出産前後の痔にはご注意!

子供の頃は、大人になった今よりもいろんなことが楽しく感じられたことでしょう。
あなたには、どんな楽しかった遊びがありましたか?
あなたには、どんな楽しかった思い出がありますか?
ちなみに、私は、缶けりや田んぼでサッカー(ボールが何処に行くか解りづらい。凸凹していて楽しい。草があって倒れてもそっと柔らかい。)などが楽しかった。
それとか、さらに幼い頃にやってたのが、いろんなところに数を1.2.3.4....50位までと書いていって、あとからそれが何処だったか1から順にたどっていく記憶力ゲーム。

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A 回答 (12件中1~10件)

私が子供の頃はTVゲームなんてありませんから、もっぱら外で暗くなるまで遊んでいましたね。


学校も放課後はグランドが遊び場でした。

懐かしい気持ちで思い出してみると次の通りかな。
他にもあったと思いますが、取り敢えず・・・・
「缶けり」は外しました。

※「漢字名」は分かりません。(笑)
※ついでにとてもローカルです。

■かいせん
原っぱに足で大きな田の字の線を引く。この時真ん中の十部分は二重線。
参加者は二重線以外の□の部分だけを飛んで田の字を十周する。
で、オニを決め、オニは飛んで廻る参加者をタッチで捕まえる。
但し、オニは二重線内でしか移動できない。
大人数でやると疲れるけど楽しいです。


■6むし
2つベースを往復する野球&ドッジボールのようなもの。
但し使うボールはソフトボールくらいのゴムボール。
攻守の2チームにわかれて、2つのベースを6往復する。
何故「むし」というのかは不詳。


■がんばこ
2人でドッジボールを使うゲーム。
2人の間に小さな円を書き、先行者からボールを円にバウンドさせて、
相手に飛ばす。
相手もボールを受けたら、円にバウンドさせて返す。
使う手は片手のみ。
円を外れたり、受けられなかったら負け。バウンドさせる時に
スピードを変化させたり、方向を少し変えるのがミソ。


■てんか
2人でドッジボールを交互に投げあうゲーム。
先行を先にジャンケン等で決め、先行者は最初は両手でやさしく投げる。
スピード/角度は自由。
2人のうち先に誰かが「片手受け」「指受け」「十字受け」等、
可能な限り受け手の形を変化させて受け取り、返されたら
相手はその「技」の通りに受けなければならない。
出来ないと負け。
もちろん、ボールを受けられなかったら負け。
大人数で順々に先行者に挑む。


■どこ行き
方向オンチの人は駄目。
自転車に乗って、それまで行った事の無い道をどんどん走っていく。
いわば「迷子になってみよう」というゲーム感覚なチャリンコ散歩。
当然 道を覚えないと帰って来られない。
でもこれで新しい道や近道等を知った。

こんなところかな。


おまけで

●「おまめ」
ゲームの事ではありません。

参加者の内、ある者に付いてはこう呼んで一緒に遊びました。
例えば友達の弟や妹、自分達より小さい子。
一緒に遊んでも「捕まえる」系については、この子達は小さいからすぐに
捕まってしまう。
でも「オニ」にさせるには可愛そうでしょ。
だから一緒に遊んで同じ様に捕まえるけど、お前はオマメだからいいよ。
という小さい子用のオニ免罪符。

本気でやりあうのは当然同じ年のやつら。

こういう暗黙のルールが今思うととても暖かい気がしています。


では。
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この回答へのお礼

>私が子供の頃はTVゲームなんてありませんから、もっぱら外で暗くなるまで遊んでいましたね。
私思うのですが、実はその方が楽しいのです。ゲームを解しての友達付き合いをしていてばかりでは、人として本当に大切なことは子供時代に身に染みません。人と自然の中で遊ぶのが、遊びと共に人を大事にすることとか、人の弱さ(自分も含めて) を知ることや、弱いものや年下の人をいたわる事とか、そういう大切なことを知ると思います。そしてそれはなぜ大切か思考することにより、そしてそれらのことから、自分が何のために生まれ、何のために生きるかが解ってきます。大人になった今でも、そんなことがしっかりとできず、頭ばかりよくて自分さえよければよい大人がなんと沢山いることでしょうか。日々の悩みの種です。
>●「おまめ」
優しい心はきっと、その年下の子の中にすばらしい価値として残りその人に触れ合う人々の中に浸透していくでしょう。もちろん「おまめ」と位置づけられていた、その子達の子供にも。中にはその心を更にダイナミックに社会の中に発展させていく人も出てくるでしょう。それは社会理念や人の思想や社会の中の更に価値のある思想へと発展してゆくことでしょう。北欧の社会思想のように。

お礼日時:2005/09/16 17:33

#11です。


再び思い出したことがあるので、笑いのネタにして下さい。

☆ケサランパサランの飼育→「おしろい」で育つと言われていたケサランパサラン(知ってますか?)、おしろいが見当たらなかったので、小麦粉をかけました。そのうちどこかに行ってしまいました。

