A 回答 (44件中1~10件)
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No.3
- 回答日時:
僕はこう考えます。
肉体はすぐに、病気になったり、怪我したりして、崩れる。一時としておなじ状態がない!自分の気持ちはすぐに気が変わり、かわいい人がいたら目で追って、あの人が好きになったり、この人が好きになったりする(自分がない)。またそんな自分のミエや、意固地をまもるために、見たくないものを黙ってみようとしない。それを見るとすぐ難癖つけて、それを、それと違うものとして認識し、目殺(もくさつ)?する。(見て殺すって言う意味です)
しかし、僕は間違いない存在を見つけました。それは、二度とおんなじ姿をとどめない(原型のない)肉体存在や、流れる世界、また、すぐ気が変わり、他者との関係の中でうろうろし、出たり消えたりする信用できない自分の精神存在とは、違います。そのような、確かでない存在は、存在しているとはいえません。
しかし、僕の意思で、僕でなくあろうとすることはできない。つまり、僕は僕を僕たらしめている僕の本質を、自分の中に見ました。それは見ようとして見れるものでもなく、その本質は、本質であるがゆえに僕より大きく、小さくて不安定な肉体の目や、精神の目でははるかにおさまりきらない。しかし、その、あらゆる存在よりも、存在しているというものに「気付く」のです。見えているのとは違います。考えている僕でもありません。それは、コギト(自我)ではありません。
「僕を僕たらしめているのは、『僕ではない』のです。」
そうしてやっと、僕や、その精神世界や肉体や世界が、実感できます。それが本来、無いものである事が分かります。
世界はあなたよりも小さいために、あなたは世界を見ることが出来ます。世界の本質はあなたであるからです。(独我論における結論)しかし、あなたの本質、あなたをあなたたらしめているものは、本質であるから、あなたより大きいのです(独我論を超えた所)。
そうなので、あなたはあなたの本質が見えません。他人(世界の目)が、あなたを理解できないように、あなたは、あなたの本質を理解できません。世界と、あなたとの関係は、あなたと、あなたの本質との関係のようです。
あなたが死ぬと、世界は消えますよね?無です。あなたが、世界を世界たらしめているからです。あなたは、あなた以外の世界では生きられないし、存在することも出来ません。なぜなら、他人の目で世界を見ることはかなわないという、世界的事実があるからです。しかし、世界で死ぬのは世界的なあなただけです。あなたの死は、世界の死であるが、世界の死は、あなたの死ではありません。あなたは世界の本質で、世界よりも大きいからです。あなたの肉体(脳みそ)の死は、世界の死です。つまり、あなたが死んでも、あなたの本質は死にません。と言う事は、あなたも死にません。なぜなら、あなたの本質は、あなたをあなたたらしめている確存在だからです。おかしなことをゆっているゾ?と思いますか?
哲学の限界(独我論)を超えるとこういう思考になります。世界主的な自分意識がなくなるのです。自分は自分の本質においてあるのであり、そして、世界で生きるのです。生きる者は死にますし、そこで生成、現れた者は消滅します(世界を見たとおりです)
しかし、ある者は無くなりません。なぜなら、あるからです。「無」というものがないのです。無が無い。ないが無い。「ないものはないのだ」(byバカボンのパパ)冗談)
つまり、「あり」です。
自分の本質を、世界に所以すると、自分が死ぬと死にます。無です。あなたの本質は、そこに認められず、世界が死ぬと同時に死にます。他者(世界)はいなくてもあなたはいるということに気がつかなければなりません。そうしてやっと他者(世界)を如実に感じることが出来ます。なぜなら、感じる主体の自分というものを確立しているからです。自分の確立は、社会どころか、他者(世界)との相対関係においてもなされません。じつに、あなたの本質においてなされるのです。
あなたは、世界にあるのでなく、あなたの本質においてあるのであり、また、あなたの本質は、あなたにおいて、世界で生きるのです。あなたという場所は、そのような場所です。そうして、マジに、世界で生きることになります。
この回答への補足
精神と肉体の定義は解りましたが、どうも精神とは何なのかが良く解りません、精神が手で掴めれば、こんなに不安になったりはしないだろうにな~、と常々 はい。
自分世界の終わりが世界の終わりなのは解りますが、これは宗教的な意味合いが強くなってしまうかもしれませんが、魂は存在するのかとかそう言った感じの答えが欲しいです、魂が存在してもしなくても良いのですが、自分自身の答えを出すのに重要な鍵になるような気がしてなりません。もしよろしければ教えてください、お願いします。
No.4
- 回答日時:
この宇宙の森羅万象は、すべて、色法(姿、形として捉えられる面)と心法(形として捉えられない内面)との二面から成り立っており、しかも、この色心の二法が、それぞれ異なっておりながらも、同時に、切り離せない一体不可分の関係になっていることを「色心不二」といいます。
たとえば、人間でいいますと、精神面の働きは心法、肉体の活動(身体の動き、音声等)は色法で、心法の働きがあって色法の活動があり、また、色法の活動を通じて心法を知ることができる、すなわち色心不二なのであります。
この色心不二の理は、じつに唯物論、唯心論の二大哲学を止揚する、仏法の極理に他なりません。
かくのごとく、色心は不二である故に、私達が信心をしていく際にも、色法と心法のすべてを用いて修行していくことが本来の在り方であり、また、その果報としては、物心両面にわたって不安や行きづまりのない、真の幸福を獲得することができるのであります。
如何でしょうか?
