『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜこれほど人々を魅了するのか

卓球さんのファンでYMOを知りました。彼らは何者なのでしょう?社会的評価はどれぐらいなのですか?サイトの解説を見てもよく分かりません。CDもどれを借りればいいか分かりません。最近のYMOのベストアルバムCDがあれば教えてください。

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A 回答 (10件)

こんばんは。



70年代から80年代にかけて世界的に活躍した日本のテクノユニットです。
といってもここで言う「テクノ」は現在のダンスミュージックとしての「テクノ」とは意味が違います。
本来の意味での「コンピューター音楽」です。ピコピコした音、自動演奏などが初めて音楽の世界に登場した頃だったんです。
登場としてはクラフトワークが先ですが、世界的な影響力は互角でしょう。

メンバーは細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一。
細野さん(Bass)はそれ以前に「はっぴいえんど」というロックバンドを組んでおり、こっちも伝説のバンドです。その後ティンパンアレー、ソロ活動を経てYMO結成。(つまりYMOの時点で細野さんは既に有名でした)
高橋さん(Drum)は当時様々なセッションを重ねつつサディスティックミカバンド(日本で最初に海外進出を果たしたバンドです)に参加。
これに当時無名の学生だった坂本さん(Key)が高橋さん経由で加わりYMOが結成されます。

ひと言で言えば日本におけるテクノポップの元祖。世界中にYMOマニアやチルドレンを抱えています。
間違いなく、日本のグループでは最も世界に影響を与えた存在です。
現在に至るまであらゆるレベルでYMOの遺伝子は受け継がれています。卓球(というか電気)ももちろんYMOチルドレンですね。インベーダーのネタなんか分かりやすい所です。

YMOそのものは83年に散開。この3人の天才(といって良いでしょう)が短期間ながらユニットを組んでいたのは今となっては奇跡みたいな出来事です。
ただ、あまりに熱狂的な支持を集めすぎたため、復活の要望が絶える事は無く、それを収める為に93年に一度だけ再生。
それでも未だに復活要望の声は絶えません。

最新のベスト盤は、
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/ymo/
です。(高いので他の奴にした方が良いでしょうけど)
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この回答へのお礼

完璧です…。ここまでされたら聴くしかないでしょう。

お礼日時:2005/06/07 14:18

こんにちは。



止まらないって言ったでしょう。水を向けては行けません(笑)。
蛇足を続けます。

「才は群れる」仰る通りです。この時代の渋谷周辺には全てがありました。
輝ける時代って奴ですね。
「小沢健二」
天才と言う呼び名が非常に良く似合うあらゆる角度での天才です。ご存知の様に東大卒で父はドイツ文学教授、母も心理学教授、叔父は世界の小澤征爾で祖父は右翼の黒幕という筋金入りのエリート。
彼も無類のレコードマニアでそこが小山田との共通点ですが、その功績は歌詞の面が大きいですね。英米文学科でもあった彼の書く歌詞は示唆に富んでおり、特にソロ転向後の詞世界は秀逸です。ただし、私生活で友人だったスチャを除いてはほとんど渋谷系人脈と接点はありません。(スカパラと仲良しだったので間接的には関わっていますが)
98年の沈黙から、2002年に復活しますが、プロモーションはほとんど無し。再び沈黙中。

「フリッパーズギター」
改めて出しておきましょう。ピチカートとコーネリアスが渋谷系の軸だとすると、発火点となった存在です。実際、渋谷系がピークの盛り上がりを見せるのは93~96年辺りですが、彼らは91年にあっさり解散しています。先述の様に日本の音楽シーンに強烈なパンチを食らわせた性悪コンビです。
不勉強なインタビュアーには嘘の答えしか言わないし、架空のアーティスト名を出して知ったかぶりしたら後で笑い者にする。先輩アーティストには一切敬意を払わなかったりもうやりたい放題。
しかも絶頂期にいきなり解散(ツアーを控えており、チケット販売も一部終わっていたのに、です)。
本人達が何もコメントしなかったので噂は噂を呼び、二人は険悪な仲と言われファンが犬派(小沢)、猿派(小山田)に分派して激しい罵り合いを繰り広げます。しかし彼らの功績は多大なもので、日本の音楽が歌謡曲の呪縛から離れて世界と同じく「かっこいい音楽」に成りうる事を証明しました。1枚目で英語ギターポップの要素を鳴らし尽くし、2枚目で日本語ポップを極め、3枚目で世界の最前線(プライマルスクリームとの同期性)に並びました。その後彼らの1枚目を模倣するバンドが続出しますが、あのアルバムを越えるものはありません。
*ブルーハーツの1枚目を越えられる日本語パンクバンドが存在しないのと同じです。

