肉体はどうしょうもなく存在してしまうのに精神は何故こんなに存在して無い物なのだろう・・・と、いつも考えていますが答えらしい答えが出ません。
精神とは何なのか、肉体とは何なのか、
肉体の死=精神の死 と単純にイコール化して良いものなのか。お知恵を貸していただけると嬉しいです。

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A 回答 (44件中11~20件)

> mimosa2001さんはどういった時にその存在を強く感じますか?



ひとつには、肉体を動かす原動力として。
たとえば、ある人(自分でも)が泣くこと、笑うこと、などは
精神がそのようにさせていることだと思うので。

もうひとつは、自分の中に、いつもなんらかの思いや感情があると感じるので
それを自分の心、と感じています。その存在を、
自分の手とか足の指とかの存在を信じるのと同じように信じています。
単純すぎますかね…。

この回答への補足

肉体を動かす原動力って具体的に何なのでしょう・・・自分考えてみましたがやっぱり解りません。mimosa2001さんはお答えをお持ちだったりしますか?

補足日時:2001/12/29 00:01
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個人的な精神についての考えをとの事のようですので、


そのように割り切って回答させて頂きます。

思うに、「精神」と「肉体」が別に存在できるものであるとするならば、
いわゆる宗教でいわれるところの「霊魂」の話に自然と向かってしまうと思うのですが。

個人的には、いろいろな宗教で言われるところの、「霊魂」としての「精神」というものに関しましては、僕は信じることができません。
いわゆる肉体なしに存在する「精神」ってやつですね。
つまり、僕は「幽体離脱」などしたことはありませんし、その他の宗教的奇跡体験も、生まれ変わりもしたことがないので、信じるにおいて証拠が足りなすぎるからです。

このような僕が体験していることとしては、いわゆる「心ここにあらず」って状態ですか?
何かを一生懸命しながら、別の事を考えてどちらにも支障のない状態。
これなら体験したことがあります。
これは、習慣的動作もしくは日常業務的な手慣れた作業を行っている状態のときに、体験することが多いように思えます。
これを、肉体と精神の分離状態とするにはやや無理があるかと思われます。
要するに手慣れた作業であるがゆえに、他の事を考える余裕があるからに他ならないのではないかと思うからです。

また、いわゆる、トランス状態もしくはナチュラル・ハイな状態においても、別に神が降りてくるわけではなく、脳内麻薬の影響の結果ではなかろうかと思ってしまいます。

では、次に「病は気から。」ってアレです。
確かに気持ちが張っているときには病気をしません。
で、気持ちが弱っているときには、簡単に病気をします。
これを、精神がおよぼす肉体への影響とすることも可能なんでしょうが、
どうなんでしょう?
いわゆる宗教的な奇跡体験とかとはちょっと違うんではなかろうかと思います。超越的奇跡体験ってやつです。
体内のホルモンバランスが崩れると精神のバランスが崩れるとか、
また、その逆とかがあるのは臨床的に証明されているようで、
ある程度までならば、人間は気のもちようで病気を治せるようです。
プラシーボ効果ってやつです。
これは体内の自己治癒能力(免疫能力)の結果であります。
特別に精神の力ってやつではありません。

で、考えられるこれらの材料ではいわゆる「霊魂」を信じるわけにはいきません。

また、個人的には、宗教などで説かれる精神について、また霊魂及び神仏の話については、すべて「よりよく生きていきましょう」と言わんが為の例え話だと思っております。なにも、それらが実在するなどという話ではないと思うのです。

以上のことから、僕は、「精神」というものがあるとすればそれは肉体に附随する幻想ではなかろうか?「精神」は「肉体」の反応の集積がもたらした脳に蓄積された反応の総体では?などと考える次第です。

あくまでも、仮定の話ですので、抽象に過ぎたかもしれませんが、御参考になりましたら。
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この回答へのお礼

そうですよね 魂を信じるにはあまりにも要素が少なすぎますよね。本当に有難う御座いました。

お礼日時:2001/12/29 00:01

>では頭脳が死ねば精神も死ぬと言うことですか?



