
No.11ベストアンサー
- 回答日時:
一致と不一致(差異)について、私なりに考えてみました。
どちらにしても、思い出そうとするものと思い出されるものに関する、観念や感覚において、一致/不一致があると思います。
私は、思い出すという行為自体において、一致と差異を両方含んでいる、と思います。
つまり、どんなに『一致している』と思えるものでも、どこかに必ず相違を含んでいるし、またどんなに『違う』と思えるものでも、それがそう思われるのは、『一致している』という観念に依存していると思います。
経験においては、どんなに一致しているように見えるものでも、経験的であるかぎり、差異はあると思います。全く同じ状況のなかにある同じ言葉を思い出すことによっても。例えば、或る同じ言葉を、1秒後に思い出して、それを一度忘れて、再び3秒後に思い出すとすると、どちらも同じ意味を思い出すと言えるかもしれませんが、逆に、その『思い出し方』は、意識がそもそも時間的継起として作用するため、微妙に違うのではないかと思われるのです。
が、なぜ差異だらけの経験のなかで、一致という感覚があるのか。それは、差異のなかにありながらも、なんらかの共通点を見出すものがあるからではないでしょうか。その共通点が一致であって、記憶される。思い出すという行為において、思い出されたものが、思い出したかったものか、そうでなかったものか、常に迷っているものだと思います。そのなかでも、ほとんど差異が認められないものは、一致とみなされるだろうと思います。
そして、私は、今の話を踏まえたうえで、完全に一致するものとして認められるものが、実はあると思います。
ただ、それは、経験のなかで、という話ではなくなってきますが。例えば数式です。
前述の『全く同じ状況のなかにある同じ言葉を思い出すこと』についても、経験においては相違は生じますが、経験を交えない観念そのものとしては、変わらないものだと思います。
この回答への補足
数式も経験して覚えるのではないでしょうか?もし、自分以外の全員が同じ数式を正しいとしていたら、例えば2+3=6ということで一致していたら、私はやはり同じ答えを選ぶのでしょうか?私は違うと思います。
補足日時:2005/02/02 18:34No.12
- 回答日時:
No.11 に対する回答です。
『覚える』ということについてならば、私も、数式も経験を通して覚えるのだと思います。
ただ、数式という知識、或いは、数式を『知る』ということについては、一口に経験に因っているとは言えないと思います。
この場合での経験とは、難しいのですが、数式のような抽象的概念ではなく、イギリス経験論のような、感覚や知覚、あるいは、科学的思考の元になるような直観や表象を指して言っています。
『覚える』という行為は、そのような経験を介すると思いますが、『知る』ということについては、一概にそうは言えないという意味で、No.10では、数式を経験の内から外しました。勿論、全く経験が関与しないというわけではありませんが。
No.10
- 回答日時:
No.9です。
>ただ、自分の中で思いついて、誰にも話さなかったようなアイデアは指摘されることもないと思います。
はい頭の中のイデアを外部に出すことで、比較対照となると思います。
それが違うと跳ね返ってくる度合いが頻繁になると、自分の感覚はおかしいのかと脳が修正を図りだします。
幸か不幸か、我々は人間社会でもまれているので、疑問があれば言葉に出して他人の意見を求め、常識というラインに近づこうといろいろやって思考回路を変更しようとします。
例えば北朝鮮ではあのような思考回路になるし、小さい頃手が荒れている人は勤勉でいい人間だと教育されれば、手が綺麗な人に対して軽蔑を持つような人間ができあがる。
その社会が刷り込む価値を我々は基準にして生きていくことになると思うのです。
(っとーー 逸れたかしら? 言いたい事がまとまらずすいません。)
神戸連続児童殺傷事件の人は「人間はゴキブリと同じや」と発言し親はやっと自分の息子は何かが違うと感じたようです。
彼が発しなければ、疑惑は起きなかったと思います。
そして、彼は頭の中だけにとどめず実行してしまった。
実行しなければ(事件を起さなければ)彼の頭の中の混沌とした世界は誰も知ることが無かったと思います。
こんな話を聞いたことがあります。
看護士が「先生 そろそろお昼ですので、一旦休診しましょう」
すると先生は「もうお昼か じゃあ一度部屋にかえる」
そして先生は病室に戻っていった。
病院に入院しているのに、本人は入院しているのではなく、警備していると思い込んで、見回りをしている人にも会ったことがあります。
彼にはそれにより混乱はありません。
彼の世界ではちゃんと秩序だって何の不思議も無いのです。
この人は病院が勤務先だという世界に住んでいて、私は彼は患者さんだと思っている。
どっちが正しい世界なんでしょう。
わたしはこっちが正しい世界だと思ってこっちの世界に住んでいると思っているのです。
私の中ではその世界が秩序だって動いているので、これはマトリックスだという疑惑は起きないんです。
思い出したことが忘れていたことだとわかるのかってふられて、そもそも我々の知覚・認識が真実なのかって事に疑惑が芽生えてしまいました。^^;
No.9
- 回答日時:
思い出したと思っているだけかもしれない。
例えば脳に損傷を負えば、手袋を出すと頭にかぶろうとする。
違うって言うと、足に履こうとする。
間違っていると人から指摘され、時にはヒントをもらい別の近い記憶を引っ張り出す。
違う回数が多いと、社会不適合になってしまう。
もし誰も違うといわなければ、手袋を頭に乗せて、覚えていると本人は思うのかな?