☆まりも増殖??→観光地で購入した「まりも」、子供心に「増えないかな~」とワクワクしていましたが一向に増える気配はなし(あたりまえ)。
何を思ったのか、まりもをちぎって「子供まりも」
を誕生させました。

その後、どうなったかは記憶にありません。

そんな私の親が言った言葉
「あんたは他の子供と違っていた。。。」

自分でもそう思います。
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この回答へのお礼

>ケサランパサランの飼育
ケサランパサランって、livlyislandのケセランパサランでしょうか?実体は私さっぱり分かりません。それは生き物なんでしょうか?
>まりも
子供まりもは、まあるくなったのかな?自分の育ててた、まりもはパカッと割れて其れきり元気が無くなってしまいました。
>「あんたは他の子供と違っていた。。。」
きっと、ご兄弟(ご姉妹)とは異なる遺伝子対を授かったのかもしれない可能性が。別に気にすることは一切ありません。皆平等ですから。
有難う御座いました。

お礼日時:2005/09/18 22:26

30代半ばです。


皆様の回答、懐かしく拝見させて戴きました。
かなり特殊な(?)遊びですが、想い出の一つとして書かせて戴きます。

☆クラゲ狩り→海辺に浮遊しているクラゲを捕まえて遊んでいました。当時私は小学校低学年(それ以下かも?)で「クラゲ」の存在を知りませんでした。そのため、何なのかわからず友人と二人で『ゼラチン王子』と呼んでいました(バカ)なでまわしてクラゲの水分を飛ばしてしまったことがあります。今考えればよく刺されなかったな~と思います。

☆ヒトデ狩り→近所の埠頭に「チカ釣り」によく出かけました。その時たま~に針にかかるのが「ヒトデ」でした。そんなヒトデをひっくり返して、触手に小石を置き、小石が移動するのをじーっと見ていました。

かなり不思議な子供でした。
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この回答へのお礼

>クラゲ
危なかったですね~。刺されずに済んだ事が、奇跡的に思えてしまいました。素手だったんでしょうか。子供の頃って、後から思うと、運が良かったとか奇跡的としか思えないことって、誰にも1つ2つあるんですよね~。子供は知りませんから~。
>ヒトデ
私も釣りに行ったとき、ひ.と.で......釣ってしまいました。回答者様は釣っただけでなく、すぐに研究の対象に持っていってしまう所が、なかなか凄いって思ってしまいました。まさにずばり不思議ちゃんです。

不思議さん?は、着眼点やセンスが一般人とは違うかもしれないので、普段の当たり前の中に天才的な才能がすでに開花してるかも?

お礼日時:2005/09/17 23:25

>子供の頃は、大人になった今よりもいろんなことが楽しく感じられたことでしょう。


子供のころの流れた時間て濃かったですよね。
1年が今の20倍くらいあった気がします。

>あなたには、どんな楽しかった遊びがありましたか?

■お医者さんごっこ

小学生の低学年、病弱な子だったから、わりと風邪ひいたりして、よく家の座敷に
布団敷いて寝かされてました。
たしか、母は教師を退職して生保の外交かなんかをはじめていましたね。

いとこの女の子が学校の給食のパンとか持ってきてくれて、枕元に拡げた
講談社の「世界童話文学全集」のなかから、好き勝手な本を選んでしばらく
黙ってから読んで
「それじゃ私帰るね。」といって帰っていきます。
その日も、30分ほど童話に読みふけっていた彼女が
不意に、何を思ったのか
「ねえ、おなか痛いでしょう。みせてごらんよ。」
そういわれて、気の弱い僕は、なんだか痛いような気がして、
パジャマをめくって腹部を露出しました。
「ちょっと待ってて」
従姉は、だいどころから漏斗をもってきておなかにつけて
耳をあてて音を聴いています。
「おもしろいわ。キュルキュル音がする。・・・もうちょっと下も」
そういわれて、彼女はパンツをさげて僕の性器を眺めました。
「ふーん。」
感慨深げというよりわざと診察する医師のような口調で、それを見つめ、
ぼくはなんだか嬉しかったのを覚えています。

