性格いい人が優勝

写実主義の絵画を見て皆さんはどう感じますか?
沢山の方のご意見が聞きたいです。

超写実主義やスーパーリアリズムに対して

最近は写真の発達もあり写真で良いのではないかという意見を良く耳にします。
写実画家さん達は実際写真を見て描いている方が多いですし。

「画家が技術自慢をしているだけ」、「写真を忠実に再現しても絵である意味は無い」と多数の方が仰られますし、「写真では現せない素晴らしさが絵にはある」等の意見も同数の様に感じます。

実際、写実絵画を見るために美術館等に足を運ぶ方々が沢山いらっしゃるので感じ方は様々であると思います。高額で買う方も沢山おられます。
私自身、現代の日本の超写実絵画でも写真では現せない魅力を沢山感じてきました。(写真で良いと感じる絵も多数ですが;)

数年前ある美術館のトークショーの際、[写真で良いのではないか?]という様なタイトルで写実主義ならではの良さ伝える企画側の方が、絵画と同じ風景の写真と絵画を並べて画角や色彩等を比べることで説明していたのを聞いた時にとても憤りを感じました。写真の編集で補える部分の説明しかしていなかったからです。この説明を聞いたときは小学生ながら写真で良いと言われて当然だと感じました;コンセプトがコンセプトだけに写実画家さんと写真家さん両方への侮辱の様に思えて悲しかったです。写実画家さんも写真家さんもどちらも表現作家なので。

絵画への感じ方は人によって様々なのは良いことだと思います。言葉にするのもとても難しいですよね。
ただ、写真とは違う良を感じることの出来る超写実画家さん沢山もおられると思います。

皆さんは最近の方で感銘を受けられた写実画家さんはいますか?
また写実画家さんの絵を見ても写真で良いとしか感じない方の意見も聞きたいです。

A 回答 (7件)

自分なりの考え方になりますが・・・。


私はどちらかと言うと「紙やボードに描く絵画ですがリアル感があり、出来れば2次元に近い紙の表面に存在する絵ですが、まるで本物が存在している3次元的な物を、超写実的作品と思っています。」
また、この表現にプラスして作品内に作者の描いた理由(なぜ、そのモデルを選択したか?)を入れたものが、アート作品になると思っています。(例えばリンゴを実物そっくりに描いたが、それプラス「美味しそう」と思わせる様に表現。)

話しは変わりますが、例えば同じ食材を調理する方が多数いたとします。各料理人が出来上がった品を同じ客に食べてもらった時、元は同じ食材なのに味が違うや、口に合わないといった結果がついてきます。
料理人のレベル差もあるでしょうが、食べる方によっても千差万別といったところでしょうか?
結果としては10人いれば、10通りの考えがあるので、どれを選ぶかは本人次第と思います。

ただ、私も水彩絵の具を使い作品を描く身なので、同じモデルをカメラの一瞬で切り取るのと、一筆一筆、自分の思いを込め何日もかけて仕上げる作品とでは、訴えかける表現がずいぶん違うと思います。
たぶんこの(表現)は「人の気持ちから来る」と思いますので、将来、スーパーコンピューターに近未来映画の様な「人格や性格」などが組み込まれないと難しいのでは?と思いますよ。(描き方などはマネすることは出来ると思っています。)

勝手な乱文、長文ですみませんが、とりあえずの意見の一つと思ってください。
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> 超写実主義やスーパーリアリズムを買う人の創造性は弱いので、


買うではなく、描くの間違い。

超写実主義やスーパーリアリズムを描く場合、自身の感性の全て( 脳内の中身 ) を空にし、
目と手を直接接続して描くことにより、線の間違えを無くします。
さながら、機械のように。

訂正でした。
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超写実主義やスーパーリアリズムを買う人の創造性は弱いので、


絵画をよくよく見ると、実は面白く無い絵だったりするんだよ。

ここは、リアルか想像力かを選択して、その後精進するんだけどね。
両方を持つ事は、人の脳の限界です。

やはり、写真も同じだけの感動は味わえるので、特に日本人の完成には無いものを見ると、
感動します。

正直に、コンピューターでも、そのうち描くだろう代表格かも。

だから、小生、子供時代から、それを避けて来ました。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます_(..)_

何故超写実主義とスーパーリアリズムを買う方の創造性が弱いと思われるのですか?

