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歌舞伎は、世界的に見て日本のミュージカルみたいなものなのでしょうか?
また、世界的にどのように評価されているのでしょうか?

A 回答 (4件)

 ミュージカルをどのようなものと考えるのかにもよりますが、(1)歌をつかって芝居をする、(2)写実的な演技ではなく舞踏のように美化・象徴化されたしぐさで演技をする、という意味では共通点があります。


 (1)について説明しますと、歌舞伎の演目のなかには、丸本ものといって人形浄瑠璃の台本をそのままうつしかえたものがあります。人形はしゃべれませんから、もとの人形浄瑠璃では台詞や情景描写を説明する役の人間がいます。ただしゃべるだけでは曲がないということで、台詞に独特の抑揚や節があって、三味線が入ります。これが「義太夫」です。歌舞伎で丸本ものを上演する場合にも、台詞の部分は役者がしゃべりますが、そのほかの情景描写の部分には義太夫がつきます。これがBGMとなるわけです。また、役者の台詞回しも、ふつうにしゃべるのではなく、義太夫独自の節をまねたものになりますから、どこか台詞を歌っているような感じがあります。ちなみに、義太夫のほかにも義太夫のような歌(長唄、清元、常盤津)が入る演目がいろいろとあり、こちらは芝居としてよりも踊りとしての要素が強くなります。よりミュージカルめいた感じになると言っていいでしょう。
 歌舞伎の世界的評価はまだかならずしも確立しているとはいえません。大掛かりな道具が必要ですので海外公演がなかなかうまくゆかないこと、外国人がステレオタイプな日本のイメージとして歌舞伎を享受する浅薄な理解にとどまり、芸術としての深い評価につながらないこと、などが理由ですが、しかし一部には高く評価している人もいます。
 敗戦後GHQの一員として日本を訪れたフォービワン・バワーズは、歌舞伎を高く評価し、「軍国主義的、封建主義的」として演目を制限されていた歌舞伎がいかにすぐれた芸術であるかをアメリカに紹介します。日本に来たとき最初に「羽左衛門(戦前の名優十五代目市村羽左衛門。戦争末期に病死)は元気か?」と尋ねたという逸話は有名です。フランスの詩人ジャン・コクトーは歌舞伎の本質を神聖な神にささげる劇だととらえ、高く評価していました。前述の羽左衛門を見て「歌舞伎座にパリジャンがいる!」と言ったそうです。羽左衛門の粋にパリジャンのエスプリを見たのでしょう。またピアニストのリヒテルは歌舞伎を日本が世界に誇るべき芸術だと褒めたそうです。芝居を見ながら幕間に食べるお弁当もひじょうに優れた習慣で、役者のひいきは今の猿之助だったとか。
 また女形という特殊な役柄にはどちらかというと同業の役者から注目があったようで、グレタ・ガルボやグレイス・ケリーは今は亡き歌右衛門の大ファンだったそうです。ガルボは歌右衛門のアメリカ公演のときに「love, love, love」という電報を打っています。
 しかし全体としていうと、能のように海外においても芸術的に深い理解がされているとはいえません。これからも海外公演だけではなく、どのような伝統から歌舞伎が生まれ、いかに洗練されてきたのかを伝えてゆく努力が必要ではないかと思います。
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この回答へのお礼

詳しく回答していただき、ありがとうございます。
良く分かりました。
ミュージカル的な側面もあるということなのですね。
海外では、やはりまだ難しいのですね。
でも、最近、中村勘九郎さんがニューヨークで高い評価を得たみたいですし、少しずつ認められていったら良いなと思います。

お礼日時:2004/11/05 17:55

すいません。

全くの横レスなのですが。すこし気になったので。

その1
人形浄瑠璃の作品を歌舞伎に取り入れた場合、台本は大幅に手直しされています。とても「そのままうつしかえた」というレベルではありません。
院本(浄瑠璃オリジナル台本)をそれなりに読み込んだ経験のある身としては、忠臣蔵にせよ千本桜にせよ、歌舞伎台本はかなりの違和感があります。
近松門左衛門、竹田出雲、並木千柳と言った日本文学史上第一級の劇作家たちの真価を知るには、院本を読むか、それをほぼ忠実に上演する文楽をご鑑賞ください。


