あなたの習慣について教えてください!!

先日祖父が亡くなりました。
大病を患っていたにも関わらず最後まで懸命に生き、棺の中の顔は亡くなったとは思えないくらいの笑っているような優しい表情でした。

家族は前を向いて普段の生活を送ろうとしていますが、私だけがいつまでもめそめそしています。今まで親近の人を亡くしたことが無かったので、死を受け入れる事ができません。アルバムを見たり、ふと祖父の事を思い出したり…小さい頃の祖父との思い出も頭を駆け巡っています。

亡くなった日も私が到着した数分後息を引き取りました。待っていてくれてたのかな…と思うと涙がとまりません。もう会えない辛さや、寂しさ、いつもなら病室で会話をしていたのにもうどこにもいない…。命の大切さを本当実感しました。

どうすればいいのでしょうか。この現実が辛くてたまりません。人はいつか死を迎えますがこの先も耐えられそうにありません。皆さんはどのようにして乗り越えられましたか。教えて頂きたいです。

A 回答 (6件)

こんにちは。

50代後半既婚女性です。
お祖父様のことお悔やみ申し上げます。

あなたの今回の悩みと質問。
あなたがこういう想いに至ったということは、
お祖父様は生きて生きて生き抜いて、そして立派に卒業なさった。
その甲斐があったというものです。

私は「卒業」と言う言葉を用いました。
どうお感じになりますか?
私は老人福祉施設で医療に携わっていますので、ご高齢の方の死は身近な事です。
だからといって感覚がマヒするわけではないのです。
「死」とは「食べる」「寝る」「笑う」「泣く」と同じ
人間の生の営みなんだとしみじみ感じるのです。
特別な事でもなんでもない、自然なことです。
関わって来たお年寄りが亡くなった時「ああ、卒業証書もらいはったんやなあ~。」と思います。
神様から「この世で学ぶことは全部終わりました。成績優秀です。死んでよろしいよ。」と
立派な証書をもらうのが「死」なんだと。
また昨日普通に過ごしていたのに、翌日あっけなく亡くなることも多々あります。
それもこれも「Xデーは誰にも決められないんだな。」と感じます。

多くのお年寄りたちは「早くお迎えが来ないかなあ~?」「いつ死んでもいいわ~」など口にします。
私はそのたびに「そう簡単に卒業証書もらえないですよ~。」
「そうなんですか?でもせめて、今日のお昼ご飯食べてからにしては?ほら今日のメニューは○○ですよ。」
など言いますと、
お年寄りは「そうかあ。美味しそうやな。死ぬのやめとくわ。」と必ず言います。
「そういう欲があるなら、まだまだ卒業できませんね~!あはは!」とまた返します。
「今まで色な経験して来たわ。経験したことないのが死ぬことだけ。死ぬのが楽しみ!」と言う人もいます。
「そうですね!私も未経験だから、また教えてくださいね!」と返します。
「がはは!死んだら教えられへんがな!」「いや!○○さんならきっと出来る!」わはは!・・・
「死」とは、人生最後のビックイベントなんですね。
そして生の隣にたたずむ友人でもあるのです。

また、施設で勤務中の時、最近亡くなった方の気配を強く感じる事が多々あります。
いつもいるお気に入りの場所や、お部屋などで。
姿が見えるのではなく、強く存在を感じるのです。
怖くありません。まったく。
死は生の友人です。懸命に生きるという事は懸命に死にゆくという事。
「ああ、しばらく名残を惜しんではるんやな~。」と感じます。
その後徐々に気配が薄くなっていき、
そして不思議に二か月ぐらいで気配が消えしまいます。四十九日とはよく言ったものです。


