これ何て呼びますか

私は下記の理由により、同性愛容認に反対です。もしよければ、下記の意見を一読いただき、皆さんのご意見をいただければと思い、質問を立てさせていただきました。

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(以下、本文)。

(題名)同性愛を容認することが間違っている理由

★同性愛容認は、近親姦・獣姦容認とセットになっている

同性愛を容認すると、次に、近親姦や動物性愛などもまた「容認すべきだ!」という主張が出てくるはずで、その場合、現在論じられている同性愛容認のための同じ理論をもってすれば、それらの異常性愛行為もまた容認せざるを得なくなる。

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実際、同性愛はOKで、近親姦・獣姦はダメと、どこでどう区別するのだろうか。もし、後者が「気持ち悪い」「非常識だ」「良心が許さない」という理由で退けることが可能であるというならば、全く同じようにして、同性愛もまた退けることができるのではないだろうか。

また、同性愛支持者は、「差別するな!」と言うかもしれないが、近親姦・獣姦支持者もやはり「差別するな!」と主張するだろう。さらに、彼らも、社会から差別され、疎外感に悩み、苦しんでいるのだ・・・と切々と訴えると思われる。(これは単なる空想論ではなく、実際に、そういう人がすでに一定数存在している)。では、その時、同性愛者は救済するけども、近親姦・獣姦のために苦しんでいる人は放置する、ということができるのだろうか。結局、それらの人々の行為をも容認せざるを得なくなるのではないか。

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このように、同性愛を容認するということは、芋づる式で、近親姦も、獣姦も容認せざるを得なくなるということを意味しているのだが、果たして、同性愛を容認することに賛同している人の中で、そこまで意識している人が一体どれぐらいいるだろうか。

もちろん、ここ1、2年ですぐにそれらすべてが実現するわけではないだろう。しかし、同性愛を容認すれば、確実に、その次、またその次の段階がやって来る。その結果、同性ともOK、親子でもOK、兄弟どうしでもOK、孫ともOK、ペットともOK・・・という、とんでもない世の中になってしまうのだが、本当に、これが、私たちの目指す、また、子孫に残すことになるあるべき社会像だと胸を張って言えるのか甚だ疑問である。

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★自然の理(ことわり)に反する

ところで、近代になって、人間は科学の発達に伴って、おごり高ぶるようになり、人間の勝手な理(ことわり)をもって、大自然の理をないがしろにしてはこなかっただろうか。そして、自然破壊・環境破壊が起き、それは回り回って私たち自身の上に災いとして降りかかるようになった。光化学スモッグ、酸性雨、オゾンホール、温暖化、異常気象、海面上昇、また、水俣病、環境ホルモン、ハウスシック症候群・・・。これらは大自然からの「しっぺ返し」と考えざるを得ない。

この同性愛の問題も全く同じ構図だ。数千年も先祖が重んじてきた大自然の理を退けて、自分たちが考え出した勝手な理を実行しようとしている。果たして、大自然からの「しっぺ返し」をまたもや受け、痛い思いをしなければいけないのだろうか。

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★同性婚の制度化には反対

確かに、同性愛者の人々が悩み、苦しんでいるということは事実で、これを無視するべきではない。それを放置してよいとは思っていないし、別途救済策を考えるべきだろう。しかし、だからと言って、同性愛を始めとした性の逸脱行為を社会的に容認し、あまつさえ、それを制度化するなどということはあってはならないことである。

誤解がないように述べると、私は、同性愛を「禁止」すべきだと言っているのではない。その点まで強制することはできない。しかし、それを「制度化」する、つまり、同性婚を社会的な制度の一部として認めることには反対である、という見解だ。なぜなら、それは上述した通り、長期的な観点からすれば、社会の破綻をきたす第一歩になると容易に予測できるからだ。

(本文、終わり)。
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もしよろしければ、上記の意見に対する皆さんのお考え、感想等をお教えください。

尚、ネット時間に制約があり、回答をつけてくださったすべての方に返信できないこともあります。その際は、あしからずご了承ください。

質問者からの補足コメント

  • いろいろとご回答いただきありがとうございます。とても参考になります。

    ところで、肝心な点、今一度、質問し直させてください。

    ●あなたは、同性愛以外に、近親姦、獣姦、その他、異性愛以外の性的行為をすべて容認するのに賛成ですか? 

