プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

子供の頃は、大人になった今よりもいろんなことが楽しく感じられたことでしょう。
あなたには、どんな楽しかった遊びがありましたか?
あなたには、どんな楽しかった思い出がありますか?
ちなみに、私は、缶けりや田んぼでサッカー(ボールが何処に行くか解りづらい。凸凹していて楽しい。草があって倒れてもそっと柔らかい。)などが楽しかった。
それとか、さらに幼い頃にやってたのが、いろんなところに数を1.2.3.4....50位までと書いていって、あとからそれが何処だったか1から順にたどっていく記憶力ゲーム。

A 回答 (12件中1~10件)

スーパーマリオ現実版



当時、スーパーマリオブラザーズが流行していたので、それを近所で実践。

下水道、あぜ道、沼地の近く、裏山など、地形の入り組んだところを走り回る。
特に、下水道はすごい!!臭いのを我慢すれば、かなり楽しい。
沼地の近くでは、転倒者続出。
底なしではなかったので、おぼれる奴はいなかった。
たまに「キノコ」ならぬ、「柿」をゲットする輩も発生。
踏んづけることができず、追い掛け回される。
つかまれば、おしりペンペン♪
されるとイヤだが、見てると楽しい。

で、最後は町中を2,3週して帰宅。
泥だらけで帰ってきましたとさ♪
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この回答へのお礼

ゲームを身をもって体験してみると、凄まじい事となりますね。子供の頃って何でも楽しくっていいよね。おぶりがあと。

お礼日時:2005/09/16 11:02

私は17なんですは、小学生のころはテレビゲームですねえ・・・外で遊ぶことはあまりなかったです。

友達の家に遊びに行っても、人生ゲームとかやっぱりテレビゲームです。

でもやっぱり何でしょうか・・・確かに楽しいけれど心に残るくらい楽しかった!とは思えませんね・・・寂しいー!!
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この回答へのお礼

自分のうちはあんまり裕福でなく、ゲームソフトを買ってばかりいられないから、ゲーム機買ってもらったことがなかった。だから周りの人がゲーム談議しててもよくわかんなくて寂しかったな。でもそんな中でもその辺を心している人の心に触れられたのが、お宝だなあって。人間だなあってね。ありがとう。

お礼日時:2005/09/16 11:06

おはようございます。



今では殆ど不可能かも知れませんが、山や川で基地を作っていましたね。
缶蹴りなども当然やってましたけど、たいてい基地を拠点に山に登ったりです。

後サッカーボールが入る穴を掘って、サッカーゴルフ?なんぞというゲームを作ってました
町内で決まったルートを河原(水がなかった)を蹴って、全長数kmの道のりを~です
今ではこっちは完全に不可能だと思いますね
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この回答へのお礼

山が近くにある人って羨ましかったなあ。何せ自分の住んでたとこから山まではざっと20km以上あるからね。子供の頃はやっぱり海より山です。絶対。空気はいいし。起伏に富んでいるし。水はきれいだし。羨ましいなあ。とっても気の長いゲームですね。

お礼日時:2005/09/16 11:10

40代半ばです。


冬場、山の日陰の田んぼに水をひき、天然のスケート場にして遊びました。スケート靴はなかったけれど、なかなか楽しかった。
同じく冬、氷の張った沼での石投げ!キュンキュンという音をたてて、石が滑っていく・・。
缶けり!やりましたね、帽子を取り替えてみたり、服を変えたりして「人間違い」といい、もう一度鬼をやらせたり、全員で攻撃したり、とにかく「お金にかからない遊び」だったな。
そういえば
「ガキ大将」という存在はいつごろ無くなってしまったんだろう??
成人式・・当時中学が一つで、400人くらい同窓生がいて、式終了後はクラス会があり、全部のクラスに顔をだしておきながら、「会費」は払わずにそのまま。果たして誰が払ったのだろう?
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この回答へのお礼

田んぼに水を引いちゃうなんて、ダイナミック!石投げは、は、はまるんですよねー。普段に日常では見れない新しい感覚に触れられます。よね。今でもやってみたい。私は、氷に棒で穴を開けて広い池の氷全体を動かした時には、驚きでした。
>服を変えたりして「人間違い」.........
早とちりの鬼の裏を読みきった戦法ですね。唯一派手な服が有効に働く時です。やりましたよ~。
今の子と昔と、昔のほうが楽しめたなあ。脳もめいっぱい使ってるのが実感できたし。またそんな日が。ありがとう。

