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魂の概念をおしえてください!
僕は肉体という器を魂というエネルギーで動かしてるとかていしています。
つまり、魂のない肉体は欲のままにうごくわけでもなく機能しないとかんがえています。また、魂が肉体に入るタイミングは産まれてくる瞬間とかていしていて、死んだ人を甦らせることは二つのかていにより、生き返るが動かないという命題をたてました。
そして、性格というのはまた自分というのは他人の集合体であると結びつけます。すなわち、自分に尽くすことも他人に尽くすことと同じだと結論にたどりつきました。
死んだら、肉体と魂は別れ再び魂は霊界にいき次なる目的をきめて地球におりてくる。
このスピリチュアルてきな考えはよくないですかね?大学一年です
どうしても霊界を作らないと自分が五体満足でうまれたことがラッキーという感覚になってしまうので霊界をつくりました。
つまり、我々は人のためにすることが生きる意味ではないかと。また、その先のことは次なる肉体でミッションとして生きる。それはきっと遺伝子操作をした肉体だとかんがえています。
ばかですかね?笑

A 回答 (7件)

バカではないと思います。



どのようなテーマに関しても、自分で考えることは大切です。それがバカバカしく思えることでも、真実である可能性はあります。相対性理論も不確定性原理も、提示されたときにはバカバカしく思われたものです。

魂の概念ですが、それは一人一人違うものであり、唯一の正解はないのではと思ってます。貴方の提示する概念も、正解の一つだと思います。

私にとっての魂の概念としましては、身体とともに成長していく自覚だと思ってます。
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この回答へのお礼

少なくともあなた様は素晴らしいお方だと思います。僕の考えでいくならあなたが今まで出会ってきた人がとても素晴らしいお方だからこそあなた様は素晴らしいお方になったのだとおもってます!

お礼日時:2016/07/12 17:48

世界チャンピオン、になった事もある、囲碁の イ・セドル九段が、コンピュータ-ソフトに敗れました。

チェスの世界チャンピオンが二十年ばかり前、将棋のプロ棋士が数年前に敗れましたが、プロに勝つ囲碁ソフトの登場は十年後でも難いであろう言われていましたが。人口知能、の登場によって。いきなり、プロ棋士を超えたようです。計算力や、記憶量では、とっくに、人間を超えていました。計算力や知識量は、万人の学者、教授が知識を持ち寄っても。十円玉程度のチップと、わずかな電力で動く、パソコンにも及ばない。いずれ先生、と言われる職業は人口知能にとって代わられる。のです。知恵では人口頭脳に敵わないから、神が、自分に似せて人間を作った、人は心だ、人間は自分は特別な存在た。との原始思想に逆戻りしているのが昨今の思想のようです。
科学の妄想の一つは、神の概念をエネルギーという言葉に、置き換えていることでしょう。
言ったように、精神がエネルギーなら、それは、世界中の人間の知能、精神を合わせても、そのエネルギー量は小さなスマホ一台にもならない、少量のエネルギー量となります。
そんなエネルギー、で世界を破壊し人類を死滅させるような、武器、兵器が、どうして作れるのでしょう。
その一方で1gの物質は2兆カロリーのエネルギー量であるとか、核分裂はマイナスエネルギーである。などと言っているのです。何をもって、エネルギー、といっているのか。エネルギとは、不生不滅、不増不減、の姿形のない、世界をつくっている、絶対者、である。
つまりは、神がいないとしても、としてはじまった、物理学が陥った、神、の概念、なのです。
在る、とは、方向性、がある事である。とはサルトルとカントの書にありましたが。元はギリシャ哲学、その元は、古代インドのウパニシャド哲学、でしょうが。
在るとは、在らせている方向性、が在るもの、に一体として付随している。
物には属性としての、姿形のない、能力、方向性が一体として付随している。
何度も言いましたが、肉体+精神=人間 肉体の他に実体のない 精神=神 が存在している訳ではない。肉体×精神=人間 肉体と精神は一体として存在している。肉体がなければ、精神もない、精神がなければ、生きた肉体はない。と言う在り方、縁起、なのです。
その精神の原型は、物質に重力が付随する。ならその反重力、力、熱、電気、距離、速度、・・・、心、知恵、精神 となってゆくものなのです。物質に付随する能力、方向性、の集合、構造、によって、精神が起きているのです。そうでなければ、科学は、生命、精神とは繋がらない、のです。肉体×精神=生命体 であり、すべては、
空間(物、形あるもの)×時間(変化、変化を起こす能力方向性)=1(いつ)なる存在単  となるはずです。
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この回答へのお礼

あなたみたいな考えの
人にききたいですね。
あなたが五体満足で産まれたり日本という裕福な国で産まれたことはラッキーなのですか?
障害者はアンラッキーということですか?

