肉体はどうしょうもなく存在してしまうのに精神は何故こんなに存在して無い物なのだろう・・・と、いつも考えていますが答えらしい答えが出ません。
精神とは何なのか、肉体とは何なのか、
肉体の死=精神の死 と単純にイコール化して良いものなのか。お知恵を貸していただけると嬉しいです。

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A 回答 (44件中11~20件)

> mimosa2001さんはどういった時にその存在を強く感じますか?



ひとつには、肉体を動かす原動力として。
たとえば、ある人(自分でも)が泣くこと、笑うこと、などは
精神がそのようにさせていることだと思うので。

もうひとつは、自分の中に、いつもなんらかの思いや感情があると感じるので
それを自分の心、と感じています。その存在を、
自分の手とか足の指とかの存在を信じるのと同じように信じています。
単純すぎますかね…。

この回答への補足

肉体を動かす原動力って具体的に何なのでしょう・・・自分考えてみましたがやっぱり解りません。mimosa2001さんはお答えをお持ちだったりしますか?

補足日時:2001/12/29 00:01
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個人的な精神についての考えをとの事のようですので、


そのように割り切って回答させて頂きます。

思うに、「精神」と「肉体」が別に存在できるものであるとするならば、
いわゆる宗教でいわれるところの「霊魂」の話に自然と向かってしまうと思うのですが。

個人的には、いろいろな宗教で言われるところの、「霊魂」としての「精神」というものに関しましては、僕は信じることができません。
いわゆる肉体なしに存在する「精神」ってやつですね。
つまり、僕は「幽体離脱」などしたことはありませんし、その他の宗教的奇跡体験も、生まれ変わりもしたことがないので、信じるにおいて証拠が足りなすぎるからです。

このような僕が体験していることとしては、いわゆる「心ここにあらず」って状態ですか?
何かを一生懸命しながら、別の事を考えてどちらにも支障のない状態。
これなら体験したことがあります。
これは、習慣的動作もしくは日常業務的な手慣れた作業を行っている状態のときに、体験することが多いように思えます。
これを、肉体と精神の分離状態とするにはやや無理があるかと思われます。
要するに手慣れた作業であるがゆえに、他の事を考える余裕があるからに他ならないのではないかと思うからです。

また、いわゆる、トランス状態もしくはナチュラル・ハイな状態においても、別に神が降りてくるわけではなく、脳内麻薬の影響の結果ではなかろうかと思ってしまいます。

では、次に「病は気から。」ってアレです。
確かに気持ちが張っているときには病気をしません。
で、気持ちが弱っているときには、簡単に病気をします。
これを、精神がおよぼす肉体への影響とすることも可能なんでしょうが、
どうなんでしょう?
いわゆる宗教的な奇跡体験とかとはちょっと違うんではなかろうかと思います。超越的奇跡体験ってやつです。
体内のホルモンバランスが崩れると精神のバランスが崩れるとか、
また、その逆とかがあるのは臨床的に証明されているようで、
ある程度までならば、人間は気のもちようで病気を治せるようです。
プラシーボ効果ってやつです。
これは体内の自己治癒能力(免疫能力)の結果であります。
特別に精神の力ってやつではありません。

で、考えられるこれらの材料ではいわゆる「霊魂」を信じるわけにはいきません。

また、個人的には、宗教などで説かれる精神について、また霊魂及び神仏の話については、すべて「よりよく生きていきましょう」と言わんが為の例え話だと思っております。なにも、それらが実在するなどという話ではないと思うのです。

以上のことから、僕は、「精神」というものがあるとすればそれは肉体に附随する幻想ではなかろうか?「精神」は「肉体」の反応の集積がもたらした脳に蓄積された反応の総体では?などと考える次第です。

あくまでも、仮定の話ですので、抽象に過ぎたかもしれませんが、御参考になりましたら。
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この回答へのお礼

そうですよね 魂を信じるにはあまりにも要素が少なすぎますよね。本当に有難う御座いました。

お礼日時:2001/12/29 00:01

>では頭脳が死ねば精神も死ぬと言うことですか?



