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1曲目クレメンティ、終曲ヴァーグナーですか?これは、国際的な曲であるという宣言でしょうか?それから特にクレメンティのほうは、「この曲は練習曲じゃないけどそういうとらえ方もできるよ(*'▽')!」というような隠喩でしょうか?

A 回答 (2件)

ドビュッシーに詳しいです。



当時クレメンティの当練習曲集はピアノの教則用として一般的で、ドビュッシー自身若い頃に作曲に転向するまではピアノ専攻で周囲からも期待されていたため、この練習曲に良くも悪くもお世話になったことが伺えます。
その退屈なルーティン教則本への皮肉が、 「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」に表れていると思います。タイトルにも皮肉が表れていますね。

ワーグナーは、ドビュッシーやストラヴィンスキーをはじめとして西洋音楽の近現代化が起こる直前の、最後のロマン派の世代で、当時からその時代を代表する大人気作曲家でした。
ドビュッシー自身も若い頃はワーグナーに傾倒していました(特にパルジファルにメロメロだったそう)が、自身が新時代のスタイルを確立するに伴い、一気に関心が冷めたようです。初期のいくつかの曲にワーグナーの影響が伺える一方、中期以降はドビュッシーならではの独創性の強い作品ばかりになったことにも、ワーグナー、そしてドイツ音楽からの脱却がよく表れています。
そんなワーグナーの代表作「トリスタンとイゾルデ」からの、いかにもドイツ主義的な硬派な引用を、当時最新ムーブメントとして人気があったアメリカのお気楽な黒人音楽に忍ばせるという、こちらもドビュッシーなりの皮肉でしょう。

余談。ドビュッシーは、既存の音楽を引用する事例は多くない作曲家ですが、この他に、いくつもの作品で表れるフランス童謡「嫌な天気だから、もう森へは行かない」の引用事例があります。原曲同様に春や雨が関係する作品に主に表れるようですが、それまで西洋音楽に殆ど見られなかった様々な新しい音階を積極的に使ったドビュッシーですから、この童謡の冒頭の中東音階的な音列が気に入っていたのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

かなりエスプリと皮肉が効いた人だったようですね。引用が多い。

お礼日時:2023/03/13 08:19

サティもクレメンティのソナチネのパロディ書いていますね。


その頃のフランスのサロンで流行っていたんでしょうか。

クレメンティのような偉大な存在への反抗心なのか畏敬の念なのか。
私は、背景には畏敬の方が強くあったのではと思います。
だって、対抗できるなら、匹敵する教則本書けばいいんですからね。

間違っているかもしれません、娘にはクレメンティの教則本やらせていたんでしょ。やっぱり一目置いていたんですよ。
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この回答へのお礼

娘にはやらせていたようです。つまり、今は弾かれないのに当時は大はやりだったということです。あまりにもハードルが高いから音楽教育から外れたのでしょうか。

お礼日時:2023/03/14 08:16

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