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映画などで武士が切腹とか打首するのに冷静だったり、戦争に行く兵士何怖がってなかったりしますが、あれはフィクションだからなのか実際に恐れていなかったからなのかどちらなのでしょうか?
わかる方教えてください。
憶測はいりません。

A 回答 (8件)

切腹、打首では赤穂浪士が有名ですが


資料とかを見たら粛々と進められたと載ってますが
当時の武士たちは冷静だったのでしようね。
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私の父も母も戦争経験者でした。


母親は年を取ってから、死ぬのが怖いと言っていました。
戦争中は何時死んでも不思議ではない状態だったので、常に死を覚悟していた為か?、それほど死を恐れていなかったと言っていました。

父親は海軍で駆逐艦に乗っていましたが、終戦間際には高速艇による特攻隊員にされたと言っていました。
しかし、肝心の高速艇が足らなくて、待機している間に終戦となり、生き延びることができたのです。
父親は11人兄弟の末っ子で、直ぐ上の二人の兄と姉の5人が生き残ったそうです。
その所為か?あまり戦争の話をしたがりませんでした。
ちなみに、関係あるのか分かりませんが!?
直ぐ上のお兄さんは墓石職人になっています。

死を覚悟した人とは、そんなものかも知れません!?
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特攻隊員には特別に酒や甘味、さらにヒロポンが支給されていました。

ヒロポンは向精神薬として恐怖を紛らすためとされています。

兵士は日本軍ではヒロポンが、ベトナムでのアメリカ軍ではマリファナが支給されていました。これ以外の軍は記録があいまいですが、ゲリラが麻薬類を使うのは知られています。
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出撃命令が下った特攻隊員など、靖国の遺書には立派なことを書いているが、出撃前の特別休暇で実家に帰った時など、恐怖に震える姿を家族に目撃されたりしている。



当然ではある。
遺書は検閲を受けるのだから。

武士はちょっとしたへまでも切腹だった。
だから幼少時から死に対する心構えを叩きこまれてきた。
「武士道とは死ぬここと見つけたり」
とは、いたずらに死を美化する文言でなく、普段から死に対しいざというとき武士として見苦しくない死に方ができるようにせよ、ということである。

武士は支配階級であり万人の模範であらねばならない。
ノーブレス・オブリジェを貫くには「武士は食わねど高楊枝」でなければならなかった。
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武士に取って切腹は名誉ある死なので冷静です、打ち首は最悪の


死に方なので、映画で武士を打ち首にするシーンは無いでしょう。

戦争で兵士が死を恐れないシーンは政治的な宣伝の為の撮影だからです。

特攻隊員は別で冷静に死を覚悟して臨んでいました、鹿児島県の
知覧特攻平和会館に展示されている特攻隊員が書き残した遺書を
読むと、覚悟の程が解ります、涙無くしては最期まで読めませんでした。
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怖さを隠していると思います。

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この回答へのお礼

隠せるものでもないと思います

お礼日時:2025/03/29 18:24

>冷静だったり



演技だからですよね?
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この回答へのお礼

憶測はいりません

お礼日時:2025/03/29 17:49

日本の場合、武士でも兵隊でも、どちらが死ぬ事になります。

1人がパニックになれば、みんなが死にたくないと騒ぎます。そうなると、上官はその場で射殺します。そう言う事をやらないと、戦う武士や兵隊が戦争放棄をします。誰でも死にたくないからね。そうならない為に、日本人は規律に厳しくしていました。
イタリア軍は、敵前逃亡をして逃れています。日本軍が強かったのは、お国の為に死ぬ覚悟が有ったからです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
日本軍に関してはわかりましたが
武士についてはまだ腑に落ちないところがありますね。

お礼日時:2025/03/29 17:49

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