    つまり、そういう性癖を、「赤の他人」が持つのではなく、あなたの身近な家族、親族、友人、知人が持ち、かつ、それが公に容認されていて、その性癖を持つ目・態度を隠すこともなく、堂々と「あなたに」対して向けるのが日常の事柄となったとしても(あなたが嫌であってもなくてもかかわりなく)、それでも、それを容認できますか? 

    (つづく)

      補足日時:2022/08/25 13:50
  • (つづき)

    皆さんの回答を読んでみて、何か他人事のように考えているようにも思えたのですが・・・。すでにこの時点でさえも、トランス男子を、女子トイレや女子更衣室に入れる入れないで騒動が起きていますよね? あなたがもし女性なら、そういう自称「女子」の(生物学的には)「男性」を迎え入れることができますか? あるいは、あなたが男性なら、自分の妻、娘、その他の大切な女性と、そういう自称「女子」の「男性」が共にトイレや更衣室を使うことを容認できますか? 「赤の他人」のではなく、「あなた」の問題として考えていただきたいです。

    簡潔に、Yesか、Noかでも結構です。よければ、再度、ご回答いただければと。

      補足日時:2022/08/25 13:51
  • 補足です。

    >>現代社会が「個人の自由」を優先するかぎり、そして「相手の拒否権」が担保される限り、どんな思想も性的嗜好も自由、というが「社会的に正しい」となるわけです。

    この「個人の自由(=権利)」というのは、もちろん、相対的な意味においてですよね。つまり、ある人の自由というのは、他の人の権利を侵害しない範囲内でのみ有効・・・ということ。いわば、国境のようなもので、国境を越えて他の人のテリトリーにまで入ってしまうのはアウトですね。

    上記の「相対性」を踏まえて、私は、「公平」という点をこう考えています。つまり、「私は美味しい料理を食べるけど、お前たちは食べちゃダメだ」(私OK、お前ダメ)とか、逆に、「私は汚い仕事をやんないけど、お前たちがやれ!」(私やらない、お前やれ)みたいな一方的な言い分というのは「不公平」ですよね。

    (つづく)

    No.15の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/08/31 14:54
  • (つづき)

    とはいえ、それは、互いが同等な条件下での話であって、例えば、女性が男性に、「私は女子トイレを使うけど、あなたは使ってはダメ」というのは「不公平」ではありません。(ちょっと小難しく書きましたが、とりあえず、次を)。

    そこで、私は、この論理を用いて、「性同一性障害」の人の論理が破綻していることを示したいと思います。つまり、彼らは、「自分の体の性」を疎ましく思い、それを退け、あまつさえ、(手術などして)それを排除することさえします。一言で言えば、「自分の体」を「いらない子」として否定・排除しているわけです。しかし、その一方で、彼らは、そのような自分のありのままの姿を、社会が「受容し、受け入れてくれる」ことを求めています。

    (つづく)

      補足日時:2022/08/31 14:56
  • (つづき)

    矛盾していないでしょうか? 彼らは、自分の体(の性)の「ありのままの姿」を否定・排除することさえしているのに、一方、赤の他人(社会)には、そのような自分の「ありのままの姿」を受け入れてくれ・・・と。上記の「公平」の原理を思い出してください。彼らは「私は自分の体を否定するけど、社会は私を肯定しろ(否定するな)」(私OK、お前ダメ)と言っているわけです。そうではなく、「彼らが自分の体を否定するなら、社会も彼らを否定する」か、「彼らが社会から肯定されたいなら、まず自分の体を肯定(受容)しなさい」のどちらかであるべきです。

    彼らの言い分は、「不公平」で、一方的な「わがまま」であると、私は考えます。この点、どう思われますか?