「〇〇ちゃんも診てあげるから・・」
「いいわよ。あなたが病人。私はお医者さん」
そういって彼女は交代してくれません。
それが、最後にやったお医者さんごっこ。


>あなたには、どんな楽しかった思い出がありますか?
■三角ベース

家の近くに製材所があって、貯木場には、ラワンの原木が積まれていて
木の置かれないスペースが子供たちが草野球をやるのに格好のスペースで
した。高学年になる頃には、まともな男の子になっていた私も
当時のヒーロー王貞治や長嶋茂雄にあこがれ、暇があれば三角ベースで
野球ごっこ。
ボールも、テニスの軟球を使っていて、バットはビニール。グローブなどなくても
6人集まれば遊べました。キャッチャーは攻撃側の一人が兼業。
ですから、ホームベースへの送球はピッチャーが受けるしかないです。
満塁になったら、板を立ててそこにぶつけてましたね。
審判ですか?だいたい遊んでいると、製材所の兄ちゃんがからかい半分に
審判やってくれたりしましたが、すぐに飽きて、
「おい、オレに打たせろ」
そういっていつも即席バッティングセンターにさせられてしまいます。
兄ちゃんが力任せに売ったテニスボールは必ず、近くのドブ川に落っこちて
僕らは、ズボンの裾をまくってボールを拾いに川に入ります。
汚い下水路のような川底は得たいのしれないヌルヌルしたものが付着して
はだしの足にその感触が伝わります。
水深は浅く、川には、工事現場の瓦礫みたいなものや古い自転車が
捨ててあったりしました。コンクリートの瓦礫を足場にボールまでたどり着いて
広いあげる頃にはまた新しいボールが飛んできます。
ひとしきり遊んだあとは、製材所の事務室で三ツ矢サイダーとかを出して
くれて、飲ませてもらうのです。
製材所には、当時めずらしいポインターとアメリカンコッカースパニエルがいて
せっかくひろいあげたボールを追いかけまわし噛み付いて穴をあけてしまう。
製材所のオヤジがプロレスラーみたいな大男で、奥さんが二匹の猟犬いじょうに
田舎に不釣合いな若い美人でした。


>ちなみに、私は、缶けりや田んぼでサッカーなどが楽しかった。
缶蹴りは、つまらなかった。だって足の遅いドンくさい私がいつでも鬼をやらされて
いつでも意地悪なガキ大将に缶をけられて、泣いて帰っていました。
「おまえは「お豆腐」(お味噌とかいう地方も)でいいから。」
「いやだ。お豆腐はタケちゃんだけでいい」
そういいながら、いつも鬼ばかりで泣いて帰る。

田んぼ、ことに用水路はこどもの遊びの宝庫でしたね。
カエルを捕まえて、その後禁止された2B弾という爆発花火をケツに突っ込んで
うろたえるカエルが爆死うるのを楽しんだり、その肉を引き裂いて、糸につけて
ザリガニ釣ってみたり、台風で大水がでて迷い込んだ雷魚をおいかけて素手で
捕まえたり、まぁひどい遊びばかりでしたねぇ。

あと、雨の日にはプロレスごっこ。
当時、4の字固めとか、回転えび固めとか、まだ猪木のコブラツイストなど出るまえ
でしたから、よく弟に技をかけて泣かしてました。
しっかし、ほんと貧しい時代だけに、金も道具もいらない遊びばかりですね。
今は、道具に何万もレッスンに何千円もコースにでれば2万も3万もかかる遊び
に熱中してますが、一向に上手にならないです。
お医者さんごっこも、子供のときに十分にやってなかったせいか大人になっても
へたくそで、失敗ばかりでした。

TVゲームはおろか下手をするとTVすらなかった時代ですから。ぼくら、金曜日になるとお菓子を持って近所の家にプロレス中継みせてもらいに行ってました。
ゲームといえば、野球盤
それと将棋ですよ。なつかしいなぁ
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この回答へのお礼

プロレスにお医者さんごっこですか。
かえるは相当な受難。大人になると、ああ、取り返しの付かないことをしてしまったことに心が痛みます。
極覇典型的な男の子のはっちゃけさんぶりと言えば良いのでしょうか????
かえるのご冥福をお祈りします。

お礼日時:2005/09/16 21:05

強く印象に残っているもの。



○缶けり
○パッチ(いわゆる「メンコ」)
○ラムネ(いわゆる「ビー玉」)
○蛙獲り
○魚掬い
○城作り(いわゆる「かまくら」)
○雪合戦
○巡査ごっこ
○ちゃんばら
○時には女の子に混じって「おはじき」「お手玉」
○竹の輪回し

○陣地作り
:鉄工所などの空地の草むらに放置されている廃材(子供数人が入れるような大型のものもあった)を利用して、仲間の「別荘」にする。
色んな仕掛けを作って、「敵」が来たら縄を引いて上から石が落ちてくるようにしたり、「落とし穴」を作ったりする。

