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昨日放送の鬼滅のセリフについて質問です。

産屋敷 「永遠というのは人の想いだ。
人の想いこそが永遠であり、不滅なんだよ」

無惨 「下らぬ。お前の話には辟易へきえきする」

産屋敷「この千年間鬼殺隊は無くならなかった。
可哀想な子供たちは大勢死んだが、
決して無くならなかった。
その事実は今君が下らないと言った人の想いが不滅であることを証明している。
大切な人の命を理不尽に奪った者を許さないという想いは永遠だ。君は誰にも許されていない。この千年間一度も」
ここでの産屋敷の「くだらないと言った人の思いが不滅であることを証明している」ってどういう意味なんでしょうか。

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A 回答 (3件)

「不滅」を「普遍的(人間ならば当たり前にもつ感情)」と読み替えてみてはいかがでしょうか。



無惨は、たいていの人が持つ、他人に向ける温かい気持ちをまったく持ち合わせません。
誰かに対する、好き、愛おしく思う、心のありようを見て尊いを感じる、この人に幸せでいてほしいと願う、
こうした気持ちを微塵も持っていません。
(「妻子は承知の上だったのか?!」にも無惨様ならではが現れていますよね。無惨は自分なら絶対に同意などしないから、こういう疑問を持ったのです。あまね、ひなき、にちかが自発的にお館様と共にあろうとしたことを理解できないからです。)

だから千年の間、「自分が誰かを殺したから、その遺族が敵討ちに現れる」という事実を正確に認識しながら、人々を無為に殺し続けることを止めませんでした。
千年の間、大事な人を殺された人々の怒り、憎しみ、恨みを買い続けても、「なぜ、もう死んだ者のことをいつまでもくよくよと考え続けるのだろう!」
としか思っていなかったんです。

でも、人の心は変わりませんでした。
人間の、誰かに向ける温かい気持ち、自分以外の誰かを大事に思う気持ち、たとえその人の人生に自分がいられないとしても、その人には幸せになってほしい気持ち、そういう人が人に向ける気持ち自体はなくなりませんでした。
人間は人間同士で傷つけ合ったり、憎しみ合ったりもするけれども、人間同士の尊い感情も消えてなくなりはしません。
おそらく人間という生き物が根っこに持っている感情なんでしょうね。

それをお館様は「永遠、不滅」と表現したのではないでしょうか。
「誰かを大事に想う気持ち」というものが、平安時代にたまたま存在しただけの異端の感情であれば、鬼舞辻を倒そうとする鬼殺隊は続くはずなかったんです。
でも、人間は変わりませんでした。
鬼は人間よりはるかに強いですから、隊士でも「恐ろしい早さで殺されていく(6巻第45話)」のですが、鬼が人を殺し続ける限り、大事な誰かを殺されて悲しむ人々の中から立ち上がって鬼と戦う者は絶えず続きました。

人間は人間同士で傷つけ合い、憎しみ合うこともあります。
でも、このお互いに向ける温かい気持ちも、人間という生き物である限り不滅なのかもしれません。
お館様はそうしたことを言ったと私は思っています。
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鬼殺隊に志願した大勢の人が死んだけど、それでも鬼殺隊に志願する人は絶えずずっと存続してきました。


それは志半ばで亡くなっていった仲間の遺志を継ぎ、自分も命を落とすかもしれないが鬼を根絶したい、そのために尽くしたいという強い気持ちを持った人間がどの時代にも絶えることなくいたということですよね。
つまり鬼殺隊が消滅することなく1000年存続したことが「人の思いが不滅であること」の証明です。
その心は鬼舞辻無惨が「くだらない」というような軽いものではないということ、そしてそういう真摯な思いはこれからも継がれていくし、そういう志を持った人間はこれからも次々に絶えることなく現れる(人間を侮るなという意味もあるかと思います)というような意味ではないでしょうか。
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そうした想いが


子、孫、後を継いだ弟子、隊員達によって
連綿と受け継がれて行く。

事実、受け継がれて行ったではないか。

だから不滅だ。



そういう意味でしょう。
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