらす。

良い母は愛情深い。しかしそれは時に愛執となって人を苦しめる。一方、大人になって、自らの内に沸いた愛は人を束縛したりはしない。人を大切に思うとはどう言う事かを知っているからである。

良い父は時に厳格である。しかし、それは時に一方的な押し付けとなって人を苦しめる。しかし大人になって、自らに課したしっかりとした内的な縛りによって、人は直ぐく立つことを得る。自らをあえて制限することでかえって奔放さを捨てて自由になるのである。

愛も正義も内的なものでそれを流布することはできない。ただ、それを求めた人だけがそれを見たり聴いたり、それに触れたりする事によって、それを知り、身に付けるに至る。

他人のことよりもまずは自分のことである。自分が立派な大人になってもいないのに、世間に向かって立派な社会を作ろうなどとは言えないだろう?

私の回答が益になるかどうか分からないが、ないがしろにされないことを願う。
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この回答へのお礼

ありがとう

あほなさんは本当に若い人なんですか?その割には ああでもなければこうでもない

そうでもなければ何でもない と理屈を捏ねてる様に思えます

本当に分かって書いているのでしょうか?

人間の事がお得意のようですが 私は必ずしも人間のことを書いてるだけではありません

真理を求める者として、どう思うかということです。

正義と言うものがせめて日本内だけでもあった方がいいと思いませんか?

子供達は本音と建前、不条理、憎しみ愛や戦争の存在に心を痛めているのです

我々が何か供給しなければならないのではないでしょうか?

