カントのコペルニクス的転回 納得が行きません
「認識が対象に従う」「対象が認識に従う」どちらも言えるのではないでしょうか?
対象が無ければ認識はないし 認識が無ければ対象もない? お互いに働きあって認識する
或いは認識がなくても対象はあるのではないでしょうか? 認識されてないだけです。
実存主義のサルトルの実存は本質に先立つにしても
本質がなければ実存はないじゃないか?人間としての本質、精神、心がなければ実存もないだろう
これらに哲学は躓き みんなから嫌われる頑固者になってしまったんじゃないでしょうか?
それと私は相対性理論にも納得がいかない。説明を読んでも化かされてる感じです。
なんで光速度だけ一定なのか?音速が場合によって違うのに何で光速だけ一定なのか?
実験で確かめようとするということは理論が理解できないからでは?
そりゃ物の変化する速度が遅くなれば時間も遅くなると感じますよ。哲学も科学もおかしくない?
A 回答 (46件中1~10件)
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No.46
- 回答日時:
>哲学も科学もおかしくない?
あなたは全てを論理で突き詰めたときどうしても解決されない矛盾が生ずるという段階に到っていないようです。
仕事も学校もやめて唯々記述しながら考えて下さい。面倒なら自分が最も納得できる議論を借りてきて、そこから始めるのがお薦めです。
矛盾してるとすればその科学なり哲学なりがまだ完全じゃないからです。
完全な科学、哲学が在るかどうか知りませんが 先端の説はみんな仮説です。
それに対して人間の外(内も)の現実はすべて真実です、真理に基づいています。
複雑になればなるほどバーチャルの世界と現実の世界の違いが分からなくなってきますが
自然、地球、太陽の光はすべて真理に基づいています。
それを訳の分からない論をああだこうだといじくり回したり、権威で現実以上の信心を集めたりするから
おかしくなります。現実が全てです 人間の考える事はその現実がどうなってるのだろうと
延々と考えるのです。
No.45
- 回答日時:
追記です。
>>私の言う「現実が真実・真理だ」と言うのは考えてみれば当たり前のことだと思います。
上記の「現実」とは、何を意味しているのでしょうか?
誰の視点での話ですか?(「客観」と言っても、個人の認識の中だけで、検証できますか?)
我々は、「現象」としてしか、世界を認識できませんが、「現実」=「現象」なんでしょうか?
御自身の認識する「現象」=「現実」で良いですか?
haru27の認識する「現象」=「現実」→「真実」・「真理」と言う事でしょうか?(これが、完全な「独我論」である事は理解できますか?)
これは、御自身にとっては、当たり前かもしれませんが、他者にとっては、当たり前ではありません。
これを主張したいから、カントやサルトルについて質問したんでしょうか?(御自身の主張では、カントやサルトルの「現実」は、haru27の「現実」では無いと言う事ですよね?)
これが、「対象が認識に従う」を意味する事は、理解できますか?
No.44
- 回答日時:
補足です。
私が記載した「素朴実在論」は、科学における実在論で、以下の内容を意味します。
1.現象として、観測可能な対象は、(科学的)実在とみなす。(電磁場や、重力場など、直接観測出来ないものも、法則として、認識可能なものは、(科学的)実在に含まれます)
2.科学的な客観性とは、現象が再現可能な事である。
3.現象を引き起こす根源的な原因については、これを論じない。(いわゆる、本質や、真理など、現象として、生じないものは、その存在を問わない) 法則とは、現象の観測による結果の相互関係を整理したものである。
上記は、カントの「純粋理性批判」の主張と同じです。(科学自体も、「嘘」があると批判されていたので、蛇足かもしれませんね)
No.43
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
お礼に書かれている内容は、わ「からない客観をすでにあるように書かれています。
客観的と言う言葉自体が、それは客観では無いと言う事を意味していますよね?
カントは、そのような認識出来ない事を現象としては見ないですよ。
また、言葉で伝えられる情報を、そのまま信じるかどうかは、認識形式の問題です。
「Aが見える」と、「Aが見えると伝えられた」は、意味が違います。
前も説明しましたが、学習と認識を混同していませんか?
学習によって、認識形式は変わりますが、ある認識の瞬間では、その認識した対象を認識するのは、その時の認識形式である事は、どうしても理解していただけないでしょうか?
カントは、学習が無いとは、一言も言ってないですよ。
論点をきちんと整理された方が良いですよ?
お礼に書かれている、カントに対する批判は以下のとおりですか?