そうです。
肉体と共に永遠の眠りにつく。
肉体が腐敗したり焼かれたりするのが当然なように、精神活動も脳の停止と共に止まり、勝手に動くことはありません。

西洋で魂が不滅というのは、不戦条約が締結者の死後も有効であったり、オリンピックの記録や、不朽の名作といわれる芸術作品があったり、哲学者の教えが伝わったりすることです。
これらは、人類の共有する財産として受け継がれます。

私の言葉がたとえばだれかの心に残ったとしても、それは私の脳(肉体)の働きの遺産でしかありません。
私が死ねば私の精神活動も終わります。
そうでなければ、安心して生きていられません。
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この回答へのお礼

西洋で魂が不滅というのは、不戦条約が締結者の死後も有効であったり、オリンピックの記録や、不朽の名作といわれる芸術作品があったり、哲学者の教えが伝わったりすることです。<これ とても好きです。有難うございました。

お礼日時:2001/12/28 23:56

>いえcaballeroさんの文章から読み取れた通りに疑問を投げかけてみましたが・・・・全て一概にはそういえないのですか?


 「すべて」と言えるのではないですか?これが一概でなくてなんでしょう。
「無」といえるのではないですか?無はすべてです。並ぶもののない言葉と言えるでしょうか、。お返事の意味がよくわからない(ぼくがいうのもなんですが、)ので、何べんでも書いてください。僕の頭があんましよくなくてごめんなさい。苦労をかけます。僕はあなたのお礼に答えていることになってますか?
>ではその五分の魂は何処から来るのでしょう?
これは、来る時にはもう来る事がなく、行くときには行く所はありません。来ると行くはおなじです。つまり、ドコもソコもありません。今、あなたにおいてそうなのです。あぁ、なんか僕がわかってきました。いま、結構いいこといったと思います。
結構いい説明でしょうか?
つまり、連続しているように、おこっているのではないということです。 
それは、あなたにしても同じです。
語彙を減らした方がいいですか?まだ、あなたの質問に直接答えていることにはなっていないですよね。
精神は精神
肉体は肉体
肉体の死と、精神の死が=ならば、精神=肉体か?ってことをお尋ねになっているのですか?
イコール化していいのはこのようにすることだけです。無はすべてと言えるのは、無=無なので、あり(すべて)になるということです。概念もなかなか役に立ちます。
今度は対話的に試みます。
やはり、自意識の問題があります。
精神は、次元を凌駕する体で、体の構成要素の一部である。つまり、意識の事である。しかし、意識は一人では動けない。自我を認識する事で、はじめて動く。
そのようなものかな?(これって対話的ですか?いつもと少し違うかなぁ(笑)?つけてるだけなんですが(笑
問答的ってことですね。問われて答えて問うて答えられらるレ~。(TT@ 

この回答への補足

精神=自我なわけですね?

補足日時:2001/12/27 14:59
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この回答へのお礼

何か重いのでまた後できます。すいません。一ページの読み込みが二分以上かかるのは ちょっとしんどいですので・・・

お礼日時:2001/12/27 15:13

>輪廻転生は別として、精神を どうお考えですか?



こんどは魂ではなく・・ということは肉体に付随している心のことですね。

寝ているときには休んでいるようですね。
起きているときには記憶したりそれを整理したり
判断したり・・してますね。

私にとって精神とは脳のはたらきであって、肉体の反応を指しています。
たとえば、今こうして書いているのも適度の体力の余裕と適度の疲労のなせるわざ。なにかしら快感があるから書けるのです。
私のため、あなたのため、世界のためなどと考えることもできますが、そのために無理はしていない状態です。

もちろん、こんな良好な状態の時ばかりではありません。

この回答への補足

では、cotikuさんのお考えでは精神は脳の働き・・・では頭脳が死ねば精神も死ぬと言うことですか?

補足日時:2001/12/26 00:23
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>ではその五分の魂は何処から来るのでしょう?



もし、死んでおしまいなら、一寸の虫を意味無くいたぶるのも、自然に生かしておくのも同じ。
しかし、いやがり、むごたらしい断末魔の表情を愉快と感じるより、不快とするのが普通ではないでしょうか?