この回答への補足
いえ、そういうことがお聞きしたいわけではなく、幸せが欲しいわけでもありませんし今現時点で不幸だと言うわけでもありません。 ただ、「精神は存在してしまうものなのになんと言う希薄さか!」と言った所に答えを見出したいのです。もし宜しければ適切なアドバイスよろしくおねがいいたします。
・・・森羅万象は一念三千かな・・・とも思いますが・・・・・どうでしょう?
No.5
- 回答日時:
精神とは何か。
それは貴方の理想の中にあるのでしょう。
人間というものがどうあって欲しいですか。
貴方の強い理想で、この世界、そして死後の世界も揺り動かして下さい。
(哲学は楽し)
No.6
- 回答日時:
う~ん、さっぱりわからんですね~。
肉体の定義もまちまちでは、ないでしょうか。私が思うに、外面的な肉体は、視覚的にも、医学的にも発展しているので言うことナシです。内面的肉体と言えば、私は生命力であり精神力であると考えています。植物人間を例にした場合、外面的肉体である筋肉?などいろいろな要素が、自分の意思ではコントロールできない状態にあり、それは感情を動作を表現できないだけではないでしょうか。この場合、私は肉体は死んでいるが、精神は生きていると思います。逆の場合を考えると、精神の死というのは、私はアイデンティティー(ID)の喪失を意味するのではないでしょうか。もちろん、医学的に死亡することもIDの喪失です。マインドコントロールなどによって、IDはなくなりますが、肉体は生きています。
結論は、肉体にしろ、精神にしろ、医学や哲学と言った枠の中でしか捉えることができないのが、現状です。そして、医学・哲学は学問・伝達の基礎である言語により表現可能な事物ではないでしょうか。しかし、言語が意味する物は、共通意識であり個人意識ではないと思います。すなわち、個人意識と共通意識にずれが存在する以上、言語として表現することは不可能だと思います。肉体は表現できていると思われるかもしれませんが、遺伝子をいくら解析したところで、肉体を動かす生命力に対して明確な答えがない以上、共通意識として答えを見つけることは不可能だと思います。
肉体について、矛盾した意見のようですが、最初の肉体が意味することは病気を想定しており、最後のほうは肉体と精神との繋がりについてを想定しています。わからないと思いますが、駄文で申し訳ないです。
この回答への補足
あの、共通意識が欲しいのではないのです・・・そのものが同じところに存在するのに全く別のものだと言うことに疑問があるのです、もし宜しければお力添え願いたいです。
アイデンティティの喪失のお話はとても楽しく拝見しました、有難うございました。
駄文だなんてとんでもないです・・・自分なんかの与太話に付き合っていただくだけでも申し訳ないですのに・・・すいません、有難うございました。
No.7
- 回答日時:
>自分自身の答えを出すのに重要な鍵になるような気がしてなりません。
その通りだと僕も思います。宗教というと、その社会機構における排他性から、敬遠したくなります。ぼくも、そのような宗教には微塵の魅力も感じません。そのような宗教機構に依存する人間は、流行にのる若者のようです。自立できていません。その信仰は薄いので、救いにはなりません。宗教で得れるホントの自立とは、すべてによって立つということです。それが、自立と言われるのは、すべてはその人のうちにあるものだからです。
714020さんのように、自分自身でそれを見出そうとする姿勢は、714020さんの求めているものに、必要です。714020さんは、答えから遠くないです。なぜなら、その姿勢は内側を向いています。答えは外にはありません。ですから、肉体は実感を持ちますが、それはホントは虚感であり、肉体感にすぎません。
もし、哲学的な思考でそれに到達したいならば、僕の知っている限りでは、永井均という方(哲学者)の著作は参考になります。彼は、例えばこんなことを言います。「魂に対する態度」とか。結構、渋いなぁって思いました(笑 彼は「子どものための哲学」という本で、魂や、自我の自我とかいったようなものに触れています。分かりやすくかかれているので、僕にも結構読めました。
