
こんばんは。哲学的な質問ですが、魂って、………
みなさんは、魂の存在を信じますか?
今の自分っていうのは、親父と母親が存在すること
と関係なしに自分の魂が成り立っているのですか?
どうしても、親父と母親がセクロスをしなくても、
自分は(魂として)存在しなければならないですか?
自分の範囲ってどこまでですか?
親父の結婚相手が違っていたり、
母親の結婚相手が違っていたり、
ジジババが結婚しなかったり、
していたら、自分の遺伝的性質は異なると
おもいますが、魂としての自分は
今の自分として存在するのでしょうか?
哲学がすきな方、哲学に今ちょっと興味がある方、
仏教における考え方が分かる方、
キリスト教における考え方を勉強している方、
子供に魂について聞かれて困っている方やそうでない方も、
なにか質問じゃなくて、意見がある方、
ぜひ回答お願いします。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
おはようございます。
哲学でも何でも疎い私でよければ、お相手いたしましょう。
>親父の結婚相手が違っていたり、母親の結婚相手が違っていたり、ジジババが結婚しなかったり、していたら、自分の遺伝的性質は異なるとおもいますが、
そのとおりでしょうね。
う~ん、「魂」って単語は、一般人の、それどころか子どものオシャベリにすら、よく登場するくらいなのに、じゃあ、どんなものなのかというと、とたんに難しくなってしまいますね。
それについての説も いろいろありますしね。
仏教において、私が聞いていることは、始祖の お釈迦さまは、いわゆる「形而上」の問題に関しては一言、「ムキ」(無期懲役かっ?!)じゃなかった「無視!」じゃなかった
「無記」
と仰ったそうです。
お釈迦さまですら、答えないのであれば、われわれに何が断言できましょうや。
でも、「形而上」の問題こそは、哲学においても「花形スター」格の問題なんですよね(笑)
また、
「魂」というのは、その「魂」に ふさわしいというか、必要な場を選ぶのだという考えかたもあります。
そこから、「この世は修行の場」という考えにも繋がっていくのでしょう。もし、それであれば、個々の親から受け継ぐ遺伝子の問題などの この世に先立つ存在だということになりますね。
>自分の範囲ってどこまでですか?
私も自分のブログでも最近、そういうことをチラッと書いたりしたのですが、食べ物を摂取するという現象一つとっても、どこまでが「自分」になるのかということは、微妙な問題ですよね。
仮に、「魂」というものが、現世に先立つ存在であるとしても、それに ふさわしい修行の場を選ぶのであるとすれば、遺伝子とか体質とか顔だちとか、摂取する食物とか、与えられる環境や、読む書物の類、教育とか、こういった現世的な条件すべて、「魂」の存在に、やっぱり無関係ではないということになります。
もっと言ってしまえば、これら現世的条件あってこその「魂」とも言えてしまいそうです。
ま、私は個人的に、「魂」というのは、それが入らないと、機械が動き出さない「電気」みたいな性質を持つものかと思っています。であれば、元々は、個々に屹立しているほどの個性の違いなどはないのでは?ということになりますね。
しかし機械といっても、いろんな種類の、出来が良いのも悪いのも、耐久性が高いのも、すぐにダメになるのもあって、いろいろでしょう?
「電気」という存在も、思えば不思議な性質のものですよね。もう何年も前から、そう思っています。
No.7
- 回答日時:
人間は動物以上のものでありたいと願う。
それを「魂」や「精神」とするなら
望むこと、望まれること、そして喜ぶこと、喜ばれることについて
魂の「救済」の現状に満足しないように出来ていますね。
自分を追求することは人の存在、魂の徴(しるし)断念すること。
自分を導こうとする分しか人間でいられないのも人間なのです。
魂は人間を超えようとして、人間に還ろうとして
「私は善い人間か」と人間らしくあれと制御しているものかも。
No.6
- 回答日時:
こんにちは。
《たましい》は 多義的です。
A たましい:
(1) 身体組織としての感性
(2) こころ
(3) 霊
B こころ:
(1) 感覚を意識し 認識すること。また 認識した内容。
(2) いっさいの認識をもとにして 自己および他者あるいは世界に相い対するとき人間存在に生じるはたらき。
これは 好悪の感情や喜怒哀楽の気持ちであったり こころ差し(志)であったり あるいは要するに 《わたし》という意識そのものであったりする。
(3) さらには たましいが霊としても捉えられる場合と同じこころがある。
これは 肉(つまりこの場合 精神および身体を言う)をあたかも超えて伸び広がるかに思われるところがある。→《信じる》
C 信じる(信仰):
非経験〔についての〕思考のこと。経験思考に非ざること。
または 表象しえぬものをわざわざ思うこと。ただしその表象し得ぬものをも 言葉などその代理によって表象すると主張することがある。