写真と絵画、本当に良いものというのはどちらも同じ感動を味わえるように思えますね!

芸術はコンピューターが普及しても生き残るようなものに感じますが、その中の写実となるとまた違いますよね、、貴重なご意見有り難うございます_(..)_

お礼日時:2020/06/22 19:51

単純にすごいな~と思うだけです。


才能ですよね。
意味はあるんじゃないかな・・と。
写真は写真、絵は絵で別物です。
ただその絵が欲しいとかは思いませんが・・。
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この回答へのお礼

別物って言う考え方とても良いですね!
欲しいかは別で観るのは好きですか?

お礼日時:2020/06/22 18:45

写真で良いのではないか。

この言葉は30年前にもあったのです。時代は絶えず繰り返すものですね。

そして現在、やはり自分の手で描きたいという人がスーパーリアリズムをやっている。それだけのことだと思います。
そこに価値を見出し、やり続けている。表現者の価値観が「そこにもある」ということです。

価値。

それをどこに求めるかというだけのことで、スーパーリアリズムを写真でいいという人は、技術を身に着ける時間と描画する時間に価値を見出せない人であるということだろうと思います。

なぜそのようなことを書くかというと、写真はCGでいいんじゃね? という時代がくるからです。
わざわざセット組まなくても、ロケに出かけなくても、卓上でシミュレーションすればいいじゃん。そういう時代が来ないはずがない。

手で弾かなくてもコンピュータが演奏してくれる。だから手弾きに価値はない。そんな言説も今後でてくるでしょう。

価値観の違い。そこに尽きる。そう思っています。

ただ、昔から言われてきた「意味のないこと」というのは、ほぼ嫉妬であり、マウンティングでしかないことも実感しています。

「画家が技術自慢をしているだけ」
ああ、あなたは技術がないんですね? という返しにどんな顔をするだろうか。

「写真を忠実に再現しても絵である意味は無い」
では写真もCGで良い。

こういう揶揄やあざけりには、自身の弱点を孕んだものが多いです。
うまいですねー、とか言ってればいいのに。
リスペクトもなしに否定するのは、自身のポジションを守りたいからという印象が強い。

手で描くことで、写真ではありえない表現が可能です。
写真ではどうしても合成に頼らなければ出ない画角・明度差・輝度差があるのですが、絵画はそれを克服します。
写真でもいいけど合成するんなら描画と何が違うの? という疑問に答えられる人は、はたしてどれだけいるでしょうか。

絵の具の色をどうやって選び出すか?
それには表現者の主観が伴います。
カラーメーターで色を調べるわけではないので、描画者の主張が織り込まれます。

ひるがえって、写真は「シャッター押したら撮れちゃった」もあり得るのですが、評価者はそれを見抜けません。
現場にいなければ偶然か必然かがわかりません。合成すら見抜けない人もいます。

そんなことはない。絶対わかる。そういう真贋にこだわる人はいるでしょう。
けれども人は騙されます。さんざん他人の顔のレタッチをしてきた人間から言わせてもらえれば、もはや写真も絵画です。

写真にはまぐれがあるけれど、描画にはまぐれがない。上手いか下手かの二択しかありません。

手で描くことしかなかった時代から、写真で簡単に描けるようになった。しかし今後は写真を超えるものが出てきます。

ピアニストが、バイオリニストがいなくならないのと同様に、スーパーリアリズムも残るものです。
そこには、それに価値を、喜びを見出した人がいる。
そういうことであって、他人がどうのこうの言うのはおこがましい。

まずは敬意を。それから、批評を。
ぼくはそう思っています。
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この回答へのお礼

こんなにも貴重で素晴らしい意見を聞けるとは思いませんでした!実際にレタッチをされている方の意見を聞けてとても嬉しいです。

写真も絵画というのはとても納得です。その上で写真にはまぐれがあるけど描画は上手いか下手の二択、この考え方には気付かなかったのでとても勉強になりました。

デジタルが普及するからこそアナログが重宝されるということにも繋がりますね!