お礼日時:2005/09/16 11:22

子供の頃の楽しかった遊びって、なんだったのかなぁーと考えていました。


思い出されたのは、棒倒しゲーム・・・
外で何人かの友達と、棒を持ち道を歩いていき、二股とか、交差点とかの道にきたら、棒を倒して、どっちの道へ行くかを決める遊びです。
けっこう楽しくて時間のたつのも忘れて、やっていましたね。そーしたら、あるとき見知らぬ町まで行ってしまい、警察のお世話になりました。
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この回答へのお礼

なんと、風任せなプチツアーですね。
>警察のお世話になりました。
相当のはまりようが、う、か、が、え、ま、す。幸福な時間だったのでしょうね。今思い起こすと。
子供の頃の発想はフレキシブル!有る意味天才だ。ありがとう。

お礼日時:2005/09/16 11:28

これね、出来れば今からでも流行らせて欲しいんですけど・・・


「チャリンコゲーム」(仮称)

ロケーション:
町中の公園や土手、橋の下等、どこでも良いです。
出来れば障害物や行き止まりがあったほうが盛りあがります。
最低5m四方~20m四方くらいの場所でココの範囲内と
仕切れると良いです。

遊び方:2~何人でも
決めた範囲内で数名で自転車に同時に乗り、
足を地面に付いた者が負け。最後まで生き残れば優勝。
いたって単純です。
但し、相手に触ってはいけません。
範囲をオーバーしてもアウト。
人の進行方向を塞いだり、いきなり目の前でウィリーしたり
ジャックナイフしたり驚かせるのは有り。
障害物を使って、乗り上げて逃げたりもアリ。
判定が難しいのはもたれそうになった時。
双方がもたれ方向にガマンしてると転倒、ケガします。
その場で勝手にルール作ってください。

こんな遊びでも自転車乗りとしてかなり上手になれます。

私は公園のベンチくらいなら乗ったり飛び降りたり、
ジャックナイフターンや前輪を固定したまま、
後輪を弾ませてターンしたり等トライアル技が出来る様になったのも
この遊びが切っ掛けでした。

大人の方でも是非お試しあれ。
熱くなりますよ。
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この回答へのお礼

面白そうですね。それは!
乗ってる自転車は、BMXですか?
でも
>私は公園のベンチくらいなら乗ったり飛び降りたり、
ジャックナイフターンや前輪を固定したまま、
後輪を弾ませてターンしたり等トライアル技が出来る様になったのも
この遊びが切っ掛けでした。
↑こんなことができちゃうなんてすごいですね。
将来は、トライアルバイクとかをやってみたいって思ってますか?
精神を集中して楽しむものってはまりますよね。
ありがとう。

お礼日時:2005/09/16 13:52

30代前半です。


私は、近くの山の中を探検するのが好きでした。そこには、野うさぎやムササビ等の動物がいたり、ワラビやゼンマイ等の山菜があったりと、子供の私にとってはおとぎ話の様な場所でした。
また、ゴルフ場も近くにあったので、ロストボールを拾いに行ったりしていました。特にオレンジ、黄色、赤の蛍光ボールは珍しく、コレクションにしていました。大人になって知ったのですが、当該行為は刑法上の窃盗罪に該当するみたいです。
更に、洞窟もいくつかあったので、その中を泥だらけになりながら探検したりしました。私にとって、その洞窟探検が子供の頃最も楽しい遊びです。今でももう一度してみたいですね。
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この回答へのお礼

すばらしいロケーションの中、成長されたみたいですね。
>山の中を探検
私が山の中を探検したのは、かれこれ宿泊訓練(臨間学校)の時くらいです。あの時とても面白くて、後1週間ぐらいいたかった。いろんな人の見たことのない一面を見れたりとか、女の子と一緒に自然の中を体験できたりとか。滝があったりとか、電柱のない空を見れたりとか、雲が近くに感じられたりとか、朝霧が出ていたりとか、落ち葉が舞って沢に落ちるその間に自分がいたりとか、木漏れ日の中散歩できたりとか、木陰に入ると急にひんやりしたりとか、流れる水が透明だったりとか、とにかく様々なことが清冽な澄みきった感覚としてはいってくるです。それが毎日なんて。自然には嘘偽りはありません。
>野うさぎやムササビ等
野生のムササビはいまだかつて見たことありません。野うさぎも。羨ましい。どきどきするんでしょうねえ。きっと。
>ワラビやゼンマイ等の山菜
大人になってもその選別知識は残りますので一生楽しめる土台になってますね。羨ましい。
>洞窟もいくつかあったので..........
な、な、なんと!夏なんて涼しいんでしょうね。