ついでにサブカルネタを出しておきましょう。
*渋谷系という言葉を作ったのはHMV渋谷店(現在の渋谷店とは違います)のバイヤー「太田浩」さんだ、というのは有名な話ですが、実はその太田さんは現在タワーレコード(の100%子会社)の社員になっています(笑)。bounce.comに連載を持っていますが、当時の人脈を活かした人選に思わず笑ってしまいます。
*現在人気の「木村カエラ」。これ、良く聴くと分かりますが完全に渋谷系の音です。と思ったら本当に裏方メンバーが元渋谷系の方々でした。
*渋谷系のプリンセス「カヒミカリイ」。この名前はアナグラムで、本名は...フリッパーズのDVDに出演している女の子(エンドロールで分かります)。さらに言えばもう一人の女の子は小山田の嫁になりました。
*小山田の子供の名前は「米呂(マイロ)」。これ、実は「猿の惑星」に出てくるコーネリアスの息子の名前です。(悪ノリし過ぎ、でもフェイクかも知んない)

ってYMOまるで関係なくなってますね(苦笑)。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。こういう意見待ってました。

お礼日時:2005/06/09 22:28

既に回答が出ているようなので


自分の体験談を補足します。

イエローマジックオーケストラがブレイクしたのは1980年。
当時、中学3年生だった私にとって
人民服を着てシンセサイザーを操り「ト・キ・オ~」と歌う彼等は
ほとんど社会現象でした。
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~golf-h/sinjyuku.htm

イエローマジックオーケストラは逆輸入型のバンドで
最初に話題になったのはイギリスにおいて
サディステック・ミカ・バンドの高橋ユキヒロの新バンドとして
だったようです。
(サディステック・ミカ・バンドは日本よりもイギリスで成功した。)
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~golf-h/greek.htm

私にとってイエローマジックオーケストラは
日本のロックの入り口でもありました。
サディステック・ミカは何となく知っていましたが
細野さんが居なければ、日本のロック&ポップスは全く違ったモノになっていたでしょう。
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1265900

私が「ハズしの美学?」を学んだのも
イエローマジックオーケストラからでした。
ブレイクした途端にグループ表記をYMOと改め
自分たちを「イモ」と呼ぶ。
スネークマン・ショーというコミック集団とコラボレーションする。
テレビ出演を断ることが本格派ミュージシャンの証だったような時代に
どんどんテレビに出る。しかもお笑い番組にまで。
歌謡曲に進出する。等など・・・
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~golf-h/fujitv.htm

最後に。
>以後電気やYMO以上の才能が以後出てきていないのでは…。
私も#7さんの意見に賛成です。
YMO以上の才能は他にもいるでしょう。
私は池田亮司を強く薦す>こりゃまたマニアックな!
http://homepage2.nifty.com/nma/info/ikeda.html
ただ、時代が味方をしたのはYMOだ。
ビートルズが2度と出てこないように
YMOも2度と出てこないと思います。
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この回答へのお礼

