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なんか調べてたら画像のようなものが出てきたんですけど、これってどうしたら平等性と公平性を同時に実現できると思いますか?

「平等性と公平性について」の質問画像
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A 回答 (6件)

邪魔なフェンスを壊せばOK。

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その2つは同時に実現は出来ない物。

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今は懐かしいバイデン政権の時に良く使われた図です。

これは誤解を招きやすい間違った図なので参考にしない方が良いでしょう。もう二度と使う時が来ないと思います。

以下は長いですが、物事の考え方として一般的な話をします。

また、政情変化による「良い事悪い事」の変化も述べておきます。

●平等も公平も分け前の分配であり、施しではない

平等も公平も「誰かから与えられる分量」の話ではなく、「戦いに参加した人への分配」の時の概念です。つまり、何かを貰うとしても「共に戦った仲間に分配する」というシーンに使う物です。共に戦っていない人に分配する事はありません。もしも「ただで何かを貰える」思っている人には、平等も公平もありません。何も与えないのです。

「分け前を人数で割って分配するのが平等。より活躍したり、
 より費用をかけた人に多めに補償することで次のモチベを
 維持してもらうのが公平。逆に何もしなかった人には何も
 与えなかったり、次から来ないでくれと言うのも公平」

●この図には与えられる物の主張ばかりであり所有者の概念がない

この図の問題は「誰が踏み台の所有者であり、誰が踏み台を運んだのか?」の説明が欠けている点です。まるで、誰かが自分たちの面倒を見てくれるべき、という発想です。子供たちが踏み台を運んでいるシーンも描き、最も活躍した子供が多めに踏み台を確保している場合は公平と言います。

「自分が必要とする分は、自分が頑張ればいいだけ」

●モラルを無視する行為が描かれている

また、塀で囲ってあり、子供が観戦できない様に設備が整えてあるのに、台を設置して観戦をするという行為が描かれています。これを子供にやらせている時点で問題。社会とは然るべき場所で相応しい行為が出来るように整えられております。

●よく見ると犯罪行為の助長である

つまり、野球場であっても所有者がおります。誰に対しても公開すれば平等。誰に対しても非公開にしても平等。お金を払った人にだけ、観戦を許し、多くのお金を払った人に対して特等席を用意するという考え方が公平。それらを無視して「踏み台を設置してタダで見物しようという発想は犯罪」です。平等でも公平でもない犯罪なんです。

●私たちの感覚をマヒさせるものである

野球場に観戦席が描かれており、塀で囲んで見れない様にしているのに、踏み台を使って只見をしようとしている図であります。その時点で「危ない」「注意しないと」と思うのが普通ですよ。なのでこの図はとても良くない物なんですが「政府を脅して、金銭のばらまきを画策する勢力」にとっては、自分たちが望む世界を象徴する図であります。社会から強奪する事を前提にしている勢力にとっては、好ましい図なんですよ。

「僕らは新種の説教強盗。可哀そうだろ?系です」

●この図が嫌いでも言えなかった事情がある

トランプ氏が当選する前から、この図を嫌っていた人が多いと思いましょう。当時は文句を言うと「リベラれる警察」に捕まる可能性があったので、誰も異を唱えられませんでした(最後はバイデンさんが出てくるので)

この図を使って更に「平等」「公平」を述べようとする行為が、どれだけ社会全体に対する侮蔑であるかわかりますか? 犯罪行為を正しい行為にみせ、尚、踏み台をの与え方を論議させているんですよ。

●子供を人質にとって説得するやり方が怒りを買っていた

「子供をダシに使って大人を脅し、ただで何かを恵むべきと
 する活動がうるさすぎて、その反動でトランプ氏が当選し
 てしまった」

質問者さんが出している平等と公平の図は、バイデン政権の時にあちらこちらで使いまわされています。弱者保護を推進するプログラムを世界中で広めようとした経緯があり、世界の権力者を説得するために使用されました。

●トランプ氏によって価値観が正反対になっている

今では、これ(行きすぎた人道主義による弱者厚遇)を逆差別とトランプ氏が認定し、「弱者保護を理由に厚遇された人」を罷免し、そういう活動を推進した人を処罰する様に世界の企業に訴えています(大統領令:強烈な号令。戦争開始みたいな宣言)。米国内だけではなくEUの企業に「取引を中止するぞ」と脅しております。

●リベラル(綺麗ごとのゴリ押し)はオワコン

今では「平等」も「公平」も議論にする価値がなく、「能力主義」がトレンドです。能力を無視しての褒章配布は「粛清の対象」となりますからご注意ください。もう、そういう時代ではなくなったのです。他の国の企業にまで米国政府が文句を言う始末です。自分の会社の人事担当などが、米国政府に処罰を求められるとか、そういう時代なんですよ。ヤバすぎます。

●平等主義も一過性の流行でしかない

バイデン政権の前はトランプ政権です。つまり、「世界に蔓延した優しい平等主義」は、たった4年のバイデン政権の時に(彼の意向で)世界に強制的に布教されたものです。何も新しくもなければ、優れてもおらず、永続的でもない、何の保証もない風潮だったんです。振興のカルト教が一時期支配的だったくらいに思いましょう。