あるいは 絶対とわれとの関係。→《絶対》
D 絶対:
そういう想定である。経験的な相対世界を超えたところと規定し想定する。思考を超えている。
《考える》を超えるこころのはたらきは 《信じる》と呼ばれる。
それは 有神論と無神論とに分かれる。どちらも 互いに同等である。信仰であり その形態が 有神と無神とで分かれるのみ。つまり《神がある》と言うのも《神がない》と言うのも ともに《信じる》の領域を捉えて言おうとしている。なぜなら 《絶対者》は表象しえぬゆえ。
E 肉:
(1)身体
(2)身体および精神 すなわち 経験的な存在の全体
F 精神:
こころのこと。特にこころの(2)のはたらきとして 基本的に 記憶・知解・意志の三つの行為能力を言う。
( a ) 記憶行為:
精神の秩序。感性内容を意識し記憶する。意識内容を知解行為が加工したものをも記憶する。
その組織・その過程。
先験的に 存在じたい もしくは その自然本性じたいの秩序を司ると思われる。
( b ) 知解行為:
記憶組織という宝庫から ものごとを捉えて認識し さらにあらたな整合性をもった認識内容につくる。
( c ) 意志(愛):
大きく広く 直接的にせよ間接的にせよ 記憶および知解を行為するときに すでにそれらを促すように発動していると思われる。
知解行為の結果から取捨選択しその内容を みづからの意志(おもむくところ)として判断し決定する。実行にも及ぶ。
G 三一性( trinity ):
これら記憶・知解および意志の三能力行為は 経験的・時間的な行為を成し 他者のそれらと 社会的な関係をむすぶ。
このとき 時間的な隔たりを持って 三行為はけっきょくのところ 一体性を有すると考えられる。
社会形態(一般に国家)にあっては順番に 司法・立法および行政という役割にそれぞれ相当する。
H 三位一体( Trinity ):
これは 《絶対》という表象しえぬものを 人間のことばという代理物で 仮りに表象し仮りに表現しようとしたもの。
・記憶能力が 父なる神。光のたとえとして 光源。
・そこから生まれる知解行為が 子なる神。光の発耀。
・それら両者から発出するかのような意志行為が 聖霊なる神。光の持つ明・暖。
絶対の領域では とうぜんながら 三つのものは 一体である。
三つのそれぞれの個は全体と 全体は各個と 各個は各個と それぞれ等しい。無限の半分も無限であり 三分の一もやはり無限である。
I 霊:
《絶対》ないし《絶対者》のこと。
J 《イエスはキリストである》:
霊なる神が 肉(精神および身体)になった。という物語。
K 人間:
このキリスト・イエスつまり 《かみでありひとである存在》に似る存在者である。
それは 霊なる神を分有するというかたちだとされる。
《絶対》によってあたかも指先でのように触れられている。あたかもこころの明けまた伸びとして窓が開かれている。これを《分有する》という。
L 《人間は神の似像(にすがた)である》:
三位一体なる神のはなはだ不類似にしていくらかは類似する三一性をそなえた人間をいう。
この人間は 神にかたどって造られたと表現された。
一定の社会形態(国家)も 三権の分立かつ協業というかたちで一種の三一性を有し 似姿の様相を呈している。
M 生命:
これは 以上のすべてを言うものか。
そうですね。キリスト教では、魂の意味は、多義的ですね。
言葉も魂ですものね。
ありがとうございます。自分としては、仏教的な魂を期待していました、ごめんなさい。
No.5
- 回答日時:
質問者様のご質問の中で、ひとつ興味ある設問がありました。
>自分の範囲ってどこまでですか?
そうですね、リビアだったかのカダふぃ大佐なんかだったら、それこそ自分の配下の軍隊なんかもみな自分の範囲につけてしまうでしょう。国全体がおれのもんだ、というような意識があるのかもしれません。しかし、この質問は「魂について」ですからその観点からこたえねばならないのでしょう。
偉いひと、いわゆるカリスマと一般に言われている人のなかには、体全体からオーラが出ているというような観測がされるばあいがあります。こんなのはさしずめ魂が体全体を覆って、体からはみ出てきたという例でしょうね。実際そういう場面を見たことがありませんので、本当に起こるものなのかはわかりませんが。
私も何人もの近親者の死を見送った経験がありますので、ついさっきまで会話をしていた、あの人格は何処へ行ったのだろうか、という不思議な気になることはありました。でも、会話が出来なければ、悲しいことですがそれはもうただの肉のかたまりなのですね。会話とはなにか?反応ですね。問いかけに対して当人のセンサーが感知し、連鎖的に自分の記憶媒体から相手を検索して認識し、適当な反応をつくって音声にする。それが出来なくなったらもうそのひとの魂は確認できないわけですから、失われたということではないでしょうか。
>どうしても、親父と母親がセクロスをしなくても、
自分は(魂として)存在しなければならないですか?
