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産屋敷一族は皆、親ガチャ大失敗人間集団という認識でよろしいでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 同族に無惨がおったことなぞ、耀哉を始めとする後世の歴代当主にしてみれば「知らんがな!」って話だと思うんですが…
    それ言うなら、結果的に無惨を鬼化させた「善良な医者」の罪の方が百万倍重い。

      補足日時:2023/06/27 06:35

A 回答 (2件)

※回答の大半は漫画のまだアニメ化されていない部分に踏み込んでいます。




・「親ガチャ」では説明不足でしょう、言うならせめて「神仏ガチャ」では?
・産屋敷一族は、たとえ鬼舞辻と血のつながりがなく、あの呪いによる圧力がなくとも鬼殺隊を率いていた可能性が高いです



>同族に無惨がおったことなぞ、耀哉を始めとする後世の歴代当主にしてみれば「知らんがな!」って話だと思うんですが…

これで言うならせいぜい「先祖ガチャ」、もっと言うならば、一族から鬼を出したというだけで無辜の赤ん坊の命まで奪うような神仏に文句を言うべきでしょう。
であれば、親ガチャというより神仏ガチャでは?
産屋敷一族に降りかかっている呪いは神仏によるものと言えます。
それに歴代の産屋敷一族の大半はどちらかというと親ではなくて鬼舞辻の被害者ですし。

あの世界は、神仏がいるとも断言できないように作られていますが、世界観からすると神仏かそれに近い超常の存在はいるのでしょう。直接下界に手出しはしないが、なんらかの調整力は働かせてくる、そういう存在です。

「神主を通じて聞いた」ということ、鬼舞辻討伐で即一族の呪いが消えていること、縁壱がどう考えても人間ではない超常の強さを持つこと、地獄と極楽は確かにある、という世界だからです。


しかし、仮に産屋敷一族が鬼舞辻と何の血縁もなく、そのために呪いを受けなかったとしても、産屋敷一族はいずれ、人の世に不幸をばらまく鬼の首魁を討つために鬼殺隊を指揮していたでしょう。
鬼舞辻とお館様が真逆の対として描かれていることからそう思います。

「鬼滅の刃」では登場人物の多くが対になって描かれていますよね。
立ち位置や精神性で真逆の存在もいれば、セットで描かれることで「もう壱対も同じように解釈してよい」という組み合わせもあります。炎柱と水柱のように、要素は諸々対になるが鬼殺隊の柱として命を削る同志である点は同じというような組み合わせもあります。

しかし、鬼舞辻とお館様は明確に、真逆の存在なのです。

6巻ではパワハラ会議ばかり注目されますが、その前部分にはお館様による柱合会議を入れたのは、作者による明確な意図に思われます。
この2つの「会議」で議長の精神性はまるで違うことが示されています。

お館様は他人を、生い立ちまで把握したうえで人格を尊重し、彼らの意見を否定せず、まず穏やかに耳を傾け、自分の意見を言うのは次。自分の意見を言う時も常に「あなたの意見はわかった、私の意見はこうだが、どう思う?」と優しくしかし終始理性的に、子どもに対等に話しかける父のような在りようで語りかける。
血のつながりがまったくない(というかお館様より年上さえいる)他人を我が子と呼び、その言葉にたがわず愛情を注ぐお館様。肉体は脆弱。

一方の鬼舞辻は、言うまでもありませんよね。
自分の血を分けた鬼たちに、自分にとって都合の良い手駒以外であることを許さない。鬼たちが口を開くことにすら苛立ち、お前の意見など無意味だ、私が絶対だ、と人格を全否定し、自分の思い通りにならないのはお前らのせいと責任転嫁する。あまつさえ私だけが正しいと言い放ち、その意見すらその場の思いつきで意見を変える。終始感情的。肉体だけはめちゃくちゃ強い。


作中で、お館様も鬼舞辻も、自分の存在を否定されてもがく部下に同じ言葉をかけています。「自分の強さを誇れ」と。
しかし鬼舞辻が累にそう言ったのは、自分に都合の良い道具としてそそのかすため、鬼舞辻自身のためです。
お館様がそう言ったのは、蜜璃さんに自分に自信を持ってもらい、蜜璃さん自身に自分を肯定してもらうため。

最終戦前にまた対峙する彼らは、顔立ちだけは瓜二つであることも明かされていますよね。

このように彼らは精神性から真逆であることが描かれています。

鬼舞辻は、自分が生きることしか考えていない。自分の命だけが大事。自分だけが永遠に生きたい。自分よりほかに大事なものなどなにもない。人が自分以外の存在を大事と思う心などこれっぽっちも理解できない。人間?食いたくなったら捕まえて食えばいい、としか思っていない。

ということは、お館様は逆なのです。
人間を愛しているのです。人の生き生きとした姿、お互いがお互いを大事に思い、日々の平凡だが限りない幸福に満ちた生活を送る、そういう人間の姿を慈しんでいるのです。
自分より生きていてほしい他人がいる。自分より大事な他者がいる人間の気持ちがわかる。

だから、鬼舞辻討伐に心血を注いでいるのです。
あの作中当代のお館様は確かに鬼舞辻を心の底から憎み討伐に人生を賭けるだけの経験を「個人的にも」しています。
しかし鬼舞辻を討つことにすべてを賭ける一番の理由は、鬼舞辻が「自分より大事な他者がいる人間から、その幸せの源である大事な人間を奪って殺す悪だから」それが許せないから、人の幸せを壊す鬼をほったらかしておけないから、でしょう。

鬼舞辻とお館様が対極である、と繰り返し描かれているのですから、作中文字で明言されずとも確実です。
また実際、似たような一族も作中で描かれているじゃないですか。
何も関係ないのに、千年近く産屋敷一族にずっと連れ添って鬼討伐の最前線に出ている一族がです。煉獄家です。
あの家は鬼舞辻と何の血縁もないでしょう。ですが戦国時代に21代目ということは、鬼殺隊のかなり黎明期から産屋敷一族と鬼殺を共にしているのです。
彼らも煉獄さんがそうであったように、弱い人を必要もないのに喰い殺してまわる悪を討ちたい、そういう人間に対する愛情だけで参加していたわけでしょう。(だからこそ、煉獄さんはお館様を尊敬していたのでしょうね。)

であれば、同じような正義の心と人を慈しむ心を強く持つ産屋敷一族が、血縁がないからというだけで鬼舞辻討伐にまったく関わらなくなるとは思えません。
あの神仏の祟りがなくとも、鬼殺隊にいずれ関わっていただろうと思います。
今とはだいぶ在りようが違うかもしれませんが…。(歴代の当主の何人かは、足利義輝のように剣技の巧みな者もいて、自ら鬼殺に挑んでいただろうと思います。)


かなり長くなってしまいましたが、質問者さんは「鬼滅の刃」を読んでいるふうなのに、時々不思議なことを仰るので長めに書きました。
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この回答へのお礼

>質問者さんは「鬼滅の刃」を読んでいるふうなのに、時々不思議なことを仰る

嫌味?マウント?
まあ、長々とありがとうございますw

お礼日時:2023/06/28 06:45

塵屋敷ぢゃ?

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この回答へのお礼

揚げ足とりはいいから、質問に答えて。

お礼日時:2023/06/27 06:28

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