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なつが結婚して天陽くんちを夫と訪問したじゃないですか?

あの時、なっちゃんが、天陽くんがいなかったら、今の自分は無いみたいに言ってましたが、
かつて、良い仲だったのに、天陽くんより長身でイケメン(顔は天陽と同等だろうけど)の夫と一緒に訪問されても、、

構図として、出世したなっちゃんに比べて、相変わらず田舎で畑仕事のかたわら趣味として絵を描いてる訳で、
時間が止まってるような、社会的、人間的に、成長した感も無く、
なっちゃんと交際してたとか、今はもう大家族を持ってるとか、絵が評価され海外へ拠点を移すところとかなら、まだカッコつくけど、

旦那に急に妙なとんちを振られて、大人っぽく答えようとしてるのもアレだし、
さらに、変な質問してゴメンねと夫をフォローする妻みたいななっちゃんに関係がよそよそしくなったと感じるだろうし、

天陽くんが可哀想だし、あーいう姿見たくないし、なっちゃんも悪意が無いだけに始末悪いし、

そんな感じじゃなかったですか?

質問者からの補足コメント

  • バブル期以降のトレンディドラマはピンと来ません。
    実際にこの場面に立ち会ったらどう思うだろうか?という見方で考えました。

    天陽にとっては、天然夫婦におちょくられたようなもんかと。
    キッパリと自分の気持ちに区切りをつけられないでしょう。実際は。

    苦労はあれど、東京でその業界の最前線で働いてるなんて、地位や金じゃない充実したものを感じると思います。
    頑張ってる途中というのも清々しい。

    天陽をリスペクトしてるなら、今度、馬の動きとか教えてくださいよー^^ 等の社交辞令の1つも欲しいところ。
    それをまた馬の絵かよとばかりにチラ見しただけで、話題を変えられてます。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/08/11 00:39
  • 価値が劣るというか、民芸品にしろ工芸品とか美術は、
    人に見せて、人の心を潤さないと、また時には、厳しい批評に晒されることが自己を研鑚するうえでも必要です。
    それしか描かないというのは、視野が狭く、自己満足の域を出ません。
    いや、出ようと思わないことも絶望的で、時を経て、なつとの格の違いがある訳です。
    しかもプライベートでも充実度に随分差が開いてしまった。

    分野の違いはあれど、なつ兄も色んな業界や人にぶつかって自分を高めようとしてるのです。

    で、天陽君は何?
    同じイケメンなら、長身有利の原則どおり、不利な状況で、とんち問答まで振られて、表面上冷静さを保ってはいたけど、客人を座らせる椅子もお茶も茶菓子もなく、つっ立ったまま、何とかその場をしのいでる訳です。
    吉沢くんにこんなシーンやらせていいのか?と思う訳です。
    実は、先月国際的なコンペで賞を取ってさ、くらいのシナリオにして欲しかったです。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/08/11 09:31

A 回答 (3件)

天陽としては、なつが東京に出て行ったときに、キッパリ自分の気持ちに切りをつけているので、今になってなつがどんなイケメンなり金持ち(あるいはブサイクで貧乏でも)を連れてこようと、なつが幸せなのが一番と思って、祝福したと思うよ。


「人間的に成長した感もなく」、とあるけれど、あなたが「カッコつく」と挙げているようなことで「カッコつく」と思うような天陽でないからこそ、なつがかつて思いを寄せた天陽の良さがあるのであって。嫁さんもらって子供ができて幸せに暮らしている。自分の選んだ道に微塵も後悔していない。

なつも出世したというほど出世してないし、旦那は無職状態。アニメーターの社会的地位なんて当時それほど高くないし、ふたりとも必死に夢を追って頑張っている途上にある。

なんかバブル期以降のトレンディドラマのような見方をしてない?
この回答への補足あり
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一方は「相変わらず田舎で畑仕事」、もう一方は「東京で」「その業界の最前線」という比較の仕方、価値観が、かつてあったトレンディドラマのようだと思ってしまった。

まあ、トレンディドラマはどうでも良いのだが…。
「田舎の畑仕事(牧畜がメインだが)」を「東京で最前線で働く」ことより価値が劣るかのように見る必要はないのでは?
絵を描くことも、芸術的価値を高めようとか、売ろうとして描くのではなく、天陽の生活になくてはならないから描く。そうやって作品を作り続けることの尊さ(ある意味民芸の価値観に近いかな)を分かるからこそ、一久は「素晴らしい」と褒めた。天陽はそれで飯を食おうと思っていないだけで、絵を書くことを趣味=片手間とは少しも思っていないですよ。

本当にリスペクトしている相手に「馬の動きとか教えて下さいよー」なんて社交辞令は、白々しいし、自分がその場にいたなら、「失礼なこと言う人だな」と思うよ。
この回答への補足あり
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なつと天陽の”衝撃のすれ違い”は、すでに、天陽が結婚した時の一連のエピソードで済んでいるのだと感じました。

同僚経由で、よりによって宴の最中に天陽の結婚を知り、ぎこちなく再開し、ちょい役なのにインパクトのある妻に会って、なつがすべてを納得する、というあの一連のくだりです。

あれから何年という時が経ち、まっさらな気持ちで、なつは一久と恋をしました。天陽は数々の受賞を経ていますので、当時の日本としては、首都在住のなつから見ても、今の日本人が「海外へ拠点を移す」のと同等の地位に感じられているはずです。また、当時としては「一人前になる条件」と考えられていた妻子も設け、あんなに貧乏だった農家も成功させ、思い通りに暮らしています。

というわけで、むしろ、ポジション的には、一久の社会的地位が天陽よりもかなり下ですが、無職である点はすでにツッコまれることで視聴者を代弁してくれていますし、20代ですから、まだまだこれからです。また、やはりセリフで代弁されたように、天陽は静止画の世界で、なつは動画の世界で、それぞれに活躍していて、一久は演出の世界で未来を感じています。(それに私たち視聴者は、モデルとなった人々の行く末を知っているの安心していられます)。

私がむしろ腑に落ちなかったのは、なつの帰省とその目的を、天陽もその父も、長男からも誰からも聞いていなかった点。それから、一貫性をもって、結婚に媚びない生き方を選んでいた夕見が、何の説明もなくあっさりと「男性のプロポーズ」を受けて、1968年に打掛まで着た点です。ついでに言うと、「11時までに」工場建設を申請しないといけないのに、悠長になつたちと思い出話をする農協の人々、あっさり引き下がる反対意見、カメラが入っているのに愚痴をこぼす支局長、などにも、このドラマのこれまでの流れとは全く違うリアリティのなさを感じて残念でした。

どうやら、先週末で前半が一段落したようですので、無理やりまとめたのかなとは思いました。せっかく丁寧に作られてきたドラマなので、今後はこういう無理やり感がないようにしていただきたいと感じます。

一方では、風車でのプロポーズシーンの芸の細やかさには感嘆しました。なつと一久とのあいだには、「白蛇伝」のポスター。亜矢美が「いいじゃない! 生きてるんだから!」と言うショットの背後に、戦死した早稲田マン脚本のレビューのポスター。これから作られる人生が楽しみです。余談ながら、一久は社交辞令を言いません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2019/08/11 22:44

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