お礼日時:2016/07/15 16:55

No.9のお礼の文に対して


◆戦争をやめようと言ったら、戦争が起きるのでしょうか?
■a(戦争をやめようと言ったら、戦争が起きる)、b(戦争をやめようと言ったら、戦争が終わる)、c(戦争、武力行使も辞さずと言ったら、戦争が起きる)、d(戦争、武力行使も辞さずと言ったら、戦争を防げる)などのような、単純な流れが起きるという発想をする人は、かなり希でしょう。
◆そんなのひねくれた社会です。
■非現実的あるいは非論理的命題を掲げて、それを基点にして論述を続けるのは無意味です。
◆世界全国が国連に集まって「戦争はやるまい」と殺した人には謝罪し賠償しようと言って困る国がある。だから謝ることもできない。オバマさんも広島では謝りませんでした
■ある事象の解釈は一つしかないというものではないです。《だから》で接続させて、理解したつもりになるのは間違いです。 また、あるときある大統領がどういう行為や発言をするのかは、その人が大統領を任じる国の事情と一体であると考えるのも、思考が単純すぎます。
◆道徳がぶつかって とありますが どの様にぶつかるのでしょうか?
■その言葉は《「原理主義的に押し付けることなく、宗教間の争いに繋がることなく、多元的な社会の中では何が道徳的に正しいかということを決定することはできない、そうした認識に立って、互いの道徳はぶつかりあうという状況の中でより善い生き方というものと向き合うべきである」という程度の”正義”意識は持って欲しいです》の中にあります。 haru27さんがNo.6の回答に対するお礼の中で《まず戦争は正義ではない、正義の戦争などない と定義しました 日本で言えば 「暴力、言葉の暴力、虐待、ドメスティックバイオレンス」等は正義に反します それから「いじめ、無視、ネグレクト、差別、男尊女卑」等も正義に反します。そして「戦争、テロ、犯罪、挑発、麻薬・覚せい剤、アルコール中毒」等も正義に反します。アルコール中毒等は自分がいいか悪いかなど分かってないのでリハビリで自覚を促さなければなりません。戦争で何十万人も殺しておいて「卑劣なテロ 許すことができない」等といっても説得力はありません 世界に通用する正義を持たなければなりません。アメリカの正義は世界を憎悪と苦しみに陥れています そんなものは正義でも何でもない》と書いています。 haru27さんがNo.14の回答に対するお礼の中で《私たちの子供の頃は「正義の味方」が流行っていたので 極端な不条理には遇いませんでした 私は。僕が10人くらいに囲まれて喧嘩をしていたら 女子が「一人を相手に大勢でかかるなんて卑怯よ!」と言ったらたまたま時間の鐘もなって みんなすごすごと帰って行きました。今時そんな言葉は通用しないでしょうねえ「何が卑怯だ」とか無視とかではないでしょうか。僕の家庭教師をしていた時の教え子がクラスの男子からリンチを受けて顔が豚マンの様に腫れ上がっていました 下手をすれば死ぬような行為でした。如何なる理由があってもリンチはいけません。そりゃ正義がなければ個人は強くなるしかないですが それにも限界があります 不登校やうつ病になる人も多いのです。そういう人達の為にも正義を復活させたいと思います。正義と正義が矛盾しないように、ぶつかったら互いに納得の行く正義を求めるようにしたいものです。》と書いています。
正義に関してはぶつかりあう形がharu27さんにもイメージ出来ていると思います。
「道徳」=《人間がそれに従って行為すべき正当な原理(道)と、その原理に従って行為できるように育成された人間の習慣(徳)。はじめ慣習、風習、習俗の中に現れるが、人間の批判的な自覚の高まりとともに、慣習や習俗を批判し反省しながら、慣習から分化した精神的規範や規準として現れる-精選版日本国語大辞典》と考えるならば、《法律や権力などの強制力そのものではなく、ある社会の、ある人々の集団などの中で、ある状況下では『こうすべきだ』と精神的規範や規準として機能するもの》は《道徳》と名付けるのが適当です。 抗争する企業集団、民族間、ある地域に先住しその社会運営の中で暮らして来た人々と近年その地域に移住してきた人々やその地域に移住したいと思っている人々、ある社会の中で豊かに人生を謳歌している人々とその社会では疎外され自分たちにはいい目はないのだと感じている人々、従来の生活や文化風習に快適感を感じている人々とそうした生活や風習から脱却したいと感じている人々では、道徳がちがうのが当然です。多様な道徳があっても、共存するあるいは違いを許容するということもありますが、《道徳は『こうすべきだ』と精神的規範や規準》なので、許容、寛容、共存が壊れてしまう限界はかなり小さいです。「なぜ殺人はいけないのか」「なぜ他人を陥れてはいけないのか」「無能力者を排斥するこちょの何が悪いのか」のような疑問を示すことは非道徳的であると嫌悪する人々もいる。直接自分に関係がないのに中国の南シナ海の行動を気に掛け、食品偽装が起きた中国全体を嫌悪し、爆買いする人を非難するし、ヘイトスピーチに積極参加する人々が多く出てくるのは、よく知られている現象です。行為などに対して道徳、マナーという観点からの非難や嫌悪に始まって、激しい憤りを生じ、その行為をしているかには関係なく、人や人々、地域、集団、くにを強く攻撃し始めるのは、道徳が心理感情的反応であるという属性から、自然なことです。 非理性的な攻撃や排斥、排除、差別、敵対は、経済、政治、武力、社会などすべてに現れてきます。 正義も、理性から離れて感情的排斥、非難、攻撃、殲滅という方向に動き出して、道徳と同じように、残虐行為を引きおこし、排斥、排除、孤立化させた対象者の人生を苦しく、将来展望のないものにしていきます。
haru27さんは、多様な正義がぶつかりあうのは理解できても、多様な道徳がぶつかりあうのは理解出来ないのでしょうか。
◆人の道徳に口を出さずに もっと優れた道徳を示せばいいのです
■「あれは私たちの道徳よりももっと優れている道徳だ」のような思考や感情を多くの人に短期間に持たせるのは事実上不可能です。道徳はそうした柔軟性には遠いものです。
◆それが出来ないで「正義なんかない」と言っても 子供が困ります
■「万人に共通する正義の具体的内容」はないのが現状です。今後とも変わりません。子供が困るからあることにするというようなものではないです。サンタがいる、閻魔様がいるというような、方便と一緒にして「万人に共通する正義」「全世界の人間を勘定にいれて、世界中に通用する正義」が存在するようなことを言ってはだめです。
◆正義なき時代に子供は何を求めて生きているのか? 大人の心もだんだんダークになって来ました。 会社のいじめや無視は当たり前 労働基準法破りが横行しています 正義の無い時代は卑劣な行為が横行します 戦争は正義ではない。人殺しは正義ではない。いじめも正義ではない。みんなの存在を守ることが正義なのです。
■「戦争は正義ではない。人殺しは正義ではない。いじめも正義ではない。みんなの存在を守ることが正義なのです」は《一つの主張》です。 事実でも、正義の説明や解釈でもないです。戦争はすべきでない、戦闘でも緊急避難や多数者の救命のためでも刑法罰でも人殺しはすべきでない、イジメをする人を非難するようなイジメをしてはならない、詐欺常習者も暴力常習者もルール法律無視者もその存在を守るべきだ、刑務所や流刑地に拘禁する、入出国を制限するような人権制限はすべきでないという主張をする人もいれば、人権制約は社会的に当然のことだと主張する人もいるということも、考えておくべきです。 イスラエルや北朝鮮には、自国への非難は宣戦布告と考える人も多くいるでしょう。 「全世界の人間を勘定にいれて、世界中に通用する正義」を《一部の反対者は洗脳するか、押し込めるか、殲滅すべきだ》というようなことも含めてharu27さんは考えているのでしょうか。
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《ある種の正義論をまともであると主張する》&《全世界の人間を勘定にいれて、世界中に通用する正義を(復活)させよう》では、ロジカルに矛盾でしょう。
(復活)は、前には存在していたということが前提の話です。そのような事実はないです。

主張はどのような方向で、なにを言ってもイイと考えた場合でも、自分の主張の中で、ロジカルに矛盾してしまうようなことは、避けた方がいいと思います。
実際には実現不可能なことでも、こうあったらいいのにと思う理想論のような主張をしてもイイとは思います。
ただ、社会現象、社会思想、宗教信条に関する主張の場合は、現実の社会は一様ではなく、多様であり、その多様さは社会経済的事情、歴史的事情、文化的事情、さらに個々人のもつ資質やバックグラウンドに深く根ざしています。 地球規模で考える場合には、一様に考えてしまえば、(社会現象、社会思想、宗教信条に関する主張)は、(人権に関わって述べる主張であっても) 強い排除、排斥、非難、攻撃に繋がってしまうということを考えておくべきです。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

お礼日時:2016/07/18 15:38

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