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事実もあの通りなんだろ?

A 回答 (1件)

ドキュメンタリーの方は知らないんですが。


当時を経験した私からすると、彼は日本史最大の英雄だと思い
ます。

日本人の殆どは思考停止状態でした。なので殆どの人が覚えて
いないんですよね。本能的に滅亡を感じていたんだと思います。
絶体絶命となったとき、人がどうなるのか良く分かりました。

誰と話してもボーっとしていましたね。
友人に電話をして大丈夫かと聞いたんですが、突然怒り出すん
です。TVは録画を流し続け、ラジオのアナウンサーは上ずった
声で頑張れ日本と言い続ける。記者会見場では、女性の記者が
パニックを起こしてました。

野球の負け試合の最後の回みたいな感じですね。

私は覚悟しましたが、知り合いはダメでしたね。
現実を受け入れ切れていないみたいでした。
この現実と言うのは、あと数日で日本が滅亡するという状況。

「この県庁で測定した放射能の数値をネットに流してるだろ?
 ここの数字がドーンと跳ね上がったら、8時間で東京は壊滅
 する。逃げるべき時が来たら教えるから、今は大丈夫だよ。」

と言って私は家族を安心させました。

知り合いは、

「やっぱり、だめなんか。生きててなんも良いことなかった。
 怖くて仕方ない。正直、皆を置いて逃げ出したいです。」

こんなことを言ってました。

世界を数回滅ぼせるくらいのプルトニウムが原発家屋の屋上に
のこっていました。プルトニウムを冷やすためのプールは爆発
でむき出しになっていました。どんどん水が蒸発している状態
で時限装置みたいになってたんです。

菅さんはTVで東日本が滅亡するかもしれない状況と語り、涙ぐ
んで国民に語り掛けました。実際は、台湾や韓国、中国を巻き
込んで放射生物質が飛びちることが気流のシミュレーションな
どで分かっていました。日本は恐らく助からなかったでしょう。

インターネットで有志の人が集まり、記者会見の会場を24時間
放送していました。凄い数の人がチャットを通じて意見を交換
しました。専門的な知識を持つ人も多数いて、おそらくメルト
ダウンしているだろうという結論を出していました。

分からなかったのは、

「メルトダウンをしていたら、とっくに大量の死者が出ている
 はず。自分たちが生きていられるのは何故だ?」

という事でした。これは世界中の科学者も分からなかったんで
す。どうも、官邸の直接指示によるベントの実施と海水注入が
効いていたようです。

「注水管が破損していたら、海水を注入しても炉心は冷えない。
 しかし、破損した個所から落ちた海水が床下に溜まるはず。
 メルトダウンによって炉心が床下に突き抜けても、そこが海水
 で満たされていれば最悪の事態は防げる。
 つまり、どちらであっても海水を注入すれば我々は助かる。」

すごい思考力ですよね。絶対助かるという一手を作った。
日本を支える本当のトップと言うのは、これだけのピンチであっ
ても頭脳が回転し続ける。凄いものだと思いました。

ところが、

「プルトニウムが原発家屋の屋上にあるらしいです。
 どうも保管場所のプールの水が蒸発して水温があがっている
 ようです。いつ爆発しても可笑しくありません。」

驚きました。絶望しました。
ドラマや映画じゃあるまいし。そんなことが・・・現実に。
一つのピンチを絶妙のアイデアで乗り切ると、思いもしなかっ
た味方のエラーで手も足も出なくなる。

それが日本の命運を握るゲームで起きてしまうなんて。
事実は小説より奇なりです。

水さえプールに入れれば何とかなる。しかし、放射能で近づけ
ない。もうどうにもならない。こんなことで・・こんなことで。
何とも言えない、笑いも出来ない、呆れた話です。

(これを救ったのは別の英雄たちのお話です。)

これだけの話であったのに、菅直人首相の功績は(誰も正気じゃ
無かったので覚えておらず)無いことにされてしまった。

私は自分の国が、
自分の世代を最後にしてしまうと本気で思いました。
世界の他国の人の方が確信していました。

インターネットでは日本にさようならを言いたいと多くの人がメ
ッセージを発信していました。日本にはインターネットに疎い人
も多く、それらを知らなかったんですけどね。

そして、菅直人首相は日本国最後の首相として逃げ出さなかった。
最後まであちこちと走り回り頼んで回った。
私はその姿を見ることができて、諦めがついたんです。

「良かった。これが本当の国家元首の姿。
 最後にこれ(私たちの元首の真の姿や思い)を見れたんだぞ?
 恨んで死なずに済んだ。感謝していける。
 ありがとう。」

それでも、日本の文化、歴史、色んなものを想起し、これらが伝
説になってしまうという現実に慄きました。
カラ元気も尽きようとしていました。

「自分が生きている間にこんなことが起きるなんて。
 現実が退屈だから、想像の世界で冒険を楽しもう、とか。
 よくそんな事思っていた。俺は馬鹿だったなあ。
 大きな勘違いだよなあ。」

と本当に思いましたね。

こんな風になんやかやありまして、重大な局面、日本史上最大の
危機を乗り越えたわけです。
(これも本当にドラマティック)
もう、パニック映画とかお腹いっぱいです。

この現実に勝てる空想を、
出せるものなら出してみろと言いたい。
描けるものなら描いてみろと言いたい。

その時は言ってやります。

「人はそんな風に動かない。考えない。
 君の想像は間違っている。作者君。
 どうしていえるかって? 見て来たからね。」

ですね。

私は、

「もう駄目だと思うけど。万一生き残れたら?
 恐らく、この状況を誰もが思い出せないだろう。
 だとしたら?
 生き残れることにかけて、周囲を見て回ろう。
 ガソリンが切れるまで車を走らせて、人々の顔を見て置こう。
 覚えていて語れるのが自分だけかもしれないから。」

と思って、あちこち見て回りました。

そして後日談。
どう考えても日本史上最大の危機なんですが、あんまり話題にさ
れません。恐らくは、受け止められる人が居ないからでしょう。

それどころか、
「何とか成るぞ」と日本中が目を覚ました時。
そこで起きたのは”菅おろし”でした。

酷い話ですよね。

しかし、それはそれで良いと思っています。
日常の醜悪さも、生きていればこそ感じられるものであり、
憤る自分も、それらの喜びを表す一つ姿なんだと思うからです。

なんというか、
時間が経って、ここで話せるというのは、本当に嬉しいですね。
話題をふってくれてありがとう。

以上、ご参考になれば。
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