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物凄く眠くて何時間寝ても眠いのです。怠け者のように思われるかも知れませんが、本当に眠くて体がだるいのです。今は仕事も出来ない状況です。魂が曇っているといわれたことがありますが、曇りを取るにはどうすればよいのでしょうか。ご存知の方がおりましたら教えてください。今は魂も心も体も大疲労でボロボロ。人間恐怖症と人間不信です。
どうしたら立ち直れますか。

A 回答 (7件)

 何かの理由で、心身も魂もすり減らすような大変な時間を経験されておいでなのでしょうか。



 まず、出来たら宗教の誘惑に乗らないでいただきたい、と思います。「信じるものは救われる」ものの、宗教は原因や理由を分析しそれへの対処を考えるより、価値観をずらしてみせるだけなのですから。

 どれだけ手持ちの時間があるのでしょうか。働かないでどれくらい休息にあてることができますか。それによって言葉が違ってきますが…。

 質問者さんにとって今回の事態が今までに経験したことのない事態だったら、眠りたいだけ寝てみてはどうでしょう。一週間、二週間、それ以上…。体の疲れをとりましょう。少し回復してくると、寝床から出て体を動かしてみましょう。部屋の中を歩く、散歩に出る、本屋で立ち読みする、などなど。入浴し、髪をセットして少しすっきりするとか。仲のよい友人はいますか。ぐちを聴いてもらえる友人。いっしょに同じ時間をすごせる友人。そういうことができるようになったら今度は少し栄養のあるものを食べましょう。その間、何かをしなくちゃとか思わずに、過ぎていく時間を見送ってください。好きな本、好きな映画、好きな絵を見に行く等々、ぶらぶらとすればいいでしょう。生活費にゆとり少しあるなら、この際、自分の回復を優先させるほうがいいです。で、部屋の中を片付けなきゃとか思い出したら、体のほうは回復の兆しが出てきました。もう少しですね。

 さて、人間恐怖症と人間不信はどうするか。結論から言えば、やはりいい友だちをつくって心を開放できる状態を経験するしかないでしょうかね。人間不信のまま、人間恐怖のままでは、心は休まりません。信頼できる人との交流しか癒す術はないでしょうね。
 まあ、どうすれば立ち直るか、から一旦離れましょう。立ち直りへの処方はこういう匿名掲示板には残念ながらありません。一般論ならいくらでも言えますが、現実はそう生易しいものではないはずですから。

 最後の、「魂の曇り」について。それを言った人はすごい人ですね。何か偉大な宗教家っている感じがします。
 魂が曇っている。何か小狡い人間や人間不信の当人に言う、痛撃な言葉ですよね。それを言うと自分の気持ちが霽れるから、言われたほうの気持ちを忖度する度量は持ち合わせていない。そんな感じの人ですかね。それだとすれば、気にするだけ損ですよ。それを言った人は、多分、言葉の不感症なのでしょう。ボキャブラリーはあっても使い方を知らない。少し頭の足りないかわいそうな人です。
 質問者さんは、そう言われて「ガーン」となるほど感受性が正常なのだから、ここでダメージを食っては負けです。「寸鉄人を刺す」の言葉どおり、ことばは人の心を傷つけます。でも、人の存在は無価値ではないのですから、たかがことばに負けないでください。

「魂が曇っている」とは、欲得まみれで「正しい」判断が出来なくなっている人に使うことばです。それ以上でも以下でもありません。
 だから、質問者さんは、何ら「気に病む」こともないし、ましてや「曇りをとるにはどうすればいいでしょか」と不安になることもありません。本当に「魂が曇っている」人間は「それをどうしようとか思わない」ものです。安心してください。そして、恐らく質問者さんにとって大事な人だったかもしれないその「発言者」さんの幼さを許してあげてください。
許してあげられれば質問者さんは回復への第一歩を踏み出せます。

 ここ一週間は綺麗なものだけを見て生きていってください。
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この回答へのお礼

この度は私のようなものの為に、丁寧なアドバイスを頂きまして
ありがとうございます。
今は仕事をしておりませんので、何時間でも好きなだけ睡眠はとれます。半年以上このような状態が続いていて、最近ようやく本を買って
読んでみようという気持ちになりました。以前は本を開いても全く読む気にはならなかったのが、最近は本を読むことができるようななりました。数年前までは、急に人が怖くなって、路上を歩いていても恐怖感に襲われ近くのトイレの個室に落ち着くまで非難したこともあります。今は外を歩いていても恐怖感には襲われなくなりました。ただ、人に会うと震えがとまらなくなるし、それを見ている人は変な目で私を見るのです。親しかった者に裏切られ続け、今では誰を信じればいいのか分からなくなりました。
見ず知らずの人がこのように親切にアドバイスを下さったことは本当に
ありがたいと思っております。

