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こんばんは!
今回の内容はヨーロッパなど西欧の都市の街並みは配列が整備だっていてとてもきれいですがどうしてそのような街並みになったのですか。
君主制は関係あるのでしょうか。よろしくお願いします!

質問者からの補足コメント

  • 訂正
    日本と比較することを求めているのではなく
    西欧の街並みの形成の成り立ちみたいなものをコメントで書いてくれるとありがたいです!

    一応建築学科ですので専門的な言葉もバシバシ使って大丈夫なのでよろしくお願いします。

      補足日時:2019/05/07 23:12

A 回答 (8件)

日本でも旧い町並みでは綺麗に整備されている処はありますよ。


ヨーロッパは戦争で爆撃されることが少なかったので残っているのだと思います。
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この回答へのお礼

なるほど戦争も関係あるのですね、ありがとうございます。

お礼日時:2019/05/07 23:12

日本の町並みだって溢れている看板を取り払えば案外キレイですよ。


街を汚しているのは看板です。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

お礼日時:2019/05/07 23:12

ドイツでは州単位なのか市町村単位なのか分かりませんが、街並み条例の様な規則があって建物の形、色、リフォームなどが街並みの歴史や雰囲気に合わせる様規制されていて、店の看板は電光表示や華美なのは禁止、ベランダには植木鉢を並べる事、室内のリフォームも規制されている場合もあります。



歴史を重んじてやっているのか観光収入のためなのかその両方なのか分かりませんが、住民は楽しんで生活はしていますが「融通が利かな過ぎる」と愚痴る事もあります。

方やベルリンの国会議事堂のドームを復元ではなく近代的にしたり、ドレスデンの街並みの様に爆撃で破壊され粉々になったかけらをジグソーパズルの様に組み立てて完全復活を求めたりと、同じドイツ国内でも街並みに対する考えも様々です。
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理由はいくつかあります。


・元々西洋の都市の基本が都市国家だったこと
・都市と言う概念の基本形がローマ時代に完成したこと
・キリスト教が都市の形成に重要な役割をはたしたこと
・ヨーロッパの君主は都市の規模や豪華さなどでお互いに競っていたこと
・土地に対する個人の権利が弱かったこと
などです。

西洋都市はギリシャ・ローマ時代の都市国家に始まります。
都市国家というのは都市そのものが一つの国家で、城壁に囲まれた内部が為政者や住人の住処であり、農業重儒者は城壁の外にある農地を耕して生活していました。なぜ城壁で囲っていたかと言うと、蛮族が略奪にやってきたり、近隣の都市国家との戦争があったりしたからです。民族がその都市に収まり切らなくなると、近くに別の都市国家(衛星国家)を作って移住したりします。本国の都市を守るための衛星都市と言う概念もありました。

ローマ時代になると、首都であるローマの発展から城壁は必ずしも重要ではなくなります。その代り、共和制だったローマでは「その時々の為政者の成果」が重要になり、重要なポストに就くと図書館を作ったり、コロッセアムを改修したり、街道を整備し直したり、と公共設備の充実に力をいれました。
 これはローマが作った各都市にも影響し、パリやロンドンなどローマ時代を基礎とする都市からヨーロッパじゅうに「公共設備の重要性」が認識されるようになっていきます。

西暦元年を過ぎるとキリスト教が生まれます。ローマはキリスト教の発展によって東西に分離し、西ローマはキリスト教の発展と共に、都市も発展するようになっていきます。中世になると、ヨーロッパは君主制に変化していき、教会と君主は国の統治に関して協力関係をもつようになります。

例を出せば、この間火災が起きたノートルダム寺院はパリの中心地であり、これを中心にパリ市街が渦巻き状に発展していきましたし、ロンドンやベルリン・アムステルダムなど大きな都市には必ず中心となる教会が存在します。もちろん小さな村でも教会は中心であり、街の目抜き通りに教会と小さな商店とガソリンスタンド、という場所も存在します。

