【お題】NEW演歌

 先日人種の話しをしている時に「黒人というのは差別用語だ。」という人がいて、大変驚きました。「アフリカン・アメリカンというべきである。」というのが彼女の持論の様です。しかしながら、黄色人種という言葉はモンゴロイド系の人を指していうのであり、何もどこかの一国の人を意味しません。同様に黒人という言葉も、何もアメリカだけに限らず、アフリカ大陸始めカリブ海諸国、最近はヨーロッパへの移民もいます。
 アメリカの黒人がアフリカン・アメリカンと自らを言う時は、アメリカは多人種国家であり、ある人はアイリッシュ・アメリカン、ある人はチャイニーズ・アメリカンと紹介されるのに、黒人だけがブラックと言われるのはおかしく、そういったカテゴリーの時にはアフリカン・アメリカンを用い、別にブラック=黒人という言葉に差別的な意味合いを持つ人は私の経験では見受けられませんでした。
 彼女にも今書いたような私の意見を言ってみましたが、同意を得られませんでした。
 歴史的な事を抜きに人種は語れないとは思いますが、ある意味、黒人という言葉が悪いとなると、逆に白が良いということになり、逆差別の様に感じるのですが、私の方が何か気づいていないことがあるのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

 単なる理屈で言えば、これは「言葉狩り」だと思います。



 以前、カルピス工業のトレードマークは、黒人女性が
カルピスを飲んでいる絵柄をデザインしたものでした。
しかしこれが、黒人への差別である、と抗議を受けマークを
変えたことがあります。
 企業のメークですから、好かれるようにデザインすることは
あっても、差別的に扱うはずではないのに、腑に落ちない話でした。

 このような事実を見ると、肌の色を区別、あるいは、
区別できるようにしていること自体が差別である、
と受け取られるのでしょう。

 つまりは理屈ではないのです。
 大きな問題は、黒人への差別が継続して存在する、という事実です。
差別がなくならない限りは、なんらかの区別はすべて差別に直結する、
と言えるでしょう。

 いまは「アフリカン・アメリカン」とか「アフロアメリカン」
と呼称せよとのことですが、この言葉も時代を経れば、
そのうち差別用語としてやり玉に挙げられることでしょう。
 そしてまた新たな呼称を探すのです。
 これは差別が消えない限り、ずっと続くと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 回答を読んで大変考えさせられました。カルピスのマークもある黒人女性が「可愛いマーク」と、わざわざ切りとってノートに貼っていたという話しを聞いたことがあります。こういう話題が出るのもつきつめれば、差別があるという事が先ず前提にあるからこそ出てくるのでしょう。何回か回答に出て来た「ちょん」という言葉にしても、ルーツはさておき、日本に差別があったからこそ歪んで理解されるようになったのですね。
 参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2004/10/03 22:40

確かに言葉の中で「これって差別ではないのでは?」って思う「差別用語」というのは多いと思います。


言葉というのは言われた方の立場にたってみないと理解できないことかもしれません。
実際外国人の中で、「外人」と言われ嫌な思いをする外国人や、「私は外人です」と言う外国人の方もいるのは事実です。
少しでも誰かが嫌な思いをする言葉を使うのは誰だって気が引けることだと思います。それを嫌味なく使ったつもりでも、嫌味に聞こえる人だって居るかもしれないのであれば理由がどうあれ、使うことは避けたいですよね。

私は基本的にelmcloseさんの意見に賛同です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 詰まる所、どういう意味でその言葉を使うかということになるのでしょうか。書かれている通り、誰かが自分の言ったことで嫌な思いをさせるのは、良くありませんよね。ただ同じ言葉でも「気にしない」とか「嫌な気がする」と受け取り方も個々人によって違い、何とも複雑です。私なりにまた考えてみます。ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/03 22:33

>違いを述べることに何らかの差別的意味をつけるのには抵抗があります。


>単なる違いという思いがあります
minerva9さん個人の思いと、社会的事実とは区別せざるを得ないのではないかと思います。
社会的には、皮膚の色の違いについて言及するとき、今さらニュートラルな立場から始めることはできないわけです(たとえ、それが日本人であっても)。過去において差別された側にとっても過去において差別した側にとっても、たとえそれが過去の世代の問題であっても、既に負の遺産を背負ってしまっているところから始まるわけです。その部分が、minerva9さんも「単純な違いを述べるだけに終わらない複雑さ」とおっしゃっている部分だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 仰るとおりです。○を○と表現して何が悪いとも言えますが、そこに人間の歴史が介在している以上、自分の解釈だけで言葉を発すると思いもかけぬ意見があったりして、難しいです。ただ私個人としては、人種だけでなく違いを違いとして話す事は、そこにその違い以上のものも、以下のものもない事が当たり前として語られるようになってこそ、次の段階にすすめるのではという気もしています。難しいです。ただ私も今回またちゃんと考えるいい機会になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/03 22:28