価値を見出だせる人もいれば見出だせない人もいるというこの美術、写実絵画の世界をもっと好きになりました、有り難うございます_(..)_

お礼日時:2020/06/22 19:42

スーパーリアリズムを愛する層があるから、スーパーリアリズムの世界が存在しているので否定するつもりは一切ありません。

色んなアートを自由に楽しめる現代は素敵ですね。表面的な浅い知識でしか言えませんけど、モネやゴッホ、ピカソが苦しんだように、アートを否定してアーティストの生き方を塞ぐ事はしたくありません。

私はですけど、スーパーリアリズムの絵画を見て「命」について考えます。限られた生きる時間を使ってリアルにこだわる。写真よりも生々しくて命が吹き込まれている。そこにあるのは写真ではなくて、描き手の命です。写真があるからこそ、スーパーリアリズムがより美しく際立つのではないでしょうか。

しかしそれとは反対に…やはり「写真でいいじゃん」と思う自分もいます。この辺のモヤモヤとした葛藤のような感覚も、アートゆえなんでしょうね。考えさせられました。

そういえば昔働いていた所にいたフォトグラファーは動く写真を撮れる人でした。今にも動き出しそうな、という意味ですけど、それを越えた写真で息を呑む美しさでした。そういう写真を撮れる人はなかなか居ないんです。
写真に命を吹き込む人もいれば、何でもないただの写真に命を吹き込む画家もいるんですね。みんなアーティストなんですね。

ありがとうございましたm(__)m
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この回答へのお礼

モヤモヤした葛藤、正にそれです。絵を見る機会が多く、美術館で周りの大人が「写真みたいで凄い」という褒め方に違和感を持って小学生の頃の課題の作文で写実絵画と写真について書いたときから本当にモヤモヤが絶えません笑、本当に面白いです。

リアルへのこだわりを持つ描き手の命はとても深いですね。
その写真を見た感覚を味わうことが出来たとき喜びは大きいですよね。私も絵画を見て思わず涙が出たことがあります笑

美術が身近にある環境なので、とても芸術には興味を持っているのですが、私自身高校生なのでここまでの話をこの機会に聞けることがとても貴重で幸せに感じます。本当に返信していただき有り難うございました_(..)_

お礼日時:2020/06/21 00:42

私はアートが好きですが、写実は実はあまり興味がありませんm(__)m写真でいいと思うからです。

インクジェットプリントを手作業で行うことと捉えています。アートというよりかは職人という捉え方です。

昔は写真がありませんでしたので、中世ヨーロッパでは宗教絵画なども含めてリアルを求められていました。買い手がつくから流行りました。日本はその頃はまだ浮世絵でしたけど、私は日本の浮世絵が好きです。デフォルトとグラフィックアートの起源と感じるからです。

なぜ写真じゃだめなのか。恐らく描いている本人たちにとって、それが特技だからです。私に超写実ができるかと言われたら、そこまでの集中力はありませんのでできません。技術はとても高く素晴らしいもので、否定されるような能力ではありません。なんで写真じゃだめなんだろー…と見る人に思わせるのも、超写実の楽しみの一つと感じます。
色んなアートがあって、一人一人が異なる捉え方ができるのも、アートの醍醐味と感じます。
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この回答へのお礼

返信有り難うございます_(..)_
なんで写真じゃダメなのか考えるのもとても良い楽しみ方ですね!様々な感じ方があるからこほ魅力も増すように思えますし。
確かに感じますね!日本の浮世絵や日本画も魅力的ですね。

写真が身近な今でも写実絵画の買い手は有りますよね、、
写実絵画を見て写真とは異なる魅力を感じることは無いですか?

お礼日時:2020/06/21 00:02

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