【お題】NEW演歌

自分の死を受け入れるには、どういう方法がありますか?(高齢者の場合)

A 回答 (7件)

キューブラー・ロスが、死の受容5段階を提唱しています。



以下に5段階モデル(死の受容モデル)を示します。

第1段階:否認と孤立(denial & isolation)
自らの命が危機にあり、余命があとわずかである事実に衝撃を受け、それを頭では理解しようとするが、感情的にその事実を否認(逃避)している段階。「なにかの間違いだ」というような反論をするものの、それが否定しきれない事実であることは知っている。周囲は、この事実にもとづいて考えを進めているため、そうした周囲から距離を取り、孤立することになる。

第2段階:怒り(anger)
自分が死ぬという事実は認識できた。しかし「どうして悪いことをしていない自分がこんなことになるのか」「もっと悪いことをしている人間がいるじゃないか」というような怒りにとらわれる段階。ケースによっては、看護師などに対して「あなたはいいね、まだまだ生きられて」といった皮肉のような発言をすることもある。根底にはやはり「なぜ、自分が」という、死に選ばれたことへの強い反発がある。

第3段階:取り引き(bargaining)
信仰心がなくても、神や仏にすがり、死を遅らせてほしいと願う段階。死ぬことはわかったが、もう少し待ってほしい。財産を寄付したり、これまでの行為も改めるといった「取り引き」をしようとする。なんとか、死を回避することができないか、模索する。はじめは「死を遠ざけてほしい」という願いが「◯◯をするので、あと少しだけ」という具合に、取り引きの条件が自分に不都合なほうに変化することもある。

第4段階:抑うつ(depression)
「ああ、これだけ頼んでもダメか」「神も仏もないのか」というように、自分なりに神や仏に祈っても、死の回避ができないことを悟る段階。悲観と絶望に打ちひしがれ、憂うつな気分になる(正確には、抑うつと悲観は異なる概念である)。頭で理解していた死が、感情的にも理解できるようになる。神や仏の否定になるケースもあり、虚無感にとらわれることもある。

第5段階:受容(acceptance)
それまでは、死を拒絶し、なんとか回避しようとしていたが、生命が死んでいくことは自然なことだという気持ちになる。個人差もあるが、それぞれに生命観や宇宙観のようなものを形成し、自分を、その中の一部として位置づけることもある。自分の人生の終わりを、静かにみつめることができるようになり、心に平穏が訪れる。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

お礼日時:2024/08/25 07:41

幸せな家族を作る

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別に方法は必要ありません


必ず死ぬのです
受け入れる受け入れないの問題ではない

私は数年前に心臓が2回止まっており、今度止まったら終わりだ宣言を受けています
当時入院していた時、私も含め17人が同じ病気で担ぎ込まれた
みんな定期検査に行っているので、仲の良い看護婦さんに聞くと状況が分かります
年齢は上から下までバラバラですが、現在生きているのは私以外5人だけ
あとは旅立ちました

私にとり、死は非常に具体的
戦友達は既に多くが散っていった
私にも間もなくお迎えが来るのでしょう
心臓ですから突然来るし時間もかからない
そこはラッキーですね
人生観は一変しました
欲をかく意味と価値がなくなった
どう努力すれば毎日が楽しく過ごせるのか、それだけが大切
楽しむ、努力をするようになりました
誰かが、何かが、私を楽しませてくれるのではない
それが受け入れる方法と言えば方法なのかもしれません
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/08/25 07:38

・人間とは、霊的な存在の魂が物質的な存在の肉体に宿っているものと理解する。


・この世とあの世の構造を理解する。
・魂存在と、この世の存在目的を理解する。

こういうことを理解し悟れば、死は怖くないし、逆に楽しみになります。

まあ、No.3-4さんの回答とほぼ同じですね。
ちなみに、私は宗教団体、幸福の科学の会員ですけど、そことは無関係のスピ系の書籍やマンガもいろいろ読んでいます。
大筋では、幸福の科学の教えとそういうスピ系書籍・マンガの内容は一致するので・・。

それらを読んでいると、「晴れて人間としての輪廻転生の修行(実技も学科も)を卒業」した場合、「八百万の神の仲間入り」の方向に進むのもアリだけど、地球での学びを終了として、さらに高度な別の惑星に転生し、どこかの星の救世主になる資格を得るための学びのため、次の転生は地球を離れた別の星に行くという選択肢もあるそうです。
いずれにしても、卒業には、これまでの前世にて、いろいろと積み重なったカルマの解消や心残りだったことを精算しないといけない。
なので、地球でのラストな転生は、割と忙しい人生になる・・・。

ちなみに、地球に残って「八百万の神の一員」になれたとしても、この世に生きる人々を指導するには、この世のことを理解していないといけません。
そして、この世は、思想や科学技術が進歩すれば、大きく変化します。
その時代に生きる人々の生き方、考え方を本当に理解するには、あの世から、「高見の見物」だけでは、十分な理解はできません。
なので、運転免許更新ではないけど、資格継続のために、時々、この地球の現世に生まれてくる必要があったりするみたいです。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

お礼日時:2024/08/25 07:39

下の者です。


視力障害者で誤変換がありました。

>だから少し模試は怖くないです。
だから少しも死は怖くないです。でした。
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あくまでも私は……、ですので。

^^;

私は無宗教者ですが、輪廻転生は信じています。

この地球は魂磨きのための教習所のような場で、卒検があるまで何度も何度も学べる、体験型のアトラクションなのだと思っています。

死というものは一回ごとの学び(教科)の終わりで、いわば少しの休憩時間と同じなのだと。
単に空の国に帰り、また次の人生モデルの脚本を好きに書き、なりたい人物になり、その生き様を通して喜怒哀楽、艱難辛苦、愛や感動を学び、終わる度に空の国で一旦休憩し、また次の学びに降りてくる……。

一回ごとに前世の記憶はリセットはされるが、積み重ねてきた経験値や魂は徐々に清くなり蓄積され、やがて卒業検定に合格すると、晴れて人間としての輪廻転生の修行(実技も学科も)を卒業し、八百万の神の仲間入りができる。

私はそんな空想をしています。٩(^‿^)۶
なので死は一つの人間としての学びを終えて空に休憩に戻るための毎日の睡眠と同じようなもの。
眠る時も、眠る瞬間は、誰もその覚醒と睡眠の境目を覚えてはいないでしょう?
「死」もそんなようなものだと思いますよ。

だから少し模試は怖くないです。
因みに、私は明日69歳になるいい歳の婆さんです( ◠‿◠ )
今回の学びもあと僅かです。

来る時が来たら空で少し休憩と反省会をし、次の学びの科目の脚本を書き、次に挑みます。(^-^)v
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/08/25 07:40

認知症はしを受け入れる為のステップだと思います。

死を受け入れることなど出来ないので認知症で思考を混乱させるのだと思います。
また、認知症となって周囲の家族に負担をかけて解放されたいと思ってもらうあための段階かと思います。
高齢者は認知症によってスムースな最期をむかえるのだと思います。両親を介護してきた実感です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/08/25 07:40

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