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どんどん伸びています。人生50年と言われた戦後あたりと比べると物心ついてからの時間は倍近くになっています。 それなのにナゼ?なぜ? 犯罪を犯して刑務所に入り自分の人生の時間を束縛されるべき時間(刑期)は変わっていないのですか? 同じ懲役10年でも平均寿命が50年の時と今とでは懲役10年の重みがすごーく軽くなっているように思われる・・もちろんみんな分っている事なのにナゼ?なぜ?一律刑期を2倍にするというような法律が出来ないのですか?
それをやらない、やれない理由も知りたいです。

A 回答 (5件)

#1 さんの回答が適切です。





刑罰の目的は色々あります。


報復。
被害者や社会に害を与えたその
報復。

予備軍を威嚇することにより
防止する。
これを一般予防といいます。

犯罪を犯した者を、隔離し
拘禁という苦痛を与えることにより
再犯するのを防止する。
これを特別予防と言います。

犯人の更生。
教育刑と言います。


報復や、一般特別予防という
点から言えば、
寿命に応じて刑期も延ばす、というのは
合理性があります。

しかし、教育刑という点からは
合理性がありません。

近年は、人権概念の発達により
この教育刑という面が強調されるように
なっています。
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いいところに気が付きましたね。

まさに正解です

たとえば明治33年に作られた鉄道営業法第24条、鉄道員が悪いことをしても「30円」の罰金で済みます。30円じゃがりがりくんも買えません。本来刑罰とは時代の生活様式のベースに併せて適宜調整が必要になります。

1980年代まで定年は55歳でした。いまは60歳ですが日本政府や経団連は将来的には70歳まで働かせるつもりらしいです
1980年の5年は今の10年くらいのイメージですね。刑期も時代にあわせて2倍位(ここは議論が必要)に上げるのが正しい運用だと言えます。
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それについてはアイデアがあります。


日本の刑期については「犯人を更正させる」というのが目的。
だが、今じゃそれも時代遅れ。

なので裁判員制度で、基本的な刑期を判断した後・・・

●裁判員により、1倍~12倍(小数点第2位まで使う)の倍数を決めさせる。
これは、裁判官が決定する刑期期間を「基本刑期」として、被害者感情・市民感情を反映する倍数を掛け合わせて、司法と市民感情を融合する発想。
▲{基本刑期}×{1倍~12倍}=最終刑期期間

●刑期期間(懲役+禁固)が150年を超えた場合、自動的に「論理的死刑」とする。
人間は、生きて150歳を超えた事例が存在しない。(不確定情報はある)
また、犯罪者で刑期を受ける場合、刑期期間150年は、生存不可能と判断出来るので、同じ苦痛を与えるなら、短時間(短期間)にする。

それと、死刑囚と直接接するのは刑務官の業務なので、刑務官に不要な感情を抱かせないためにも上限を150年として超えた者は「論理的死刑」に処す。(ボクシングのTKOみたいな扱い)
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優先順位の問題かと思います。


その議論より優先するべき議論がたくさんあって後回しになっていると思います。

犯罪被害者の人が、たくさん国会議員になれば
そう言った議論を率先してやると思いますが
なかなか選挙では、理解されにくいので
他の分かりやすい人に投票が向き、その議員がやりたいことを優先されます。

なので、老人や経営者優遇の経済の政治議論が優先されるのと、その時の話題性に乗じた施策のことばかりに目を向けるため、議論がされないのでしょう。
昔から、刑法が明治や大正から、あまり変わっていないで解釈だけ変えているように見えます。
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できませんしさせません。


なぜなら刑期と寿命は相対的に決めるものではなく、絶対的なものだからです。

そもそも刑罰が存在する理由とは、犯罪をさせないように抑止することと、罪を犯した者を更生させるためです。単に罪に対して罰を与えるという目的だけではありません。
なので、寿命が伸びようと刑罰を増やす必要はありません。刑罰を増やして拘束時間を増やしても犯罪をしない方がいいことには変わりませんし、十分更生したのに刑を課せられるのは不条理です。
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