君主はこれらの教会の権威を利用して、国民を統治していったのですが、中世のヨーロッパは君主が乱立していて、何度も領土戦争がおきています。これらの戦争の間にも経済的なつばぜり合いはあり「より豪華で富が集中した国=軍事費がたくさんあって、戦争に強い国」という認識がありました。

この認識が君主に「首都を豪華に、きれいに見せよう」という意識をもたらせ、その結果ヨーロッパの都市が配列だったきれいな街並みになっていくのです。

しかし「豪華に見せる」と言っても、基準が無ければ分かりにくいので、次第にその様式が統一されていきます。その様式とは
・中心部に教会または王宮かその両方を配置し、その前には大きな広場や公園を用意すること
・都市計画を作り、道路を整備すること、
・建物には一定の意匠を義務付けること
などです。

これにより、見る側は「あそこの都市よりこっちの方が大きい」「こっちは小さいけどよくまとまっていて綺麗」と言う評価が可能になっていったわけで、それが戦争をする際に「あそことは戦いたくない」という抑止力にもなったのです。

もう一つこれを可能にした基本的な要素があります。そしてこの要素は「なぜ日本は都市計画が進まず、ヨーロッパのような意匠が統一された街並みが作れないのか」に関わることです。

それは「ヨーロッパは都市国家からの流れで『都市の土地利用やデザインについては公共の方が優先される』という共通認識がある」ということです。

ヨーロッパ人の意識の中には「都市はその国の国力や誇りを表すものであり、きれいで当然、そこに住むなら自分の都合は我慢すべき」なのです。ですから、外観も何百年と変わらないし、電線などの地中化も「見栄え」で予算をつけても理解があるのです。

日本には「都市が綺麗ならその国の国力が増すし、誇れる」という概念がないし、そもそも日本の土地は為政者に左右されない個人のモノである、というのが法理です。だから「公共のための土地取得」も理解が得られず非常に難しいし、地中化も「防災のため」と言わないと理解されないのです。
 だから「景観のために道路沿いの建物の意匠を一定にしよう」なんて言ったら、大問題になるわけです。

これは歴史的な制度の違いであって、どちらがいいとか悪いとかではありません。
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「西欧の都市の街並みは配列が整備だっていてとてもきれい」というのは、具体的にどのような例を念頭に置いていますか。


建物の外観の統一や配線の地中化などの「美観」であれば、既に他の回答に挙げられている理由が考えられます。
一方、放射状であったり格子状であったり、そういう都市全体としての区画が「整備されていてきれい」というのであれば、それはその都市ごとの歴史や都市改造の事情を知る必要があります。ヨーロッパの歴史的な主要都市では、一般的に旧市街の区画は細い路地が複雑に入り組んでいて(ローマ中心部、マドリードの下町エリア等)、近代以降に整備された区画や新市街が放射状や格子状になっているものです。
もし、パリの放射状の都市区画やバルセロナの格子状のような区画を念頭に置いているのなら、それは19世紀以降の大規模都市改造の賜です。ウィーンの城壁を取り払った都市改造もそれに類するものでしょう。
なぜその頃に大胆な都市改造を行ったかと言えば、産業革命によって都市人口が爆発的に増え、中世以来の小さな城壁国家の都市構造と規模では人口を抱えきれず、都市のスラム化などの問題が発生したからです。近代以降は鉄道や自動車などの新しい交通手段も現れますが、中世の狭い路地ではそれも活用できません。そのため、新しい都市人口と産業・交通に対応できる大胆な都市改造が必要になったのです。
なお、これと似たことは日本にもあって、古代ならば遷都で平城京や平安京の都市整備(格子状の区画)が代表例ですが、その後、都の衰退によって都市区画が崩れていた者を、豊臣秀吉が再整備しています。現在の京都中心部の整った区画は、この秀吉時代に整備された区画が主体です。
都市改造の必要に迫られていたこと、その改革を断行できる指導者がそのときにいたこと、などが理由となるでしょうか。
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結局何を専門的に知りたいのか、典型例の都市を抽出するという意味でも余りに質問が漠然としすぎています。