「おはよう」というと「空が青い」と言ったり「そうなの ここがね」と答える人がいますが、あえて正しくない受け答えだと指摘しないので、本人にとってはその記憶の出力結果が正しかろうと、正しくなかろうと なんら影響は無いようです。
今の社会には不適合ですが、保護された環境であれば、正しくない出力結果でも問題なく生活していける。
ある程度正しい記憶を引き出す特徴のある人たちで今の社会は構成されているように思う。
もし、毎回違う人たちの方が圧倒的に多い社会なら、今とは違った社会になっていると思う。
例えば信号機は消えると思う。
もし、親が気分屋で毎回言うことが違うと、混乱した子どもができるような気がする。
何も不確かなものがなく いつも怯えている人間ができあがるような気がします。
ありがとうございます。
社会(他人)が指摘してくれることで記憶が修正されることもあるとおもいます。
ただ、自分の中で思いついて、誰にも話さなかったようなアイデアは指摘されることもないと思います。

No.8
- 回答日時:
たとえば何かメロディーを、風呂場で口ずさみました。
湧昇するがごとく連連とでてきます。そしてこう思う。「ああ、レコーダーがあったら一曲いけるね。下手すりゃ五曲に派生するね。」しかし、結局忘れて風呂から上がります。
曲を思いついたということは覚えているが、どんな曲だったか思い出せない。
何かを忘れてるんだけど、何を忘れてるんだっけ?
まぁ、似たような状況だと思います。実物が存在しないという条件(なくしたイヤリングのようにこの世にはけして存在しない、まさに記憶のもの。)
で、がんばって思い出したとしましょう。メロディを。しかし、どこか自信が無い。というより、違うという疑心暗鬼を払拭する気にもならない。
逆に、記憶を捏造しているだろう、再創造しているだろうということは、かなり信じれる。
そうなるのは、確度が低いからだと思います。
たった一回、口ずさんだだけのメロディ。リズムも小節もあやふやで、詩もない。ああ、きもちいいぞこれはという記憶しかない。
そのメロディ自体があやふやな存在だったのです。
ですから、もしレコーダーでとっても、整形しないと曲にはならないと思います。
逆に確度の高いこと。
住んでる場所(家など)。
ほぼ毎日、「習慣的」に繰り返す帰宅という行為。
厳密に言えば、毎日思い出してます。
しかし、昨日入った家と、今日入った家が同じといえるのか?
なんてことは問い立てしません。
つまらないから。
ケータイを使ってると漢字を忘れる。あー、これって漢字でどう書くんだっけ?
繰り返しの習慣が絶たれたことにより、あやふやになってゆきます。
つまり、習慣性という上塗りにより、毎日記憶が確かになっていく。三つ子の魂百まで。印象の強さが記憶の強さと考えます。
痴呆になれば、それがまたあやふやになってきます。
ここって俺の家?
