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村〜の鎮守の神〜様の〜今日〜はめ〜でたい
お〜祭り日〜どんどんひゃらら〜どん!
ひゃらら!どんどんひゃらら〜どん!
ひゃらら!朝から聴こえる笛太鼓〜♪

こんな感じのお祭りって本当にありますか?
もしくは、存在したのでしょうか?
何処のお祭りの唄かも、気になってます。
2番に「年は豊年満作で」と、ゆう歌詞から
秋のお祭りだと思うのですが、
見覚えある人はいますか?

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    歌詞の最後には「村は総出の大祭り」や、
    「夜まで賑わう宮の杜」と歌われていて、
    とても大掛かりで楽しそうです。
    見覚えある方居ませんか?

      補足日時:2023/10/01 03:55

A 回答 (4件)

はい、私の生まれ育ったところではありました。



村には集落がいくつかあり、それぞれに鎮守の神社がありました。
そこでの秋の祭礼はだいたい同じ時期した。
稲刈りが終わったころと言うのが理由だと思います。
十月中旬でした。

祭りの中身や規模は地区それぞれです。

私の実家があったのは、ウチの村より大きい隣の町の街並みと続いた家並みがあった地区で、隣町と一緒に祭りをしていました。
祭りは3日間続き、その期間学校は休みになりました。

隣町は城下町で、私の実家があったのはその外れでした。
祭りは、提灯をたくさん屋根に飾った山車にお囃子さんが乗って街を練り歩くというもので、町内ごとに山車を出していました。
そのお囃子さんは中学生ぐらいの子どもから二十歳前後までの若手がやり、夏の初めごろから、夕方になると地区の神社に子供たちが集まってきて、青年団の人なんかの指導で練習をしていました。

私の地区は、築の裏手の丘の中腹に神社があったので、夕方になると地区のどこからでもお囃子が聞けました。

お祭りの当日は、朝9時過ぎぐらいから子供たちが神社に集まり、居時間に一度ぐらいの頻度でお囃子を演奏します。
昼ぐらいからは通りや神社への参道や神社の境内に屋台が出始め、夕方になると人も出てきてにぎわいました。

こんな人がいつもはどこに居るんだろうというぐらい人出がありました。

夜は7時ごろから山車の提灯に火が入り、お囃子さんも乗ってお囃子を演奏します。
8時ぐらいから山車が動き出し、1時間ぐらいをかけて隣町の街並みにある集合場所に着きます。
そして他の地区の山車とともに城下町の旧市街を練り歩くのです。
それがもとの地区に帰るのは11時も過ぎたころでした。

それが2日間続き、3日目は片付けと休養です。

村では一番の楽しい年中行事でした。
村はこの後、脱穀などの最後の農作業に追われ、それを終えると年越しになります。

1年の中では、正月、鏡開き、成人式、豆まき、桃の節句、春の彼岸、夏の水浴び、お盆、夏祭り、秋の彼岸、秋祭り、運動会、年末、というのが年中行事でした。

そのうち面白かったのを紹介しましょう。

夏の水浴び

私が小さいころ、東北の山間の寒村である私の村にはプールなんて言うものはありませんでした。
夏になると、毎年村の青年団や消防団の若い衆が、村を流れる谷川の砂防ダムの堰堤に土嚢を積み上げ、水をせき止めて即席のプールを作ってくれていました。

村では、毎日昼の12時になると昼を告げるサイレンが鳴ります。
それが、夏の一時期だけは午後1時にもなることがあります。
これは、その日は『水浴びしてもいいぞ』という合図です。

青年団や消防団の人と、小中学校のPTAの人や婦人会などの人が監視員として出てくれて子供たちは泳ぐことができるのでした。
肴が見える水のきれいな谷川での水遊びは楽しかった思い出です。