ほんと、小学館のBEPALの世界がそのまま残されている環境ではないですか!
自然そのものの姿を見られてその中で成長されたことは、きっと一生心の中のお宝でしょう。いいなあって思います。

お礼日時:2005/09/16 17:04

強く印象に残っているもの。



○缶けり
○パッチ(いわゆる「メンコ」)
○ラムネ(いわゆる「ビー玉」)
○蛙獲り
○魚掬い
○城作り(いわゆる「かまくら」)
○雪合戦
○巡査ごっこ
○ちゃんばら
○時には女の子に混じって「おはじき」「お手玉」
○竹の輪回し

○陣地作り
:鉄工所などの空地の草むらに放置されている廃材(子供数人が入れるような大型のものもあった)を利用して、仲間の「別荘」にする。
色んな仕掛けを作って、「敵」が来たら縄を引いて上から石が落ちてくるようにしたり、「落とし穴」を作ったりする。

○乗り馬
:まず1人が壁に背中をつけて立ち「基点」となる。
一番目の「馬」はその人の腰に手を回して前屈みになり、次の人は1番めの人が突き出しているお尻の背後から腰に手を回し、しっかり固定する。
これを繰返して、人が乗る為の背を連ねた「長い馬」を作る。
「乗り役」は後ろから助走をつけて、ねるべく前を目がけて「馬」に飛び乗る。
(後に何人も続くので、そのためのスペースを空ける為)
通常はスペースが少ないので、「馬」の」上に折り重なるような状態になる。
重みで「馬」が潰れると、同じ構成で再開する。
「馬」が潰れない時は、一番最後に飛び乗った者が、壁際で立っている「基点」と「じゃんけん」をする。
「あいこ」が続くと、重さを耐えている「馬」から「はえぐ(早く)すれ、はえぐ!」と悲鳴が上る。
勝てばまた「乗り役」になれ、負けた「基点」は「馬」の最後尾に付き、「乗り役昇進」までの長い道のりを再び歩む事になる。
「乗り役」が負ければ、これと逆になる。

○蹴り馬
:3人一組で「馬」を作る。
左右に立った者の腰の間の後ろから前へ向けて1人が頭だけを突き出し、両腕を左右の者の背後から腰に回してしっかり引き寄せ、腰を折って背を地面と水平にし、人が乗る為のスペースを作る。
この状態であちこちへ動く「馬の背」めがけて、周囲の数人が後ろから飛び乗る。
「馬」は、その気配を感じたら背に乗られる前に足を後ろへ蹴り、飛び乗ってくる者を蹴り飛ばす。
蹴る事ができなければ、何人も乗せたまま動き回らなければならない。
蹴られた者が、次の「馬構成員」の1人に「格下げ」され、現在の「馬」は「乗り役」に出世できる。
重さに耐えかねて潰れたら、また「馬」として最初からやり直す。

「馬」が首を下に向けたりして、直接背後の様子を窺う事は禁止。
「今見た。ずれえ、ずれえ。」「何も見でね。嘘こくな!」という応酬がたまに発生する。
両側の者が馬の体を叩いて、蹴るタイミングを知らせたりするのは可。
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この回答へのお礼

>○雪合戦
雪の降る地方の方かと存じます。
>○巡査ごっこ
どんな遊びでしょうか?
>○時には女の子に混じって「おはじき」「お手玉」
今考えると羨ましい。
具体的な御内容拝見いたしますと、なかなかワイルドな遊びがご嗜好かと。
ありがとう。

お礼日時:2005/09/16 16:40

私が子供の頃はTVゲームなんてありませんから、もっぱら外で暗くなるまで遊んでいましたね。


学校も放課後はグランドが遊び場でした。

懐かしい気持ちで思い出してみると次の通りかな。
他にもあったと思いますが、取り敢えず・・・・
「缶けり」は外しました。

※「漢字名」は分かりません。(笑)
※ついでにとてもローカルです。

■かいせん
原っぱに足で大きな田の字の線を引く。この時真ん中の十部分は二重線。
参加者は二重線以外の□の部分だけを飛んで田の字を十周する。
で、オニを決め、オニは飛んで廻る参加者をタッチで捕まえる。
但し、オニは二重線内でしか移動できない。
大人数でやると疲れるけど楽しいです。