家族がそうだといっても信じれません。
家は毎日同じである必要があるのですが、それが確認できない。記憶のめっきがはがれていきます。
しかし、こういう方もいます。一度見たら忘れない。一瞬でも見たら見た全てを覚えてる。
右脳記憶というものだそうです。
左脳記憶は、言語による記憶をたどって、回り道をして、論理計算によって引き出しから出されてきます。
ああきてこうきてこう、またはああきてこう、そしてああ、んでこう。同じものにたどり着くけれど、プロセスが違うのです。だから、結果も、もしかしたら違うんじゃないかと思える。
しかし、右脳記憶は、合同を見る。影が少しでも違っていたら、ここが違うと指摘できる。
現代人の多くは、左脳生活を営んできたために、痴呆に弱いような気がします。
右脳は一目瞭然です。メロディが出たらパッと記憶。何もたがわずスピードまで正確に再現。
しかし、それだけでは憶測ができないのではないか。左脳いわく、机の上に食いさしのカレーがある。ああ、昨日あいつがくって朝早くでたからこうなってるんだな。
右脳の場合は、カレーと、机の、見分けもつかない。
それを言語的に、左脳が再認識し、カレー、食いさしのカレー、ちょっとちらかってる、あいつのせい。こういう風になるんではないだろうか。
左脳的に忘れたことを思い出した場合、今は影を薄めた記憶ができたときと同じプロセス、を踏んだら、「思い出してきた」となるんではないでしょうか。
記憶に近づくという表現が正しいと思われます。
忘れていたことに近づいた。言語などで合同を判別するわけです。内容物が多少違っても、言語はイエスという可能性はあります。同じプロセスを踏んだのだから、同じところにいるに決まっている。こうなるわけです。
だから、たまには大間違いもあると思いますよ。
左脳では、昨日のミカンと、それが一日たった今日のミカンは、昨日、今日と立て続けに同じミカンを見ただけでは区別がつかない。昨日とどこが変わったと聞いても、すこしシワが、、などと「あいまい」です。昨日、今日という識別によってのみ、区別がつくのです。
右脳では、あ、ちょっとシミが、ヘタのよこにほら、みえるだろ?なんてことにはなるけれど、それが、昨日のミカンと同じものだとはわからない。それはそれ、昨日のではないわけです。
右脳は、存在のオリジナリティに厳格。
左脳は、存在の因果関係に厳格なわけです。
という風に考えました。
忘れていたことを思い出せるのは、
一、記憶が生まれたときと同じプロセスを踏む(読む)から。
二、右脳がそうだというから。
ありがとうございました。
記憶も繰り返されるとよく残りやすいですよね。特に日常的な習慣が。だけど、ぼくは日常生活と関係のないくだらないといったものを思いつきやすいんですね。そのことは書くことによって残すことができるんですけれども、そうでないと、すぐ忘れてしまう。忘れてしまったことすらも忘れているかもしれませんが。
右脳と左脳についても区別する必要がありますね。私はどちらを多く使っているかがわかりませんが。
No.7
- 回答日時:
思い出すと言う時に、
(1)意識していない事を思い出す(通行人を見て、顔が似ているので急に幼い時の友人を思い出す)。
(2)昨日の晩飯は何を食ったっけ、、と意識的に思い出そうとする。試験問題を解くとき、解法や答えを思い出そうとする。
以上の2パターンあると思いますが、質問者さんは(2)の場合に付いての疑問ですよね?
私は時間との関係があると思います。
意識的にも無意識的にも、「記憶」はそのときの環境、時間も共にインプットされるものだと考えます。
で、記憶をたどる時の手がかりの一つが時間です。
時間軸を基準に過去の記憶をたどり、思い出そうとする事項を見つけ出し、「これが私が思い出そうとしていた事と一致する」と認識すると考えます。
忘れていた事(思い出そうとしていた事)だと分かるのです。
ヒトは時間の流れの束縛の中で生きています。
記憶は、記憶された瞬間から過去のものになります。
ですから、「思い出す」という作業は「時間の中での過去の出来事を引っ張り出す」ということに他なりません。
>それを覚えたときの神経回路が切断されたことを「忘れた」と呼び、それがなんらかの力で神経回路が再び結合されたとき「思い出す」というのであれば、なぜそれが同じ神経回路なのか
脳の仕組みについては分かりませんが、仮に神経回路とするなら、切断された神経回路には記憶時のデータが残っているので、そのときの時間を探りながら一致していると思われる記憶を探り出すため、同じ神経回路が結合されると想像します。
しかし、
>私はただ単に一致していると思ってしまっているだけなのでしょうか?