どうやら最近では、「白人」「黄色人種」などの言い方は差別的であるようです。

知りませんでした。
-----------------------------------------------

人種は身体的な特徴からホモ・サピエンス(人類)を分類したもの。人種間での交雑は可能なため、生物学的な種はすべて同一である。

歴史的には19世紀にドイツのブレーメンバハ博士によって分類がなされ、その後1950年代から、コーカソイド(白色人種)、モンゴロイド(黄色人種)、ネグロイド(黒色人種)、オーストラロイド(オセアニアの先住民族)といった分類がなされてきた。

しかしながら最近では、これらの分類が人種差別思想に少なからず影響を及ぼしたこと、同じ人種が必ずしも同じ文化を所有していないことなどの問題があり、遺伝学が進歩したことも加わって、現在では人種と言う分類法は否定される傾向にある。

また、人種間の優劣(とくに身体能力、知的能力)について公に議論することは、人種差別につながりかねないことからタブーとされている。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』

参考URL:http://www.google.co.jp/search?q=cache:af0ZiWCzK …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 人種をいう言葉が否定される傾向にあるとは知りませんでした。個人・人種に関わらず良い面と悪い面の両方の側面を持つのが人間であるはずなのに…。お礼を書きおえたら参考に書いていただいたHPに行ってみます。ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/03 22:20

「ブラック」という言い方については止めようと言うのはここ10年のことでしょう。



「マルコムX」という映画が上映されてから、呼ばれるようにしたと記憶しています。

「マルコムX」というのは、ちょうどキング牧師らの黒人解放運動が盛んだったときに、彼が元々の名前は「白人から与えられた名前」だと言うことでその名前を捨てて「マルコムX」という名前にして、キング牧師のグループとは違う、イスラム教徒になり過激な解放運動をした人物のことです。
それから、「アフリカン・アメリカン」というように、していると言うことです。

一度、「マルコムX」という映画を見てみるべきでしょう。

それに、やはり「黒人の奴隷制度」という過去の大罪について今一度考えてみるべきではないでしょうか?
それを抜きにして考えるのは難しいと考えます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 私事で恐縮なのですが、実は私は母子家庭の母親で、私の仕事でNYに配属になったとき公立の中学は恐いし、かといって小さな会社で私の給料も安いので、私立は高額過ぎるしで、娘の中学選びにかなり苦労しました。その時たまたま紹介された学校が、マルコムXの奥さんのベティが建てた学校で、全員が黒人で娘はその中で唯一の非黒人でした。人種云々よりも、学費もそう高くないし人も親切だったので私は学校が見つかったことに喜び、娘は中学から高校の2年までそこにいて現在18歳です。その時にもblackと言う言葉が、先生や生徒自身から頻繁に出て、「日本人は日本人というだけでだいたいの外見の想像はつくけど、アメリカ人は色々だから最初に色で自分を紹介すると簡単なのよ」みたいなことをよく言われました。本当にシンプルな「違いは違い」といったニュアンスでした。私のつたない経験では、公民権運動の時代からまた一歩進んで、違いを表す言葉そのものより、社会的な内情を変えようとする時代に来ているとの印象があります。それはやはりマルコムXや運動に携わった多くの人の偉業があってこそだと思います。ただ日本に帰って来てから、黒人は差別用語だと言われることがあり少し混乱しています。歴史や社会問題がこのサブジェクトに結局つながることは否めませんが、やはり違いをあらわすことにためらいが出れば、結局真の理解や差別から逃れられない様に思いますが、如何でしょうか。回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/03 22:03