1.認識された対象は、その情報を与える「もの」に左右されるので、カントが主張する「認識不可能なもの自体」は、仮想である。 「もの」がどのようなものかには、いくらでも近づける。 真理や真実、客観を人間は認識できる。
2.対象は、「認識されたもの」、「もの」の両方が一体(同一)であり、認識は、それに従う。 カントが、主張する認識された「現象」としての「認識」は、誤認である。
カントの主張による、上記の回答
1.認識できる「もの」と「認識した対象」は、同一であるが、両者は現象として同一なだけである。 現象は、認識形式により、把握されるので、それらは、認識形式に従う。 知覚情報を与える「もの自身」は、認識の対象とならないので、それについて、論じる事は、人間の認識を超越している。 したがって、それに対する真理・真実・客観(人間の認識を超越した観点)は、人間の純粋理性による認識では、確証する事は不可能である。 認識できる対象は、認識形式により認識可能な現象だけである。
2.もともと、現象しか認識できないので、それ以外のものを確証する事は、純粋理性では、不可能である。 認識において、「認識されたもの」が、認識した「もの」であり、「もの自身」とは、違うものである。 認識の外にあるものは、超越論的制約により、認識不可能であり、それらが、同一である保証は無い。 また、認識は、時間順序に従うので、認識した結果が、その前の認識形式に影響を与えるのは、矛盾である。
上記を踏まえて、お礼文に再回答します。
質問>>「認識が対象に従う」「対象が認識に従う」どちらも言えるのではないでしょうか?
カントにおいて、対象は、認識されたもの(現象)のみです。
したがって、認識の結果である「対象(現象)」は、認識に従います。
「認識が対象に従う」事は、認識形式の時間的流れから、あり得ません。
これでは、答えにならないですか?
意味がわからないと言う事であれば、わからない事をまた、記載してください。
No.42
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
地球が丸い想定して、地球の周長を計算で求めたのは、エラトステネス(紀元前275年-紀元前194年)です。
一般の人の認識は、わかりませんが、少なくとも、エジプトの学者は知っていたでしょう。
実際に天球の想定から、地球自体も球であると想定したのは、さらにさかのぼって、紀元前4世紀頃のギリシャと言われています。(アリストテレスも地球が球体である事を主張しています)
ローマ帝国による、キリスト教の普及により、旧約聖書の記載から地球は一時的に平面と捉えられましたが、6世紀以後は、キリスト教徒も地球が丸いと言う認識が主流となりました。
最終的な、地球が丸い事の証明は、マゼランの世界一周(1522年)です。
コペルニクスは、1473年生れ - 1543年没ですから、存命中に地球が丸い事は、証明されています。
なお、惑星の逆行が説明できる地動説の発表は、紀元前3世紀のアリスタルコスです。
お礼に書かれている、対象が何かをあえて答えずに、重ねて質問されていますが、そこに書かれた「真実」の対象とは、何を意味しますか?
カントは、我々が、知覚して、認識する対象のみを、対象としています。(それが、真実かどうかは、「純粋理性批判」では、明らかにならないと言う事です)
「純粋理性批判」は、理性が、いかに現象の理解に妥当性を持ちうるかを分析する為の予備検討です。
したがって、純粋理性が、認識できる事の限界を明らかにしているだけです。(妥当性の確認機能としての、理性は、それ自体の妥当性の確認は、超越論的制約から不可能です)
したがって、この中では、「真実」や「真理」なるものは、検証不可能です。(強いて言えば、何者にも依存しないで、それだけで存在するものは、「もの自体」ですが、これを理性は、認識する事が出来ません)
つまり、カントの「純粋理性批判」の内容に関して、「真実」、「真理」を問う事自体が、その内容を理解していないと言う事になります。
当然ながら、私も「真理」や「真実」の妥当性は、説明不能です。
もちろん、素朴実在論として、現象を認識しているのは確かですけどね。(認識している現象しか、私には存在しないですから)
ただ、それを確かな現象として、説明するのは、非常に困難です。
もちろん、御自身が、納得できない事は、問題無いです。(無理に受け入れる必要は無いですよ)
どうも何時もありがとうございます。
素朴実在論かもしれませんが 例えばある人が視力を失ったとします
それで周りに何があるか分からなくなった 対象を認識できなくなった
触れば分かるかもしれませんが そう触ってばっかりもいられません
それでその目の不自由な人にはヘルパーさんが付く事になった
「○○さん 今日はいい天気ですよ コスモスが咲いて稲が実ってますよ」
と言ったとしても 認識した事になるのでしょうか?
学校の先生が子供に教えるのも子供は知らない事ばかりです それでも認識になるのでしょうか?
それが信じられないとなると一体誰を信じればいいのでしょうか?