この質問をして本当によかったです。
これほどマニアックな意見が寄せられようとは…。

お礼日時:2005/06/08 16:03

こんばんは。



もうオチは付いていますが、この辺の話を始めると止まらないのでご容赦下さい。

「スチャダラパー」
はい、孤高の哲学者ですね。彼らも世界に誇る天才です(日本語が通じないのが惜しい)。
とはいえ、日本にヒップホップを持ち込んだのは「近田春男」であり「高木完」であり「藤原ヒロシ」であり「いとうせいこう」です。(主にビースティーボーイズとRUN DMCに触発されたもの)
ただ彼らはヒップホップをライフスタイルとしていたわけではありません。「新しいもの」としてもてはやしただけです。
これに独自の解釈で日本語を乗せ、自分たちの生活レベルにまで落とし込んだ最初の存在がスチャダラパーとEAST ENDでしょう。
いち早くオリジナルのヒップホップを探り当てた彼らは、フリッパーズギターのもう一人の天才「小沢健二」(考えてみるとフリッパーズは当時20才そこそこなんですよね、恐ろしい才能です)と組んで「今夜はブギーバック」をヒットさせ、EAST ENDはYURIと組んで「DA.YO.NE」をヒットさせました。
スチャのお勧めは哲学的なものを避けて、敢えて「Little Bird Strut(live)」を挙げておきましょう。
スチャを中心とするクルー「LB NATION」の集大成。こういうヒップホップがあるということは嬉しい限りです。
ついでに言えば、渋谷系のファッション面の顔である「裏原宿」という言葉を作り出した一人「A BATHING APE」のNIGOとスチャダラパー、コーネリアスはやはり盟友関係にあります。
そんでもってそのNIGOは元々「藤原ヒロシ2号」の意味だったりします。
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この回答へのお礼

「才は群れる」この言葉の真の意味を感じます…。小沢健二も僕の世代ではないですが、昔から非常に興味はありました(というのもQJというサブカル雑誌で特集されていたので…)。
「孤高の哲学者」いい響きですね。
NIGOが2号だというのは驚きです。

お礼日時:2005/06/08 02:39

こんにちは。



興味を持って頂けて何よりです。
YMOの神髄はやはりオリジナルアルバムにありますので、出来ればベスト盤ではなくオリジナルを聴かれる事をお勧めします。

YMOの影響力に気付いて頂いたついでに、リーダーである細野さんの経歴を調べてみて下さい。
彼の周囲の人物だけでJ-POPというものがほとんどカバー出来てしまいます。坂本さんは世界へ飛び出しましたが、細野さんはずっと日本の音楽を根底部分で支えていた人物です。

>というか以後電気やYMO以上の才能が以後出てきていないのでは…。
ここはちょっと異論を唱えさせて頂きます。
確かにYMOという存在はとてつもなく大きいのですが、卓球と並び称されるアーティストはまだまだ居ます。
例えば、bounceの記事にも登場しますが「小山田圭吾(コーネリアス)」。彼はYMOとは違う方法論でポストYMO世代をリードした人物。彼が在籍した「フリッパーズギター」というユニット(もう一人は小沢健二)は、YMOとは言わないまでもわずか2年半で日本の音楽シーンを塗り替えてしまいました。オリジナルアルバムは3枚しか無いので聴いてみて下さい。その変化の激しさと革新性がよくわかります。特に3rdの凄まじさは必聴ですよ。その後ソロとなり3rdアルバムが世界中で絶賛され、世界的アーティストと肩を並べる存在になりました。4thアルバム「POINT」は細野さんに絶賛され、現在の細野さん高橋さんのユニットであるSKETCH SHOWに参加。さらに坂本さんにも気に入られて、最新アルバムに参加。
ちなみに小山田と卓球は盟友関係にあります。(お互いにremixしたりしてます)

もう一人挙げましょう。「小西康晴」。
あなたの世代には「おはロック作った人」と言った方が分かりやすいでしょうか。フリッパーズギターと並んで渋谷系の中心であったピチカートファイヴのリーダーです。彼は基本的に作曲家なのですが、とにかくレコードマニアで途中からDJ的な手法を大胆に取り入れてそれが大成功。コーネリアスより一足早くアメリカからデビュー。世界中でツアーを行っています。そんな彼も実はデビューしたのは細野さんのレーベルからだったりします。
さらに言えば先述の「はっぴいえんど」が一度だけ復活した時にバックバンドメンバーに居たりするんです。

卓球も含めて彼らに共通するのは「渋谷系」という時代の中心的な人物であると言う事です。電気グルーヴは音楽としては渋谷系ではないですが、あの時代の「渋谷系」というのはジャンルに関係なく、同時発生的に生まれた多様はカルチャーだったわけです。
DJ文化、現在のテクノ文化と同時に生まれたのがヒップホップ。
その代表格が「スチャダラパー」です。
やっている音楽は違っても、この時代に頭角を現した人々には緩い連帯感があり、現在電気とスチャがユニットを組んでいるのはここから来ています。
(全くの余談ですが、デビュー当時電気はヒップホップグループと言われていました。もちろん誤解なのですが)