      補足日時:2022/08/31 14:56
  • HAPPY

    すみません。なぜか、立てていた質問が取り消されていまして・・・。

    改めて、こちらに立てました。よければ、引き続き、ご回答いただければ嬉しいです。

    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13127655.html

    No.18の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/09/04 12:42

A 回答 (18件中11~18件)

個人的な経験から同性愛嫌悪ですが、それらの意見に反論を述べるとしたら。



同性愛の容認が、近親姦や獣姦の容認へ繋がるのであれば、同様に同性愛の否定は異人種間や異階級間、異宗教間の恋愛の否定にもつながりますが、それらも否定されるのでしょうか。実際、アメリカで同性婚が合憲化したのも、それ以前にあった反異人種混交法に関する判決が影響しています。
現在、アフリカ系、アジア系、ヨーロッパ系に関係なく恋愛できますし、政治家や経営者、労働者、職業に関係なく恋愛できますが、これらも否定されるのでしょうか。

自然の異なりに反するのであれば、異人種もそうですが、階級、信仰による恋愛が禁止されていた時代は、それらが容認されるようになった時代よりも遥かに古く長いです。

数千年の伝統を重視するのであれば、それら現代社会では悪として否定されている価値観も肯定すべきでしょう。それをせずに、同性婚だけを否定するのは酷く矛盾しています。

以上のように、同性婚を社会制度として容認しないのであれば、異人種や異階級、異宗教による婚姻も否定すべきでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>>同性婚を社会制度として容認しないのであれば、異人種や異階級、異宗教による婚姻も否定すべきでしょう。

うーん。「異人種や異階級、異宗教による婚姻」とは、「異性婚」ですよね。私は、男女による「異性婚」であれば、何とか容認できると考えています。つまり、どこで線引きするか・・・ですね。

よければ、以下の意見をお読みいただければと。

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★異性婚が唯一正当な婚姻である理由

通常、人間の欲求にはちゃんとした意味があります。例えば、食欲があるので、食事を取り、栄養を補給し、こうして、生命と身体を維持するという目標を達成しています。同様に、性的な欲求も、通常、異性と結び付くことを強く求めるようになるわけですが、その結果、男女は結婚し、家庭を設けて、子供を産み、こうして、人類という種が繁栄するという目標が達成されてきたわけです。私たち親から生まれた者すべては、そのお陰で、今、存在することができています。

ところで、食欲の場合、お腹が減ったから、何を食べても上記の目標(=生命・身体の維持)を達成できるというわけではありません。お菓子ばっかり食べたり、また、野菜を食べなかったりなど偏食すると、かえって体を壊してしまいかねません。同様に、性欲の場合も、そういう欲求が生じたから、それをどのような仕方ででも解消してよいわけではないことは容易に想像できるはずです。

その唯一の正当な方法とは、上述した通り、「異性どうしの結婚」のみです。なぜなら、それによってのみ、性欲という本能に組み込まれたプログラムが目指す目標(=人類の繁栄)を達成し得るからです。

では、子供がいない夫婦の場合はどうなるのか?と尋ねる人もいると思います。確かに、「その夫婦」には子供がいないかもしれませんが、その夫婦は、異性婚を行なうことで、その正当であることを支持しているのです。そのように、一人一人が異性婚の正当性を支持することは、異性婚を社会の標準として、彼らに続く後の世代に認識させることになり、これが、異性婚の促進(先人がいて、手本・先例があるので後続は安心して追随できる)につながります。

ですから、子供のいない夫婦もまた、異性婚を支持することで、間接的に、子孫繁栄に貢献しているということができます。

お礼日時:2022/08/26 13:12

同性愛を認めるとなると その集まりが出来て同性愛者のカップルが急増します


繁殖能力を持つ女性が 間違って男性に備わったり
繁殖能力が欠落した女性が女性を好きになったり
母親の遺伝による病気です
女性同士が一緒になり精子を提供されて子供を産むと
その子供もゲイになりやすいです
認めてはだめです
本来ゲイは消滅するはずですが どこかでそれが生存するから
子供が苦労するだけ
絶対認めるのはダメと思います
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

