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バッハの平均律クラヴィーア曲はそれぞれ前奏曲とフーガが対になってできています。バッハはなぜこのような構成にしたのでしょうか。前奏曲はその名前のとおりフーガの前に演奏する曲と考えていいのでしょうか。そうするとフーガが本編の曲と考えていいのでしょうか。私には両方とも対等に思えますが。

A 回答 (1件)

「前奏曲とフーガ」という構成の前身にあたる曲種として、「トッカータ」と題されるものがあります。


バッハの有名なオルガン曲に、『トッカータとフーガ』というものがありますが、
バッハの鍵盤楽曲には、単に『トッカータ』とだけ題された曲がいくつかあります。
この「トッカータ」という曲種は、起源をさかのぼると、
15~16世紀に、イタリアやスペインの王宮で、
儀式などの前に管楽器で演奏された「ファンファーレ」のようなものでした。

この「トッカータ」という名称は、間もなく鍵盤楽器の作品を指す言葉として使われるのですが、
語源としては「触れる」という意味で、早いテンポで細かな音符を弾いていく即興的な楽曲です。
「トッカータ」は、自由で即興的な部分と、フーガのような部分が交替に出てくる構成ですが、
その先駆となった作曲家、クラウディオ・メールロ(1533~1604)の作品では、
即興的な部分→フーガ的な部分→即興的な部分、という三部形式でした。
このうちの最後の即興的な部分は、だんだん短くなり、最終的には消滅します。
こうして残った、即興的な部分とフーガ的な部分という2部の構成が、「前奏曲とフーガ」という構成の原型です。

即興的な部分は、「ファンタジア(幻想曲)」と呼ばれることもあり、
「ファンタジアとフーガ」という形もありますが、同じようなものです。
「前奏曲とフーガ」という題名でまとめられた先行作品はそれほど古くなく、
バッハの平均律の少し前、1702年に、ヨハン・カスパール・フィッシャーという作曲家が書いたものが知られています。
バッハは、このフィッシャーの作品の構成を継承しているといえます。

もともとは、「トッカータ」と呼ばれていた時代に一つの楽曲の中に存在する二つの部分だったわけですが、
最初の即興的な部分を「前奏曲」と呼び、そのあとを「フーガ」としてはっきり分けたわけです。

その場合の「前奏曲」という名称ですが、これはもともと、その名前の通り、何かの前の導入という意味で、
役割としては、これから始まる楽曲の調を提示する、
聴衆の注意を向けさせる、楽器の調律ができているかを確かめる、
舞踊や劇の幕への導入になる、などがありました。
その役割から、曲の様式としては、自由かつ即興的で、
あまり厳格な形式を持たないものでした。

これが少しずつ長くなり、自由かつ即興的という性格は残したまま、
独立した楽曲としても成立するような作品として発展していきます。
実際バッハの作品にも、『前奏曲集』のように、前奏曲だけを集めたものもあり、
自由かつ即興的な性格の楽曲、という一つの独立したジャンルのような形も出てきます。
それでもバッハの時代の「前奏曲」は、一応何かの楽曲の前におかれる導入的な楽曲としての在り方が主です。
『平均律クラヴィーア曲集』で、前奏曲の部分がそれなりに充実しているのは、
すでに「前奏曲」という曲種が独立できるに近いほど成熟してきていることを示しますが、
一応比率からいうと、フーガよりは短くなっている場合がほとんどです。

バッハ以降から現代にかけては、「前奏曲」という題のもとに、
ある程度の長さを持った、独立した楽曲が書かれることも多くなりました。
リストの交響詩『前奏曲』とか、ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』などがよく知られた例です。
ほかにも、短い前奏曲を数曲組み合わせるという形式はよく使われ、
ピアノならばショパン、ドビュッシー、ラフマニノフ、スクリャービン、ショスタコーヴィチなど、
挙げればいくらでも例があります。

現代にいたるまで、「前奏曲」はこういう楽曲でなければいけないという厳密な定義は存在しません。
ですので、今でも、本曲の前の導入的な短い部分としての「前奏曲」も書かれますし、
独立した楽曲としての「前奏曲」も書かれます。
自由かつ即興的で、あまり長くない、という点はだいたいにおいて共通しますが、
曲の性格などはさまざまで、技巧的な速いテンポのものから、歌謡的なゆったりしたものまでいろいろあり、
これもバッハの『平均律』ですでにそのような多様性が見られます。
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この回答へのお礼

大変詳しい解説を丁寧にしていただきありがとうございます。

お礼日時:2018/03/08 08:05

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