
A 回答 (5件)
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No.5
- 回答日時:
長生きしても、
ですかね。
徳川家は、先祖代々つながっている
歴史のある家です。
だから、徳川が天下を取っても
そうした家臣団ががっちりと
基礎を固めているわけです。
しかし、秀吉は
成り上がりで、そんな家臣団を
持っていません。
だから、基盤が弱く、
長生きしても、政権は永続きしなかった
だろう、ということです。
No.4
- 回答日時:
それは、徳川幕府の正当性を主張する言い分です。
秀吉の朝鮮出兵も、晩年高齢の秀吉がボケて狂って出兵したと言われていましたが実は違うんですよね。
これは対スペインに向けた戦いで、当時フィリピンに駐留していたスペインのフィリピン総督に対して宣戦布告して出兵したという記録が見つかっていますから。
当時スペインがアジア植民地政策で明を狙っていたので、先に明を取っておかないと日本がやられると言う先見の明からでした。
スペインの作戦は、先に明を植民地化してスペインが明に命令して明の軍と日本を戦わせて双方が弱ったところをスペインが両方植民地化するというものでした。だから、秀吉はスペインより先に明を取ろうとしました。
決して朝鮮を占領するのが目的ではありませんでした。それを明が知らなかったのが誤算でした。
ただ、秀吉は死にましたが、スペインは日本の軍事力に恐れをなして植民地化は無理だとスペイン国王に報告しています。
つまり、秀吉は軍事力で上回ってスペインを追い払ったのに対して、徳川幕府は鎖国でした。
やり方は違えど、どちらもバカ殿ではなかったと言うこと、国際情勢にも長けていたという事です。
No.3
- 回答日時:
豊臣政権は、基本的に外部の敵を屈服させて、その領地を配下の者達にわけ与えると言うシステムでしたから
どこまでも領地を拡大し続ける必要があったと思います
敵そして戦がないと成立しない政権であったと思われます
対して徳川体制は徳川将軍を頂点に
がっちり身分制度を定め、将軍に反抗出来ない体制を作り内政に力を注ぎました
戦無しでは生き延びられない体制と
戦無しでやって行く体制
後者のほうが盤石そうですよね
参考まで
No.2
- 回答日時:
長生きいたら?
長生きしても、ということでしょうか?
徳川の盤石な体制は、将軍を退いて、子供に将軍職を譲ったからです。
秀吉は後継者を殺して、いつまでも引退しませんでしたから、盤石な体制は無理です。
No.1
- 回答日時:
秀吉は、基本的には非常に開放的なヒトですからね。
徳川のように閉鎖的で陰湿な体制になどしなかったと思いますよ。どっちがより盤石な体制だったかは分かりませんけど。
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