僕は、「人間に対する態度」を考えます。(笑 僕も人間なのに、僕に対する態度ってことになります。しかし、それは同時に、他人に対する態度でもあるのです。僕にするように他人にします。しかし、僕にはわからない事が多すぎます。僕にいえることはまだ少ないので、714020さんの、助言になれるかは分かりませんが、言ってみます。(長くて、読むのがめんどくさかったらすみません。特に読んで欲しいところは、多分最後の方にきます)
その内に、「世界(他者)に対する態度」というものが、あきらかになります。そのとき、自分は同時に他者です。
No.8
- 回答日時:
読みずらいと思いますので、わけます。
大事な事は最後の回答の方にくると思うので、。読みづらかったらそれだけ読んでください。例えば、魂というものが、「これだ!」と、ピン球のように、つかめたとします。そうすると、僕はそのようなものの存在はしんじません。なぜなら、つかめるものは、はなせるからです。手のひらでつかめるもので、壊れないものはないですよね?次に、概念というものはどうでしょう。代表は言葉です。「飴玉」といわれて、記憶にある記録の内、味覚や触覚、視覚といったようなもので、もっとも一致したものが、瞬時に思い出されます。それは、例えば茶色いベッコウアメの様であったり、あわだまの様であったり、ドロップの様であったり、チュッパチャップス(でしたっけ?)のような、棒についたタイプ(型)かもしれませんが、重要なことは、「様な」として、思い出されることです。商品名までは、飴玉の概念だけでは行き着きません。まさに、形にあうものが、想起(イメージ)されます。
もし、実際にない言葉、「美しい」だとか、「概念」だとかいう言葉は、概念そのものが言葉になったものであるので、記憶にはありません。思い出されるときは、何か他のイメージに付随しておきます。(美しい雪とか、。)「概念」と言う言葉は、とくにイメージには出てきません。それは、あなたの頭の処理過程にしか存在しないからです。人間の造物ともいえます。それは、人間の言葉です。
No.9
- 回答日時:
概念は、壊れますか?おおよそに、壊れにくいと思われています。
じじつ、壊れにくいです。FD何枚にも、複製できたりします。しかし、いくらFDが何枚あろうとも、その実態、形、といわれるものは一つです。正三角形は一つの形しかありませんよね?同じ事です。しかし、概念と、肉体のような存在と、どちらが確かか?と言えば、どうでしょう。概念というものは、見出された存在、法則と言うようなものです。ある事物を成り立たせている骨格、設計図?と言うようなものです。それは、ものの形です。形によらずに、世界に存在する「もの」はないです。この二つがあって現象が起こります。この二つがあるという事と同時に、現象があります。万有引力という言葉がなくても、ものが落ちる事は経験的に分かっています。惑星間の引力は、身近に経験したと思いにくいことですが、言葉によって理解できます。人間(動物)が世界を見れるのは、脳ミソのせいかどうか知りませんが、いくつもの概念を使用することが出来るからです。いくつもの形を、何らかのその形とも言えるべきものを、とおして、世界を見るので、その形にあったものが見えるという事です。ですから、概念の発達していない生後間もない人は、多分、見えているものが少ないと思います。聞こえる音も同じく少ないでしょう。食べ物を食べる事を分からず、ドアが開くものである事がわからないので、それがついている一平面(壁の事ですが、「壁」と言う事も分からないでしょう)にうもれます。この埋もれると言う表現はけっこうずばりです。言い当てていると思います。概念が発達しないことは、認識が発達していない事をいいます。
その赤ちゃんの世界は、世界に埋もれるのです。浮いてきていません。
しかし、人間も、肉体による経験が、言葉にさきだつ概念として、認識の糧となります。
No.10
- 回答日時:
しかし、概念ですらも壊れます。
それは、「誤解」という形で壊れ、「忘れ」という形で終わる(死ぬ)のです。そういうことで、世界に生成したもので、何一つ消滅しないものはありません。ここからが主文です。以前の回答は、めんどくさかったら読まなくても結構です。
魂というものがあるなら、ドコにあるのでしょうか?