対象の情報がないと 認識はないでしょうねえ。
真実・真理を知りたいと言って、そんなに対象を知り得ないと言って その後どうなるのでしょうか?
コペルニクス的転回はいいですが 唯心論のように ますます認識は狭くなってる世に思えますが?
横から誰かが客観的に教えてあげても「そんなものは疑わしい 認識できない」と言うのでしょうか?
質問文にある >>「認識が対象に従う」「対象が認識に従う」どちらも言えるのではないでしょうか?
の答えは何なんでしょうか? 対象が認識に従い 認識は対象に従わない と言うのが答えでしょうか?
私のはそれがどうしても理解できません。対象が違えば認識も違うでしょう 認識は対象に従ってませんか?
私の言う「現実が真実・真理だ」と言うのは考えてみれば当たり前のことだと思います。
現実は複雑な事はありますが 矛盾したり法則に反したりはしません。法則に反したら法則の方が間違ってるか
例外に加えなければなりません。
現実は真実真理で 人間の認識は間違いだらけです。だから世の中上手く行かない。
No.41
- 回答日時:
補足です。
「コペルニクス的転回」は、カントが言い出した事ですが、「対象が認識に従う」の好例として、使っただけだと思います。(カントの真意は、今ではわかりませんけどね)
コペルニクスの地動説と、それ以前の天動説は、以下の対応があります。
天動説と地動説では、知覚による観測結果は変わりません。(つまり、知覚情報そのものは、変わらないと言う事です)
天動説は、地球の周りを天体が回っていると言う「認識」です。
地動説は、地球の自転・公転により、天体が回っているように見えると言う「認識」です。
この二つの説は、観測結果が変わらないのに、違う認識を与えています。
何故、このような事が起きたかと言えば、地動説の方が、観測結果をより良く説明できたからですが、これは、それによって、認識の方法が変わった事を意味します。
この認識の違いにより、静止していた物が動いて、動いていたものが、静止したと言う事になります。(運動として、それが起きたわけでは無いでしょうが、認識としては、そうなったわけです)
これをカントは、「転回」と呼びました。
したがって、「対象」としての地球及び、天体は、「認識」に従っていると言う事になります。
カントの主張は、ただ、それだけです。
これを、「コペルニクス的転回」とカントは、呼んだだけです。
コペルニクスの頃 地球は丸いと分かっていたのでしょうか?
丸いと分かっていなければ地動説は思いつかないはずですよねえ
地球が球体だと分かって太陽や月と比べたのではないでしょうか?
そして太陽を中心に回ってることが分かった つまり歴史・経験ですねえ。
先生のおっしゃるカント論はよく分かりました
ただ私の質問
>>「認識が対象に従う」「対象が認識に従う」どちらも言えるのではないでしょうか?
これには答えようとされない。なぜなら対象の方が現実で真実・真理なのは明らかだからです。
No.40
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
お礼での、対象が何を指すのかを聞いたわけですが、カントにおいては、認識された対象だけが、対象です。
カントにとって、「もの自身」、「知覚情報」は、対象ではありません。(明確に回答したつもりですが、理解出来ないですか?)
したがって、御自身が、意味する「対象」が何かで、回答が変わってしまいます。
違う「対象」に対して回答しても意味がありません。
「もの自身」は、認識できませんから、知覚の外に形相を想定する事はできません。(これを行ったら、認識を超越してしまいます)
「もの自身」が与えるであろう「知覚情報」も、その情報そのものは、認識できません。
したがって、カントの主張に対して、「認識された対象」以外を問題にしても意味がありません。(それらは、認識出来ないから、比較できないんです)
何故、カントが「もの自身」や、知覚を想定するかと言えば、「独我論」に陥らない為です。
認識の側から、自分が見えるものが、世界の全て(これは、知覚の外の形相だけでもです)だと言ったら、完全な「独我論」です。(実際は、弱い「独我論」ですが、一人だけの場合は、強い「独我論」と言えます)
このような反論をかわす為に、超越論的に、知覚の外に「もの自体」をカントは想定します。
これは、「自分が見えるものは、世界の全てでは無い」、「自分は、世界の全てを認識するのは不可能だ」と言っている事になります。
もし、御自身が、知覚の外にあるものを含めて、自分の認識をそれに近づけられると主張した場合は、「いつかは、世界の全てを認識できる」と主張している事に他なりません。(これは「独我論」です)
反論としては、「他人も同じように見ている」もしくは、「他人も同じ意見なら客観的と言えるのでは?」と言うのが、想定できます。
ただし、これは、「他人が見ているものが、私にはわかる」と主張している事になります。
これも、「独我論」です。(他人が、自分の意見と一致しているのは、認識された他人だからかもしれないからです)
ここで、「客観」とは、一体なんでしょうか?
