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あの世、地獄はちょっと特殊なので例外的ですが、大体人は死ぬと天国に行くことになっているようです。しかし、なぜその場所が、上方である、地球の中心でなく、宇宙空間のほうであるという認識ができているのでしょうか?

A 回答 (19件中1~10件)

思考実験をしてみます。

魂の存在を信じるとかは別の次元なので。

・魂は目に見えず抜けたとしても重さ的に微量なため気体を連想させるから
・肉体が大地に還る ならば、精神は天空に という連想から
・神と太陽のイメージは重なっており、死後に神に近いところへ居たいという願望から
・戦争において高いところが有利ということから高低が貴賎を連想させ、その結果、最も高貴な神は最も高いところに居られるという連想から
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この回答へのお礼

いろいろな理由から、上方の方が尊いという意味合いが付与されている気がします。魂が気体である、というイメージ、いいですね。それだと酷く納得してしまいます。

お礼日時:2009/08/31 20:20

 おっと、まだ受付中でしたか、時間が経ったところで、もう一度回答を試みてみると



>なぜ、天国は「天」すなわち上方なのか?

 重力は中心、下へ働きます。それによってエネルギーが、固体として成り立ちます。苦しみは、肉体の維持に関する恐れ、モノに対する所有欲などから生まれます。したがって、固体が形成されない上方は、苦しみが生じないので天国です。

 こんな感じですかね
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#17です。

度々すみません。

#17に書いた内容を改めて読み返しますと、まことに幼稚で浅薄な意見との感を拭いきれません。
論理もメチャクチャで(特に前半の山のくだり)、目も当てられません。

あまりにみっともないので訂正をさせて下さい。

まず前半の山のくだりはバッサリ削除です。

で、後半を以下のように修正します。

高所に上ったとき(上る理由は何でも良いです)、
下を見ると落下を想像し本能的な恐怖を感じる。
よって、下は怖いものという概念が一般化する。
下方と反対側の上方を好ましく感じるようになる。

これでも幼稚な意見に変わりはないですが、前よりはマシかと。

高層マンション…以降は一つの参考として残したいと思います。
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この回答へのお礼

そんなことないですよ。大変よく論理が通っています。少なくともすごく参考になりました。
「上」っていうのは見上げてもあまり怖くない=そっちへ落ちるわけじゃない
ということもあるのでしょうね。それと、下は固い地面やらいろいろなものがありますから、煩瑣で怖い。上方はやはり、神秘と通じているのでしょう。

お礼日時:2009/08/31 20:25

哲学はさっぱり分かりませんが、とても面白い質問だと思ったので少し私見を。



他の方も書いてらっしゃいましたが、まず美しい空(夜空も含めて)に憧れる、
との思いがあります。
そこに近づく方法として、高い山に登ることを考える。
しかしとても高い山(霊峰)の頂上に上る(登る)ことは無理だと悟る。
そこにたどり着けるのは生きた人間では不可能と考える。
「あのような高い場所にたどり着けるのは、生きてる間に良い事をした人に違いない」
と考える。(論理が飛躍してますね、我ながら…)

というのが一つ。

もう一つは、上記理由から高い所へと進んだとき、
高所にて本能的な恐怖を感じる。
高い所に立ち、上を見上げると心地よさや解放感を感じるが、
下を見ると落下を想像し恐怖を感じる。(これは、生き物の本能だそうです。)

よって、上は心地いいもの、下は怖いものという概念が一般化する。

私は、二番目が有力かなと思います。
ただ最近、高層マンションで生まれ育った子供にはこれが当てはまらなくなってきてるそうです。
高所恐怖症ならぬ「高所平気症」。
本来怖がるべき高所をなんとも思わず、高層のベランダで遊びまくる子供が増えてるとか。
実際、いくつかの事故も起きてるようです。
この子達が大人になったら「あの世」の場所も違ってくるのかもしれませんね。
なにしろ、亡くなった方の多くは地中に埋められているのですから。
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この回答へのお礼

昔は登山って不可能でしたからね。本当に「霊峰」という意味合いが濃かったのです。
現代の高層化住居ということが、上方概念を覆すかもというお考え、大変面白いです。宗教の凋落の例かもしれません。

お礼日時:2009/08/31 20:22

 あ、それから 補足、お礼なし、ポイントの付与なし は、それが素直な気持ちであれば人道的にも全然OKですので、ご自由に。



 何事も強制すべきではないのでね。(←これさえも。)
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 あ、それから、独断と偏見に満ちた補足と御礼をしてすぐに締めずに、1日か2日は、それに対しての回答を待つ時間を作ってみたらどうだろうか。



 そうする事で、本当に変わる事ができると思うのだが。

 今まで通りの考え、在り方を変えたくないなら話は別だが。
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天国や地獄とは現実を指して言います。