そうです。
肉体と共に永遠の眠りにつく。
肉体が腐敗したり焼かれたりするのが当然なように、精神活動も脳の停止と共に止まり、勝手に動くことはありません。

西洋で魂が不滅というのは、不戦条約が締結者の死後も有効であったり、オリンピックの記録や、不朽の名作といわれる芸術作品があったり、哲学者の教えが伝わったりすることです。
これらは、人類の共有する財産として受け継がれます。

私の言葉がたとえばだれかの心に残ったとしても、それは私の脳(肉体)の働きの遺産でしかありません。
私が死ねば私の精神活動も終わります。
そうでなければ、安心して生きていられません。
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この回答へのお礼

西洋で魂が不滅というのは、不戦条約が締結者の死後も有効であったり、オリンピックの記録や、不朽の名作といわれる芸術作品があったり、哲学者の教えが伝わったりすることです。<これ とても好きです。有難うございました。

お礼日時:2001/12/28 23:56

>いえcaballeroさんの文章から読み取れた通りに疑問を投げかけてみましたが・・・・全て一概にはそういえないのですか?


 「すべて」と言えるのではないですか?これが一概でなくてなんでしょう。
「無」といえるのではないですか?無はすべてです。並ぶもののない言葉と言えるでしょうか、。お返事の意味がよくわからない(ぼくがいうのもなんですが、)ので、何べんでも書いてください。僕の頭があんましよくなくてごめんなさい。苦労をかけます。僕はあなたのお礼に答えていることになってますか?
>ではその五分の魂は何処から来るのでしょう?
これは、来る時にはもう来る事がなく、行くときには行く所はありません。来ると行くはおなじです。つまり、ドコもソコもありません。今、あなたにおいてそうなのです。あぁ、なんか僕がわかってきました。いま、結構いいこといったと思います。
結構いい説明でしょうか?
つまり、連続しているように、おこっているのではないということです。 
それは、あなたにしても同じです。
語彙を減らした方がいいですか?まだ、あなたの質問に直接答えていることにはなっていないですよね。
精神は精神
肉体は肉体
肉体の死と、精神の死が=ならば、精神=肉体か?ってことをお尋ねになっているのですか?
イコール化していいのはこのようにすることだけです。無はすべてと言えるのは、無=無なので、あり(すべて)になるということです。概念もなかなか役に立ちます。
今度は対話的に試みます。
やはり、自意識の問題があります。
精神は、次元を凌駕する体で、体の構成要素の一部である。つまり、意識の事である。しかし、意識は一人では動けない。自我を認識する事で、はじめて動く。
そのようなものかな?(これって対話的ですか?いつもと少し違うかなぁ(笑)?つけてるだけなんですが(笑
問答的ってことですね。問われて答えて問うて答えられらるレ~。(TT@ 

この回答への補足

精神=自我なわけですね?

補足日時:2001/12/27 14:59
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この回答へのお礼

何か重いのでまた後できます。すいません。一ページの読み込みが二分以上かかるのは ちょっとしんどいですので・・・

お礼日時:2001/12/27 15:13

>輪廻転生は別として、精神を どうお考えですか?



こんどは魂ではなく・・ということは肉体に付随している心のことですね。

寝ているときには休んでいるようですね。
起きているときには記憶したりそれを整理したり
判断したり・・してますね。

私にとって精神とは脳のはたらきであって、肉体の反応を指しています。
たとえば、今こうして書いているのも適度の体力の余裕と適度の疲労のなせるわざ。なにかしら快感があるから書けるのです。
私のため、あなたのため、世界のためなどと考えることもできますが、そのために無理はしていない状態です。

もちろん、こんな良好な状態の時ばかりではありません。

この回答への補足

では、cotikuさんのお考えでは精神は脳の働き・・・では頭脳が死ねば精神も死ぬと言うことですか?