よければ、「補足」や他の回答者さんとのやり取りの方もご覧ください。

お礼日時:2022/08/26 13:17

近親姦よりも重婚とかのほうがわかりやすいかも。


当事者同士がみな合意しても国が重婚を認めてやらなくてはいけない必要性がないので制度化は不要
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

よければ、「補足」や他の回答者さんとのやり取りの方もご覧ください。

お礼日時:2022/08/26 13:18

私は、同性愛者でもないし、同性愛の存在自体を気持ち悪く思ってしまいますし、自分の子供が同性愛だと言われてもなかなか受け入れられないと思いますが、それと権利の話は別に考えています。



そもそも、性自認と性的指向を分けて考える必要があると思います。

性的指向に関しては、ただの趣味の話です。基本的には、成人したあと本人同士の同意のもとというのがあれば、同性であろうと、近親であろうと、法律に違反しない範囲で好きにやってください。ただ、それに関わるデメリットは本人たちで享受してくださいという話でしかありません。

性自認に関しては、どのような立場であったとしても人間としての権利はあります。同性婚については、基本的には性自認の部分に属する問題だと思います。同性同士であっても家族として支え合うということについては問題はないように思います。ただ、現時点で定義された結婚という制度自体を変える必要があります。現時点でその制度のために不幸な人がいるなら、変えたほうが良いのかもしれません。


質問者の論理について思うことは、
・同性愛の人が結婚できるようになったらなぜ社会の破綻をきたす第一歩になると容易に予測できるのかは伝わってきません。自然の理の部分は、誤謬(Hasty genelization)と思います。
・同性愛は無理にでもヘテロに直さないと、異端者として社会に参加できないという仕組みをあるべき社会像としてよいのでしょうか。
・別途救済策ってどんなものでしょうね、何か提案があったほうが良いと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

まずは、「補足」の方もごらんいただければと。

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>>・同性愛の人が結婚できるようになったらなぜ社会の破綻をきたす第一歩になると容易に予測できるのかは伝わってきません。自然の理の部分は、誤謬(Hasty genelization)と思います。

この点は、下の「No.3 回答者: こざこ さん」への回答の方をご覧ください。(お手数ですが)。

お礼日時:2022/08/26 13:07

私見を述べます。

基本的には同性愛を含めてすべてOK、同性婚も条件付きで容認します。

★同性愛容認は、近親姦・獣姦容認とセットになっている
それだけじゃないですね。ほかにも幼児性愛(ペドフィリア)・老人性愛(ジェロントフィリア)・死体性愛(ネクロフィリア)・対物性愛(オブジェクトセクシャリティ)などありとあらゆる性的嗜好を容認することになります。

でも「個人の嗜好」を止めることは、思想の自由を妨げることにもなるので、その個人がどのような性的嗜好をもっていてもそれは自由です。

ただ、ペドフィリアは実行すれば大きな問題になりますし、ネクロフィリアも死体損壊罪などに問われかねない大問題を含みます。

なので「思想的に《嗜好そのものを禁止しない》ということと、実社会でやってはいけない行為である、という事は別の問題です。

★自然の理(ことわり)に反する
別に反しません。そもそも上記に上げたような様々な性愛のスタイルははるか昔から存在します。

たとえばこれらの性愛はインドのカーマスートラなどにも記録がありますし、ジャングルの奥地の文明を知らない部族にもそういう記録が見られます。
 また日本を含め、過酷な戦争が繰り広げられた地域では男色(男性の同性愛)は非常によく見られるし、それが男性同士の摩擦を和らげていた、という研究も存在します。

また、同性愛に関しては、ボノボなど霊長類にも《性器を同士が刺激し合う》という同性愛に似たような行動がみられるので、同性愛などが人間だけのもの、というわけでもありません。

