
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
小野小町や清少納言、紫式部の末路が哀れであったという伝説は、仏教的な思想から来ているという説があります。
末路が哀れ、というパターンの説話を「落魄(らくはく)説話」というのですが、これは仏教の無常観が影響しているらしいです。栄えていてもいつかは衰える、諸行無常、という考え方ですね。日本だと『平家物語』がその典型的な物語として知られています。
中世に発生した芸能である能楽で、この「落魄説話」のパターンの作品がいくつも作られて、女性ならば「美女・才女の哀れな末路」と、その末路の末に「地獄で苦しむ彼女たちが仏の力で救済される」というパターンの物語が広く知られるようになりました。
仏教は基本的に男尊女卑ですので、俗世の美女や才女への評価は良くないという側面もあると思います。
小野小町も清少納言も紫式部も、現役時代の活躍は有名ですが、表舞台から引退してからの記録は残っていません。当時は、皇族や后・妃クラスの高貴な女性でないと、亡くなるまでの記録など残らない時代でした。実際、小野小町も清少納言も紫式部も、彼女たちが「表舞台」で活躍していた頃の呼び名であって本名ではなく、本名は(諸説ありますが)伝わっていません。
本名すらわからない、老後と最期の公的な記録がない「魅力的な有名人」だからこそ、後世の人が想像たくましく脚色し、仏教的思想に合うように物語を考え、ドラマチックにするために、格好の題材だったのでしょう。
No.10
- 回答日時:
「花の色は移りにけりな、いたづらに、我が身世にふる、ながめせし間に」
この和歌に依り美人薄命のイメージが出来、朝廷を去った後の小野小町の
消息が伝説化していて定かで無いので、噂好きの江戸の雀が、美人薄命と
没落貴族のイメージを重ねたのでしょう、末路の事は判って居ません。
紫式部は藤原道長の愛人であり、娘は大弐三位になっています。
清少納言の実家清原は代々学者の中流貴族家柄なので、食うに困る事は
無かったでしょう。
この二人の事は、「光る君」の影響で生まれた、程度の低いガセネタです。
この回答へのお礼
お礼日時:2024/10/01 11:39
早速のご回答ありがとうございます。
小野の小町は、<花の色は移りにけりな>のイメージによるのですね。
<ガセネタ>がなぜ流布したのか?
No.9
- 回答日時:
鎖国で唐来物が入手できなくなったので、仏門のイメージが詫び錆びに代わったからでしょう。
小野小町や紫式部は最後に仏門へ入りますけれど、平安時代の寺って絢爛豪華で贅を尽くしたようなものだったので。
この回答へのお礼
お礼日時:2024/10/01 09:11
早速のご回答ありがとうございます。
仏門が<詫び錆びに代わ>り、彼女らの<絢爛豪華で贅を尽くした>ことのへの反面教師なのですね。
No.5
- 回答日時:
昔の権力者(勿論ほぼ男性)の多くが悲劇的な最後になってるわけなので、取り立てて有名女性だけ不運ってのも違うように思います。
一点考えられるのは、戦前まで女性は家庭に納まるのがあるべき姿という考えがありました。現代でも生前の細木数子が大ブレイクしてた時にテレビで「女は社会に出ると幸せになれない。家庭も崩壊する。だから家を守るべき」とか言い切ってて、古い世代では一定数いる考え方のようです。
こんな価値観がずっと根強かったわけですから、才能を生かす女性が圧倒的に少なかった昔の有名才女も、「幸せになれなかった」という噂を強調した方が日本の教育的に都合良かったのでしょう。歴史上の偉人の生き方は、後世の私達の生き方の指標にされることが多いですから。
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