御自身と私の見解は、今の所一致していません。
「客観的」に考えれば、両方の意見は、どちらも、優位性は持たないでしょう。(少なくとも、両方共、「客観的」とは言えません)
御自身は、良く「真実」とか、「真理」とかを持ち出されますが、それは、本当に認識可能なものでしょうか?(この場合の、「認識」とは、確実な根拠が得られると言う事です)
納得できないのは、かまいません。(それは、主観によるからです)
ただ、カントの論理に対して、自分の論理で批判しても意味が無いんですよ。
カントの論理をきちんと、精査して、その論理の誤りを指摘しないといけないんです。
カントの認識形式の時間的な流れは、何回も説明しました。
それが、間違っていると言うなら、カントの認識形式と違う認識形式の流れを提示しないと意味がありません。
それを提示してくれますか?
なお、「対象」が、認識形式に影響を与える為には、「対象」が時間的に認識形式の前になければいけませんよね?
これは、「対象」が認識されたもので無ければいけない場合は、結果が原因になるので、パラドックスが生じます。
この論理は、理解できますか?
No.39
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
カントにおいては、我々が認識できる対象は、認識した対象だけです。
知覚の外側にある対象(もの自身)は、あるだろうというだけで、その存在は確証されません。
カントが述べているのは、認識した対象だけです。
考えられるのは、見たと言う事だけで、知覚が与える情報自体も、認識する前なのでわかりません。
我々が、白い花を見た瞬間に、すでに白い花として、対象は認識されています。
その知覚情報そのものは、わかりません。(わかるのは、その情報が、白い花を認識させる事だけです)
カントは、従来、形相と認識が一致するとされていた事を、人間の知覚の限界から、見えるもの(形相)は、認識が、そのように見せていると考えたと言う事です。
従来、形而上のものに関しては、そのように捉えられていましたが、形相として捉えられた形而下の対象に関しても、同様に考える必要があると考えたわけです。(形相そのものも、認識が生み出していると言う事です)
したがって、「もの自身」は、知覚不能ですから、知覚に影響を与えるものとして想定できるだけの事です。
お礼に書かれている対象は、どれですか?(「もの自身」、知覚情報、「認識されたもの」のどれでしょうか?(混乱されるようなので、「対象」と言う言葉は使用しません)
分かりました。私の質問には答えて下さらないのですね。
>>「認識が対象に従う」「対象が認識に従う」どちらも言えるのではないでしょうか?
しかしよく分かりました。カントの考えが。^^
No.38
- 回答日時:
ちなみに、コペルニクス転回と称した意味は、以下のとおりです。
従来の考え:「対象(もの自身)」の表象が、「対象(認識された対象)」を決定すると考える。 (見たままの対象が存在する)
カントの考え:「対象(認識された対象)」は、知覚情報を認識が変形して、人間が理解できる形にしたものである。 したがって、人間が認識できる「対象」は、認識形式により決定される。 (対象の見え方は、認識(形式)が決定する)
これを、従来の天動説(地球の周りを太陽が回っている)が、コペルニクスの地動説(地球が、太陽の周りを回っている)により転回(見方が逆転)した事と類似と考えたと言う事です。(単純に見方が逆転した事が類似していると言っているだけです)
その 完全に逆転したわけではなく 従来の考え方になかった
>したがって、人間が認識できる「対象」は、認識形式により決定される。
と言う半面があると言うのでしょう?
対象がどんどん変化したら認識も変化するのは当たり前ですよねえ。
コペルニクス的転回と言うのは認識が180℃完全にひっくり返る事です。
そこまでの転回ではないですねえ。
しかし勉強になりました どうもありがとうございましたm(_ _)m
No.37
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
まだ、知覚情報と対象(認識された対象)を混同されていますね。
カントが言っているのは、対象(認識された対象)です。
知覚情報は、対象(認識された対象)に影響を与えますが、対象(認識された対象)が知覚情報を変える事は無いんです。
お礼で説明されている対象は、何を指していますか?
対象(認識された対象)ですか?
認識の時間的流れは、理解されていますか?
対象は認識されても対象でしょう?カッコ書きしても その対象をまた認識して その認識が対象になって
それをまた認識して・・・
それは分かってるんです
対象が認識に従うが 認識は対象に 一切従わないのでしょうか?
そこが当たり前じゃない感じがして コペルニクス的転回と呼ぶには そこをはっきり書いてくれないと
認識は対象に一切従わないのですね?
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