>★同性婚の制度化には反対

私はこれを条件付きで許容します。条件とは「異性婚とは別の制度で同等の権利を得られるようにする」ということです。

少なくとも日本において、婚姻法を同性婚に適用するのは反対ですし、憲法24条の「婚姻は両性の合意によってのみ成立する」という文面を変更するのも反対です。

だから「婚姻」は異性婚だけのもの、同性婚は別の法律で同等の権利を得られるが「婚姻法における子供への義務と権利は同性婚に付加しない」というのが必要です。

>長期的な観点からすれば、社会の破綻をきたす第一歩になると容易に予測できるからだ。

同性婚があっても社会は破綻しないし、その他の性的嗜好があっても社会は破綻はしません。少なくとも1万年ぐらい人類は社会を作ってきたのですから、問題ないです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

まずは、「補足」の方もごらんいただければと。

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>>同性婚があっても社会は破綻しないし、その他の性的嗜好があっても社会は破綻はしません。

この点は、下の「No.3 回答者: こざこ さん」への回答の方をご覧ください。(お手数ですが)。

お礼日時:2022/08/26 13:05

セット理論はよくわからなかったわ。


同性愛者ではないからよくわからんけど、同性愛が本人の環境によって備わってしまった性質で回避できないようなものであれば、その人が社会の中で抑圧されたり、矯正を強いられるのは可哀想だと思う。
これには自分がいつ社会的弱者になるかわからない恐怖が私自身に内在しており、またそうなったときに同性愛者を含む社会に私自身の存在を許容してほしいという願いがあることも一因である。
現在犯罪行為でないのならば、あらゆる行為は社会の中で容認される可能性が常にあっていいはず。
自然の理に関しては何をもっての自然かによると思う。人工物がある地球は自然か?
人がいるのは自然か?人間が一つの動物種として繁栄してきた中に自然発生的に生まれた性質は人間としての自然なあり方ではなかろうか?そのうちのいくつかを切り取って他の動物の殖え方と異なるから自然ではない、理に合わないと言っているようで違和感を覚える。殖え方だけであれば科学技術の発展により単細胞から人間を作れる。デザインベビーなどもいつかは実現しうるかもしれないしそうなれば遺伝的にも同性の子が作れるかもしれない。生物が愛し合い子を残すという結果だけみれば理には反しない。そうなれば今同性愛を認めることは人間のさらなる発展の可能性を広げることに寄与する素晴らしい行為だと思う。
ここまででさらに種として、動物として人間はいつか限界が来る予想が数多くなされていることも付け加えよう。いつか絶滅するなら少しでもその可能性を広げることが未来の人間のためになるのではないか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>>現在犯罪行為でないのならば、あらゆる行為は社会の中で容認される可能性が常にあっていいはず。

この点は、上の「補足」(追加しました)をご覧いただければと。

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>>自然の理に関しては何をもっての自然かによると思う。

近代に入り、人間が大自然をないがしろにした結果(つまり、自然の理(ことわり)、法則に逆らった結果)、「実際に」、痛い目を見てきたということは認められると思います。

当然、人間は、「(科学的に)こうこうすれば、うまくいくはず・・・」と考えて種々の行為を実行したわけで、その結果、「予想もしなかった」「思いがけない」ような手痛い目に遭っています。

そうであれば、この性や結婚の問題においても、同様に、「こうこうすれば、うまくいくはず」と考えていても、それは、飽くまで、机上の空論であって、上述したような「前科」があるゆえになおさら、「予想外の」副作用が生じないと断言することはできないではないでしょうか。

例えば、「うまくいくに違いない」と言って何度も失敗してきた人が、あなたに、「今回こそはうまくいくに違いない。だから、あなたもこれに加わりなさい」と誘ってきたところで、「そうですね、それではご一緒しましょう!」と安易に応じるでしょうか。

もっと注意深くあるべきでは?

お礼日時:2022/08/26 13:02

ここは議論をする場ではないし、感想を集める場所でもありません。


検索してもわからなかった疑問について、知っている人を探す場所です。
具体的に質問してください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

よければ、「補足」や他の回答者さんとのやり取りの方もご覧ください。

お礼日時:2022/08/26 13:18

全てエビデンスがない。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

よければ、「補足」や他の回答者さんとのやり取りの方もご覧ください。

お礼日時:2022/08/26 13:18

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