補足日時:2001/12/26 00:23
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>ではその五分の魂は何処から来るのでしょう?



もし、死んでおしまいなら、一寸の虫を意味無くいたぶるのも、自然に生かしておくのも同じ。
しかし、いやがり、むごたらしい断末魔の表情を愉快と感じるより、不快とするのが普通ではないでしょうか?

心優しい仏陀は無駄な殺生を避けようとしました。
少なくとも仏教を国教とした奈良時代から日本人は無駄な殺生を嫌います。
いじめも嫌います。

さて、本論です。
どこからきて、どこへいくのか。

春にタンポポが咲きますがこれは真夏には姿を消して冬の内にまた芽を出します。そして春に咲いて夏に消える。
水は空から降ってきますが川になったり蒸発して空にもどったり。
つまり、この世とあの世を行ったり来たりしていると考えるとつじつまが合います。

そのタンポポは大輪だったら次に生まれてくるときにも大輪。
ただし、環境によっては変形していることもある。
もし、人がこの世で虫をいじめたら次に生まれてくるときには?・・・

魂は不滅にして輪廻する。
これが、仏陀の考えた倫理(人の道)を正す理論です。
インドの無抵抗主義は来世を信じるからできるのではないでしょうか。
他の宗教ではこの「どこからきて、どこへいくのか」に答えた人がありません。
数学の国インドの頭のよさに感心する次第です。

この回答への補足

これはcotikuさんのお考えでなくガウタマの教えですね・・・cotikuさんは輪廻転生は別として、精神を どうお考えですか?

補足日時:2001/12/25 23:14
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この回答へのお礼

有難うございました

お礼日時:2001/12/25 23:13

ところで、714020さんはどこまで考えて、アンバランスさに苦しんでいるのですか。

詳細を知りたいと思います。

この回答への補足

肉体はどうしょうもなく存在してしまうのに精神は何故こんなに存在して無い物なのだろう・・・と、いつも考えていますが答えらしい答えが出ません。それと、世間一般に言う精神の定義が欲しいのではなく個人の意見を下さい。
としつこくも申し上げていますが・・・

それにもう締めきったものとお考えになって結構だとさきほど申し上げたはずですが・・・

補足日時:2001/12/25 23:01
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精神の有無は他者によって実証することは不可能です。

当然確認することもできません。
自分についても、自分がもつ感情、認識にたいする肉体的とは思えない反応を精神と定義する場合のみ精神が有るということができるでしょう。肉体は死んでも、精神は死なないという可能性がある場合、精神が死んで肉体が生きるという状態が有りうるのか?これも確認はできません。精神の死が起こりうるのならそれを認識できるのは死んだ精神そのもの以外に存在しないからです。
目が自らの構造を視覚することができないように、精神は自らを認識することはできません。つまり、精神は現在も今後も証明することはできません。
私達は感情と思考という点と点を結びあわせる線が存在するはずであるという予想のもとに、その線を精神と定義しているに過ぎないのです。
あなたは精神の存在を他者に証明できるような論拠を求めているのではありませんか?また、自分の中の他人(客観性)に対して同様に精神の存在を証明しようとするために苦しむのではないでしょうか?
主観的になることこそが救いなのではないでしょうか?
無我という境地もまた、我を認識できないほどの主観であると、考えます。
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この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2001/12/25 21:33

以前、回答したものです。

みなさんそれぞれの考え方をお持ちで、また質問者の714020さんにも「分からない」なりに固有の考え方があるということが分かりました。

この質問のおおもとにあるのは、714020さんにとって精神(心と言い換えていいでしょうか?)が不確かで希薄なもので、その存在に確信がもてず、それがあるという実感が持てない、ということでしょう。実感のない人に対して「感じろ」といっても仕方ないですし、また理屈でこうこうだから有るはずだ、と解いても、やはり納得することはできないだろうと思います。だからこそ、714020さんはあくまで意見を聞きたいと何度もおっしゃっているわけですね。