秋の運動会

秋祭りがそうであるように、コメの収穫を終える秋は農家にとってようやく気が休める時期です。
なので、運動会の様な行事も農作業が終わった秋にやりました。

私が通った小学校は全校児童が 100名ちょっとでした。
なので、それだけで運動会をするのではちょっと寂しい。
そこで、小学校の運動会は、小学校だけでなく、村をあげてのものになっていました。

  中学校は近隣4村で集まった合同の中学校だったので、人数も多く、
  そう言うことはしませんでした。

つまり、運動会の主催者は村の青年団でした。
そうなると面白いです。
かけっことか玉入れとか、競技はどれも子供と大人がぐちゃまぜでしたから。
自転車屋さんが子供を追っかけたり、駐在さんが先生と競ったりでしたから、下手なテレビを見るよりよっぽど面白かった。

田舎の村の生活の思い出でした。
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この回答へのお礼

ありがとう

わぁ和みますね。正に「村は総出の大祭り」
祭りで地域がお休みになる程、
愛された祭りなのですね。その日の為に
ずっとお囃子を練習して上の子が
下の子に受けついで…なんて素敵。
笑い声が聴こえてくるようですよ。

夜は屋台が並ぶ灯りも綺麗でしょうね。
歌の通り朝から夜まで賑わうのですね。
黄金色の稲穂も綺麗だったでしょうね。
四季それぞれを村で愉しむのですね。

とても素敵な思い出を教えて下さり
ありがとうございました。
この歌の村にピッタリですね。

お礼日時:2023/10/01 11:02

>村はもう少なくなりましたよね。



10年ほど前まで横浜にいましたが、駅から15分ほど歩くと浅間町という地区に着きますが、夏祭りの季節になれば昔からある旧家の前に神輿が鎮座して、拡声スピーカーからお囃子のテープが朝から流れているので、質問者さんの質問に有った、 朝から聴こえる笛太鼓〜♪

その詩の様な雰囲気が目をつぶったら伝わって来そうでした
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この回答へのお礼

ありがとう

テープなんですね(笑)
う〜ん本物の生演奏のお囃子と
衣装なら「ワ〜オ!」
ってなるんだろうけど…
神社でもなく旧家?へぇ…変わったお祭りですね。でも皆んな人それぞれに心の中で描け
お祭りがあるのは良いもんですよね。

お礼日時:2023/10/01 07:37

都会では分からんでしょう...なんせ、村ですから

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この回答へのお礼

Thank you

村はもう少なくなりましたよね。
今の日本なら逆に古来のお祭りは
外国人観光客には「アメージング!」
なのではないですかね。ハッピ姿
とか。

お礼日時:2023/10/01 06:56

見覚え、では無く、年配の方から


聞いた話ですが……

私の地区(村)では、秋の作物の収穫を祝い
10月中旬の日曜日に、村の氏神様を祭った
神社で「秋祭り」を催しています。

今は、村の人数も減り、簡素化してしまったのですが、

昭和20~30年頃は、獅子舞をしたり
御神輿(みこし)で村中を練り歩き、その際の
「お囃子」で「笛」や「太鼓」を鳴らしていたそうです。

また、今ほど酒税法が、厳しくなかったので
村で「酒仕込み」をし「濁酒(ドブロク)」を
作り、日が変わるまで「宴(うたげ)」が
行われていたそうです。

今は、くじ引きで選ばれた、数件が集まり
「御猪口(おちょこ)」1杯の御神酒を頂き
神様に「祝詞(のりと)」を捧げ、1時間位で
解散しています。
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この回答へのお礼

うれしい

秋は収穫祭ですよね。
きっと村の作物やお酒をお供えして
米の実りに感謝していたのでしょうね
御神輿良いですね。脳裏に浮かびます素敵。

でも簡素化ですか。一時間は侘び寂び…orn
田畑もどんどん無くなって悲しいです。
…とゆうことは「朝から聴こえる」から
「夜まで賑わう」には今は該当しませんか…
残念ですね。
教えて頂きありがとうございました。

お礼日時:2023/10/01 06:46

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