あなたが今回お祖父様の死で色々考える事は、
お祖父様がそれこそ命がけで、その尊いお身体を持ってあなたに教える最後の事なんですよ。

尊いお身体で教えてくれたこととは、
命が消え入る瞬間をあなたに見せる事です。
消えた後、どのように変化するかを見せる事です。
火葬場で焼かれてお骨になった姿を、孫のあなたに見せる事です。
本当に文字通り身を持ってあなたに教えて、それから逝く。
お祖父様にとって、これほどの幸せがあるでしょうか。
自分の死によって、孫がより深く生きる意味を考えるようになった。
お祖父様はさぞかしあなたの事を頼もしく、嬉しく見ている事だと思います。

人間は生まれてきたからには、最大の喜びと悲しみを味合わないと、生きている意味がないと思います。
そうでないと人間に深みが出ません。
嬉しい事だけしか知らない人間など、誰が頼りにしますか?
あなたはお祖父様によって魂の修練を受ける事が出来ているのです。
悲しむのは当たり前です。
しかしその悲しみの中に、感謝の言葉を入れてください。
今の悲しみはあなたに必要な大事な悲しみですので、そのままでいいのです。

私も長年お世話して来た方とのお別れに沢山あいました。
毎日がいつかその日が来ると覚悟の上ですが、
いざその日が来たら悲しみで一杯になります。
「あんなに欲しがってた卒業証書立派にもらって、良かったですね!」
「会いたがっていたご主人が迎えに来ましたか?」
「恋しがっていたお父様お母様と会えましたか?」と言う気持ちと
私がこの世でもう会えなくなったのだ・・・そういう淋しさの中で仕事をします。
また、そして今日こうしてお世話した人と、明日会えるかどうかは分からないのだ・・・。
そういう一期一会の気持ちで仕事をしています。
実際「あの日がこの世で会った最後だったんだ。」と思い返す事ばかりです。
悲しい一日ですが、出会えた事、たくさん勉強させていただいたことに
感謝しながら仕事をします。
悲しい気持ちは感謝の言葉を心の中で言ううちに、薄れてきます。
今は寂しいけれど、いつか私も行く道。
必ず先でまた会える。今はほんの少し離れているだけなんだ。
そう思えるからです。
次に会う時に皆さんに「あんた立派になったな。」「よう頑張ったな!」と言ってもらえるように、
精一杯生きるしかないなと思うのです。

「家族は前を向いて普段の生活を・・・」
魂の経験値があるからできるのです。
現実悲しんでばかりではいられないということもあります。
生きるという事は大変なのです。
また、覚悟が元からあった。という事もあります。

思えば生命とは生まれた瞬間から死に向かって歩んでいるようなものです。
命とは死ぬと決まっているのに何故生まれるのでしょうか?

お祖父様の微笑むような尊いお顔に、答えがあるかもしれませんね。
あなたのような真摯なお孫さんを得て、お祖父様は幸せな人生だったと思いますよ。

あなたも、あなた自身の棺桶の蓋が閉まる時に、
あなたの大事な人からそう思ってもらえる、そういう人生を送って欲しいです。
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人は必ず亡くなるのです。


これは自然の摂理、順送りです。
  
どなたかも書いていらっしゃいますが、お爺さまは色々な思い出とともに、あなたの心の中で生き続けていらっしゃいます。
残された家族が余りめそめそしていると、亡くなった方も成仏できないと言います。
お爺さまが安心できるよう、顔を上げて前を向き一生懸命生きて下さい。
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人はいつか死を迎えますがこの先も耐えられそうにありません。


皆さんはどのようにして乗り越えられましたか。
教えて頂きたいです。
  ↑
そうした想いを人に話したり、文章にしたり
するとイヤされますよ。

心理学では、これを、客観化、といいまして、
先人達もこれをやって乗り越えて来ました。

そうやって、時の経過を待ちます。

時間は万能の薬です。
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時間が解決しますよ

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よく言うじゃないですか 亡くなった人を思い出してくれる人が一人でもいる限り 思ってくれる人の中で生き続けると あなたも忘れずあなたの中にいるお爺ちゃんに元気で前向きに生きてる事を伝えながら生活して下さい


あなたの中のお爺ちゃんが安心しますから
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時の流れにテレサテン

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