人生で一番思い出に残ってる靴

そもそも、「ありがた」いと感じられることならば、それを失う前、それを享受している現在進行形時に十分自覚していることなのです。そして、これを失うことは大きな損失であるともわかっている。少なくとも私はそうです。
世の中でよく言われる、「失ってはじめてわかるありがたさ」なんていうのは、それを享受していた時ちっとも「ありがた」くなかったのです。失って心が変わったのは、その喪失感によって正常な判断力感性が失われたからです。
例を挙げれば、本当に愛していた恋人がいるという期間、「これは素晴らしい瞬間だ」ということをいやというほど感じており、それを失うことの失望感恐れも十分予見できている。だから失った後こんなたわごとを言わない。そうではなく、本当に愛してもいない恋人がいたときに、それをたいして「ありがた」くなど思っておらず、それを失った後にこの感傷にとらわれるのは、上にあげた錯覚以外何物でもないということです。

私の考え方は間違っているでしょうか?

A 回答 (8件)

人それぞれ考え方があるので、あなたは間違ってない。

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この回答へのお礼

Yeah(*'▽')!

お礼日時:2024/08/29 21:07

>>>> 「感」じゃなくて「勘」です。

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まともな人なら「書き間違えかな」って想像できるはず。

でも、あなたはこの程度の事すらムキになるような人間性なわけじゃん。

やっぱ、頭が悪いんだと思いますよ。

実際、中卒の人とか、低偏差値の人って、そういう人が多いですからね。
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この回答へのお礼

偏差値の定義を言ってみなさい。

お礼日時:2024/08/29 19:05

ですから、「感と経験」を使える頃にはすでに遅いって書きましたよね.



あなたがダメなところは、きちんと文書の意味を理解できないところです.

文書読解力がないというのは、まさにそういうことです.

あなたの場合、感と経験に頼っているのではなく、

文章がきちんと理解できる基礎学力がないから、「根拠なき感と経験」といった、要は何となくの感覚でしかモノを思考することができないだけの人ということです.
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この回答へのお礼

「感」じゃなくて「勘」です。

お礼日時:2024/08/29 15:06

ご質問者には、「酸素」が、必要ないようだ。

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この回答へのお礼

What do you mean?

お礼日時:2024/08/29 06:59

「失ってはじめてわかるありがたさ」



この言葉が実生活や小説、動画作品等でよく出るのは、主には親が死んだ時などでしょうか。

親子関係というのは、一般的には、非常に近しい関係であり、世話をしたり世話を焼かれたりもしますが、憎しみの対象でもあったりという複雑な関係でしょう。

そういうような人間関係があった場合、その死に直面して、憎悪の対象でしかなかった部分が、実は自分の人生で大きくプラスに働いていたことに気付く。そういうことを意味していると私は理解しています。

正直言って、「失ってはじめてわかるありがたさ」という感情は私自身は、今のところ思ったことは無いのですが、これに近い状況があるすれば、芸術家などで生前は全く評価されなかったのに、死後に急に大芸術家であったと絶賛されることがあります。

例えばゴッホです。
生前の彼は狂気に満ちていました。彼の作品が素晴らしかったとしても、現実の彼は非常に気持ちの悪い狂人でしかなかった。とてもじゃないが、お近づきになりたいと思うよりも、すぐに逃げ出したくと思うような人物だった。
だから、生前は彼の絵が評価されることも無く、売れることも無かった。
でも、死んでしまえば、気持ち悪さも憎しみも消える。消えなくてもかなり薄れる。そして彼の絵だけが残る。
ひょっとしたら、彼の絵を素晴らしいと思う人はけっこう居たのかもしれないが、彼の絵を評価することは、狂人の彼を評価することにも繋がるのでそれが嫌がられたのかもしれない。

「失ってはじめてわかるありがたさ」という感情は、ひょっとしたら、ゴッホと同じで、生きている間は憎しみや気持ち悪さなど負の感情で覆われていたものが、死んで薄れたのでありがたいと思ったこともある記憶が表面に出てきた。そんなことかもしれません。
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この回答へのお礼

>憎悪の対象でしかなかった部分が、実は自分の人生で大きくプラスに働いていた
どう+に働くのです?妄想じゃないんですか?
ゴッホの話はここの問題とは違います。

お礼日時:2024/08/29 07:00

ですから、低偏差値の人ほど「感と経験だけ」に頼って生きてるでしょ。



勉強してこなかった人は文書読解力がないため、本から情報収集できず、正しい知識を自分で獲得できないわけじゃん。

だから、チャンスを逃すわけよ。

「感と経験」を養うってなったら10年とか時間かかるでしょ。その頃には時すでに遅しだからね。

ましてや現代社会は、社会の変化が早いですからね。
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この回答へのお礼

その「勘と経験」を正しく使えば問題ありません。

お礼日時:2024/08/29 07:01

要するに、馬鹿なんでしょ。



勉強してないから状況判断力や知恵がないからチャンスを逃すんだよね。

低偏差値の人あるあるですね。
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この回答へのお礼

勉強というか、人生統計法というか、経験値、勘の発動というか、そういうレヴェルです。

お礼日時:2024/08/28 08:49

恩恵を受けていることを当然と思っていた人間がそれを喪失したことにより、「恩恵を受けていたことが当然ではなかった」という学び、気づきを得たって感じかなと思ってます。



「恩恵を享受していることを現在進行形時に十分自覚」できてなかった未熟な人間こそがそういうことを知った…ということでいいのかなと。

という解釈もできる気がしますがいかがでしょう?
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この回答へのお礼

>恩恵を受けていることを当然と思ってい
ることなんてないですよ。あるとすれば相当のバカです。
>「恩恵を享受していることを現在進行形時に十分自覚」できてなかった未熟な人間こそがそういうことを知った
こういうことなんでしょうか?つまりこれはバカ用の標語でしょうか?

お礼日時:2024/08/28 08:41

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