「ルールを守らない人には優しくしない。能力のない人が人
 道主義だけで成り上がるのは社会にとって良くない」

これが最新の哲学です。平等も公平も議論する価値が下がりました。

●トランプ氏が当選した責任を取るべき

こうなったのは、トランプ氏が当選したせいです。そして、トランプ氏の当選を許した責任は「私腹を肥やしたリベラル層」が、米国国民に憎まれていたからです。あまりにも煩く「平等」「人道」をあちこちに説き続け、他人の仕事に干渉し続けたため、その反感が米国民に根強く残り、あれほど失礼な発言をするトランプ氏の方がマシだと判断されたのです。

「流石に今のトランプ氏より憎まれていたというのは驚きだ。
 呆れるよ」

●追い詰められる平和主義者

こういう「平等」「人道主義」みたいな綺麗ごと系の話は、トランプ氏より憎悪されていたということです。その憎しみが強いので魔女狩りみたいな状態になっています。不用意に発言しないことです。いまはバイデンさんが去ってしまっており「リベラル警察」の後ろ盾がありません。

逆にトランプ氏が「リベラル警察」を摘発して追い打ちをかけようとしています。ご本人は銃撃されたり、裁判に掛けられたりと(ここは自業自得かもしれませんが)、個人的な部分もあってかなり本気です。

●よく考えれば、選挙結果に異を唱えているだけ

「民主主義のルールによって、トランプ氏を正義として援護
 するのが世界の方向性である。これに異を唱えると、選挙
 自体の結果を無視するという事になり、民主主義への反逆
 とされても文句がいえないのだ。今は我慢をして、トラン
 プ氏の方針を正しいとし、リベラル過ぎる方々を粛清して、
 4年後の選挙の結果を待つべきである」

●何が何だか分からないよね?

私達は、こういう経緯を見て学び、価値観が変わったのだと諦めて、適応していくしかないのです。ちなみに私はウクライナの心配もあって、トランプ氏の当選を恐れていました。なので、米国民の怒りを買い、「私腹を肥やし続けたリベラル層」に対しては、この責任を取らせたいですよ。

●未だに反省しない人たちを見て呆れる

「トランプ氏が悪いと言う人には、お前らが憎まれたせいで
 トランプ氏が当選したのだと分かってほしい。それほど憎
 まれている人の味方なんぞするわけがない。怖すぎる」

ここがポイントでしょう。

●まとめ

少し前は、(自分は何も貢献しないのに)「他者が恵まれている」と言って、平等や公平を理由に小銭をせびる行為が横行しました。しかし、この方法は、「思っている以上(トランプ氏が当選するほど)に憎まれる」という事が米国選挙で明らかになり、自重ムードが主流です。いまは「平等」みたいな言葉やそれらに及ぶ論議は避けるのが賢いでしょう。もう、二度とその手は使えないのです。たった4年でしたが、懐かしいですね。

以上、ご参考になれば。
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平等と公平を同時に実現することはできません。



平等と公平というのは「個人間に格差がある場合の対処方法」なのですが、対処の仕方が全く違います。

平等とは「違いがあることを前提に、格差そのものが不利にならないようにすること」を言います。

たとえばボクシングは体重ごとに細かくランクが分かれていて、同じランクの同じ程度の実力の中で勝敗を決めます。
 
 社会においての「平等」とは「同じだけの権利と義務を有している」ことで、たとえば男性は大学に行けるが、女性は行けないなら不平等、両方とも大学に行けるが《同じ試験で成績が良い順に入学できる》なら平等です。

この時、平等では「成績が良い順」という競争は許容されるので、画像では「みんな箱を一つ持って、その上で身長差は許容される」のです。

それに対して「公平」は「個人間の格差をなるべく是正しよう」というやり方です。
 ボクシングの例でいえば、体重が同じでもパンチ力に差があれば勝てないので、パンチ力が強い選手にはパンチ力を吸収するやわらかいグローブを、パンチ力が弱い選手にはパンチ力を増幅させるグローブを付けさせ「同じパンチ力にしてから戦う」のです。

だから画像では、身長差があるのに目線の高さが同じになっています。

そして「公平」にはこの画像にはない、重要な要素があります。それは「箱は誰が用意するのか?」という点です。

画像のように3人の人間がいて、用意された箱3つを使い切っているとき、4人目の小さい人が来たら「箱がない」ので公平になりません。公平には「十分な箱を用意してあげる誰か」が必要なのです。

それに対して平等の場合、4人目が来て箱が3つしかないなら「ひとり一つの箱」というルールを変えて「全員箱無し」にすれば、5人だろうが100人だろうが同じルールで平等になります。
 平等には「最初に定めたルール」が適用できるかぎり「誰かが箱を用意してあげる必要はない」のです。

ここまでの説明でお分かりだと思いますが「平等」にも《ルールを定める誰か》が必要です。しかし、ルールを設定したらその誰かがずっと見ている必要はありません。

公平は逆で「常に公平になるように、ある基準にしたがって箱を用意し続ける誰かを必要とする」のです。

平等を保つためには「先に準備が必要」で、公平を保つためには「常に監視と干渉が必要」なので、この二つを同時に満たすことはできません。
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この絵なら嵩上げをするのではなく塀の高さを下げる、あるいは無くす



つまり障壁となるものを少なくする
そうすればチャンスを結果につなげようとすることに繋がる

例示なのでケチつけても仕方ないが
右の絵が完全な公平か?という点には疑問が残る
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理不尽な事 回答しますが



平等性と公平性の実現は不可能で

平等性と公平性の実現を目指し続ける精神は持たなくちゃいけない って

だけの 話しなだけです

区別 差別 も 同様
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