【コナン30周年】嘘でしょ!?と思った○○周年を教えて【ハルヒ20周年】

江戸時代の養子って、「親がどこかの家に子供をあげる」
と単純に解釈していいのでしょうか??

その時、名前は、誰がつけているんでしょうか?
実の父母が名前をつけて、それで養子に出しているのでしょうか?

あと、昔は養子に出すことなんて当たり前だったのでしょうか?

お判りになる方、是非おしえてください

A 回答 (3件)

江戸時代の養子といっても武家と町人とは大きな相違があります。


武家の場合家の存続に関係する重大事です。
跡継ぎがなければ大抵取りつぶしになり路頭に迷う事になります。
また跡継ぎの出来が悪ければ減封や出世も出来ないという事もあるわけです。
反対に才能があれば立身出世の可能性もあります。
従って事前の調査も入念に行われるのが普通でした。

一方町人の場合はそれ程深刻ではありませんでしたが、やはり養子縁組は家の将来を左右する事に変わりはありません。 見習い期間をおくとか、勘当して取り替えるなどの手段はありました。
丁稚奉公制度を利用して人柄を見定めることもよく行われました。

赤子や年少の場合、実父母は縁を切って出しますから名前は養父母がつけます。
養子であることは秘密にするものです。

養子に出すことは当たり前の慣行ではありません。
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この回答へのお礼

ご返答ありがとうございます。
町人に関していろいろと調べることがあったものですから・・・。

大変参考になりました。

お礼日時:2005/07/18 20:52

大きな書き落としがありました。


補足です。

武家の場合、長男以外は長男に万一の事があった時の家の跡継ぎのスペアの意味しかありませんでした。
長男が健常であれば、一生寄生の生活を送ることになります。
いわゆる冷や飯食いの生活ですから、それを嫌う気骨のある人は自分で積極的に養子先を開拓したものです。
親類も後押ししました。
その意味で武家の場合養子にでるのは当たり前でした。 この場合姓は養父の姓を継ぎます。
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「親がどこかの家に子供をあげる」と単純に解釈してはいけないと思います。

 江戸時代大名家では跡取りがいないとお家断絶になってしまうので、弟や親戚一族を養子にしたケースもままあったみたいですから。
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