心優しい仏陀は無駄な殺生を避けようとしました。
少なくとも仏教を国教とした奈良時代から日本人は無駄な殺生を嫌います。
いじめも嫌います。

さて、本論です。
どこからきて、どこへいくのか。

春にタンポポが咲きますがこれは真夏には姿を消して冬の内にまた芽を出します。そして春に咲いて夏に消える。
水は空から降ってきますが川になったり蒸発して空にもどったり。
つまり、この世とあの世を行ったり来たりしていると考えるとつじつまが合います。

そのタンポポは大輪だったら次に生まれてくるときにも大輪。
ただし、環境によっては変形していることもある。
もし、人がこの世で虫をいじめたら次に生まれてくるときには?・・・

魂は不滅にして輪廻する。
これが、仏陀の考えた倫理(人の道)を正す理論です。
インドの無抵抗主義は来世を信じるからできるのではないでしょうか。
他の宗教ではこの「どこからきて、どこへいくのか」に答えた人がありません。
数学の国インドの頭のよさに感心する次第です。

この回答への補足

これはcotikuさんのお考えでなくガウタマの教えですね・・・cotikuさんは輪廻転生は別として、精神を どうお考えですか?

補足日時:2001/12/25 23:14
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この回答へのお礼

有難うございました

お礼日時:2001/12/25 23:13

ところで、714020さんはどこまで考えて、アンバランスさに苦しんでいるのですか。

詳細を知りたいと思います。

この回答への補足

肉体はどうしょうもなく存在してしまうのに精神は何故こんなに存在して無い物なのだろう・・・と、いつも考えていますが答えらしい答えが出ません。それと、世間一般に言う精神の定義が欲しいのではなく個人の意見を下さい。
としつこくも申し上げていますが・・・

それにもう締めきったものとお考えになって結構だとさきほど申し上げたはずですが・・・

補足日時:2001/12/25 23:01
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精神の有無は他者によって実証することは不可能です。

当然確認することもできません。
自分についても、自分がもつ感情、認識にたいする肉体的とは思えない反応を精神と定義する場合のみ精神が有るということができるでしょう。肉体は死んでも、精神は死なないという可能性がある場合、精神が死んで肉体が生きるという状態が有りうるのか?これも確認はできません。精神の死が起こりうるのならそれを認識できるのは死んだ精神そのもの以外に存在しないからです。
目が自らの構造を視覚することができないように、精神は自らを認識することはできません。つまり、精神は現在も今後も証明することはできません。
私達は感情と思考という点と点を結びあわせる線が存在するはずであるという予想のもとに、その線を精神と定義しているに過ぎないのです。
あなたは精神の存在を他者に証明できるような論拠を求めているのではありませんか?また、自分の中の他人(客観性)に対して同様に精神の存在を証明しようとするために苦しむのではないでしょうか?
主観的になることこそが救いなのではないでしょうか?
無我という境地もまた、我を認識できないほどの主観であると、考えます。
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この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2001/12/25 21:33

以前、回答したものです。

みなさんそれぞれの考え方をお持ちで、また質問者の714020さんにも「分からない」なりに固有の考え方があるということが分かりました。

この質問のおおもとにあるのは、714020さんにとって精神(心と言い換えていいでしょうか?)が不確かで希薄なもので、その存在に確信がもてず、それがあるという実感が持てない、ということでしょう。実感のない人に対して「感じろ」といっても仕方ないですし、また理屈でこうこうだから有るはずだ、と解いても、やはり納得することはできないだろうと思います。だからこそ、714020さんはあくまで意見を聞きたいと何度もおっしゃっているわけですね。

むしろここで必要とされているのは、学説や教説ではなく、自分はこんな仕方で精神を実感している、こう「感じている」というある種の体験ではないかと想像します。ですから、以前の私の回答に対する質問に答えながら私の「感じ」の内容を書こうと思います。

>肉体や精神は変幻する、だから存在しないのですか?
良くお読みいただければ分かるのですが、私がいおうとしたのは、むしろ「肉体や精神は変幻する、それでも肉体も精神も存在する」ということです。

肉体と精神はもちろんイコールではないが、不可分のものであり、どちらも私という現実の存在を働かせる(活動させる)基になるものである、私は考えます。例えば、日々、私は文字を読んだり書いたり、歩いたり走ったり、何かを食べたり飲んだりしています。それは物理的にはすべて筋肉と神経の科学的な活動ということになります。しかし同時にそれらは、「知識を得ようと」本を読解することであり、「想いを伝えようと」手紙を書くことであったり、「気晴らしのために」外に出ることであったり、「遅刻すると叱られるのが嫌だ」からから走ったり、たまには「贅沢したい」とステーキを食べたり、「落ち着きを取り戻すために」コーヒーを飲んだりしています。つまり心の働きに応じて身体が動いています。