○乗り馬
:まず1人が壁に背中をつけて立ち「基点」となる。
一番目の「馬」はその人の腰に手を回して前屈みになり、次の人は1番めの人が突き出しているお尻の背後から腰に手を回し、しっかり固定する。
これを繰返して、人が乗る為の背を連ねた「長い馬」を作る。
「乗り役」は後ろから助走をつけて、ねるべく前を目がけて「馬」に飛び乗る。
(後に何人も続くので、そのためのスペースを空ける為)
通常はスペースが少ないので、「馬」の」上に折り重なるような状態になる。
重みで「馬」が潰れると、同じ構成で再開する。
「馬」が潰れない時は、一番最後に飛び乗った者が、壁際で立っている「基点」と「じゃんけん」をする。
「あいこ」が続くと、重さを耐えている「馬」から「はえぐ(早く)すれ、はえぐ!」と悲鳴が上る。
勝てばまた「乗り役」になれ、負けた「基点」は「馬」の最後尾に付き、「乗り役昇進」までの長い道のりを再び歩む事になる。
「乗り役」が負ければ、これと逆になる。

○蹴り馬
:3人一組で「馬」を作る。
左右に立った者の腰の間の後ろから前へ向けて1人が頭だけを突き出し、両腕を左右の者の背後から腰に回してしっかり引き寄せ、腰を折って背を地面と水平にし、人が乗る為のスペースを作る。
この状態であちこちへ動く「馬の背」めがけて、周囲の数人が後ろから飛び乗る。
「馬」は、その気配を感じたら背に乗られる前に足を後ろへ蹴り、飛び乗ってくる者を蹴り飛ばす。
蹴る事ができなければ、何人も乗せたまま動き回らなければならない。
蹴られた者が、次の「馬構成員」の1人に「格下げ」され、現在の「馬」は「乗り役」に出世できる。
重さに耐えかねて潰れたら、また「馬」として最初からやり直す。

「馬」が首を下に向けたりして、直接背後の様子を窺う事は禁止。
「今見た。ずれえ、ずれえ。」「何も見でね。嘘こくな!」という応酬がたまに発生する。
両側の者が馬の体を叩いて、蹴るタイミングを知らせたりするのは可。
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この回答へのお礼

>○雪合戦
雪の降る地方の方かと存じます。
>○巡査ごっこ
どんな遊びでしょうか?
>○時には女の子に混じって「おはじき」「お手玉」
今考えると羨ましい。
具体的な御内容拝見いたしますと、なかなかワイルドな遊びがご嗜好かと。
ありがとう。

お礼日時:2005/09/16 16:40

30代前半です。


私は、近くの山の中を探検するのが好きでした。そこには、野うさぎやムササビ等の動物がいたり、ワラビやゼンマイ等の山菜があったりと、子供の私にとってはおとぎ話の様な場所でした。
また、ゴルフ場も近くにあったので、ロストボールを拾いに行ったりしていました。特にオレンジ、黄色、赤の蛍光ボールは珍しく、コレクションにしていました。大人になって知ったのですが、当該行為は刑法上の窃盗罪に該当するみたいです。
更に、洞窟もいくつかあったので、その中を泥だらけになりながら探検したりしました。私にとって、その洞窟探検が子供の頃最も楽しい遊びです。今でももう一度してみたいですね。
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この回答へのお礼

すばらしいロケーションの中、成長されたみたいですね。
>山の中を探検
私が山の中を探検したのは、かれこれ宿泊訓練(臨間学校)の時くらいです。あの時とても面白くて、後1週間ぐらいいたかった。いろんな人の見たことのない一面を見れたりとか、女の子と一緒に自然の中を体験できたりとか。滝があったりとか、電柱のない空を見れたりとか、雲が近くに感じられたりとか、朝霧が出ていたりとか、落ち葉が舞って沢に落ちるその間に自分がいたりとか、木漏れ日の中散歩できたりとか、木陰に入ると急にひんやりしたりとか、流れる水が透明だったりとか、とにかく様々なことが清冽な澄みきった感覚としてはいってくるです。それが毎日なんて。自然には嘘偽りはありません。
>野うさぎやムササビ等
野生のムササビはいまだかつて見たことありません。野うさぎも。羨ましい。どきどきするんでしょうねえ。きっと。
>ワラビやゼンマイ等の山菜
大人になってもその選別知識は残りますので一生楽しめる土台になってますね。羨ましい。
>洞窟もいくつかあったので..........
な、な、なんと!夏なんて涼しいんでしょうね。

ほんと、小学館のBEPALの世界がそのまま残されている環境ではないですか!
自然そのものの姿を見られてその中で成長されたことは、きっと一生心の中のお宝でしょう。いいなあって思います。

お礼日時:2005/09/16 17:04

これね、出来れば今からでも流行らせて欲しいんですけど・・・


「チャリンコゲーム」(仮称)

ロケーション:
町中の公園や土手、橋の下等、どこでも良いです。
出来れば障害物や行き止まりがあったほうが盛りあがります。
最低5m四方~20m四方くらいの場所でココの範囲内と
仕切れると良いです。