むしろここで必要とされているのは、学説や教説ではなく、自分はこんな仕方で精神を実感している、こう「感じている」というある種の体験ではないかと想像します。ですから、以前の私の回答に対する質問に答えながら私の「感じ」の内容を書こうと思います。

>肉体や精神は変幻する、だから存在しないのですか?
良くお読みいただければ分かるのですが、私がいおうとしたのは、むしろ「肉体や精神は変幻する、それでも肉体も精神も存在する」ということです。

肉体と精神はもちろんイコールではないが、不可分のものであり、どちらも私という現実の存在を働かせる(活動させる)基になるものである、私は考えます。例えば、日々、私は文字を読んだり書いたり、歩いたり走ったり、何かを食べたり飲んだりしています。それは物理的にはすべて筋肉と神経の科学的な活動ということになります。しかし同時にそれらは、「知識を得ようと」本を読解することであり、「想いを伝えようと」手紙を書くことであったり、「気晴らしのために」外に出ることであったり、「遅刻すると叱られるのが嫌だ」からから走ったり、たまには「贅沢したい」とステーキを食べたり、「落ち着きを取り戻すために」コーヒーを飲んだりしています。つまり心の働きに応じて身体が動いています。

逆に、身体の働きに応じて心が動いているのかもしれません。喉が渇いたら水を飲んだりもしますから。

いずれの場合でも、私が生きて生活しているとき、私はただ本を読む、手紙を書く、ステーキを食べる…などの行為をしているにすぎません。ただそれを、物理的に捉えれば筋肉と神経といった身体の活動で説明できますし、また心的に捉えれば、知識を得たい、想いを伝えたい…という心の動きで説明することになります。それぞれの働きに応じて、「その働きを担うモノとして」身体と精神が別々のものとして想定され、しかも対抗的な対概念として使用されているということだと思います。

ですから、どちらも存在するし実感せざるを得ない、というのが私の答えです。人によっては、肉体の方が精神よりも確固とした存在であるという方も、逆に精神の方が肉体よりも確固とした存在であるという方もいます。私の場合は、どちらも変幻しつつ、日によって強弱はありつつ、もしかしたらどちらもあやふやかもしれないが、しかし肉体も精神もそういうあやふやなものとして存在しているとおもいます。

それが恒常的であろうがなかろうが、普遍的であろうがなかろうが、そういう内容はともかく、現に有るという「事実」でもうそれは存在を意味していると思うのです。

そこで、「肉体の死⇒その人の死⇒精神の死」ですが、肉体も精神も私の存在を担うものですから、一方が死ねばそれは私の死を意味し、当然他方も死ぬということを書いたのです。精神だけが死んで肉体だけの自分も、肉体が死んで精神だけの自分も、どちらも存在しないでしょうから。

「手を動かしたいと思った時に手が動くのは何故でしょう?」
という質問ですが、私はただ「手を動かす」だけです。それを先の二つの視点(物理的説明と心的説明)を要求された時に、「手を動かしたいという欲求」と「脳からの刺激が神経伝わって手の筋肉を弛緩・収縮させる」という別々の系列の説明をするだけだと思います。もしかしたら、「手を動かす」だけですらなく、ただ「分かれの合図をしている」だけかもしれないし、ただ「背中を掻いている」だけかもしれません。

私という現象は、細かく分ければどこまでも分けることができます。まず肉体と精神に、それらがまた筋肉や血液や細胞に、そして他方が意識や無意識や悟性や理性に。しかしそれらはあくまで私の活動をそれぞれの視点から眺めた時にその働きを担うものとして想定されているのだと思います。だからといって、心の中に意識と無意識が別々に独立してあるわけではなく、心が一つであるように、私は心と身体にわかれず、一つなのだと思います。

そして肉体や精神があやふやであるというより、私という存在はどこまでもあやふやで不確かです。しかしそれでもそういうものとして存在しているというところに私としての、また人間としての同一性を感じています。

こんなあやふやな答えは、参考になりませんか?