おまけ。
電気は今年夏フェスに出ますし、WIREにもまた出てくるでしょう。
これに加えて「SONAR」というイベントに注目して下さい。
元々スペインのイベントですが、昨年より東京でも行われる様になっています。
そして昨年のSONARではSKETCH SHOW(細野、高橋)に坂本さんが合体し、HUMAN AUDIO SPONGEとしてライブを行いました。
つまり疑似YMOの復活です。それぞれの曲がメインでしたがYMOの曲をちゃんとやってくれました。
(ついでに言えば小山田もギターで参加)
電気が参加する事はないでしょうが、卓球が参加する可能性はあります。(楽屋には遊びに来ていたらしい)
現在進行形のエレクトロニカを体験出来る最高の機会です。
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この回答へのお礼

まずは僕の浅はかな予想に反論してくれてありがとうございます。僕はサブカルの研究が好きで、うえに上がった名前は聞いた事ぐらいはありましたが、どういう人かは知らなかったです。本当に勉強になります。最近はスチャダラパーを聴いていますが、ヒップホップの基盤を創ったんだっていうのは聴いた瞬間に感じました。新しいことをやり続けるパイオニアは必ずいるんだということを教えていただきました。とにかく素晴らしい書き込みありがとうございます。

お礼日時:2005/06/07 20:47

あっ、忘れてました「パブリック・プレッシャー(公的抑圧)」


「コズミック・サーフィン」(1stに収録)の前に英語で紹介されて、始まるところが妙にカッコ良く思えたものです。エンディングでコンピュータを通したフワフワの声でしゃべって、ほんのちょっとだけ「ビハンド・ザ・マスク」が聞こえます。なぜ、あれだけ入れたのだろうか?疑問でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。本当に親切な人ですね。

お礼日時:2005/06/07 20:51

 YMOについての解説は出尽くしているようなので、私からはおすすめのアルバムを。



「パブリック・プレッシャー(公的抑圧)」
 私が初めて聞いた(高校の音楽の授業で)YMOのアルバムでライブ版です。確か、「イエローマジックオーケストラ」の次に出た奴だったはずです。ライブといっても日本ではなく、一番最後の「バック・イン・トキオ」を除いてすべて海外での収録です。
 今のヴィジュアル系と違い、ほとんど動かず演奏に徹しているのに、なんでこんなに盛り上がるんだろう、と思ってしまうくらいのノリです。
 あと、ベスト版ということでは、
「SEALD」
「YMOベスト・セレクション」
「SUPER BEST OF YMO」
といった所でしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。分かりやすい意見です。マジで参考になります。

お礼日時:2005/06/07 20:12

 Ano.1さんの解説で完璧なので、お勧めのアルバムでも。


1stの「イエロー・マジック・オーケストラ」は国内版と海外版(ジャケット違い)があります。(中身は同じだったと思いますが)代表曲は「東風(トンプー)」「中国女」「ファイヤー・クラッカー」など。曲というよりもコンピューターゲームの効果音だけのものも入っていて、当時は面白かったです。
2ndの「ソリッド・ステイト・サバイヴァー」には代表曲「ライディーン」「テクノポリス」「ソリッド・ステイト・サバイヴァー」「ビハインド・ザ・マスク(坂本龍一のソロ曲でもある)」など。どれか選ぶならばこのアルバム。その年のぴあテンの1位です。
3rdの「増殖」には曲の間にスネークマンショウ(小林克也、桑原茂一、伊武雅人(漢字は間違っているかも)らが、ラジオでやっていたコント)のコントが入っています。代表曲は「マルティプライズ」「シチズンズ・オブ・サイエンス」など。
この後、先の3枚からのベスト版「マルティプライズ」が出ていますが、入門としてはこのアルバムが良いかも。
4thが「BGM」で代表曲は「バレエ」「千のナイフ(坂本龍一のソロ曲でもある)」など。
と、この辺りまではよく聞いてました。その後、(もう2、3枚あったかな?忘れました)CMで使われて大ヒットしたシングル「君に胸キュン」などはっきりと歌詞を乗せたり、アルバムの中で3人の色がはっきり分かれてきたりで、もう末期症状、散解へとまっしぐらという感じです。ベスト版やアレンジしたアルバム等沢山出ていますが、先に書いたアルバムが良いかと思います。
余談ですが、私は'93の東京ドームでの復活コンサートに行ったのですが、直前に出したアルバム「テクノドン」が中心で期待はずれでした。「ビハインド・ザ・マスク」などはアレンジで原曲が分からないほどでした。「ライディーン」は曲の最後のほんの一部だけだったし。唯一の救いはアンコールが昔のままの「東風」「ファイヤー・クラッカー」だったことです。
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この回答へのお礼