逆に、身体の働きに応じて心が動いているのかもしれません。喉が渇いたら水を飲んだりもしますから。

いずれの場合でも、私が生きて生活しているとき、私はただ本を読む、手紙を書く、ステーキを食べる…などの行為をしているにすぎません。ただそれを、物理的に捉えれば筋肉と神経といった身体の活動で説明できますし、また心的に捉えれば、知識を得たい、想いを伝えたい…という心の動きで説明することになります。それぞれの働きに応じて、「その働きを担うモノとして」身体と精神が別々のものとして想定され、しかも対抗的な対概念として使用されているということだと思います。

ですから、どちらも存在するし実感せざるを得ない、というのが私の答えです。人によっては、肉体の方が精神よりも確固とした存在であるという方も、逆に精神の方が肉体よりも確固とした存在であるという方もいます。私の場合は、どちらも変幻しつつ、日によって強弱はありつつ、もしかしたらどちらもあやふやかもしれないが、しかし肉体も精神もそういうあやふやなものとして存在しているとおもいます。

それが恒常的であろうがなかろうが、普遍的であろうがなかろうが、そういう内容はともかく、現に有るという「事実」でもうそれは存在を意味していると思うのです。

そこで、「肉体の死⇒その人の死⇒精神の死」ですが、肉体も精神も私の存在を担うものですから、一方が死ねばそれは私の死を意味し、当然他方も死ぬということを書いたのです。精神だけが死んで肉体だけの自分も、肉体が死んで精神だけの自分も、どちらも存在しないでしょうから。

「手を動かしたいと思った時に手が動くのは何故でしょう?」
という質問ですが、私はただ「手を動かす」だけです。それを先の二つの視点(物理的説明と心的説明)を要求された時に、「手を動かしたいという欲求」と「脳からの刺激が神経伝わって手の筋肉を弛緩・収縮させる」という別々の系列の説明をするだけだと思います。もしかしたら、「手を動かす」だけですらなく、ただ「分かれの合図をしている」だけかもしれないし、ただ「背中を掻いている」だけかもしれません。

私という現象は、細かく分ければどこまでも分けることができます。まず肉体と精神に、それらがまた筋肉や血液や細胞に、そして他方が意識や無意識や悟性や理性に。しかしそれらはあくまで私の活動をそれぞれの視点から眺めた時にその働きを担うものとして想定されているのだと思います。だからといって、心の中に意識と無意識が別々に独立してあるわけではなく、心が一つであるように、私は心と身体にわかれず、一つなのだと思います。

そして肉体や精神があやふやであるというより、私という存在はどこまでもあやふやで不確かです。しかしそれでもそういうものとして存在しているというところに私としての、また人間としての同一性を感じています。

こんなあやふやな答えは、参考になりませんか?

この回答への補足

いえ、心身二元論では相互作用などの説明が不可能だった用に記憶していましたので、「手を動かしたいと思った時に手が動くのは何故でしょう?」 とお聞きしてみたのですが・・・ちょっと悪趣味でしたよね・・・すいません

補足日時:2001/12/25 21:04
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この回答へのお礼

十分参考になりました有難うございました。

お礼日時:2001/12/25 21:03

>精神とは何なのか、肉体とは何なのか.


一寸の虫にも5分の魂があります。
動いている虫をさわれば突然死んだふりをします。
反射神経だけで反応しているのかもしれません。
自分の命の繋がる方へ動いています。

犬は人間の子供ほど発達していて、
えさをくれる人、散歩に連れていってくれるひとに愛嬌よく振舞い、野犬は群れをなして行動します。
人間は生きていくために栽培したり服や家を作ったり言葉を覚えて共同したり、嘘をついたりします。

いづれも、肉体を保護する手段です。
ここで、肉体と精神とは不可分だと言えます。
一方が死ねば一方も死にます。
乳幼児や病人・怪我人・老衰した人は他に助けてくれる人があるから、生きているのです。
この、助け合いの精神も本能的にそなわった性質です。

今言った精神と、宗教で言う魂とは別です。
死を永遠の眠りといい、魂は不滅といいます。

この回答への補足

ではその五分の魂は何処から来るのでしょう?
と、言うところが疑問なのです。

何とかお知恵を貸していただけませんか?