■6むし
2つベースを往復する野球&ドッジボールのようなもの。
但し使うボールはソフトボールくらいのゴムボール。
攻守の2チームにわかれて、2つのベースを6往復する。
何故「むし」というのかは不詳。


■がんばこ
2人でドッジボールを使うゲーム。
2人の間に小さな円を書き、先行者からボールを円にバウンドさせて、
相手に飛ばす。
相手もボールを受けたら、円にバウンドさせて返す。
使う手は片手のみ。
円を外れたり、受けられなかったら負け。バウンドさせる時に
スピードを変化させたり、方向を少し変えるのがミソ。


■てんか
2人でドッジボールを交互に投げあうゲーム。
先行を先にジャンケン等で決め、先行者は最初は両手でやさしく投げる。
スピード/角度は自由。
2人のうち先に誰かが「片手受け」「指受け」「十字受け」等、
可能な限り受け手の形を変化させて受け取り、返されたら
相手はその「技」の通りに受けなければならない。
出来ないと負け。
もちろん、ボールを受けられなかったら負け。
大人数で順々に先行者に挑む。


■どこ行き
方向オンチの人は駄目。
自転車に乗って、それまで行った事の無い道をどんどん走っていく。
いわば「迷子になってみよう」というゲーム感覚なチャリンコ散歩。
当然 道を覚えないと帰って来られない。
でもこれで新しい道や近道等を知った。

こんなところかな。


おまけで

●「おまめ」
ゲームの事ではありません。

参加者の内、ある者に付いてはこう呼んで一緒に遊びました。
例えば友達の弟や妹、自分達より小さい子。
一緒に遊んでも「捕まえる」系については、この子達は小さいからすぐに
捕まってしまう。
でも「オニ」にさせるには可愛そうでしょ。
だから一緒に遊んで同じ様に捕まえるけど、お前はオマメだからいいよ。
という小さい子用のオニ免罪符。

本気でやりあうのは当然同じ年のやつら。

こういう暗黙のルールが今思うととても暖かい気がしています。


では。
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この回答へのお礼

>私が子供の頃はTVゲームなんてありませんから、もっぱら外で暗くなるまで遊んでいましたね。
私思うのですが、実はその方が楽しいのです。ゲームを解しての友達付き合いをしていてばかりでは、人として本当に大切なことは子供時代に身に染みません。人と自然の中で遊ぶのが、遊びと共に人を大事にすることとか、人の弱さ(自分も含めて) を知ることや、弱いものや年下の人をいたわる事とか、そういう大切なことを知ると思います。そしてそれはなぜ大切か思考することにより、そしてそれらのことから、自分が何のために生まれ、何のために生きるかが解ってきます。大人になった今でも、そんなことがしっかりとできず、頭ばかりよくて自分さえよければよい大人がなんと沢山いることでしょうか。日々の悩みの種です。
>●「おまめ」
優しい心はきっと、その年下の子の中にすばらしい価値として残りその人に触れ合う人々の中に浸透していくでしょう。もちろん「おまめ」と位置づけられていた、その子達の子供にも。中にはその心を更にダイナミックに社会の中に発展させていく人も出てくるでしょう。それは社会理念や人の思想や社会の中の更に価値のある思想へと発展してゆくことでしょう。北欧の社会思想のように。

お礼日時:2005/09/16 17:33

>子供の頃は、大人になった今よりもいろんなことが楽しく感じられたことでしょう。


子供のころの流れた時間て濃かったですよね。
1年が今の20倍くらいあった気がします。

>あなたには、どんな楽しかった遊びがありましたか?

■お医者さんごっこ

小学生の低学年、病弱な子だったから、わりと風邪ひいたりして、よく家の座敷に
布団敷いて寝かされてました。
たしか、母は教師を退職して生保の外交かなんかをはじめていましたね。

いとこの女の子が学校の給食のパンとか持ってきてくれて、枕元に拡げた
講談社の「世界童話文学全集」のなかから、好き勝手な本を選んでしばらく
黙ってから読んで
「それじゃ私帰るね。」といって帰っていきます。
その日も、30分ほど童話に読みふけっていた彼女が
不意に、何を思ったのか
「ねえ、おなか痛いでしょう。みせてごらんよ。」
そういわれて、気の弱い僕は、なんだか痛いような気がして、
パジャマをめくって腹部を露出しました。
「ちょっと待ってて」
従姉は、だいどころから漏斗をもってきておなかにつけて
耳をあてて音を聴いています。
「おもしろいわ。キュルキュル音がする。・・・もうちょっと下も」
そういわれて、彼女はパンツをさげて僕の性器を眺めました。
「ふーん。」
感慨深げというよりわざと診察する医師のような口調で、それを見つめ、
ぼくはなんだか嬉しかったのを覚えています。