お礼日時:2008/01/30 16:11

まずは皆さんの書いてあるとおり心療内科に行くことをオススメします。



あと慈悲の瞑想とヴィパッサナー瞑想の歩行禅などを少しづつやって観てください。

サンガ新書の「現代人のための瞑想法」に詳しく書いてあります。

~あなたの悩み苦しみがなくなりますように~
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
教えていただいた書籍を今度買ってみようと思います。
教えていただきましてありがとうございます。

お礼日時:2008/02/01 23:02

ウツか、ナルコレプシー症候群に罹るとそういう症状がでるらしいですよ。


魂や心の問題=脳機能の問題 ですから、悪化する前に適切な診療を受けたほうが賢明です。

私の義弟や親友もウツを患って治療中ですが快方に向かっています。
珍しい話でも恥ずかしい話でも決してありませんので、どうか早めの治療を受けてください。

恥ずかしいのは「魂が曇っている」などという人の方です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
過去に入院して医者と看護婦から酷い目にあったので病院は行きたくなかったのですが、病院にいってみようとおもいます。
アドバイスに感謝します。

お礼日時:2008/02/01 22:58

人間の心と体は連動しており、片方が傾くともう片方も影響を受けるんです。




>人間恐怖症と人間不信です。

これがどうして引き起こったのかは、ご自身でご存知ですよね。

生きていれば回避不能なことや、解決がとても困難なことにぶつかります。

経験や年齢をどれだけ重ねようと、やはり立ち上がるのがとても困難な事に出会うそうです。

たとえ人生経験豊富な100歳の元気で近所の人に愛されるおじいちゃんであっても、人間関係に悩まないなんてことは無いそうです。


で、人間にはホメオスタシスってものがあり、例えば体温が下がれば、筋肉を震わせ、熱を発して、元の体温に戻ろうとします。
寒いところにいたら、体が勝手にぶるぶる震えますよね。
熱を発して元の体温を維持しようと勝手に体がするから。


逆に敵が体内に侵入すると、熱で殺そうとして、筋肉を震わせ熱を発します。
だから、ウイルスが体に侵入すると体の防衛機能が反応し、熱が出るわけです。
で、ある一定まで熱が出ると、「撃ちかたやめー」って指令が出て、熱の上昇が止まるんですね。

自分の意志じゃなく体が勝手にやります。


で、今回何か大きなことがあったか、困難が連続したため、体の防衛機能が反応したんだと思います。

それ通常の反応です。

自己防衛機能を普通の人は持っていますので、熱を出してウイルスを排除するか、ウイルスから離れるか。

で、今回はあなたは離れた方がいいと、体が判断したのだと思います。

体が求めているのは安息なので、安息してくれたら、心の傷口の治癒に専念できるので、まずは安息してくれって体が訴えているのかもしれない。
従って、今戦場から離脱したのでしたら、それはあなたの心の訴えで、それに従ったわけで正解だったと思えます。


人間はホメオスタシスがあり、元の状態に戻ろうとする。
で、あなたは元の状態に戻ろうとしている。
それにはまず、心の安定を図って、ジャンプするだけの力を回復しなきゃ。


体が眠いってのは、体が休みたい、戦場で戦いたくないってサインだと思えます。

一度辛い経験をすると、体が覚えてしまい、そこに戻るとしても、体が経験上「危険」と判断し、本人に行かせないようにするんですね。

で、もし 元に戻りたければ、心に「もう あそこは大丈夫だから」と認識してもらわなければ。

でも、恐怖心があり、不信があるので、心は「ノー」って言ってるわけです。
行きたくないって言って、あなたの身体機能を低下させて行かせないようにしている。
「危険だからって 行っちゃだめ」って訴えてるわけです。

じゃあ それが本当に今でも危険なのか、あなたが考えて、心の下したノーは正しいのか 考えるしかない。

ということで、カウンセリングを受けることを薦めます。

長く閉じこもっていると、そこが通常の場所だと心が記憶し、外に出ようとしても、心が妨害し、出るのが困難になります。
ホメオスタシスで、閉じこもった状態を通常だと記憶してしまうと、外に出ても、そこは外だから元の状態である殻に閉じこもることをしようってなちゃうわけです。
それだと、社会生活をしていけなくなる。


だから、極力早めに心の専門家のドアを叩いた方がいいと思います。


ただし、他の体の何かが故障していることも考えられますので、まず、健康診断を受けてみてください。
それで何も異常が出なかったら、心療内科など受診してください。

心の問題だろうと思ってた人が、実際は体の病気を持っており、疲れる 動くのが辛い を怠けた心が原因だと思っていた人がいたんですね。
あれこれ生きていれば、トラブルに巻き込まれるので、それで心労だと思っていたら、ヘモグロビンの数値が極端に低いため、体がだるい 気持ちが沈むってなっていたそうです。
医者が言うには「この数値なのに電車に乗って仕事に行ってた? 信じられない。この数値じゃ体がすぐに疲労して動くのがすごく辛いはずなのに」だそうです。
根性と責任感のなせる業。