補足日時:2001/12/25 19:32
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うだつ「の」上がらないと言いますが辞書にはうだつが上がらないと書いてあります。うだつ「の」上がらないでは間違いですか?
それからうだつが上がらないとは出世しないという意味で見た感じさえないという意味は含まれないんでしょうか?

Aベストアンサー

はじめまして。

ご質問1:
<うだつ「の」上がらないでは間違いですか?>

間違いとは言えません。

1.通常は「が」が使用されるのが慣用的です。

2.一方、格助詞「の」にも「主格」の用法があります。

3.主格の「の」は本来準体用法をつくる助詞として、述部が名詞にかかったり、その名詞が省略される語法で使われていました。
例:
「白き鳥の端と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食う」

ここでは「白き鳥の」の「の」が主格の格助詞で、主語として
「端と脚と赤き」
「しぎの大きさなる」
という2つの述部にかかっています。

そして、それぞれ「赤き」「大きさなる」という連体形止めになり、ここでは「(白き)鳥」という名詞が省略されているのです。この「主格の『の』+連体形+名詞の省略」の形を準体用法といいます。

4.現代語でも、この主格の「の」が用いられる場合は、「準体用法」の名残として、名詞を補うことが多く、省略されていても「名詞」が暗示されています。
例:
「頭の良い人」=「頭が良い、人」
「都合のいい時間」=「都合がいい、時間」

これらの「の」は主格の格助詞で「が」と同じ働きをします。しかし、通常は「人」「時間」などの名詞と共に使われる用法なのです。それが準体用法の名残と説明する理由です。

5.従って、「うだつの上がらない」という表現も間違いではありませんが、述部で言いきる叙述用法はなく、上記のように「準体用法」の名残を受けて、通常は名詞にかかるように限定用法として用いられるのが正しい用法です。
例:
「彼はうだつが上がらない」(O:叙述用法)
「彼はうだつの上がらない」(X:叙述用法)
「彼はうだつの上がらない人だ」(O:限定用法)


ご質問2:
<うだつが上がらないとは~見た感じさえないという意味は含まれないんでしょうか?>

含まれません。

1.「見た感じ冴えない」という印象は、「うだつが上がらない」の副次的な印象で、必然的な「=」の関係はありません。

2.つまり、
「うだつが上がらなくても見た感じは立派」
「うだつは上がる(出世している)のに見た感じは冴えない」
という例外も十分ありうるからです。

3.「うだつが上がらない」を使って「見た感じ冴えない」という意味と同義にするには、婉曲を表す語「そう」などを使って「うだつが上がらなさそう」などとすればいいでしょう。

4.ちなみにご存知だと思いますが、「うだつ」とは、徳島県の脇町で発祥した「隣家との境にある小屋根付きの火よけ壁」のことをいい、この建造にかなりの費用がかかったため、それが立つことは経済状態がよく商売繁盛を意味し、そこから「出世する」という意味で使われるようになったものです。

5.従って、「うだつが上がる」とは、文字通り「うだつを立てることができた」ことを意味しますから、「出世する」という直接的な事実としての言葉が使われるのです。「出世しそう」という予想・雰囲気ではありません。


以上ご参考までに。

はじめまして。

ご質問1:
<うだつ「の」上がらないでは間違いですか?>

間違いとは言えません。

1.通常は「が」が使用されるのが慣用的です。

2.一方、格助詞「の」にも「主格」の用法があります。

3.主格の「の」は本来準体用法をつくる助詞として、述部が名詞にかかったり、その名詞が省略される語法で使われていました。
例:
「白き鳥の端と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食う」

ここでは「白き鳥の」の「の」が主格の格助詞で、主語として
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精神的病気は自らの意思で避けることができるが、

肉体的病気は避けることができない。

そう思いますか?

