アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

Adoさんの「ギラギラ」聞いたことある方いますか?勿論最近はTikTokとかでも人気ですし、聞いたことがある方も多いかと思います。

私はAdoさんと同い年で、Adoさんの世界観が大好きです。

私的にはうっせぇわもかなり曲調が好きだったのですが、曲調と歌詞を合わせればギラギラが刺さりました。どちらもいい曲なので比べるのは烏滸がましいのですが……

私も自分の容姿にコンプレックスがあります。Adoさんが自らの顔にコンプレックスを持ってあの歌を書いたのかは分かりませんが、共感できることが多いです。

自分の顔が不細工なことはわかっているのに人を好きになってしまうとか、特に共感出来ました。何より好きなのは不細工な顔のことを「神様が左手で描いたような顔」と表現しているところです。才能を感じました。もし神様が左利きだったら、なんて考えたことはなかったからこそそんな考え方を持っているAdoさんが羨ましくも思えました。

私は歌を歌うのは得意で、カラオケでもよく友人に上手だといわれます。幼い頃からそこには自信がありました。でも歌が上手くて、作詞の才能まである同い年のAdoさんに、これが本当の天才なんだな、なんて大袈裟かもしれないけど思いました。

それでも最近ではワイドショーなどでよく批判されているのを見かけます。勿論、「親が聞かせなければいい」と言っているコメンテーターの方も多いのですが、特にうっせぇわの歌詞を過激だ、歌詞がちょっと…なんて言っている方も多いです。子供に歌わせたくなかったら聞かせなければいいんじゃないでしょうか??社会への不満をどういう形で伝えるかは犯罪でない限り自由ではないでしょうか?勿論大人からしたらあの歌詞はわがままだという方も多いかもしれませんが。

Adoさんの曲について、そしてコメンテーターの批判的なコメントについてどう思いますか?

A 回答 (4件)

Adoは作詞してませんよ。

    • good
    • 1

例えば、歌舞伎は当初、「人心をかく乱する」と権力者は禁止しようとしたと聞きます。


加藤茶さんや志村けんさんのギャグも「教育上よくない」と子供に見せないようにすべき、という声があがったと聞きます。
いわゆる「ロックン・ロール」も、大人社会が大人に都合よく決めた枠組みや規制に縛られたくないという反発心から盛り上がったもので、大人社会はそれを排除しようという風潮もあったようです。
ビートルズが来日した時も、コンサートに行くことを禁止する命令まで出たそうです。

自分達が安住する枠、囲いの中で安心して居たい、その安定を壊されたくないと思う既得権の人達がいて、その既得権のために自由を諦めざるように強いられているNewGenerationとの対立はいつの時代にもあるものです。

恐らく、批判的に批評する人達があなたたちの世代のときには、きっとあなたと同じ感性を持っていたのではないかと思います。
あきらめて、妥協して、囲われた枠に慣れ、その枠に守られることで安堵してしまった人たちは、いつのまにか自分が感じていた窮屈さを忘れて、自分と同じ窮屈な枠に皆が収まることが自分の安定になると考えるようになります。

自分の立場が変わると意見が変わるというのは、自分の立ち位置でしか物事を見ない、自分本位の見方でしかありません。
そんな視野の狭い人が「コメンテーター」となって、さも世論を代弁しているかのように訳知り顔で語ることこそ、恥ずかしいことだと私は思います。
    • good
    • 0

すみません。

色々文を考えて打ち直しているうちに文がオカシくなってました。

✕ 「その既得権のために自由を諦めざるように強いられている」

〇 「その既得権との対立で自由を諦めるように強いられている」

でした。

訂正させていただきます。
    • good
    • 0

個人の世界観を否定してはいけないと思います。

過激だとか言われているけれど、一つの素敵な表現であり才能であるので。まず子供に悪影響だとか言っていては何も始まらないと思いました。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!