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死後の世界って正直ちょっとだけ信じている
と思うのですがどうですか

A 回答 (11件中1~10件)

あったらいいなという希望はありますね。

できればこの世の出来事をあの世でも知りたい。でも、冷静に考えれば絶対に無理だと思います。なにしろ、生きている時の脳(記憶や感情)などを持ったまま死後の世界に行くことは出来ないのですから。
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私は信じています。

肉体はありませんが意識は残ると思います。その意識は、時間軸を移動する事が出来ると思います。
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閻魔様が裁判を行い、様々な地獄の世界へ送られるとかいう話が


閻魔堂など売られている書物には伝えられていますね。
こういうのは仏教界で行われる説話でしょうが、真相は
実際に死んで帰ってきた人がいないので確かなことはわかりませんね。
歌の世界では「帰って来た酔っ払い」「千の風になって」などの
歌詞に描かれた世界ですね。残された者は悲しみ、死んだ者は
天国か地獄に行く。
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浄土思想では、人は死後に「二河白道」という、炎と水の大海に挟まれた1本の長い道を歩き続けて極楽浄土へ向かうという死後観があります



また、意外なことに、死後の世界というのはキリスト教にはありません
天国と地獄という言葉がありますが、それらは世界の終わりの日、いつか訪れる「最後の審判」の時にどちらへ行くのか決まるので、それまで魂は肉体に宿り続けます
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同じです


でもただ1つ疑問があって
地獄は苦しみの世界で分かりやすいですが
天国ってそんなに楽しい所なのかなって思います
現世で楽しいと自分が思っている物事が
あるのかなとか もしないのなら毎日何して
過ごすんだろうって
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俺も信じたい。


来世の問題は、科学的証明が得られないため
哲学宗教の仮説を承認せざるをえない

質問者さんは「死」の問題に興味があるようなので
深く語りたいですね。

人間の自我のみが、死を自覚し、それを見すえての生を享受しうるのです。
 他の生物は、私たちと同じように死すべき存在でありながらも、そのあまり にも厳粛な事実を自覚することもなく生涯を開じる。
 このような意味からすれば、死の自覚は、たしかに人間の特権といってもよい。だが、人は特権を与えられるとともに、それと引き換えに死への恐怖も引き受けなければならないのです。死ぬことの覚知は、そのまま死の恐怖を呼びおこすからです。

人間は死によって、人間は己の有限性に気づかされる事になります。
 どんなに無限の『富』や『権力』を手にした人間であっても、
いつかは死ぬという定めからは、絶対に逃れることはできません。
 この有限性を自覚し、死の恐怖や不安を克服するために、
人間は何らかの永遠性に参画し、動物的本能の生き方を超えて、
一個の人格となることができました。

人間の有限性。人間は必ず死ぬ。そうした問題は
永遠性の認識なくしては、すなわち宗教を抜きにしては思考し得ない問題なのです。

トルストイは論じている。
「貴方は訊ねる、『人生の目的如何、何のために人間は生くるや、
換言すれば、何のために私は生きて居るか?』と」
私は
「真実の宗教は、この問題に対する解答に外ならないのである」と
思うのです
トルストイの言う
「宗教のみが人間に生の意義を与える」
「宗教のみが死の恐怖を打ち消す」を
深く思索し、理解を深める必要があると思います。

法華経に「方便現涅槃」とある。
大乗仏教の主張する「生死不二」とは生と死は時間と空間における現象であり、生命とはこの時間と空間を超越した存在の2種類の異なる顕現形態と説きます。
 それぞれの生命体はすべて生命が顕現した状態である。
いわゆる「死」とは生命が「冥伏」した状態であり「冥伏」は
無に帰結するのではない。と言う事を説いています。

それをわきまえて言うならば
「空」という概念は、目には見えないが確実に存在し、
有と無のどちらか一方を用いて決定できる概念でもない。
 これとは反対に、現実の様々な状態で出現するそれぞれの形態は、
「仮 」と呼ばれ、心身の統一した生は「仮」の状態であり、
その中に「空」を含んでいるのです。
 死後の生命は「空」となって存在し、同時にその中に
「仮」の傾向性、方向性を含んでいる。
 一旦条件がそろえば生命の存在形式は「空」から「仮」へと変わり、
肉眼で見ることのできる現実の物体となって「再生」するのです。

「空」と「仮」を貫く生命の本質を「中」と呼び
この生命の本質は永遠に「空」と「仮」の中を無限に流転し続け、
ある時は顕現し、また ある時は冥伏していく。
 さらにまた生命は「成住壊空」という生命発展のリズムのなかで
生死流転し、永遠にとどまらないのです。

人も星も宙そのものも同様です。
仏法においてはこのような生命本源の法理を明確に示しています。
 それは「有形」を通して「無形」を理解し「無形」を通して
永遠を理解する事ができるのです。

仏法の「空」の概念を現代物理学の「場の空間」理論に応用して
両者を結び付けることもできます
更に
「空」の概念を用いて宇宙と人間の同一性の「発見」につながるのです
更に、
現在、科学的証明が得られない自然と人間、因果応報、
永遠の生命の問題の解決の糸口にもなるのです

命が生死流転の輪廻の中にあるのであれ ば 自然に人間の運命の問題が発生 してくる。 したがって、宗教の因果応報 という運命説も同様に導き出され る。仏法からみて、運命の法則とはすなわち因果応報である。
 一人一人が一生で成すところの全てが自己の 「業」 となり、来世に転生するための 「因」となる。そしてすべての 「業」には必ず応報があり、いわゆる 「善には善報、悪には悪報」がある。
 今世に蒔かれた因は、必然的に来世にあっては果となるのであり、「瓜を蒔けば瓜を得 、豆を蒔けば豆を得る」 ように、いかなる因がいかなる果を得るのか、
 応報にはいささかのくるいもない。一人一人がみずから蒔いた因は、みず か らその果を食するのである。
 われわれは、現在、科学的証明が得られないため、永遠の生命の問題に関しては、依然として哲学宗教の仮説を承認せざるをえない
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どうですか、、、といわれても、、、



死後の世界は、来世ではありません。
死後、宇宙空間に冥伏して、そこから生まれ変わった姿が『来世』です。

しかし、再び人間として生を受ける事は、非常に稀な事です。

それを知ってか知らずに、のほほーんと現世を過ごす人間の愚かさよ。
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主語が誰を指しているのかわからないですが、「死後の世界」という言葉があるくらいなので、信じる人はいるでしょう。



死後は科学的にどうなるかという意味ではなくて、死後にどういう夢を見て眠りたいか?という本人の人生観の意味で使われたりすることもありますね。
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同じような質問を繰り返しているようですが?


 生命の問題は、生物学、医学、深層心理学、量子論、哲学宗教に、そこそこ通じていなければ、結論など言うべきではありません。
 生命の問題は、様々な角度から、様々な主張が入り乱れて、どれを用いるかで、真逆の答えになります。
 文献的に明示、科学的に実験、論理的な整合性、結果としての実証が、どこまで積み上げられているかなのです。
 それが無いのに、定説などと言う、寝言、うわ言、たわ事を言う輩がいますが、笑い転げますね。
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人それぞれです。


ですので「どうですか」と問われても私は死後の世界など否定する側ですね。
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