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落語は古典が百年以上引き継がれて、寧ろ自作の新作落語の方が珍しいですね。
対して最近のお笑いの主流である漫才は、みんな自作でネタ作り含めて評価される感じですね。
本人達が亡くなったり、実質引退になったらそのネタが無くなるのは、なんか勿体ない気がするんですけど、何で他者のコピーやらないんですかね?
例えばMー1でやすきよのネタ披露する若手とかいてもいいと思うんですけど…。

A 回答 (1件)

寄席演芸が好きなものです。



落語・講談と漫談・漫才の一番の違いは、時候を反映した話題かどうかではないかと思います。

落語・講談も、さわりではそんな話をしますが、本題はそうじゃない。
現代落語でもそうです。
確かに話題は現代のものでも、それが昭和なのか平成なのかは関係ない。
ただ、江戸の話じゃなくて今の時代、というだけです。
そこには話者・演者・芸人の技はあっても、何か普遍の柱が一本通っています。
だから、誰がやっても、その柱は変わらない。

それに対し、漫談・漫才は、基本的に当世・時候の話題です。
さわりは、とりわけ今日昨日の話題だったり、その場の観客をネタにしたりしたもので、本題も今のご時世のものを演者が見立てて面白おかしく話す。
その演者の目から見た話しですから、演者しか話しません。
また、同じ演者でも、日が経てばそれはもう古新聞。
客の気は引けないので、よほどのことがない限り、消えていきます。

落語・講談と漫談・漫才とはそんなものじゃぁないでしょうか。

ところで、近年のお笑い芸は、私的に言わせていただけば、それまでの漫談・漫才ではないと思います。
もっと言わせてもらえば、『お笑い』でも『芸』でもないと思います。

ただ、うるさく下品なだけではないかと思います。

私が望んでいるお笑い芸は、落語でも講談でも漫談でも漫才でも、聞き終わった後で、気持ちがホッとし、疲れが取れ、耳には何も残っていないものです。
聞いているとき、目をつぶっていても、どんなにガマンしても『アッハッハ』と涙を流して大笑いしちゃう。
これが、私にとってのお笑い芸です。

バラエティだのワイドショーだのと称してテレビに出る『芸人』となのる連中は、大声をあげる、激しく怒鳴る、自分で笑う。
『大声をあげ、激しく怒鳴る』連中には、怖く嫌な感じがします。
そこでいう言葉は、『突っ込み』と称し、ひたすら『ののしる、けなす、罵倒する』言葉ばかり。
人格否定するような事ばかり聞かされて何が楽しいんでしょう。
萎縮し、耳をふさぎたくなります。
挙句には、裸になったり殴ったり。
それのどこが『お笑い』とか『芸』なのでしょう。
その辺のチンピラが偉ぶって喧嘩してるのと何が違うんでしょう。
そのうえテレビ局はそこに観客が笑う声を重ねる。
芸人もテレビ局もおかしいと思わないんですかね。

ある意味、質問にある『やすきよ』も含めた関西の『芸人』と称する荒っぽく否定話題で笑わせるだけの『芸』がそうしちゃったように思います。

そういやぁ、ジャニーズだのAKBだのっていうのも変だと思いませんか?
10人も 20人も歌を歌ってるけど、その全員が同じメロディを歌ってる。
違うメロディパートがない。
あれのどこが『うまい』って言うのかなぁ、と思ってます。
おまけに強弱にもスピードにも変化がない。
歌唱力なんてクソほどもないとは思わないんでしょうか?

私は、笑い、芸、をもっと考えてもいいように思います。
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