西欧と言っても街の成り立ちは様々です。

東京のように戦争で木端微塵になった後都市計画を進めたドイツの大都市(ベルリンなど)、産業革命で人口が爆発的に増えた対処をした英国ロンドン、市民革命抑止の意味もあって幹線道路を建設、拡張したフランスパリから、中世から区画割りがほとんど変わっていない各都市の旧市街まで相当幅広いです。

都市計画を君主制と紐づけるかは定義と各都市の歴史次第です。そんな簡単に回答できるものではないと思います。

質問を立て直すか、具体的に西欧都市の街並みの何を知りたいのか細かく追記した方が良いのでは?例えばある年代のある国周辺の傾向を知りたいなら、それが一般化できる物かは別問題ですが、そう追記すればいいと言う意味です。
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根底にある「美学」の感覚なのだと思います。


ヨーロッパでは「幾何学的に均整・バランスの取れた形」を「美しい」とする美学が主流です。
古代ギリシャを理想とする「古典主義」(クラシック)というものが「美の基準」になっているところがあります。ギリシャの神殿や彫刻を見ればわかると思います。あれが「美の基準」です。

もう一つは、キリスト教は一神教なので、「たった一人(人ではないけれど)でこの世を作られたので、神が創られたものは秩序立って均整がとれているはず」という信念もあるようです。「はちゃめちゃ」「カオス」「でたらめ」「気まぐれ」というのは、キリスト教社会では異端として嫌われます。「神の秩序」ということなのでしょう。
左右対称形の教会建築や、ベルサイユ宮殿やウィーンのシェーンブルン宮殿の幾何学模様の「庭園」などを見ればわかると思います。

この基準から外れたもの、たとえば「バロック」(ゆがんだ真珠)や「アールヌーボー」(唐草などの植物文様)などは「例外」であるがゆえに珍重されたのでしょうね。それでも一定の「秩序」と「バランス」を保っています。

それから、「街並み」ということであれば、19世紀のウィーンやパリの「大改造」に代表されるように、中世までの「城壁に囲まれた都市」が近代都市には手狭で「城壁が邪魔」ということで、大々的に統一的な「都市計画」の下で「スクラップ&ビルド」がなされたこともあるのでしょうね。都市の衛生面での「上下水道の整備」なども同時に行われたようです。
「建築科」なら、その辺の「建築史」はご専門でしょう?

↓ パリ改造(ジョルジュ・オスマンによる)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA …

↓ ウィーン改造とリングシュトラーセ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3 …


余談ですが、#1 さんのおっしゃる「ヨーロッパは戦争で爆撃されることが少なかったので残っている」というのは間違いです。
ドイツの古都(日本では奈良、京都に相当)であるドレスデンやニュルンベルクは、第二次世界大戦中に徹底して破壊されました。ドイツ人たちは、崩れた石を使って何十年もかけて古い街並みを「復活」させたのです。(日本と違って燃えてなくなることがないので)
ベルリンにしてもワルシャワにしても、都市のかなりの部分が破壊されています。
↓ ドレスデン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AC …
↓ ハンブルク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3 …
↓ ワルシャワ
https://culture.pl/jp/article/%25E3%2583%25AF%25 …
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どうも。

長文ですが
とても調べ信頼度の高い情報ですのでよろぴこ!

まず他国では街並み制度というか制度があります

ヨーロッパとユーラシア大陸側の国にあります。
何かと言うと街並みを良くする為の制度です
理由としては街並みを良くすることにより 観光者が増え利益が上がるからです。
それに成功したのはメキシコで1月あまりで3兆円の利益を生み出しました

ですが日本にはその制度はありません。
なぜなら
日本は先進国で
医学 車 宇宙を初めにした科学など色んな分野において
金と力を注いでおり
また日本は清水寺をはじむとした歴史の街の方に力と金を注いでいてそれ以外は……

結論から言うと

日本は国の先進を第1にして
街並みにはあまり力をいれてないということです。
まあ綺麗な所は綺麗ですよ。
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