この回答への補足

いえ、心身二元論では相互作用などの説明が不可能だった用に記憶していましたので、「手を動かしたいと思った時に手が動くのは何故でしょう?」 とお聞きしてみたのですが・・・ちょっと悪趣味でしたよね・・・すいません

補足日時:2001/12/25 21:04
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この回答へのお礼

十分参考になりました有難うございました。

お礼日時:2001/12/25 21:03

>精神とは何なのか、肉体とは何なのか.


一寸の虫にも5分の魂があります。
動いている虫をさわれば突然死んだふりをします。
反射神経だけで反応しているのかもしれません。
自分の命の繋がる方へ動いています。

犬は人間の子供ほど発達していて、
えさをくれる人、散歩に連れていってくれるひとに愛嬌よく振舞い、野犬は群れをなして行動します。
人間は生きていくために栽培したり服や家を作ったり言葉を覚えて共同したり、嘘をついたりします。

いづれも、肉体を保護する手段です。
ここで、肉体と精神とは不可分だと言えます。
一方が死ねば一方も死にます。
乳幼児や病人・怪我人・老衰した人は他に助けてくれる人があるから、生きているのです。
この、助け合いの精神も本能的にそなわった性質です。

今言った精神と、宗教で言う魂とは別です。
死を永遠の眠りといい、魂は不滅といいます。

この回答への補足

ではその五分の魂は何処から来るのでしょう?
と、言うところが疑問なのです。

何とかお知恵を貸していただけませんか?

補足日時:2001/12/25 19:32
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うだつ「の」上がらないと言いますが辞書にはうだつが上がらないと書いてあります。うだつ「の」上がらないでは間違いですか?
それからうだつが上がらないとは出世しないという意味で見た感じさえないという意味は含まれないんでしょうか?

Aベストアンサー

はじめまして。

ご質問1:
<うだつ「の」上がらないでは間違いですか?>

間違いとは言えません。

1.通常は「が」が使用されるのが慣用的です。

2.一方、格助詞「の」にも「主格」の用法があります。

3.主格の「の」は本来準体用法をつくる助詞として、述部が名詞にかかったり、その名詞が省略される語法で使われていました。
例:
「白き鳥の端と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食う」

ここでは「白き鳥の」の「の」が主格の格助詞で、主語として
「端と脚と赤き」
「しぎの大きさなる」
という2つの述部にかかっています。

そして、それぞれ「赤き」「大きさなる」という連体形止めになり、ここでは「(白き)鳥」という名詞が省略されているのです。この「主格の『の』+連体形+名詞の省略」の形を準体用法といいます。

4.現代語でも、この主格の「の」が用いられる場合は、「準体用法」の名残として、名詞を補うことが多く、省略されていても「名詞」が暗示されています。
例:
「頭の良い人」=「頭が良い、人」
「都合のいい時間」=「都合がいい、時間」

これらの「の」は主格の格助詞で「が」と同じ働きをします。しかし、通常は「人」「時間」などの名詞と共に使われる用法なのです。それが準体用法の名残と説明する理由です。

5.従って、「うだつの上がらない」という表現も間違いではありませんが、述部で言いきる叙述用法はなく、上記のように「準体用法」の名残を受けて、通常は名詞にかかるように限定用法として用いられるのが正しい用法です。
例:
「彼はうだつが上がらない」(O:叙述用法)
「彼はうだつの上がらない」(X:叙述用法)
「彼はうだつの上がらない人だ」(O:限定用法)