たとえば、戦場で女子供の死体が焼けている惨状、食べ物もなくさまよう庶民 これが現実の地獄といわれます。
 天国とは好きな人が出来て天にも昇る気持ちのときは天といいます。
 すべては自分の中にあると説かれてます。
 死後などの話は、方便が多いと思います。つまりは死の恐怖からの救済のためにある「お話」などがありますね。
 方便はどこまで言っても方便ですね。
 質問文は個人の空想も入る話ですが、そういう次元から自分が生きるという「現実」に目を向けることで、そういう類の話は始めて役に立つのではないでしょうか。
 はっきりいえば、人知を超える話ですから、結論はないでしょう。
 大事なことは、悔いなく生きることに力が発揮できるようになることではないでしょうか。 天国などはロマンチックな考えで夢想に浸ることがあるでしょうが、そこどまりで、そこから現実に意識が向くというのが大事だと思います。
 人知を超える話ですから、結論はないでしょう
 
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こんにちは。



 他の回答にはなさそうだったので、ひとつ視点を補足します。ずっとむかしに、ヒトの体で頭の付いている部分を「天(=上)」と呼んだんです。字を見ると、横棒が人の上のほうに付いてるでしょう? それが、天という字のもともとの意味です。天国とか地獄はこの字をもとにして、あとからくっ付いた概念ですね。そこに国があるのかどうか、それはわからないけれど、ヒトの頭を天と呼ぶのだから、天のほうを大事なものということにしておいたんだと思います。
 ほら、頭がぽろっと取れちゃうと、死んじゃうでしょう?
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この回答へのお礼

上方は、貴重、重要、尊いということにはなりますね。下はどうしても足とか汚れを感じさせる方向です。やはり、そっちの清らかな方面に惹かれるのでしょうか。

お礼日時:2009/08/31 20:18

ありえないこと、考えるのはやめましょう・。


単なる、想像限界です。レーニンじゃないけど、人類は自分たちの生活基盤を基にしか、考えられない、下等生命体であり。命が途絶えると、階級的に偉くなるみたいに、考えた為でしょう。 上様、お上、祀り上げるとかね。
当時の体制的問題ですね、最下民は、もう少しいい生活。支配者サイドは、永遠の生命と力を、現時点より上という概念に、求めた為、出来上がったことでしょう。
実際には、ありえないことです。
正確な事象(死)判断が出来ない人の、戯言です。 しかし、国家として国民をコントロールすには、いい素材かもしれない。
法整備の未熟な時代、治安の維持等には、活躍した概念でしょう。
現代のように、法整備が進んだ社会では、甚だ天国・地獄の存在自体が疑問です。
天国が上であろうと、あなたの隣であろうと、足元でも、良いのではないか。
元々有りもしない物だから。
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それはちょっとおかしいですね。

凶悪な犯罪を犯した者でも、死ねば天国に行くとは。仏教のほうでも「大体人は死ぬと仏になることになっている」という通念があります。

仏法では「人間の生命は永遠に続く」と説かれています。「過去・現在・未来」と三世にわたって続く。始めもなければ終わりもない。また、自分の行いが自分自身の幸・不幸を決定付けるという「因果の理法」を説いています。その永遠の生命のなかで、良い行いをすれば、来世は浄土(天国のようなもの)に生まれ、悪い行いをすれば地獄に堕ちるとされます。

ただし、「夫(そ)れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり」(上野殿後家尼御返事)と、仏法の正統な実践者・日蓮大聖人が仰せのように、浄土は上の方にとか、地獄は下の方あるとか、具体的にそういう別世界が存在しているのではない。あくまでも、自分自身の生命の有様を譬えているわけです。生きている時でも、良い行いをすれば、生命がすっきりし、悪事を犯せば、生命は充実することなく、重くもやもやするものになるものです。ましてや死んだ後、来世に生まれた場合、前世の行いが原因となった結果が容赦なく現れるのです。善行の人は安楽で恵まれた境涯に、悪行の人は地獄の苦悩の境涯になって生まれてくるのです。

また、死後の生命は、世間で言われているように「霊魂」となって、この地上をフワフワ漂っているというのではありません。質問者様が近いことを仰っていますが、死後の生命は大宇宙に溶け込むのです。そして何かの縁があれば、再びこの地上に目に見える形で生まれてくる。それも、前世の生命の状態をそのまま引きずって生まれるのです。上記したように、安楽の境涯と地獄の苦悩の境涯という差を生じ、その一生が彩られてしまう。これは、創価学会の戸田二代会長が仰ったことです。小説「人間革命」第四巻(文庫本)の「生命の庭」という章に詳しく書かれていますので、縁があったら読んでください。

では、積んでしまった悪業は、もう永遠変革できないのか。そうではなく、日蓮仏法の「南無妙法蓮華経」により、その悪業は善業に転換できるのです。しかし、これはここでの主題ではありませんので、簡単に触れるにとどめます。
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