遊び方:2~何人でも
決めた範囲内で数名で自転車に同時に乗り、
足を地面に付いた者が負け。最後まで生き残れば優勝。
いたって単純です。
但し、相手に触ってはいけません。
範囲をオーバーしてもアウト。
人の進行方向を塞いだり、いきなり目の前でウィリーしたり
ジャックナイフしたり驚かせるのは有り。
障害物を使って、乗り上げて逃げたりもアリ。
判定が難しいのはもたれそうになった時。
双方がもたれ方向にガマンしてると転倒、ケガします。
その場で勝手にルール作ってください。

こんな遊びでも自転車乗りとしてかなり上手になれます。

私は公園のベンチくらいなら乗ったり飛び降りたり、
ジャックナイフターンや前輪を固定したまま、
後輪を弾ませてターンしたり等トライアル技が出来る様になったのも
この遊びが切っ掛けでした。

大人の方でも是非お試しあれ。
熱くなりますよ。
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この回答へのお礼

面白そうですね。それは!
乗ってる自転車は、BMXですか?
でも
>私は公園のベンチくらいなら乗ったり飛び降りたり、
ジャックナイフターンや前輪を固定したまま、
後輪を弾ませてターンしたり等トライアル技が出来る様になったのも
この遊びが切っ掛けでした。
↑こんなことができちゃうなんてすごいですね。
将来は、トライアルバイクとかをやってみたいって思ってますか?
精神を集中して楽しむものってはまりますよね。
ありがとう。

お礼日時:2005/09/16 13:52

子供の頃の楽しかった遊びって、なんだったのかなぁーと考えていました。


思い出されたのは、棒倒しゲーム・・・
外で何人かの友達と、棒を持ち道を歩いていき、二股とか、交差点とかの道にきたら、棒を倒して、どっちの道へ行くかを決める遊びです。
けっこう楽しくて時間のたつのも忘れて、やっていましたね。そーしたら、あるとき見知らぬ町まで行ってしまい、警察のお世話になりました。
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この回答へのお礼

なんと、風任せなプチツアーですね。
>警察のお世話になりました。
相当のはまりようが、う、か、が、え、ま、す。幸福な時間だったのでしょうね。今思い起こすと。
子供の頃の発想はフレキシブル!有る意味天才だ。ありがとう。

お礼日時:2005/09/16 11:28

40代半ばです。


冬場、山の日陰の田んぼに水をひき、天然のスケート場にして遊びました。スケート靴はなかったけれど、なかなか楽しかった。
同じく冬、氷の張った沼での石投げ!キュンキュンという音をたてて、石が滑っていく・・。
缶けり!やりましたね、帽子を取り替えてみたり、服を変えたりして「人間違い」といい、もう一度鬼をやらせたり、全員で攻撃したり、とにかく「お金にかからない遊び」だったな。
そういえば
「ガキ大将」という存在はいつごろ無くなってしまったんだろう??
成人式・・当時中学が一つで、400人くらい同窓生がいて、式終了後はクラス会があり、全部のクラスに顔をだしておきながら、「会費」は払わずにそのまま。果たして誰が払ったのだろう?
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この回答へのお礼

田んぼに水を引いちゃうなんて、ダイナミック!石投げは、は、はまるんですよねー。普段に日常では見れない新しい感覚に触れられます。よね。今でもやってみたい。私は、氷に棒で穴を開けて広い池の氷全体を動かした時には、驚きでした。
>服を変えたりして「人間違い」.........
早とちりの鬼の裏を読みきった戦法ですね。唯一派手な服が有効に働く時です。やりましたよ~。
今の子と昔と、昔のほうが楽しめたなあ。脳もめいっぱい使ってるのが実感できたし。またそんな日が。ありがとう。

お礼日時:2005/09/16 11:22

おはようございます。



今では殆ど不可能かも知れませんが、山や川で基地を作っていましたね。
缶蹴りなども当然やってましたけど、たいてい基地を拠点に山に登ったりです。

後サッカーボールが入る穴を掘って、サッカーゴルフ?なんぞというゲームを作ってました
町内で決まったルートを河原(水がなかった)を蹴って、全長数kmの道のりを~です
今ではこっちは完全に不可能だと思いますね
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この回答へのお礼

山が近くにある人って羨ましかったなあ。何せ自分の住んでたとこから山まではざっと20km以上あるからね。子供の頃はやっぱり海より山です。絶対。空気はいいし。起伏に富んでいるし。水はきれいだし。羨ましいなあ。とっても気の長いゲームですね。

お礼日時:2005/09/16 11:10

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Q小さい頃を思い出すと泣けてきます

小さい頃を思い出すと泣けてきます。
毎回、涙が出てきます。

これって精神的にあまり健康でない状態ですか?
不健康な状態であれば、
どうすれば良くなるでしょうか?

思い出す内容は、子供のころ辛かった記憶が多い気がします。
恋人とケンカした後、思い出すことが多いです。

漠然とした質問ですが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

初めに、体験談が主なので非常に長文な事をお詫びを致します。m(_ _)m


>これって精神的にあまり健康でない状態ですか?