非常に参考になります。ツタヤでもCDがありすぎて(というかファンでないと内容が分かりづらい)どれを借りていいか分からなかったのですが、こういう意見はかなり参考になります。

お礼日時:2005/06/07 14:24

もう、YMOを知らない世代なんだなぁ・・・



#1,2さんの言及で完了してますが、補足のURLを貼っておきますね。


因みに、教授(坂本龍一氏)の提案により、日本でMIDI規格が纏められたんじゃなかったでしたっけ。
晴臣さんと言うと、沈没したタイタニック号に乗船していた唯一の日本人が祖父、ってのがスゴいですよね。
ユキヒロさん…公式サイト閉じたままなのかな…

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/YMO
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この回答へのお礼

僕は18の大学生です。電気を聴いたとき「10年も前からこんなものがあったのか!!!」と衝撃を受けました。YMOは彼らはの親玉ですね。電気グルーヴのファンは回りには全くいません。聴いたこともないそうです。YMOは名前も知られていません。悲しい限りですが、電気グルーヴ(おそらくYMOも)は楽曲的に古くならず10代でも十分かっこよく聴くことができます。というか以後電気やYMO以上の才能が以後出てきていないのでは…。

お礼日時:2005/06/07 14:17

ついでに。


良くまとまってます。

参考URL:http://www.bounce.com/articleset/articleset.php/92
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この回答へのお礼

感謝します。参考になります。

お礼日時:2005/06/07 14:19

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QYMO周辺では、一般的に「中国女」ってなんて読むんですか?

 質問タイトルまんまなんですが、YMOに「中国女」って曲がありますよね。これって世間的には「ちゅうごくおんな」って読んでいますか?確かフランス語の同意語がカッコ書きしてあったと思うのですが、あちらを日本語読みする方が一般的でしょうか?そうでしたらカタカナで読み方を教えてもらえませんでしょうか?まわりにYMO聴いている人&フランス語ができる人がいないもんで(笑)。もしくはYMOのメンバーがタイトルを言ったのを聞いたことのある人とか。

 あとまったく同じ質問で、ゴダールの映画にも「中国女」っていう邦題の映画がありますよね。こちらについてもご存知でしたらお願いします。

(昔、馬の毛色の「鹿毛(かげ)」を「しかげ」と呼んでバカにされたトラウマがあるもので・・・>競馬ファンだけ笑ってください)

Aベストアンサー

#3のPALTAです。
まず、漢字変換間違いしてしまいました、ごめんなさいデス。
『散会』ではなく『散開コンサート』でしたね。
散開って変換されてるものと思い込み、そのまま投稿してしまいました。

それから、中国女は確かに発売当初は『ラ ファーム シノワ』って言ってましたが、YMO後期以降では『ラ ファーム チャイニーズ』って紹介されてましたよ。
幸宏さんがラジオで言ってましたから間違いないです。
初期は『YMO』も黄色魔法楽団・黄色魔術楽団などとメンバーも漢字を使いたがってました。
わざわざ『BEHIND THE MASK』も『仮面のうしろ』なんて日本語化して記載してあったし。
曲をアレンジして演奏するのと同じように、曲名やグループ名までアレンジしてしまうのが、彼らの面白いところです。

QYMOは本当に世界進出したの?