私もいつも疑問に思っています。


その国、もしくは地域によって感覚が違うようですね。
あるアメリカ人は「ブラックミュージックっていいよね~!」なんて平気で言ってますが、あるイギリス人は「ブラックミュージックっていうのは差別用語。ソウルって言いなさい。」と。
だって・・・ソウルだけじゃないでしょ!「ブラックミュージック」っていうカテゴリーなんだよ~、私が言いたいのは!って言うとき困ります。
「ウィル・スミスっていう俳優」の話になったときも、最初っから「黒人」って言ってくれたらすぐ思い出せたのに・・・ってことも。
アフリカンアメリカンって言い方も空々しいと思うんですけど・・・。(アフリカの黒人さんはアフリカンアフリカン???)
人の「種類」を表現して何が悪いのかと思います。
それよりも先祖の出身地をいつまでも特定されるほうがイヤな気分だと思うんですけどね。
私のことを、私がいないときに、「さっきのあの人、ほら、日本とか中国とかモンゴルとかに通常住んでるような人種の人。いや、ともすれば、アメリカに古くに住んでいた人種にも似た人・・・、名前なんだっけ?」などと長ったらしく言わなければならないのか?
「黄色人種で、ちょっとインディアン系の顔つき」と言ってくれ!「あ~、あの人ね」
わかりやすいです。
とにかく、今のところ外国人の反応に統一性はないように感じます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 私の印象では、現在白人の人のほうが何故か「黒人」と言う言葉を使うことに罪悪感を感じている様に感じる時があります。それを思うと人種を語るというのは単純でないのかもしれません。現在もし誰かが「~人種が他人種より優れている。」などと言えば、本気で相手にする人はまともな人にはいないでしょう。違いを優劣に置きかえるなど馬鹿げていますから。だから私もmujinnkunさんの様に、種類や違いを表すのを、どこかタブー視するのは抵抗があります。回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/03 21:32

差別か否かの基本は、本来その言葉を使っている人の意識にあるはずです。



日本では、戦前から戦後にかけて、在日朝鮮人の人を明らかに蔑視した呼び名を使っていました。
戦後は、その言葉を使わない風潮になりながら、「○○人」という普通名詞的な呼び方をしましたが、そこには以前と変らない「蔑視」のニュアンスが込められていました。

今回の「黒人」という呼び方が、そういった「差別意識」を含んでいる使い方か否かを考えてみることが肝心だと思います。

で、私には、今時「黒人」という言葉に「蔑視・差別」の意識を含んでいると考える日本人は、稀だと思います。あなたも同じですよね。

一方、アメリカに於いてはどうでしょう。詳しくは知りませんので、ご存知の方に教えていただきたいのですが、「ニガー・ニグロ」というのが蔑視用語でしょうか。
「ブラック」はどうでしょうか。

そして、私には、もしアメリカで使われているとしたら「アフリカン・アメリカン」と言う言葉も、差別意識を含んだ言葉と感じます。差別をしないなら「アメリカン」でいいわけで、出身から呼び分けるのは、前にあげた日本の戦後の例と同じで、「逃げ・言い逃れ」にすぎず、「黒人」という使い方云々より根が深いとさえ思われますね。

差別意識が厳然としてあるアメリカだからこそ、「呼称」を問題視していると言えるのではないでしょうか。
その「未成熟さ」を、日本にも強いるのは、政治的なおごりに共通する物がありますね。

アメリカ人の「おためごかし」に乗るあなたの友人は、物事を表面でしか捉えていないと言えば、言いすぎでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

No.9にも再度書いていただいている様なので、お礼はNo.9の方に書かせていただきます。

お礼日時:2004/10/03 21:14

歴史的地理的文脈の中で、状況の変化とともに変わりますが、2004年の現在においては、そして特に米国においては、差別的な響きを持っていると言わざるを得ないのではないかと思います。



「黒人という言葉が悪いとなると、逆に白が良い」と書いておられますが、私の認識では、黒であろうと白であろうと黄色であろうと、皮膚の色の特徴である集合を括ろうとすること自体が、微妙に避けられる風潮があるような雰囲気を、特に米国人と話しをするときに感じることがあります。

一方で、「ebony」という言葉は、アフロアメリカンの文化を象徴する言葉の一つとして受けいれられているようで、その語を使った名前の雑誌が売られています。この辺は私も不思議な感じがするのですが、やはり極めて文化的文脈に依存した現象といっても良いのではないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私としては違いを述べることに何らかの差別的意味をつけるのには抵抗があります。それぞれの人種に特徴があり、それがどちらが良い悪いにつながるものではありませんから。単なる違いという思いがあります。ただアメリカやカリブ海諸国の黒人を述べる時は、どうしても歴史的背景を抜きに今まで議論されなかったことが、単純な違いを述べるだけに終わらない複雑さがあるのではないかと思います。回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/03 21:08

黒人というのは差別用語ではありません。


白人というのは差別用語ですか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

全く同感です。人種や文化によって違いがありそれが社会を作っているのであって、人種の違いを表す事が差別につながるとは思えません。回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/03 20:59

日本語の「黒人」には蔑称的意味合いは含まれていないと思います。


有名な「Black is beautiful」っていうのもありますし。

その彼女っていう人は「日本語が不自由な人」じゃないかな。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

蔑称的意味合いが無いというのには同感です。
彼女との会話が発端となって、こうして色々な方の意見も聞くことが出来、あの会話は結局良かったと今は思っています。回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/03 20:52

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


おすすめ情報