お礼日時:2016/07/12 17:49

量子論的には、有限な存在は、認識される事で生じており、


物質がで、その中に魂=意識が宿る的な考えは、ニュートン
以前の古典的な「素朴唯物論」と呼ばれるものです。

全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に
詰め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなる。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に
認識体の仮定断面(潜在的認識可能性)の運動(時系列化=
プランク定数hの収束=物体収縮=宇宙膨張)を想定すれば、
相対的に無の風は光になり、認識体はその光(感受表面
(潜在的認識可能性)での量子相互作用パターン)の向うに、
自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識するのだ。
自我仮説(記憶=時間の流れ=過去=超光速)と空間仮説
(予測=空間の広がり=未来=光速下)の相補分化。
つまり、自己存在成立のための必要として(不確定性原理
の相補性に基づく)環境は認識されるのだ。

「他人」とは、その「潜在的認識可能性」を時系列化する
プロセスの射影としての、時系列外の「認識可能性」である。
そうした原理的な時系列化において、本当は昨日の自分も
遠くの他人も量子的に不連続であるにもかかわらず、
「他人の痛みを自分のように感じる」という精神疾患の一種
として、過去の異なる認識可能性(宇宙膨張=物体収縮=
プランク定数hの収束)を自己=過去(自我仮説)とする事で、
意識(空間仮説)を派生させているのだ。
自我成立のための相補的な環境性において、先に触れたように
他人も必要の一環(社会生命的自覚)であり、また環境との
物質循環も伴い、自己の生命性の拡張としての自覚化=愛に
よる自律的社会行動において、肉体的有限性や寿命の有限性
の悲しみも超えられる(真の生きる目的たる最大充足の達成)。
「魂の概念をおしえてください! 僕は肉体と」の回答画像5
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魂の概念をおしえてください!


   ↑
残念ですが、最新の分子生物学によると
魂の存在は否定されています。
どこまでいっても、存在するのは物質
だけです。

ノーベル賞受賞の、利根川進先生も、
魂は存在しない、と明言しています。

と、いうことで、魂は神と同じように
人間が創り出した概念に過ぎません。
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この回答へのお礼

デカルトは認めてるのにおかしいですね?笑

お礼日時:2016/07/12 17:50

終わりの笑のとおりに考えがおかしい。


人間が思う下等生物は脳に由来しないで脳に由来して体を動かしています。
人間は思いによって脳が働き体を動かしています。
主体と従。また、人間は主体とは他人に奉仕することです。
馬鹿でも大卒。
いずこの国でも生きていけます。
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この回答へのお礼

なるほど。なら、あなたは人生は一度きりだと考えているのですね?

お礼日時:2016/07/12 17:51

>魂の概念をおしえてください!




日本では武士道の臍下丹田などが「魂を意識したもの」として有名ですが、たぶんそれらも仏教の影響が強いのかなと勝手に憶測しましたので、仏教発祥のインドについて説明します。




仏教発祥の地、インドにおいて魂とは個人そのものです。まさにあなたのいう「僕は肉体という器を魂というエネルギーで動かしてるとかていしています。」という概念と同じです。


ヴィクトリア女王がインド皇帝になる以前のインドは、この独特な世界観でした。


日本に渡った仏教用語でそれを説明すると、生物を意味する衆生(しゅじょう)は、その形によって「六道(ろくどう)」という六種の存在に分かれるそうです。

①「天」(神々)
②「阿修羅」(悪魔)
③「人間」
④「家畜」(動物)
⑤「餓鬼」(幽霊)
⑥「地獄」

の六種の衆生があるそうです。


これら六種の住人は、それぞれ寿命に長い短いはあれど、寿命が尽きると魂が死体から抜けます。

魂が死体から抜けたら、七七、四十九日の間「中有(ちゅうう_中間的存在)」に在って、中有の期間が終わると次の生物に生まれ変わります。

このサイクルを「輪廻」と言います。


この輪廻・転生の思想は、インド文明固有のもので、仏教に限らず、ジャナイ教、ヒンドゥー教もこの思想が基礎になっています。


私は、あまり詳しくありませんが、インド仏教やジャナイ教、ヒンドゥー教をもっと詳しく知れば、あなたの疑問である「魂」の正体が分かるかもしれません。






参考文献

『歴史とはなにか』著:岡田 英弘
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こんばんは、



んー。魂には重さがある(21グラムでしたっけ、死亡した瞬
間に軽くなるそうな)なんて話がありますが、その信ぴょう
性も含めて、「何故人間(ならびに人間に関係の深い動物)
にだけ、魂という独特の仕様があるのか」と思えてしまうの
です。

人間の生死も他の動物の生死と同じく物理現象の1つでしか
なく、魂なんてものは人間の勝手な考えであり、それが存在
している訳ではないと思うのです。

あるいは実は動物全般にも魂があって、今の人間の科学力で
は判断出来ない(それを何かの力で人間が感じ取っている)
のかもしれませんが、もしそれが事実だったら、豚・牛・鶏・
魚を代表にする食用動物なんか食べられない人が多数出るで
しょうし(今のベジタリアンの比じゃないでしょう)、虫を
遊ぶように殺すなんてありえなくなってしまうのではないで
しょうか(ありえなくないならまだいいですけど、人間も虫
と変わらないなんて考えの殺人やら自殺が増えられても困る
でしょう)

だから個人的には、魂という謎の仕様を、前向きに認めたく
ないなぁ、と思うのです。今の人間の科学でもわからない事
は沢山あるとは思います。でも、将来魂という考えが判明し
たとしても、嫌な方向に進まないでほしいなと思うのです。
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この回答へのお礼

それは一理あります!

お礼日時:2016/07/12 17:52

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