一番好きなみそ汁の具材は?

7月9日(土)に三重県の松阪市内の国道23号(バイパス)にて、大型ダンプが横転し、信号待ちをしていた乗用車を下敷きにしてしまい、乗用車の運転手の方が亡くなられる事故現場の救出状況を僕は一部始終見ていました。

レスキュー隊の指揮者は、空荷の状態で11トンもある大型ダンプを上げるのに、5トンの小型移動式クレーンを呼び、多くの人が「そんなのであがるか!」と罵声をあげる中、強引にワイヤーをかけ(しかもかなり細い)吊り上げようとしました。

誰もが予想できた通り、クレーンのアウトリガは浮いてしまい、吊り上げは失敗に終わりました。見守っている皆が次は大きいクレーンが来るのだと信じていたことでしょう。しかし、5トンよりさらに小さそうなクレーンと、さっきの5トンクレーンでもう一度吊り作業を始めました。すると、ダンプトラックは少し浮いて、乗用車との隙間があきました。

しかし、どう見ても安全な作業ではない・・・と思っていた瞬間に、細い細いワイヤーが切れ、ダンプトラックは大きな音をたてて、もう一度乗用車に激しい衝撃を与えました。

被害者の家族の方は誰よりも近くでそれを見ていました。被害者の男性はすでに亡くなられていたのでしょうか。もしもレスキュー隊が失敗した作業の衝撃で命を奪われたのなら、とんでもないミスだと思います。

レスキュー隊は、一生懸命作業して助けようとしていたから許されるのでしょうか?僕はそれは違うと思います。あのような無謀な作業は罪であると思います。
故意でなくても責任を取らされるかわいそうな人は世の中にたくさんいます。

税金をはらって、いざという時に助けにきてくれたレスキュー隊が、あのチームだったら僕は絶対に嫌です。

この事故について詳しい方、レスキュー隊について詳しい方、是非考えを聞かせてください。

あのときの腹立たしさが、今でも忘れられません。

A 回答 (3件)

一生懸命救出しようとしたのだから許される、などということはありません。


謝った救出手段が原因で人命が失われた場合、レスキュー隊の現場責任者は、当然、過失致死責任を問われることとなります。

お話のような場合で考えると、
5トンクレーンで11トン車を引き起こすのは本当に不可能なのか(吊り上げるわけではないので)
不可能な場合、他クレーン車の手配は出来なかったか。
手配に時間がかかる見込みの場合、閉じ込められている人命を救うことが出来たか。
など、要するに最善の手段を用いたかどうかが争点となります。

事故の目撃者として「レスキュー隊責任者が何らかの処分をうけて然るべき」とお考えであるならば、管轄行政(松坂市)へ苦情を申し立て説明を求めてはいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

目撃者として、あのときの救助活動には納得できない部分が多すぎるので、thisawayさんの助言のように、行政に問いかけてみたいと思います。

最善の手段を用いたかどうかが争点になる・・・

ほんとにそうですね。勝手に自分の思いばかりしゃべってしまいました。

適確な回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/12 21:53

>しかし、「プロ」ならばその状況下で出来る最良の手段を迅速に判断しなければならないと思います。



ひとつの事例を取り上げて結果論で正しかったかどうかは判断できません。
太いワイヤーだって適切な判断だったのかもしれません。
クレーンの規格外のものだから最初から使わなかった、そんなことは
一般人から見た判断ではわかりません。そんな状況下で適当にやると思いますか?
素人目で非難することは簡単です。


>奉仕ではなく、自ら仕事にやりがいや使命感を感じて救助活動という仕事を選ぶ人がほとんどでは?

