
No.11ベストアンサー
- 回答日時:
昭和天皇拝謁記に書かれている昭和天皇が退位したがっていたというのは、どうやら「国民が退位を希望するなら少しも躊躇せぬ」といった感じの条件付きだったみたいです。
そして戦後昭和天皇に退位を迫る意見はそれほど大きくはなりませんでした。
そのため退位するきっかけが無かったのです。
参考)
昭和天皇「拝謁記」 戦争への悔恨|NHK NEWS WEB
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-show …
No.13
- 回答日時:
昭和天皇は、戦後になぜ
退位しなかったのですか?
↑
1,君主無答責の原則てのがあり
君主は責任を負わないことが
国際的にも認められていました。
「王は悪を成し得ず(the King can do no wrong)」
という原則が17世紀に確立されていました。
2,天皇が引責辞任するとなると
下の者も責任を負うことになり
それはマズい、ということになった。
田島道治宮内庁長官の昭和天皇拝謁記によると
昭和天皇本人は、退位したがっていたとありますが本当ですか?
↑
本当だと思います。
天皇は敗戦の責任をかなり
感じていた、という複数の資料が
残されています。
引責辞任したかったのだと
思います。
No.12
- 回答日時:
明治憲法下で、皇位継承は天皇が崩御したとき、と法律(皇室典範)で規定されていました。
昭和22年5月3日の新憲法施行まで効力あり。生前退位・皇位継承は、法的根拠がなければできません。
戦後、裕仁天皇の退位を認めることはありませんでした。
皇位継承の規定は、新憲法下の皇室典範にも引き継がれています。
明仁天皇(上皇)の退位は、皇室典範特例法という法律を制定して実現しました。一代限りの法律です。
●皇室典範(明治22年2月11日)
第十條 天皇崩スルトキハ皇嗣卽チ踐祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク
●皇室典範(昭和22年法律第3号)
第四条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。
●天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成29年法律第63号)
No.10
- 回答日時:
既に回答がありますが、生きてる限り天皇ってことにされていたのです。
江戸時代までの天皇とは違って、明治になって今までの伝統などどっかに投げ捨てて新しい天皇制が始まっていました。なので以前のように退位して上皇になって裏からあやつるなどということが出来なかったのですw
No.8
- 回答日時:
確かに、田島道治宮内庁長官の「昭和天皇拝謁記」によると、昭和天皇自身は一時期退位を考えていたことが記録されていますが、それを裏付ける証拠はありません。
昭和天皇が退位しなかった一番の理由は、海外に残留している日本軍兵士の速やかな武装解除と帰国のために、天皇を利用するというマッカーサーの意向があったからです。
戦争が終結した時点で、大陸、東南アジア、太平洋の島々には数百万人もの武装した日本軍兵士が取り残されていました。 彼らを速やかに武装解除させて、日本に帰国させることはGHQの喫緊の課題でした。 徹底抗戦を唱える日本兵も多く、武力で彼らを抑え込もうとすれば、戦後にもかかわらず、連合国軍にも大きな犠牲が出ることが容易に想像されました。 そこで、英国のチャーチルがマッカーサーにアドヴァイスしたのが、天皇の戦争責任を追及せずに、海外残留の兵士たちに、日本軍の最高指揮官である天皇から、武装を解いて速やかに帰国せよとの命令を出させることでした。
結果、奇跡とも思われるほど、数百万の残留兵士が、ほとんど抵抗することもなく武装解除し、短期間で日本に帰国したのです。
No.7
- 回答日時:
昭和天皇本人は戦争責任をひとりで引き受けてA級戦犯として処刑される意志があったことは間違いないでしょう。
そうでなければ天皇が戦犯に問われる可能性が高かったポツダム宣言を自分自身の聖断で受諾したことと整合性が取れません。結局、マッカーサーは昭和天皇との会談後に、米軍による軍政をスムーズに進めるために昭和天皇を利用することを決意し、昭和天皇処刑の動きをしていた米国議会を説得して食い止めました。
その後の昭和天皇は国家再興の為に、日本全国を巡幸し、対戦相手だった欧米諸国にも公式訪問を成功させ親善外交に力を尽くすことになりました。
終戦直後は皇太子がまだ子供でしたし、自分の手で敗戦の残滓を消し去るとともに対戦国に直接詫びるとともに平和共存のために憎しみをできるだけ和らげようとしたのでしょう。
退位したがっていたかどうかは分かりませんが、本当だったとしてもそんな余裕は全くなかったということでしょう。
晩年の昭和天皇は、沖縄・サイパン島・硫黄島・ペリリュー島の太平洋四大激戦地への巡礼を最後にしようと思っていたようですが、果たせずに崩御。
この島々への天皇としての公式巡礼は平成天皇が果たし、上皇に退位という運びとなっています。
No.5
- 回答日時:
みなさんの回答は全部正しいのですが、当時の日本の政治的な問題点が下地にあります。
それは「天皇が退位するなら、そのタイミングで共産革命が起きた可能性がある」という点です。
実はそれぐらい当時は「共産革命」が世界的なムーブメントになっていて、GHQが昭和天皇の在位を認めたのは、日本の政情が不安定で「まじで革命になるかもしれない」という危惧があったから、打と言われています。
つまり「昭和天皇が退位する」ということは、たとえ東宮やその他の誰かが新天皇になるとしても「昭和天皇は戦争責任を認めた」ということであり、共産主義者に「そんな君主は要らねー、いっそ天皇なんか廃絶して共産主義にしよう!天皇は退位ではなく、廃位で責任を取れ!!」という主張がでてきて、一気に革命になることを恐れたのです。
これ、日本人からするとちょっと「?」なのですが、実はマッカーサーは第一次大戦の戦後処理でドイツなどに派遣されていて、共産主義が猛威を振るったのを目の当たりにしていたので「皇帝が廃止されたドイツのように日本の政情が不安定になるのは間違いない」と考えても不思議はなかったのです。
昭和天皇もそれらの意図を理解して、結局戦後も在位しつづけ、しかも全国行幸で日本国民の結束の認識を再度確認されたわけです。
ちなみにGHQは「共産革命にならないために、天皇を続けさせたが、いずれ人気が落ちて退位するだろう」と思っていたようです。なので全国行幸も「ドイツのカエザル同様に、国民からメッタ打ちにされるだろう」と思っていたようなのですが、そういう事はほとんど起きませんでした。
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