とは、まさにそうだと思います。
そのために記憶違いが起こります。
試験問題を思い出す際には、時間とは関係ないと思われますが、「覚えたときの事」を呼び出すのですから、無意識的に時間を遡って回答を引き出そうとすると考えます。
そうは言っても、思い出せない事項のほうがはるかに多いわけで、なぜ思い出せるものと出せないものがあるのか、などについては、記憶のインパクトや、右脳、左脳の違いなど様々な要因があると思います。
また、深く突っ込むと「なぜヒトは時間を認識できるのか」という壮大なテーマにもつながってしまうので(^^;)、ここまでにしたいと思います。
はい、(2)の場合です。
回答ありがとうございます。
周辺記憶(時間、環境の手がかり記憶)というものがあって、私が思い出そうとしているものはそれと適合するのではないかと思ってきました。
No.6
- 回答日時:
#1、#4です。
なのでcorpusさんの記憶の大半は思い込みかもしれないですよ。
質問に戻ると、さっきの「Aさんに会った」の例だと、「Aさんに会った」という1の回路がある。
「誰に会ったっけ」という2の回路がある。
記憶違いが生じるのは1の回路に原因があるといいましたが、自分の思い出したものと思い出そうとしていたものが一致するのは2の回路があるからじゃないでしょうか。
2の回路が廃れてしまった後で「Aさんに会った」という1の回路が繋がっても、「思い出した」という感覚はないと思われます。
また、2の回路自体も自分の記憶に基づくものなので、「思い出した」という感覚はやはり思い込みでしょう。
憶測ですみませんが。
No.5
- 回答日時:
最近とみに物忘れが激しくなっております。
もしかしたら話がずれているかもしれませんが…。
忘れてしまった事を思い出す、という場合「忘れてしまっていた」という事に気づいていないといけませんよね?それとも、忘れていたこと自体も気づかなかったような場合のことなのでしょうか。だとすれば以下は忘れて下さい。
忘れた事を思い出そうとする時、なんらかの付随するイメージがあるのではないかと思うのです(たぶん、#3さんの鍵に当たるものかな?と)。何だったかはわからないけど、それを思い出そうとする時の手がかりです。
で、思い出した時に、その手がかりがうまく合えば、イメージに合致したことで「ああ、これだ」と思うのではないかな、と。
イメージ(鍵)自体が元からあやふやな場合もあると思うのですが、その場合は、思い出した時も「これだったかな???そうかも」という感じで、あまり自信が持てないように思います。
よく私は「さっきやろうとしていた事はこれだったかな?違うかも…」と思いながら動いていることがあります。その後、突然「あれだった(違っていた)」と思い出すこともあれば永遠に?思い出さない事もあります。
ありがとうございます。忘れたことにも気づかないという可能性は、私は考えていませんでした。そうですね。忘れたことに気づいていなければ、思い出そうということもしませんね。
No.4
- 回答日時:
思っているだけだと思います。
犯人を記憶する実験ってありますよね?
一瞬である人の顔を見せられて、次に10人の顔写真を見せられる。
「さっきの犯人はどの人でしょう?」ってやつです。
そのとき誰かが「ほくろがあった気がする」って言ったら自分もそんな気になって、ほくろのある人(否犯人)をこの人が犯人だと「思い出して」しまう。
また、「Aさんに会った」ことを思い出したいとします。
「Aさんに会った」という情報が1の回路。
「誰に会ったっけ」と考えているのが2の回路。
1の回路が繋がったら、2の回路が「Aさんだったんだ」と「思い出す」。
でももし1の回路があやふやで、実はBさんだったのにAさんだと勘違いしてても、2の回路は気づかないまま、「Aさんだ」と考えるでしょう。
そんなところから過去の記憶違いって起こるのではないでしょうか。
普段繰り返していることについては、記憶が深いところまできていたり、最近のことなので鮮明だったりするためにすぐ頭に浮かぶことができて、「思い出している」という感覚がないのではないでしょうか
回答ありがとうございます。記憶違いというのもありますよね。だけど、他人が介入しない状況で記憶が違っているということはわからないんじゃないかな。
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