ご質問2:
<うだつが上がらないとは~見た感じさえないという意味は含まれないんでしょうか?>

含まれません。

1.「見た感じ冴えない」という印象は、「うだつが上がらない」の副次的な印象で、必然的な「=」の関係はありません。

2.つまり、
「うだつが上がらなくても見た感じは立派」
「うだつは上がる(出世している)のに見た感じは冴えない」
という例外も十分ありうるからです。

3.「うだつが上がらない」を使って「見た感じ冴えない」という意味と同義にするには、婉曲を表す語「そう」などを使って「うだつが上がらなさそう」などとすればいいでしょう。

4.ちなみにご存知だと思いますが、「うだつ」とは、徳島県の脇町で発祥した「隣家との境にある小屋根付きの火よけ壁」のことをいい、この建造にかなりの費用がかかったため、それが立つことは経済状態がよく商売繁盛を意味し、そこから「出世する」という意味で使われるようになったものです。

5.従って、「うだつが上がる」とは、文字通り「うだつを立てることができた」ことを意味しますから、「出世する」という直接的な事実としての言葉が使われるのです。「出世しそう」という予想・雰囲気ではありません。


以上ご参考までに。

はじめまして。

ご質問1:
<うだつ「の」上がらないでは間違いですか?>

間違いとは言えません。

1.通常は「が」が使用されるのが慣用的です。

2.一方、格助詞「の」にも「主格」の用法があります。

3.主格の「の」は本来準体用法をつくる助詞として、述部が名詞にかかったり、その名詞が省略される語法で使われていました。
例:
「白き鳥の端と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食う」

ここでは「白き鳥の」の「の」が主格の格助詞で、主語として
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端的に書き表してください。

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この「存在性理論」は、「空間」というものがすでに
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まれることも、進化してゆくことも、この理論で説明
できそうです。
唯物論と唯心論をまとめる、新しい理論であるとおっ
しゃることも分からないではないです。

しかし、私が悩んだのは、№12で申し上げた、宇宙の
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とりあえずは思いついたことを述べてみました。
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Aベストアンサー

 No.9です。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 吾々人間が誕生する以前であってもいいのです。
 地球に生物が誕生する以前であってもいいのです。宇宙の存在と時間の関係のことです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 宇宙の存在は 時空間とともにあります。それだけです。
 その以前は 分かりません。
 ★ 時間がないということは真の無。
 ☆ ということでもなく 宇宙の始まってからの《有か無か》を超えています。《有無や時空間》は 宇宙の始まりと共にあるのですから。
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精神的病気は自らの意思で避けることはできるが
今の社会の中では一般的にそういった教育がなされてないので
自分に対して無知であり、精神的な発達が未熟である。

ゆえに社会全体として考えたときに、学びが無く意思だけで避けることは無理がある。


肉体的病気の多くは精神的なものに由来するので、未熟さを克服できれば
その多くは避けることができる。

しかし、化学物質や放射線や強い電磁波などの物理的なものの影響での病気は避けられない。
それを避けるためには、回避策や対策を施行できる信頼できる社会を作り出すことが必要だが
それに至るには、やはり人間の多くが精神的に成熟した社会が必要となる。


人間が個々に自分の未熟さに気がついて、それを協力して改善しようとする社会を作り出さないと
病気は避けることができない。

そのことを人類として気がつくには、まだまだ機が熟していないかもしれない。
ここ数十年ではっきりしてくる現象だと思えるので、その激動を眼にすると思います。

人間としての存在が大きく変わる時期でしょうから、かなりの痛みが伴ったとしても
その変化を見届けるのは、今生きている私たちの責任だと思います。

社会的変化が終われば、人類はもっと発展するでしょうね。
それが楽しみでもあります。

そこまで見届けるほど、長生きしたいですね。

精神的病気は自らの意思で避けることはできるが
今の社会の中では一般的にそういった教育がなされてないので
自分に対して無知であり、精神的な発達が未熟である。

ゆえに社会全体として考えたときに、学びが無く意思だけで避けることは無理がある。


肉体的病気の多くは精神的なものに由来するので、未熟さを克服できれば
その多くは避けることができる。

しかし、化学物質や放射線や強い電磁波などの物理的なものの影響での病気は避けられない。
それを避けるためには、回避策や対策を施行できる信頼できる社...続きを読む

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好景気になるには不動産の土地の価格が上がらないといけないがもう日本が戦後のように少子化で地価が上がることはないと思う。