Aベストアンサー

精神的病気は自らの意思で避けることはできるが
今の社会の中では一般的にそういった教育がなされてないので
自分に対して無知であり、精神的な発達が未熟である。

ゆえに社会全体として考えたときに、学びが無く意思だけで避けることは無理がある。


肉体的病気の多くは精神的なものに由来するので、未熟さを克服できれば
その多くは避けることができる。

しかし、化学物質や放射線や強い電磁波などの物理的なものの影響での病気は避けられない。
それを避けるためには、回避策や対策を施行できる信頼できる社会を作り出すことが必要だが
それに至るには、やはり人間の多くが精神的に成熟した社会が必要となる。


人間が個々に自分の未熟さに気がついて、それを協力して改善しようとする社会を作り出さないと
病気は避けることができない。

そのことを人類として気がつくには、まだまだ機が熟していないかもしれない。
ここ数十年ではっきりしてくる現象だと思えるので、その激動を眼にすると思います。

人間としての存在が大きく変わる時期でしょうから、かなりの痛みが伴ったとしても
その変化を見届けるのは、今生きている私たちの責任だと思います。

社会的変化が終われば、人類はもっと発展するでしょうね。
それが楽しみでもあります。

そこまで見届けるほど、長生きしたいですね。

精神的病気は自らの意思で避けることはできるが
今の社会の中では一般的にそういった教育がなされてないので
自分に対して無知であり、精神的な発達が未熟である。

ゆえに社会全体として考えたときに、学びが無く意思だけで避けることは無理がある。


肉体的病気の多くは精神的なものに由来するので、未熟さを克服できれば
その多くは避けることができる。

しかし、化学物質や放射線や強い電磁波などの物理的なものの影響での病気は避けられない。
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私の父方の家系には精神病に掛かった人が非常に多くいます。祖父、伯母が精神分裂病、従兄弟がうつ病、叔母は自殺願望、そして私の姉も精神分裂病を発病しました。精神病と遺伝の関係を教えてください。
精神病は伝しないとの解説を読んだことがあるのですが、なんだか不安になります。
もし遺伝するなら私や父も予防が必要ですよね?
どのようなことに気を付ければいいのでしょうか?

Aベストアンサー

 
わたしは専門家でも何でもありませんので、こういう質問に回答してよいのかどうか分かりませんが、参考として聞いてください。

精神分裂症は、鬱病以上に複雑な精神の失調状態です。鬱病の遺伝性については、先に、別の回答で次のように書きました(参考URL):

>鬱病は、体質や気質と関係あることが知られていて、体質や気質は遺伝します。けれども、同じ体質や気質を受け継いだ兄弟姉妹のなかで、全員が病気になるということはなく、何かのきっかけで、ある人が発病することがあります。

>「鬱」の因子と「躁」の因子,その他、色々複雑な原因があって、鬱病になるようです。鬱病というのは、一つの病気というより、色々な病気や症状が重なっている状態だとも言えます。

精神分裂症の場合、遺伝的素因というのものも確かに幾らかあるようです。しかし、仮に遺伝的素因があっても、一つではないと考えられます。

人間の主体自我は、構築がたいへん難しく、バランスが難しいです。それは社会や文化や地域の人々や伝統や、家族との関係などで、構成されて行きます。自我がどのように自己構成するかは、社会の文化や、家族関係や幼少期の経験、成長経過などが大きく関係します。

脳の神経伝達回路(ドーパミン回路)が、何かの理由で、神経伝達に失調を来すとき、分裂症を発症する場合としない場合があります。この神経伝達回路の失調の可能性は、決定的ではありませんが、遺伝的に何か影響関係があります。しかし、この回路の失調は、何がバランスの取れた状態かよく分からないというような面もあります。

分裂症を発症した人の場合、この回路がかなりおかしくなっていることが多く、過剰な神経伝達を抑えるための薬物を投薬します(これが普通、精神分裂症に対し、医師が投薬する薬で、メイジャー・トランキライザー=強力精神安定薬と言います。ただしこれは症状がきつい場合で、弱い場合は、マイナー・トランキライザーを処方します)。しかし、こういう過剰な失調、伝達回路の狂いが,遺伝的に決まっているかというと、これはそうでないようです。

この神経回路の失調、伝達異常は、普通の人でも一時的には起こり、鬱病の人でも、神経症の人でも、躁病の人でも起こります。誰でも起こるのだと言えます(更に、メタンフェタミンやコカインなどの覚醒剤を使っていると、この回路が狂ってきて、強い擬似精神分裂症状になります。この場合は、覚醒剤の成分物質が、脳の回路を壊しているのです。覚醒剤を使うと、誰でもこういうことになります。ただし、覚醒剤中毒と分裂症の症状は、強い場合,似ていますが、「本質は、まったく別」です)。

遺伝的な要因としては、この回路の伝達異常が比較的、起こりやすいというのがあるようです。しかし、それだけではなく、人間関係に関する、交際のなめらかさを決めるような遺伝的要因が関係している可能性があります。この場合も、こういう遺伝的な失調は、誰でもあることです。