きっかけはそういうものでしょうね。
しかし所詮、公か民間違いだけで、公の雇ったサラリーマンなわけです。
やりがいや使命感のためにやるのではなく、自分の生活のためです。
そういった目に見えない精神的充足は後からついてくるものです。
生活のために命をかけて仕事をする、公務員は「奉仕する」となっていますが、
彼らはまさにその典型だと思います。
危険で、しかも時間を問わず、特殊な技術を要する、誰も触れたくないようなもの
見たくないようなものを目の当たりにする。「やりたくもないものもやる」(消防署員談)、奉仕以外の何者でもありません。
そういった職業を設けざるをえない、そういう人がいなければならない状況を
作っている人の方が罪です。事故を起こす人間が悪い。事故に巻き込まれた人間も運が悪い(または悪い)。

マスコミの論調のように、結果的にダメだったやり場のない怒りをレスキューに向けたとしか見えません。
もちろんプロであり、同業の人であればこの批判は意味をなしますが。
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そうですか。

それは質問者様の主観ですね。

私の主観は以下の通りです。
彼らは一生懸命であることには変わりありません。
一生懸命に救出することを考えての行動であると思います。
彼らは非常に厳しい状況下で迅速な判断を迫られます。
その決断が書き込みのようになったのでしょうね。
それが失敗になったのは結果論であって、成功していたらどうでしょう?

私の推測ですが、今回は絶望的な状況にも関わらず、望みをつないでの
行動であると思います。深刻な事故であればあるほど、被害に遭った人も
申告に生命に関わります。その場ではある程度のリスク・犠牲を払ってでも
いち速く助けられる方法を考え、決断したのだと思います。
まあ、どこかにクレーン車を依頼していたら受傷者はタイムアップでしょう。
その間彼らは待ちつづけて周りを取り囲んで見てれば良かったのでしょうか?
「生きてるか死んでるかわかりませんが、作業で死ぬ可能性もあるのでとりあえず
安全にいけるクレーンを待ってみましょう。中から出てきたら生死はわかりますから」
と関係者に説明すれば良かったのでしょうか。
それでは死者と推定された人の遺体回収作業と全く変わりません。

できるかわからないが、可能性があるとプロが判断して何とか救出しようとした。
私には適切な判断であるとしか思えません。素人から無理だとヤジをとばされても
プロの目には無理とは言い切れないと判断した、それまでです。

レスキューは重大な過失があれば責任はとらざるを得ないでしょう。
しかし彼らも危険を顧みずに「国民に奉仕」しているわけです。
それも修羅場を潜り抜けてきたプロです。そんな彼らを信頼できないのであれば
ご自身で関係者となって改革するのが良いかもしれません。

この回答への補足

すいません。言葉が足りませんでした。

確かに、リスク無しのすべてに安全を最優先した作業では、間に合わないケースはあると思われます。

しかし、「プロ」ならばその状況下で出来る最良の手段を迅速に判断しなければならないと思います。

ワイヤーが切れた後に、レスキュー隊がとった行動は、太いワイヤーをかけ直すことでした。あるならなぜ使わなかったのか?いち早く助けようとしてあせっていたから?気がつかなかった?

そんな言い訳はプロには許されないのではないでしょうか。

回答者様の考えは間違っていないと思います。リスクを承知で作業を必要とすることもあると思います。しかし、リスクとは危険を意味するので、その不安要素を1つでも消す努力を怠った今回の救出作業は、家族が見ている前で、あまりにもひどすぎたと思います。

あとであの作業が最善でした、と自信を持って説明できないような作業をするのは、修羅場をくぐりぬけてきたプロがすることではないと思います。
もし仮に、あの作業が最善でした、と今回のレスキュー隊が答えるなら現場で見ていた誰もが首をかしげるでしょう。

国民に奉仕という言葉は少し違和感を感じます。
危険をかえりみず、人命救助にあたる仕事を選んだ人すべてにあてはまらないかもしれませんが、救助できたときの達成感、家族に感謝される喜びを感じるにはそれ相当の責任が伴うことは承知のはずです。
やってみなくてはわからない気分で救助作業を行ってもらっては困ります。
奉仕ではなく、自ら仕事にやりがいや使命感を感じて救助活動という仕事を選ぶ人がほとんどでは?
逆に奉仕してあげてる感で、人命に関わる仕事をしている人はちょっとおかしいんじゃないかと思います。

補足日時:2005/07/12 21:15
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