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No.3
- 回答日時:
好きだと思います。
確かに時々イラッとする時もありますけど、色々と気にかけてくれてると思ってます。好き嫌いは各々だと思いますけど、何より両親は大切な存在だと思います(私的に)。あなたの父さまもたぶんあなたのことが大好きだと思いますよ。
No.2
- 回答日時:
嫌いですね。
いなくなれば良い、と何度も
思いました。
でも、今から思い返すに、社会で
生き抜いていく術は、みな父から
教わったように思います。
父の言ってたことは、概ね正解
でしたね。
無理して大学にも行かせてもらったし。
嫌いだけど、感謝はしています。
No.1
- 回答日時:
好きですし、尊敬しているのも父だけです。
中卒で、私が中学生時点で、父が読めない漢字とかを教えていたくらいですが、根性と努力で小さな会社を起こし、母や私たち子供に何の不自由もさせなかったし、現場で大型トレーラーに轢かれて瀕死になっても、痛いと言ったことも無かったし。
母に先立たれた時の父は錯乱して入院するほどショックを受けましたが、退院したら、80代だったのにすべての家電の使い方を覚えて簡単な家事は一通り自分でやってくれたし、晩年に負った障害で認知機能も衰えていたのに、遺産を私たち子供が負担なく平等に相続できるように一生懸命計算していた姿を思い出すと、今でも泣けてきます。
現場ではかなり厳しかったようですが、親戚や知人などからどうしようもない子供を更生させてくれと言われると雇って、当人が辞めない限りはほぼ全員更生させました。
父亡き今も、年賀状を送ってくる人もいます…「今の私が今年も平和に暮らせるのも社長様のお陰です」と。
父が事故に遭ってから父の仕事の一部を引き継ぐために入社したんですが、誤字脱字だらけでも丁寧に書いてあったし、文房具類も古びた物ばかり。
それでいて、天涯孤独の社員が困れば、アパートなどを借りてあげて保証人にもなっていました。
跡を継いだのは次兄ですが、会社が傾いたら、私が潰すようにと遺言されました…取引先への債務だけでなく、社員への最後の給与と十分な退職金が残っているうちにお前が潰せと。
母が緊急入院しても顔色を変えず、母と長兄の間に確執が生まれて家の中が酷かった時にも父が何もしなかった時は、父に対して怒っていましたが、自分が就職してから、大卒なのに子供が出来ても私大に行かせられない給与しかもらえない現実を知ったし、社会の厳しさも体感したことで、父が中卒でも他家へ嫁いだ姉たちに内緒で援助していたことを考えたら、黙して語らずでも肝心なことだけは外さない強さというものがあるんだなと思ったし、当時の母の怒りも母自身の価値観を兄に押し付けるものだったことにも改めて分かると同時に、父は、兄自身が一人で母と戦うべきだと思っていたことにも気づきました。
休日は日曜しかなかった時代でも、前日夜から趣味の釣りに行って、家族サービスは殆ど無かったし、母に内緒で女遊びもしていた父ですが、そんなものは私からしたら父を貶す材料にはなりませんね。
…浮気の一つだけ母にバレたことがあり、母はかなりのショックを受け、そこから父をますます嫌うようになり、板挟みになるのは嫌でしたけど、母がいない時は、父と冗談ばかり言い合って笑って過ごしていましたよ。
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