他にも遺伝的素因があるかも知れないですが、発症していないで、家族などに分裂症に罹患した人がいる場合、確かに、こういう遺伝的素因がある可能性が高いですが、それは普通の人より、少し敏感な程度だと思えます。

成長の途上で、家族や外部の人と、色々な人間的関係を持って、自我が構成されて行くのですが、この過程で、遺伝的素因が強く影響する場合があるということです。

仮に遺伝的素因など、まずないといえる人、家族や親族を何代にも渡って調べても、分裂症の人などいない普通の人でも、育ち方や,置かれた環境によって、発症することがあります。

普通の人でも、断眠4日とか3日とかすると、幻覚が出てきますし、おかしな妄想的な思考も出てきます。また、長期に仕事が忙しく不眠の上に、不合理で納得行かない仕事上の圧力を耐えていると、妄想が段段できてきて、神経症になり、分裂症にもなります。

どの程度かということと、もう一つ、精神的に失調しても、外から見ると判断がつかず、普通に見える場合、そういう神経症的分裂症的時期をやり過ごすと、発症に誰も気づかないし、本人も気づかないで、そのまま生活を続けて行くということになります。

遺伝的素因とは別に、成長の途中の自我構成の時期に、失調の「表現様式」の学習のようなものがあり、外から見て、この人はおかしい、というような失調を言動などで外に示す人は、日常生活で、おかしいということになることがあります。

遺伝的な影響も、確かにあるのですが、それよりも、もっと、生育環境や、自我の構成の仕方や、社会の文化や、属する集団の「正気」の考え方、それとどううまく付き合って距離を取るかの「技術」の問題、広い意味で人格のありようと、その人格が生活する場、家庭、社会、集団のありようが大きな問題になります。

一卵性双生児の場合、遺伝的素因は同じですが、その後の成長でも、両者を一緒に育てると、互いに心や行動の了解が容易であるので、自分と兄弟の自我の区別がはっきりしない形になることがあります。無論、大人になれば、互いに他者ですが、幼児期や子供の時に、同じような自我構成を作り出してしまうことが多いのです。

一卵性双生児を別々に育てたても、発症の相関があったように思いますが、逆にこのことは、遺伝的「決定」ではないという証拠にもなるのです。(分裂症は、「素因」が「生育過程での自我構成」に作用し、これにストレスなどが加わって発症するのです。「素因」は強弱の違いで、すべての人が自我を構成する限り、すべての人にあると考えられます)。

遺伝的素因は、二つや三つではなく、もっとたくさんあると思えます。しかし、この「素因」というのは、精神分裂症になる遺伝的「決定因子」ではなく、普通の人より、失調に陥り易く、それから抜け出しにくいとか、それを外部に表現し易いとか、外部環境の圧力に対抗しずらい自我とか、対人的に臆病になりやすいような要因ということです。

精神分裂症は、極端には、すべての人が、軽い状態で短い期間なら、みな、そういう状態になると考えるのが妥当だと思います。

遺伝的素因は、間接的には確かにあるが、それはかなりに影響するに低く、主に、人格形成に関係し、19世紀の西欧の場合はともかく、現代の日本の社会では、精神分裂症を発症する人は、発症前の生活や言動に、発症後のありようと連続した特徴があるということになります。

普通の人が、ある日、突然におかしくなるのではないと言えます。元々自我は、WIN・OSではありませんが、おかしいことがたくさんあり、おかしいままに、自分自身と他者と、社会と集団とのあいだで,何とかバランスを取って日々生きているのが人間です。

お姉さんが発症されたとのことですが、年齢が分かりませんので、また、わたしは専門家でも何でもありませんので、間違っているかも知れませんが、お姉さんの発症前の状態、他人との関係や、自分についてどう思っていたか、何か変なところはなかったか考えてみられることです。多分、そういう性格特徴の延長上に発症症状があると思います。

何とかバランスを保っていたのが、維持できなくなるのが発症で、突然おかしくなるのではないのです。

あなた自身については、自分の性格や人生について、これはこれで「わたし」なのだと思うことです。色々悩みやその他のことがあっても、別におかしくない、「わたしはわたし」だと思うことです。他人と違うというのは、自我はみなそうなので、仮にかなり違うとか言われても、そういうわたし、なのだということで、「どう違うかをよく知った上」で、そういう自分だと自己肯定することです。