でも、そうそう人間誰しも、体が悲鳴を上げているのに、続行できるって人はいないので、まずは健康診断を受けてみてください。


あーー もし、既に精神科とか受診していたら、薬の副作用で眠くて何も手がつかないってことになるそうです。
医者に「これじゃ 何もできない」って言ってみてください。
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この回答へのお礼

回答していただきましてありがとうございます。
体と心の連動を分かりやすく説明していただいて感謝します。

お礼日時:2008/01/30 17:09

 若い時は、よく眠れるものです。


 先があまり多くなくなると、そのせいか眠る時間は少しで足りる。
 そして若い時は、いろんなことが、樹木の葉も生い茂り、まぁいろんなことに気や活動がいっているし、関係がありますから、なかなか自己のコントロールが思うようにいかないものです。
 ども少しずつ、自分のコントロールに熟練していくと、だんだん、自分がいやでなくなってくるものです。(生活では、ほかの事ではまだまだありますよ、熟練しなければいけないことがね)

 魂が曇る。?。みんな魂が曇っているから、このあまり整合性のない世界に訪問して、世界を見、作り、悩み、悲しみ、愛し、憎みとか。いろいろしているのでしょう?
 曇ってない魂にはもう、全部が一つの魂でしかないでしょう。
 曇りをとるのは、一生。もっとかもしれない。
 まぁがんばってください、いえお互いにね。

参考URL:http://www.yogananda-srf.org/
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この回答へのお礼

アドバイスいただきましてありがとうございます。
人生の先輩の意見参考になりました。
魂を磨くために生まれてきたのですね。

お礼日時:2008/01/30 16:50

 きわめて抽象的な議論ですが 紹介します。



 それでは 精神はどのように自己を問い求め見出すのであろうか という不思議な問いがある。精神は問い求めるために何処に向かうのであろうか。あるいは 見出す( invenire )ために何処に到来する( venire )のであろうか。精神のなかで精神自身ほど近いものがあるであろうか。
  しかし 精神は愛をもって思惟する感覚的なもの すなわち 物体的なものに愛によって慣らされているゆえに それらの似像(にすがた)なくしては自分自身のうちに存在し得ないのである。その点で精神の恥づべき誤謬が発生するのである。精神は知覚された事物の似像を 自己だけを見つめるために自己から見分け得ないからである。それらの似像は愛の膠(にかわ)によって不思議な仕方で精神にへばりついている。これが精神の不純である。
 というのは 精神は自己のみを思惟しようと努めるとき それなくしては自己を思惟し得ないものを自己であると思いなすからである。したがって 精神は自己自身を認識するように命じられるとき あたかも自己から取り去られたもののように 自己を問い求めてはならない。むしろ自己に付加したものを取り去らなくてはならない。精神は明らかに外側に存在している感覚的なものより内的であるのみならず 魂の或る部分において存在するあの感覚的なものの似像よりも内的である。
  動物も 精神の特性である知解力を欠いているとはいえ これらの似像を所有している。そこで 精神はより内的であるから その愛の情念を感覚的なものへ向けるとき 自己自身から或る仕方で外に出る。感覚的なものは多くの意志の志向の跡として精神の中に残る。この跡は 外側に存在する物体的なものが知覚されるとき いわば記憶に刻印されて たとい その事物が不在のときでも その似像は思惟する人々に現在するのである。
 だから 精神は自己自身を認識せよ 不在なもののように自己を問い求めないで 他のものの上にさ迷っていた意志の注視を自己自身へ固着し 自己自身を思惟せよ。かくて 精神は自己をかつて愛さず 知らなかったことがないのを見るであろう。しかし 精神は他のものを自己と共に愛することによってそれを自己と混同し 或る仕方でそれと癒着したのである。かくて 精神は異なるものを一つのもののように抱懐することによって 異なるものを一つのものであると思いなしたのである。
(アウグスティヌス:三位一体論 10・8 中沢宣夫訳)


 要するに 曇りは 内側には なかった。外から入って来たのである。自分が 取りこんだものもあるだろう。止むを得ず 取り容れたものもあるはづだ。・・・
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この回答へのお礼

この度は回答くださいましてありがとうございます。
若輩者ですので、三位一体論は勉強になりました。

お礼日時:2008/01/30 16:55

専門の医者やカウンセラーがいます。


ぜひ相談してみてください。
適切な治療を受けられます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
実は民間の心理カウンセラーで散々馬鹿にされたので、
本人は馬鹿にしているつもりはないと言うのですが、
それでよけい落ち込んでしまいました。
経験者とのことですが、心療内科へは長年通わないと
いけないのでしょうか。
私のようなものに親切に回答くださいまして本当に
ありがとうございます。

お礼日時:2008/01/30 15:36

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