それは、世界>自分>自分の本質 であるので、自分と自分の本質の間に立つ者でしょう。「自分自身を見つめろ!」とかいうのは、魂によって、精神と肉体で出来た人間としての自体を見るということでしょう。はっきりいって、客観的に見るということは出来ません。客観視というものは、嘘です。失敗を冷静に見るということは、客観ではありません。「自分を見ている」と言うイメージに過ぎません。そういう意味で、科学は嘘です。そこに真実はありません。しかし、嘘も方便とゆう事で、人間はそれを利用しています。
本当に客観するには、主体をもって客観する以外にありません。つまり、視野を拡大することです。自分をも視野に入れるので、世界のことなど、もちろんはいっています。主体をもってしているので、客観とはいえませんが、以前の状態に「比べて」客観であると言えます。「人の気持ちになる」とはそういうことです。「人の気持ちを考える」とは違います。「人のこと考えろや!」とか気安く言いますが、わかっているものは、あまりいません。そのようなことがいわれる場合、大体が私欲のために言っています。倫理的規範によって言う啓蒙的な意味もあるでしょうが、倫理規範と人間規範は違います。人間規範は百人あれば百ありますが、本質において一緒です。しかし、倫理は統一的です。大事な事を言いますが、正しい事は、数えるものではありません。一緒である事は出来ますが、一ではありません。
つまり、魂という者をそういう立場の者として、考えれます。魂は人間ではなく、そこに、人間の言葉は適用できない。人間の言葉は、世界と自分の間に立つものです。それは、その人のものです。魂は、自分と自分の本質の間に立つ言葉です。その言葉は、その人の本質の言葉です。
また、魂は自他の違いもなく、あなたの魂と、僕の魂の機能はいっしょです。僕は僕になり、あなたはあなたになります。それは、魂によってです。自他の違いはない。だからこそ、完全な個性がそこにあるのです。そのものに、他者の認識はできません。しかし、自分を認識する事は出来ます。つまり、自分以外をそのものは知っています。それだけです。
その人の言葉と、魂との違いは何かと言えば、人間の言葉は
あー!わかりましたよ!、つまり、あなたは人間の言葉であなたの世界を見ます。世界はあなたのおかげであります。あなたの本質は、言葉(魂)であなた(世界を含む)を見ます。あなたはあなたの本質のおかげであります。つまり、僕は、僕の本質の言葉的なもの「魂」によってあるということです。
人間の言葉は虚で、自己の本質の言葉(魂)は真です。虚は無数にありますが、真はすべてです。存在そのものです。
人間の見る世界は虚です。しかし、自己の本質の言葉(魂)によって見る世界は真です。
さらに、人間の問題がわかりましたよ。人間の問題は、人間は自分の言葉を使っていると思っても、それは外部に起源を持ちます。経験や、教育をとおしてあります。つまり、実は自分の言葉じゃないって事です。自分の言葉と言うのは、まさにその魂によって、自分の本質を起源とするのです。
人間は言葉を二つもつ。その二つとは、真と虚です。
虚を使うものはマジで死に、真を使うものはマジに生きます。
死ぬことは、虚から放たれる事を意味します。ウソウソ人生にさよならをって感じでしょうか?
この回答への補足
倫理的規範によって言う啓蒙的な意味とは何に対する啓蒙的意味でしょうか?魂は概念で本質は真と虚に分かれるとの事でしたが・・・すいませんそうではなく魂とは何かを解りやすく教えていただきたいcaballeroさんのおっしゃっている論点はもう質問から一歩も二歩も前に進んでいらっしゃいます。それと長くなってもかまいませんので、caballeroさんの概念の適切な解釈の仕方を教えて頂きたいです。でないとせっかくの良いお話がよく見えてきません
補足日時:2001/12/24 22:37お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
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