ある程度「ユーモア」を持って、自分を客観的に、距離を置いて眺めてみることを心がけることです。ユーモアを持ってというのは、自分の欠点や心の悩みを、まあ、人生はこういうもの、と「心の余裕」を失わないことです。

他人との関係で、悩むことがあれば、「他人は他人、わたしはわたし」で、冷静になり、どうも悩みがきつい場合は、気晴らしなどをして、拘らないようにすることです。別に、分裂症の予防とかではなく、精神のバランスを保って、ストレスをうまく乗り越えるには、going my way の心で、余裕とユーモアで、ものごとを、自分自身を眺めるということです。

また、精神分裂症をあまり気になさらないことです。仮にそうなったところで、大したことではないのです。重症の場合は困りますが、それは現代では珍しいですし、重症でも、時間をかけて治療すれば、ほとんどの人は軽い状態になります

あなたのお父さんですが、これまで何も目だった問題がないのなら、大丈夫です。妄想症の発症の可能性はありますが、歳を取ると、大体、妄想をみな持つようになります。不安神経症などの神経症と一緒になった場合は、困りますが、これまで、色々な苦労があっても、社会生活を営んでこられたのなら、気になさることはありません。

「なったときは、なったとき」とは無責任ですが、これが、ものごとを、冷静に客観的にユーモアを持って眺める、受け取るということです。「くよくよしないのが長生きの秘訣」というのもありますが、同じようなことが言えます。
 
>No.332425 質問:うつ病に処方される薬の役割
>http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=332425
 

 
わたしは専門家でも何でもありませんので、こういう質問に回答してよいのかどうか分かりませんが、参考として聞いてください。

精神分裂症は、鬱病以上に複雑な精神の失調状態です。鬱病の遺伝性については、先に、別の回答で次のように書きました(参考URL):

>鬱病は、体質や気質と関係あることが知られていて、体質や気質は遺伝します。けれども、同じ体質や気質を受け継いだ兄弟姉妹のなかで、全員が病気になるということはなく、何かのきっかけで、ある人が発病することがあります。

>「...続きを読む

Q肉体|精神|社会関係これらの改質方法は

現状|希望|蓋然性
呼気|吐息|呼吸
えら|ぶい|なち
演繹|機能|発想
ずばりひっくり返った湯呑みと茶
現場の次は何

Aベストアンサー

補足ありがとうございます。

えらぶいなち→楽譜のくだりがよく理解できなかったので、ぼくはピアノ習ってますがヘタクソなので、まわりの音楽のプロフェッショナルに聞いてみます。自分なりの答えを導いてから、次どう対応するか、の答えを書きます。48時間以内にはがんばる。

ちなみに、この時点では、
ひっくり返った湯呑みと茶、現場の次は、
じゅうたんにしみがつかないようによく拭いて、もういちど正しい手順でお茶を淹れる
というのが、答えだと思います。
 
 
 

Q「○○精神」←何か良い言葉はないですか?

「○○精神」を集めているのですが、思い当たるような言葉がありましたら、教えて下さい!

チャレンジ精神
開拓者精神
ユーモアの精神・・・

Aベストアンサー

色々考えたのですが、ハングリー精神しか思い浮かびませんでした・・・(汗)

Q“存在”について-私自身の存在、ものの存在

“存在”って哲学的な意味でどういう意味ですか?

「なにかがあること、またあるもの。在る(有る)ということ」
と辞書にはありますがみなさんどういう風に解釈してらっしゃいますか?

みなさんの考えを聞かせてください。皆さんなりの意見で結構です。
どんな意見でも聞かせてほしいです。

Aベストアンサー

個人的な考えです。
存在、つまりものがある、人がいる、ということ自体、人間が意識して考え出したものですが、人間自体もいつか滅亡した時には、存在というものは意味をなさなくなります。
自分が今生きていて、存在していることを確信しているということは事実であり、単に数百年後に証明ができないだけです。存在とは、時間の流れとともに「存在しない」に限りなく近くなること。
こう考えると空しいですが、数百年後にはこの世にはいないのですから、今存在を実感していればそれはそれで良いと思います。
存在は「必要なときに存在していると認識したい状況で認識するもの」です。
まとまりがないですね。すいません。


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