はい。良くありません。
子供時代、泣きたかったときに涙を堪えていたあなたが、恋人と喧嘩して孤独になったときに、記憶の淵から蘇ってきて、あなたを泣かせているんです。

「泣いちゃいけない。辛いと思ってはいけない。甘えちゃいけない」
色々禁止して我慢していた 心の中の子供のままのあなたが、泣き叫んでいるんです。また独りぼっちになるのが怖くて泣いているんです。


>どうすれば良くなるでしょうか?

私の場合、母との関係が上手く行っていませんでした。
実家は父親が酒乱で、母はその父の暴力から子供達を守る砦のようでもあったけれど、私が本当に傷ついていたのは、父の暴力ではなくて母の暴言でした。でも、母は私たち姉妹を父の暴力から救ってくれる人。
そんな母が私を愛していないなどと言うことはないと、どのような暴言を吐かれても自分が悪いのだと、母は悪くないんだと、見捨てられたくない一心で母を信じて来ました。

でも、母が心から可愛いと思っていたのは長姉と妹でした。
それを聞かされたのは、妹の結婚式の時でした。
「あんたと△△(次姉)には悪いけれど、お父さん、やっぱり○○(長姉)と××(妹)が可愛いのよ」と泣きながら語っていました。
…心が凍り付きそうでした。

もう、途中から気が付いていました。
母が、「お父さんが~」と言うのは、自分が思っていることなのです。
母は自分を良く見せたいから、その様なことを平然と言うのです。

何故だか母は、私たち姉妹にしてきたことと同じ事を、自分の孫達にもします。母は孫にも“長子と末子には優しい”のです。
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次姉の下二人の子と、私の下の子には、幼い頃から決して許されないことなのにです。

母の訳の分からない法則には、もう我慢できませんでした。
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それと同じです。私の下の子には、目の前で平気で冷酷なことを言います。
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私は、母には辛かったことは、努めて言わないようにしてきました。
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泣きながら、母の腕をたたき付けました。そんな風に取り乱したのも初めてでした。いつも母の前では感情を押し殺していました。
でも、母には私がどの様に淋しかったのか分かっては貰えませんでした。

後に次姉から聞きましたが、母は私が何故怒ったのか分からなかったそうです。それでも、母は私にも人並みに怒りや悲しみがあると言うことだけは理解してくれたようです。以前のような皮肉や嫌味は言わなくなりました。下の子にも優しくなりました。
何故、私が怒ったのかは完全には分からなくても、何か悪いことをして悲しませていたのだと思ってくれたようです。

質問者さんの場合は、精神科に行って親子でカウンセリングというのが理想的なのでしょうが、私は長年押し殺してきた感情を母親にぶつける事によって、呪縛から解かれたように思えます。
全部は分かって貰えなくても、母が変わってくれたのは、母が私にすまないと感じてくれたからなんです。本当に欲しかった言葉は、
「それはすまなかったね。寂しい思いをさせてごめんね」だったのですが、母の“ごめんね”は時折伝わってきます。

暑い中、足が悪いのに歩いて果物を届けてくれたり、お米を妹に届けさせたり…。不器用で変に馬鹿正直なところもある人だけれど、やはり母のことは憎みきれません。母には大切にされていた、可愛がられていた時期があったのも確かだし、幼い頃母が大好きだったのも事実ですから。

私の母への怒りが爆発したとき、父はもう、この世にいませんでした。
父は晩年は良いお祖父さんで、私の良き理解者でした。
子育てに悩む私を励ましてくれたり、夜泣きする息子を上手にあやしてくれました。
幼い頃の私は両親が大好きで、特に父は母よりも好きでした。
晩年の父は、私が幼い頃の父そのものでした。
なのに、あんなに父を憎く思ってしまったのは、父が酒乱で暴力を振るっていただけではなかったのです。父を憎むことで母が自分から離れていくのを引き留めようとしていたのです。

色んな事が分かってくると、心が楽になりました。
質問者さんも、ご両親に思い切って辛かったことを打ち明けると心が楽になると思います。ほんの少しでも伝われば、何かスルスル解けていくのが感じられると思います。

初めに、体験談が主なので非常に長文な事をお詫びを致します。m(_ _)m


>これって精神的にあまり健康でない状態ですか?

はい。良くありません。
子供時代、泣きたかったときに涙を堪えていたあなたが、恋人と喧嘩して孤独になったときに、記憶の淵から蘇ってきて、あなたを泣かせているんです。

「泣いちゃいけない。辛いと思ってはいけない。甘えちゃいけない」
色々禁止して我慢していた 心の中の子供のままのあなたが、泣き叫んでいるんです。また独りぼっちになるのが怖くて泣いているんです。...続きを読む

Qあなたは子供の頃どんな子でしたか?

