好きなおでんの具材ドラフト会議しましょう

ジブリ映画の火垂るの墓を観ました。
高畑勲さんが仰ったらしいのですが、反戦映画では無いとのことです。この映画は本当は何を伝えたかったか、正直よく理解できません。私たち観る側(現代を生きる人)が悪いのかな‥と何となく感じたのですが、皆さんのご意見お聞かせください。

A 回答 (11件中1~10件)

昔何かで読んだ本に


彼らが完全にひきこもりを成功させることによって
生きることに失敗する話、みたいな解説がありましたね

あと岡田斗司夫さんの解説の動画を見ると(すべてが正しいとは限りませんが)
食べ物を清太が多くとっているのがわかる描写がされているとなっています。
探してみてみると良いと思いますよ

ひきこもりというのは社会との隔絶のことです
西宮の親類の家で、おばさんもきつかったようになってますが
清太も清太で働くでもなく家の仕事手伝うでもなく
今の感覚だと彼はまだ子供ですが
庶民なら子供のうちからできることからそれなりに働くのが当たり前の時代でしたし
頭下げるでもなく、
オルガン弾いて近所や特高から責められかねないような歌を歌ったりと坊っちゃん感覚が抜けず
食事の不満なども言っていましたから…
着物を売ったお金でも白米もすぐなくなる時代
そのあとは、叔母の家庭の食材を分け与えられる形になるのですから

妹を守るためには謙虚な態度を取り
できることをやり、我慢して居候すればよかったのを出ていくのです
そして妹と二人だけで生きていかなくてはいけなくなる
割と満ち足りたところで育ったから仕方ないかもしれませんが…
そういう意味では現代人にはそういうところが多いとは思いますね

野坂さん自身実際が妹二人いて
やはり雑炊など分けるときも自分が食べて重湯だけあげたり
妹用のミルクを飲んでしまったりしていたそうです

映画は絵から読み取るような表現なのでなかなか気づきません

昔はよく教科書に載っていた話はご存知ですかね
戦時中空腹で、弟のミルク盗み飲みしていた子の話
弟は栄養失調で死んでしまいます
そういう時代です

ある人はこれは野坂さんの自責の作品であるともいってます
そういう懺悔の作品であるとともに
そうせざるを得なかった時代や環境という自己弁護と
そういうことが当時起きていたというルポ的な意味合いもあったのでは

反戦と言えば反戦とも言えますが
「単なる反戦」「可哀想」としか見られないというのは本意ではなかったのではないでしょうか

そうやって生きた当時の子どもたち
後悔や自責、でも仕方なかった、という思いなのかと。

ちょっと最初に書いた話がどの本に載っていたかは忘れてしまいましたが
いろんな分析は出てるから一通り読んでみたら良いのではないですか?
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2022/02/15 10:31

見る人の意思次第(感じ方)だと思います。


私は反戦映画だと感じました。
原作者の野坂昭如氏らしい、寡黙な反戦映画だと思っています。

「男はつらいよ」だって、喜劇と見るか?悲劇と見るか? 感想は分かれると思います。如何でしょうか?

好きなアニメは↓です。
「ジブリ映画の火垂るの墓を観ました。 高畑」の回答画像10
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伝えたいことかはわからないが、戦争のない時代に生まれてよかったと安いプライドはもたないほうがいいということ。

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極限状態を描いたものだと思ってます。



映画には描かれていませんが、原作では兄が妹の死肉を食べたい欲求に駆られる場面があるとかないとか・・・読もうとしたんですが、句読点も少なく、しょっぱなから作者の想いをガーっとたたきつけるように書いたとしか思えず、辛くて読めなかったので、本当に書いてあるのかどうかは知りませんが、動画で野坂氏が「(映画のような)あんな綺麗なもんじゃない」というようなことを言っており、妹さんへの謝罪というか、己の欲深さを語っていた場面もありました。

それを見てから映画を見直したら、この時にその欲求と葛藤したのかもな、と思えるショットがありましたね・・・
後出しじゃんけんと同じですが、飛行機墜落で実際に死肉を食べて生き延びた人たちもいますから、最初に観た時にもそう言えばそう感じたかもって思ったんですが、そう思っちゃいけないと無意識のうちにブレーキがかかった気がします。

確かに食べるという選択肢もあったんだよなと思います。
食べなかったとしても、妹をオバ宅に置き去りにしたのなら映画は成立しなかったから、連れていくしか無くて、食べる欲求を描くのなら、食べなくても生き延びる設定になったと思います。

映画では欲求の部分を描かないことにしたから、兄も死なせるしか無かったんだろうな、としか思えなくなりましたね。
駅構内で死ぬという設定も映画としては良かったと思うし。

いずれにしても、あの映画を見て一番辛かったのは、生き延びた野坂氏なんじゃないかと思ってます・・・その辛さは私には到底分かりませんが。

そのまま描いちゃったら、あそこまでヒットはしなかったと思う反面、実際に出兵した人や飢餓状態を経験した人は・・・どうだろ・・・かえって目を背けるのかな?消し去りたい苦い過去を思い出させるな、と、、
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原作者、野坂昭如さんは、戦後、一貫して、強い反戦の気持ちを持っていました。

ーーーただ、あの作品は、反戦を主張するために書いたのではなく。兄と妹の物語、を書いた、と思います。
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あれはホラー映画です


幽霊の話です
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残酷な戦後の話だと思います。

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あのね、「これは反戦作品です」って言うような作家は、本当に最低限のセンスすら無い、どうしようもない作家だと思います。

なんで作家になったのか信じられないほど。
この意味わからないですかね?

なので、反戦映画だと言われてしまいそうな作品なので、「反戦映画ではない」とわざわざ言いたかった高畑監督の気持ちはよくわかります。

優れた作品ほど、例えしっかりとした作者の意志がそこにあったとしても、三者三様に受け取れる作り方をあえてして、感じ方を受け手に託します。作者の言葉をそのまま登場人物が長々語るような作品はもう論外。
あなたがその映画から何もわからなかったなら、それはあなたの問題だと思います。
誰かが「こういう趣旨だよ」と教えるのは絶対違うと思うので、あなたが感じなかったらそこまでです。他人の感想を聞くのはいいですが、たぶん聞いた時点であなたの「火垂るの墓」は完全に終わってるんだと思います。
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心中物語との事


主人公は妹と心中する道を選んだ
死とは美しいものであり生とは醜いものであるという事を表現した
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おにいちゃんバカか!って感想ですね。

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