プロが教えるわが家の防犯対策術!

京都アニメーションで優秀な人が死んで
内心喜んでる他の社員もいますよね?
だって凄いチャンスですもんね…

A 回答 (7件)

不謹慎な質問ですね。

友達がいないのか、教養が足りないのか、
あまり人と会話していない人間の印象ですね。
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家族みたいな会社とか言われていると愛社精神が高い人ばかりかと。

すると、そんな考えはないかと。
仲間ですからね。
一部の人は、その仕事だけをしたくて、他の仕事をしたくない人もいるでしょう。
すると、動画だけをしたい人は、動画だけであり、監督をやってください。と言われてもイヤっていいますからね。

ただ、人が減るってことは、一人当たりにかかる仕事量は増えるってことですからね。多数の人がなくなられているから、かなりの負担がかかることになりますから、今は、チャンスよりも負担が増える方の危機感かと

社員のうちわずか一人とかいるかもしれませんが、たぶんその人は、それよりも負担がどうなるの?の方が心配している可能性はあるかと
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会社存続の危機ですよ。

過去の資産の大部分(フィルムやデータ)が喪われたんですから、人的損失だけではない。
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ピンチなんでは?




昔、チャンスが欲しくて仕方ないって人がいました。

閉塞感がたまらないそうです。

「よし、じゃあ、俺がチャンスをやる。

 今度の仕事はお前がリーダー。プレゼンもお前にやらせる。」

とチームの皆の前で宣言しました。

あらゆる人が何言ってるんだと怒りました。

しかし、生まれて始めてエコ贔屓をされた彼は、わが世の春の様に喜んでいました。

「キター。とうとうチャンスがキター。」

です。


生まれて始めて、皆に嫉妬される。

この後の自分の人生はずっと上がり続けると感じる。

とうとう報われたと、生きてて良かったと感じる。

見ていて良く分かりました。


しかし、・・・でまあ、その後は・・・、

世界で大活躍しているような本物のエリートに囲まれて、

「意見を聞かせてくれ」と言われるわけです。

さすがに、何の努力もしてこなかったんですから、何も出てこないですよ。

彼は、ヒキツケを起こしそうになりました。


明らかに格上に囲まれて、対等に接してもらった事ってありますか?

憧れない方がいいですよ。

嬉しいとか感じませんよ。

生きてて申し訳ないって思って、その先に希望も感じなくなります。


漫画でも描けない、あってはならない罰ゲームです。

想像してみてください。

音痴がいきなりNHK紅白にプロの替え玉としてでちゃうようなものです。


この顛末を知って、チームの皆は気の毒がりました。

「良かった。俺じゃなくて。」

チームの皆も、自分達にとってはチャンスであっても、

彼にとってはチャンスじゃなかったと知ったんです。


その後も彼はチャンスが欲しいと言うので、何度もチャンスを与えました。

「あれ、違うよ。チャンスってこうじゃない。

 あれれ。なんだよこれ。」

「まあ、機会(=チャンス)は与えられるけど、

 上手くいかせるのは、自分の力だからね。

 チャンスってのは成功の保障じゃないよ。

 ハイリスク・ハイリターンの賭けの事だよ。

 チャンスがきても恥をかくだけの実力だと、意味が無いんだよ。」

ライバルが減ったといっても、自分の実力が上がるわけじゃないんです。

何も得をしていないんです。

しかし、この当たり前のことが分からない人が結構居るってことです。


例えば日本のイケメンが何らかの事件で死に絶えたとします。

そして、不細工を自覚していた自分が、

何故か、繰り上がりで日本ランキング上位に成ったとします。

しかし、イケメンがいなくなっても、不細工が治るわけじゃないですよ。

美男子として紹介され、女性たちに笑われるとしたら、

罰ゲームとしても酷すぎます。



例えば、ネットで思いやりの無い書き込みをする人がいて、

ゲームの課金額等も理由に家族に殺される事件があったとします。

「痛ましい事件だと皆言っているけど、

 強いネットゲーマーがいなくなって、

 チャンスだと思っている引き篭もりのゲーマーは沢山居ると思う。」

とか言う人がいたとします。

これは、さすがに可笑しいと思いますよね。

普通は、自分も家族に殺されるんじゃないかと心配になるんでは?

まあ、心配しても、していなくても、危険な状況は変わらないんですけど。


昔、ネットゲーマーの家族が身内を悪の企業に売ってしまい、

その方々が集められて、無人島で殺し合いのゲームをさせられるという

漫画(アニメ)がありました。

漫画の話だと思いましたが、

ご家族の方が実際に手を下す事件があると、救いがないですよね。

被害者が安全だと思っていたからこそ、凶行に対応できなかった。


ここで思うのは、

危険なのにチャンスだと感じたり、

チャンスなのに危険だと思って逃げたり、

正常な人と感覚が逆になっている人がいるということです。


うちの従兄弟が飼っていたウサギが死にました。

マンションの8Fのベランダから外に向けてダイブしたそうです。

何度もベランダに行こうとするので、従兄弟の家族は交代で見張っていたそうです。

そんな家族も疲れてしまい、とうとうウサギは家族の隙をついてチャンスを得たんです。

「キター」

まあ、このウサギは助からない運命にあったと言うことでしょうね。


冒頭にも述べましたが、人もこのウサギと同じ性質を持っています。

チャンスが無かったという人は多くいます。

しかし、別の人がみたら、

誰かが危険から守ってくれていたって事もあるのかもしれません。


危険をチャンスだと感じ、チャンスを危険だと感じる。

こういう性質が自分にあって、一生治らないとしたら、人生すべてが罰ゲームですよね。

質問者さんは大丈夫ですか?


以上、ご参考になれば。
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優秀なライバルがいなくなった喪失感のほうが大きいのでは?

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そうなんじゃない

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所詮あんたは将棋の駒盤の上しか考えられないのかな?



悲しいよ。
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