その2
義太夫浄瑠璃は「語物」に分類されますが、完全な音楽ですよ。
そしてセリフ(正しくは詞)も音楽の一部、つまり「楽譜がついてる」のが特徴です。
オペラの場合、セリフは音楽から離れていますね(楽譜はついてない)。ですから、欧米の研究者には、この「セリフまでも音楽のコンテキストに取り入れている」点を高く評価している人もあります。

その3
戦艦ポチョムキンのエイゼンシュタイン監督は、その著書「映画の弁証法」の中で、一章を丸々を歌舞伎を中心とした日本文化の考察に当てています。
彼の映画理論が歌舞伎の影響を受けているのはほぼ間違いないです。
そのエイゼンシュタインの歌舞伎理解はかなり深いです。当時、一回限りのロシア公演に接しただけでそこまで読み取るとは大変な洞察力だと思います。
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この回答へのお礼

詳しく回答していただき、ありがとうございました。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2004/11/07 12:12

 ♯2さんのご指摘について補足です。


 初心者の方とお見受けして説明をはしょってしまいましたが、邦楽の世界では

 語りもの系統= 義太夫、常盤津、清元(ほかに富本や新内といったものもあるが歌舞伎ではほとんど使わない)
 歌いもの系統= 長唄

というおおざっばなジャンルの区別をします。区別の基準は発声法、歌唱法、節付け(作曲)、さらに歌詞の特徴(「語りもの」は情景描写に主があり、「歌いもの」は心情描写に主がある)などといったもので、語りもの系統の義太夫、常盤津、清元はそれぞれ同じ根から別れでたものなのでこういうふうにまとめることができるのです。
 ただしこれはあくまで形式上のことでありまして、実際には清元などは長唄のつよい影響を受けて「歌う語りもの」という感じになっています。また「語りもの」といったところで、国語の教科書を朗読するような調子ではなく、音楽的な節がついていて、しゃべるのとはまったくちがった調子で「語る」わけですから、広義の意味では歌の一種であると考えてもさしつかえないと思います。
 ミュージカルも歌とせりふ(ふつうのしゃべり方)をごっちゃにしてどっちともつかない不思議な音楽を生み出しているわけですから、その意味でも歌舞伎にはミュージカル的側面があるといえるのではないでしょうか。
 ちなみに書きわすれましたが、ロシアで作られた映画『戦艦ポチョムキン』(今でも映画草創期の傑作として知られます)ではじめて採用されたクローズアップという手法は、歌舞伎のソ連公演で見得の手法におどろいた監督がこれを映画に取り入れたのではないか、といわれています。見得は役者がかたちを決めて、舞台全体を停止させ、ツケ(拍子木)を入れて見得をした役者に観客の注目を集めさせる方法です。これをカメラに応用すれば、引きの絵から一気に役者の顔に寄るクローズアップになるということです。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2004/11/07 12:08

#1さんの言うとおり歌舞伎は多くが


人形浄瑠璃から来ています。義太夫は
唄ではなく語りですのでミュージカルとは
別物ではないでしょうか?
私が思うに外国での歌舞伎の評価は演出が
主に評価されていると思います。
浅葱幕の使い方等は演出効果としては様々な
利便性で評価が高く
また映画のオーバーラップ手法のような廻り舞台に
驚いた外人がいたと聞いたことがあります。
まさに世界に誇る日本の文化と言われる所以だと思います、が・・・
私の経験で心中物の芝居の時、隣の外人は
イヤホンガイドをしていましたが、心中という
悲哀の意味が分からないのか、入水シーンで
ケタケタ笑っていました。
世界が認めているのは様式美、歌舞伎ならではの演出
で日本独特の心理表現やストーリーは
伝わりずらいのではではないかと思っています。
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この回答へのお礼

詳しく回答していただき、ありがとうございます。
良く分かりました。
やはり、外国では、日本独特で分かりにくいところもあるのですね。
でも、演出は高く評価されているのですね。
確かに、演出は本当に素晴らしいと思います。(素人の私が言うのもなんですが…)

お礼日時:2004/11/05 18:01

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