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ずばりひっくり返った湯呑みと茶
現場の次は何

Aベストアンサー

補足ありがとうございます。

えらぶいなち→楽譜のくだりがよく理解できなかったので、ぼくはピアノ習ってますがヘタクソなので、まわりの音楽のプロフェッショナルに聞いてみます。自分なりの答えを導いてから、次どう対応するか、の答えを書きます。48時間以内にはがんばる。

ちなみに、この時点では、
ひっくり返った湯呑みと茶、現場の次は、
じゅうたんにしみがつかないようによく拭いて、もういちど正しい手順でお茶を淹れる
というのが、答えだと思います。
 
 
 

Q今の若いニートの子供たちが、いくら努力しても社会的地位や給与が、上がらない現実を知る時、日本社会の安

今の若いニートの子供たちが、いくら努力しても社会的地位や給与が、上がらない現実を知る時、日本社会の安定や平穏が、保てるのでしょうか?

Aベストアンサー

まず、努力しても社会的地位や給与が上がらないからニートになるのではなくて、ニートになってしまったが故に自ら努力する機会を放棄して、結果的に社会的地位や給与を得ることが出来ないんだと思います。
彼らが目指すべきは、社会的地位や給与ではなくて、ニートから脱却するための努力です。
スタートラインにも立っていないので、立つことの努力をすべきです。

Q肉体が死ねば全てが無になると思っている唯物主義者

地球人類には、人間は肉体のみの存在で、肉体が死ねば全てが無になると思っている唯物主義者が多い事も、地球が、刑務所レベルの不良惑星であるという事を間接的に示す証拠の一つですよね。

Aベストアンサー

肉体のない方々と対話できる人々(霊媒など)は実際に存在しますから、そういう対話と直接でくわえば、わかるでしょう。でもそのような対話に居合わせる機会がない人々もいますから、「肉体が死ねば全てが無」と誤信しているひともいるのは、しかたがないことなのです。

なお、脳科学は物質が精神状況に影響することは示しておりますが、逆に精神状況が脳内物質に影響することも示されており、心が脳内物質に完全に依存するということは証明されておりません。そもそも意思決定を決めるプログラムも発見されていないし、今後も発見されないでしょう。

以上を総合すると、どうも唯物主義は、事実や経験に不足する方々が抱く空想的な願望であることになりそうですね。もっとも真摯で有用でありうるのは、物理的に記述される範囲の現象を調べるための手続き上の唯物主義です。これは、物質科学ですが、これは文字通りの唯物主義(すべては物質)を示せるものではなく、あくまで物理的に記述される範囲の現象に限って追求しようとする約束事なのです。

ただし、唯物論者が多いことで、決して、地球が不良惑星であることにはなりません。地球は、経験やバックグランドの違う色々な人々が交流して向上する大切な場なのです。

肉体のない方々と対話できる人々(霊媒など)は実際に存在しますから、そういう対話と直接でくわえば、わかるでしょう。でもそのような対話に居合わせる機会がない人々もいますから、「肉体が死ねば全てが無」と誤信しているひともいるのは、しかたがないことなのです。

なお、脳科学は物質が精神状況に影響することは示しておりますが、逆に精神状況が脳内物質に影響することも示されており、心が脳内物質に完全に依存するということは証明されておりません。そもそも意思決定を決めるプログラムも発見されていな...続きを読む


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