自分の小さい頃って記憶でつながってるだけで、今の自分とは別人なんじゃないかと思う事があります。人は成長とともに心も変わっていくのは当たり前でしょうけど、今でも変わらない部分もあると思います。

あなたはどんな子供でしたか?今と比べてどうですか?

・・・私は小柄でとても可愛い少年だった(笑)ので、友達にかまわれまくり、いじめられ、それが嫌で、近所の友達が遊びに誘いに来ても居留守して1人で絵を描いてるのが好きな子供でした。・・・今もどうゆうわけか家で1人で仕事してます。友達が遊びに誘いに来れば喜んで出ていきますけど、誘ってくれる友達がいませんorz

Aベストアンサー

可愛い少年だったのはmikasaさんと同じですが、私はかなり大柄でしたので「電柱」「鉄塔」などのあだ名でからわかわれたことがあります。

実家の倉庫には未だに小学生のころの成績表やテストなどが保存されているのですが、数年前これを見返して自分が小学校の低学年だったころはかなり独創的な思考の持ち主だったということを知りました。
テストではほとんど0点しかとっていません。漫画の世界です。のび太です。
内容を見ると問題がわかっていないのではなくて、問題を解かなければいけないというテストのルールそのものがわかってなかったようです。問に対して問で返す挑戦的な回答をしたり、勝手に文章問題の物語の続きを作ってたりと自由気ままな振る舞いが目につきます。
成績表の担任からの寸評には「周りとは違う見方や意見をもってる」などとかなり気遣いのあふれるコメントが書かれていました。少し自閉症の気があったのでは?と思いました。

高学年になってからは空気を読むことを覚え、学級委員や児童会長などもやりました。
卒業アルバムではクラスのなんでもランキングという企画で「勉強ができる人3位」「おもしろい人ランキングで2位」に入っております。
大阪の小学校でおもしろい人2位というのはすごいことですよあなた。これはもう世界で2位と同じ意味だと思います。

可愛い少年だったのはmikasaさんと同じですが、私はかなり大柄でしたので「電柱」「鉄塔」などのあだ名でからわかわれたことがあります。

実家の倉庫には未だに小学生のころの成績表やテストなどが保存されているのですが、数年前これを見返して自分が小学校の低学年だったころはかなり独創的な思考の持ち主だったということを知りました。
テストではほとんど0点しかとっていません。漫画の世界です。のび太です。
内容を見ると問題がわかっていないのではなくて、問題を解かなければいけないというテストのルー...続きを読む

Q子供の頃みたいな気持ちにはなれないんですかね?

子供の頃って何でもすごい熱中できますよね。
ゲームやアニメ、人との会話も楽しかったと思います。


今は何をやっても楽しくないです。
すぐに飽きるし、もうそれは秒速で。
もういいやって感じで。


やばい!これ楽しい!
あぁはやく家帰ってやりたい!


そんなワクワクしていた頃には戻れないんですかね。


子供の時は感情そのものでした。
でも少し大きくなると、我慢することが多かったからでしょうか。
感情を客観的に見て、それと自分が分離しているような……そんな気がしていました。


僕は怒ってるんだ!
っていう感覚より


あ、僕は今怒りを感じてるんだな。
みたいな感じでしょうか。


昔みたいにワクワクしたり、楽しんだり、感動したりするようにはもうなれないんですかね?

Aベストアンサー

 子供の頃というのは純心で、心にバリアのない無防備な状態だと思うんです、だから無邪気に楽しんだり、心のままに素直でいられる

なぜ無防備でいられるか、やはり親に守られているという安心感が大きいと思います、しかし無防備であるが故に少しづつ傷ついていくことも
その心にどんどん鎧を着せていく、鎧とは、大人とはこうであるとか、こうあるべきなどの規範意識、この年でこんなこと思ったら笑われるなどなど他者から見た自分を意識したりなど、
厳しい世の中を生きていく為のもの

その鎧を脱げる場所を見つける、作ると戻れるのではないでしょうか。

子供心が完璧に満たされて大人になった人を私は知りません、出会った事がありません、少なからず子供っぽいところや、傷ついた心を皆持っていると思います

だから世の経済は成り立つのだとも思います、本心は皆質問者様と同じ気持ちだと思います
本当に大人になるというのは、そういった心を解決し続けた先にあり

解決していくには、まず考え方などは大人になれたとしても、自分はまだまだ子供心が満たされていないことに気付き、それを出しても批判されない環境や人を探す、そこで大人になってからの楽しみ、感動が得られるのではないでしょうか。

これを理解してある程度満たし結婚すると、無碍に自分の子供心を満たす為に海や山へ行ったり、ゲームばかりしている親になったりすることもなく、子供の心を満たしてあげる為に子供のしたいことを優先してあげることのできる大人になれることと思います