おっしゃる意味がわかりにくいですが、貴方が生まれていなければ当然貴方の魂は存在しないでしょう。魂はその人の肉体の付属品ですから。
私見によれば、貴方の範囲は貴方の肉体の中にとどまるだろうと思います。それ以外は法的に認められなかったらそういう主張は出来ないでしょう。このぱんつはおれだ、といっても、盗んだものだttら、すぐ脱いで返却せねばならないでしょうから。
魂は更にその肉体の中の記憶情報のみにとどまるのではないでしょうか。こうやってどこかのサイトにぐだぐだ書き留めておけば、たまさかそれらも魂の断片だといわれる可能性もなしとしないと思います。
ごさんこうになれば。
この回答への補足
>自分の範囲ってどこまでですか?
というのは、
父親と母親のセクロスにおいて、
例えば父親の精子や母親の卵が変わった場合、
自分という人間は、存在するであろうが、
魂としての自分は、同じか?と問いたいです。
もし、同じ魂と考えるならば、どういうセクロスの条件
が変わったら、魂としての自分が別物になるか?
ということです。
No.4
- 回答日時:
No.1です。
こんなのを見かけました。
『D N A に 魂 は あ る か』フランシス・クリック 著
哲学の究極レベルの課題の一つは、「自分」という感覚の原因についてでしょうが、
上記からの掻い摘んだ解説を読んでみたかぎりでは、個々に備わっている視覚などの、いわゆる五官を始めとした各機能を通して、自己意識、主観的な感覚質(クオリアとか?)というものが培われていくということで、この線で、私にも、かなりの程度、腑に落ちそうな予感があります。
http://homepage2.nifty.com/aquarian/RecentBooks/ …
それでも なお、最終的な「なにゆえに?」という疑問は解明できないのでしょうね。
「魂」と「心」の区分けも難しいところです。
科学的な解明においても、その道のりは大変、遠いようです。
参考URL:http://homepage2.nifty.com/aquarian/RecentBooks/ …
No.3
- 回答日時:
生物学的なことを哲学的に考えようとすると、宗教的な理想や個人の仮想が入り込みますよ。
魂とは、生物学的な「自我」のことです。
それは、己の存在が消えないように(死なないように)行動する為の規範です。
しかしながら、ホヤなどの脳の無い単管生物においても、自我はあります。
そうなると自我はどの器官が受け持っているのか、生物学的にもまだ解明されていません。
もしかすると細胞の一つ一つが担っている仕組みなのかもしれません。
(単細胞なのに集合運動できる粘菌の研究も進んでいます)
そういう科学的な魂の研究を全く無視すれば、宇宙においての魂論も可能です。
でもそれは妄想であり、人の希望を利用した言葉巧みな嘘にすぎません。
この場にもそういう嘘は溢れています。
子供には正直に、「まだ科学が解明しようとしている謎なのよ」と教えたほうがいいですよ。
No.2
- 回答日時:
魂を有無を語らねばならないのは、それと対置される
客観的存在を前提とすることによります。
つまり、日常的感覚における「自分の感覚とは独立して、
“外”に存在があり、その結果として認識を生じる」という
過程=素朴唯物論を前提として、その『存在』には見出せ
ない感受の主体として、「魂」が推定されるのです。
一方、量子論的世界像では、有限な存在性は観測によっ
て生じています。
全ての存在は、量子的な不確定性=確率波動性に基づ
いており、無限につめ込むと存在確率の山が平らになり、
無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」に於て、その無限の闇に、
認識体の仮定断面の運動を想定すれば、相対的に無の
風は光になり、認識体はその光(量子相互作用パターン)
の向うに、自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を
認識するのです。
その「存在(空間=予測=未来=光速下)」と「魂(時間=記憶
=過去=超光速)」は、「潜在的認識可能性(感受表面=
現在=光速)」からの仮説(階層現象表面)的相補分化と
して得られる以上、「素朴唯物論+霊魂仮説」は、「認識
としての宇宙(自我仮説と時空仮説の相補分化)へと止揚
されるのです。
従って因果律の問題も、先述のように「現在から過去と未来
が対発生」し、その時系列化において自我仮説が可能に
なっている以上、全ての“第一原因”を超越者に求めたり、
“結果としての自己”の必然性に悩む必要もない。
全ては、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った)
補完なのです。
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