「〇〇ちゃんも診てあげるから・・」
「いいわよ。あなたが病人。私はお医者さん」
そういって彼女は交代してくれません。
それが、最後にやったお医者さんごっこ。


>あなたには、どんな楽しかった思い出がありますか?
■三角ベース

家の近くに製材所があって、貯木場には、ラワンの原木が積まれていて
木の置かれないスペースが子供たちが草野球をやるのに格好のスペースで
した。高学年になる頃には、まともな男の子になっていた私も
当時のヒーロー王貞治や長嶋茂雄にあこがれ、暇があれば三角ベースで
野球ごっこ。
ボールも、テニスの軟球を使っていて、バットはビニール。グローブなどなくても
6人集まれば遊べました。キャッチャーは攻撃側の一人が兼業。
ですから、ホームベースへの送球はピッチャーが受けるしかないです。
満塁になったら、板を立ててそこにぶつけてましたね。
審判ですか?だいたい遊んでいると、製材所の兄ちゃんがからかい半分に
審判やってくれたりしましたが、すぐに飽きて、
「おい、オレに打たせろ」
そういっていつも即席バッティングセンターにさせられてしまいます。
兄ちゃんが力任せに売ったテニスボールは必ず、近くのドブ川に落っこちて
僕らは、ズボンの裾をまくってボールを拾いに川に入ります。
汚い下水路のような川底は得たいのしれないヌルヌルしたものが付着して
はだしの足にその感触が伝わります。
水深は浅く、川には、工事現場の瓦礫みたいなものや古い自転車が
捨ててあったりしました。コンクリートの瓦礫を足場にボールまでたどり着いて
広いあげる頃にはまた新しいボールが飛んできます。
ひとしきり遊んだあとは、製材所の事務室で三ツ矢サイダーとかを出して
くれて、飲ませてもらうのです。
製材所には、当時めずらしいポインターとアメリカンコッカースパニエルがいて
せっかくひろいあげたボールを追いかけまわし噛み付いて穴をあけてしまう。
製材所のオヤジがプロレスラーみたいな大男で、奥さんが二匹の猟犬いじょうに
田舎に不釣合いな若い美人でした。


>ちなみに、私は、缶けりや田んぼでサッカーなどが楽しかった。
缶蹴りは、つまらなかった。だって足の遅いドンくさい私がいつでも鬼をやらされて
いつでも意地悪なガキ大将に缶をけられて、泣いて帰っていました。
「おまえは「お豆腐」(お味噌とかいう地方も)でいいから。」
「いやだ。お豆腐はタケちゃんだけでいい」
そういいながら、いつも鬼ばかりで泣いて帰る。

田んぼ、ことに用水路はこどもの遊びの宝庫でしたね。
カエルを捕まえて、その後禁止された2B弾という爆発花火をケツに突っ込んで
うろたえるカエルが爆死うるのを楽しんだり、その肉を引き裂いて、糸につけて
ザリガニ釣ってみたり、台風で大水がでて迷い込んだ雷魚をおいかけて素手で
捕まえたり、まぁひどい遊びばかりでしたねぇ。

あと、雨の日にはプロレスごっこ。
当時、4の字固めとか、回転えび固めとか、まだ猪木のコブラツイストなど出るまえ
でしたから、よく弟に技をかけて泣かしてました。
しっかし、ほんと貧しい時代だけに、金も道具もいらない遊びばかりですね。
今は、道具に何万もレッスンに何千円もコースにでれば2万も3万もかかる遊び
に熱中してますが、一向に上手にならないです。
お医者さんごっこも、子供のときに十分にやってなかったせいか大人になっても
へたくそで、失敗ばかりでした。

TVゲームはおろか下手をするとTVすらなかった時代ですから。ぼくら、金曜日になるとお菓子を持って近所の家にプロレス中継みせてもらいに行ってました。
ゲームといえば、野球盤
それと将棋ですよ。なつかしいなぁ
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この回答へのお礼

プロレスにお医者さんごっこですか。
かえるは相当な受難。大人になると、ああ、取り返しの付かないことをしてしまったことに心が痛みます。
極覇典型的な男の子のはっちゃけさんぶりと言えば良いのでしょうか????
かえるのご冥福をお祈りします。

お礼日時:2005/09/16 21:05

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