蛇足でした。

 子供の頃というのは純心で、心にバリアのない無防備な状態だと思うんです、だから無邪気に楽しんだり、心のままに素直でいられる

なぜ無防備でいられるか、やはり親に守られているという安心感が大きいと思います、しかし無防備であるが故に少しづつ傷ついていくことも
その心にどんどん鎧を着せていく、鎧とは、大人とはこうであるとか、こうあるべきなどの規範意識、この年でこんなこと思ったら笑われるなどなど他者から見た自分を意識したりなど、
厳しい世の中を生きていく為のもの

その鎧を脱げる場所を...続きを読む

Qプロフィール

来月結婚式を控えているのですが、司会者の方にやっていただく
プロフィール紹介の内容について質問です。
どのような内容を盛り込んだら、楽しく、2人の人柄がよく分かる
プロフィール紹介になるのでしょうか。
子供の頃のエピソードなどどんな風に書けばいいのでしょうか・・

それと、もう一つ質問なのですが、挙式や披露宴での
新郎新婦がより美しく?素敵に見える立ち居振る舞いが知りたいのですが。
目線やしぐさ等・・・。
緊張して目が泳いだり、照れてうつむき加減になってしまいそうで・・・。

Aベストアンサー

#1です。補足ありがとうございます。

私たちも宿題みたいに書きました!
そしてそれをもとに、司会者さんとの打ち合わせ時に話をまとめていった感じです。
堅苦しく考えず、その当時の思い出をいくつか書いておくとうまくまとめてくれますよ。

ちなみに私は
「幼少時の思い出」・・・どこに行くのも姉妹と一緒でした
「小学校の思い出」・・・おてんばでよく自転車にのって遊びました
「中学・高校時代の思い出」・・・部活に燃えました。まさに青春!
とかこんな感じだったような。

当日はさくっと紹介されるだけなので、それなりでも大丈夫ですよ。
(いままで行かれたご友人の式でも、正直覚えてないですよね?
 出身校や今の勤め先くらいは印象に残るかもしれないけど)

がんばってください。

Q子供の頃の思い出

子供の頃の思い出で、今も強く残ってる事はありますか?
学校の先生で今の印象に残ってる先生っていますか?

Aベストアンサー

男です。
子供の頃の思い出

○親が外出していておなかがすいたので、なすを
素揚げして食べたら親のいないときに火を使うなと
怒られた
○いつもはぎりぎりまで寝ているのに日曜日は
5時過ぎには目が覚めて、バカの一つ覚えで
両親・妹の分もホットケーキを焼いて朝食としていた
○石油ストーブの真ん中の火をつける部分の上に
皿がありそこにはじめは水を入れて蒸発させて
遊んでいたのですが、何を血迷ったのかそこに
灯油を入れて部屋の中で火柱がたった、家が
焼けなくて良かった・・・
○これまた何を考えていたのか、コンセントの差込口に
1本づつ針金を差し込んだら針金が自然と近づき
接触したとたんにバチッという音と共に煙がでて
その頃ブレーカなどというものの存在を知らず
外出先から親が帰ってくると家を壊したと言いながら
泣いてわびた。今考えると感電しなくて良かった・・・
○デパートでトイレに行き大を済ませティッシュを
取ろうと中腰になって紙を巻き取っていたら紙が
はずれ体制を崩しそのまま前に突っ込んでしまい
とりあえず処理をして打ったところを両手で押さえ
トイレから出て手を見ると真っ赤に・・・(前に突っ
込んだ時に紙を切る鉄のギザギザの所で目の上を
ザックリと切っていた)それをみて死ぬかと思い
おお泣きした
すべて幼稚園から小学1・2年ぐらいのことです。
まあ、色々ありますが止まらないのでこのへんで

先生の思い出
○小学4年生の終わりに転校するときに当時の
担任のとてもやさしかった女の先生と一緒に
食事をした。
○高校の時の男の先生は女の子は触らないがすれ違う
時など男のお尻を触ったり男の体に良く触る先生
だった。いつもは頼りない先生だが、その先生が
私の得意な科目を考慮した大学受験を見つけてくれ
その大学に合格した。先生のおかげです。
また、冗談で卒業式が終わったらラーメンでも食べに
行きましょうと約束していたら、ちゃんと約束を
守ってくれ、更に人数が10人弱と多くなってしまった
のに、全額出してくれた。

男です。
子供の頃の思い出

○親が外出していておなかがすいたので、なすを
素揚げして食べたら親のいないときに火を使うなと
怒られた
○いつもはぎりぎりまで寝ているのに日曜日は
5時過ぎには目が覚めて、バカの一つ覚えで
両親・妹の分もホットケーキを焼いて朝食としていた
○石油ストーブの真ん中の火をつける部分の上に
皿がありそこにはじめは水を入れて蒸発させて
遊んでいたのですが、何を血迷ったのかそこに
灯油を入れて部屋の中で火柱がたった、家が
焼けなくて良かった・・・
○これま...続きを読む


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