先日、イギリス人で音楽業界に勤めている友人に聴いたのですが、YMOが「世界進出」してレコードを出し欧州ツアーをした事は知っているが当時、欧州で彼らのレコードを聴いたりレコード店でアルバムを買った人間は皆無に等しいと教えられました。
また、あの「世界進出」というのは、当時のTVやレコード会社が彼らを売り出すために仕組んだことで、当時のイギリスの音楽業界の情報が、雑誌などの活字媒体と一部のマスコミに限定されていた為、それを逆手に取った情報操作の側面があるというのです。(つまり「やらせ」ということですが。)
長年、当時(80年代)のYMOは音楽シーンの最先端にいたと信じていた自分は本当に驚きでした。
まあ、世界進出ということ自体に基準はないと思いますが、彼らのファンとして少しショックです。(ランキングチャートだって少ない枚数で頻繁に入れ替わる状況は知っていましたが。)
彼らは本当に「世界進出」し世界中のアーティストに影響を与えたグループだったのでしょうか?
事情がお判りでしたら教えて下さい。

Aベストアンサー

たしか少なくとも2回(連年か隔年か忘れました)ワールドツアーを行って、ヨーロッパからアメリカへと渡っています。
当時、ロンドン、パリ、NYでの映像が中継で日本に入ってきていました。

1回目のワールドツアーでは、レコーディングに使った音源をそのままライブに使ったためか、アルバムのような重ね取りした音にならず、固くて細いシンセ音でとてもチープなライブでした(このライブは日本で発売されましたが、日本でかなり音をかぶせています)。
2回目のツアーでは、ライブ向けに音源を変えたのか、かなり聞きやすい演奏になっていたと思います。

影響を与えたかどうかですが、実際には一部の強烈なテクノファンやミュージシャン、関係者のあいだで話題になったというほうが正しいかもしれません。
ドイツのクラフトワークと比して、ソリッドステートサバイバーのような音に深みのあるテクノサウンドは、当時のテクノファンには「聞いたことがない音だ」と言わしめました。

実際にはヨーロッパなどでは、YMOがヒットチャートに一時現れてもすぐに消えたのではないでしょうか。

NYでは三宅一生も招いてファッションショーもすこしとりまぜ、司会に芳村真理をたてて東京までライブ中継していましたが、あのときの観客は業界関係者ばっかりだったと思いますし、日本向けのライブという感じでした。

ただ日本にありがちなお膳立てのステージばかりかというとそうでもなく、実際に一般向けのライブを小規模~中規模ホールで行いつつ各国を回っています。

またポールマッカートニーがYMOが英国に来たとき実際に会っており、「わたしもあなたたちのようなサウンドをつくりたい」と言ったとか。
実際にその後ボーカルが少ない、へんてこなテクノっぽいアルバムを出しました(マッカートニーファンには不評だったそうです)。

ライブ会場には当時のテクノ系だけではなく多くのアーティストがかけつけています(ウルトラボックス、フライングリザーズ、ジャパン、ブームタウンラッツ.etc)

のちに日本で解散コンサートを行うことになった当時、来日していたABCという英国のグループのドラマー「デビッド・パーマー」がYMOの大ファンで、解散を聞き来日中にグループを脱退し、YMOの解散コンサートのドラムを担当したという逸話があります。
これはたぶん高橋幸宏が半分冗談で、叩いてみない?と誘ったのが、本人大真面目で、この機会を逃したらYMOと共演できないと脱退までしてしまったのかもしれません。

坂本龍一も世界のサカモトといわれてはいますが、10数年前にソロツアーをヨーロッパで行ったときも、会場はかなり小さいところが多かったと思います。

たしか少なくとも2回(連年か隔年か忘れました)ワールドツアーを行って、ヨーロッパからアメリカへと渡っています。
当時、ロンドン、パリ、NYでの映像が中継で日本に入ってきていました。

1回目のワールドツアーでは、レコーディングに使った音源をそのままライブに使ったためか、アルバムのような重ね取りした音にならず、固くて細いシンセ音でとてもチープなライブでした(このライブは日本で発売されましたが、日本でかなり音をかぶせています)。
2回目のツアーでは、ライブ向けに音源を変えたの...続きを読む


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